第2章 第1話
実際のところ、女は痩せていてはならないのである。
胸は揺れるくらいに大きくなければならないし、尻は出ていなければならないし、丸顔の方が童顔で可愛いし、太腿にニーハイは適度に食い込まなければならない。
一方で、二重顎は許されず、ウエストはくびれていなければならないし、尻は重力に負けずに上がっていなければならないし、足首と手首と細くなければならない。
この体形を実現するには金がかかる。なにせ通常通りに生きた場合、一部だけ痩せるのは無理だし、どうしたって、女の頬の肉は垂れ下がってブルドッグみたいになっていくのだ。
よって、この体形を女に望む男と言う生き物が、女に金を大量につぎ込むべきであることは明白。
女に金をかけるためだけに男は生きるべき。
女が美しくあれないのだとすれば、それは周りにいる男の甲斐性が無いせいに他ならない。
そのせいか、彼女の目には、観客席にいる男たち、汗を流してオタ芸を繰り返す彼らの姿が、札束に見える。小銭に見えることもある。
ピンクのミニスカートに、透ける程度の黒いニーハイ、同じピンクと紺のチェック模様のオーバーパンツ。黒猫の耳と尾っぽを着けて、マイクスタンドに寄りかかるように歌声を披露する。
だが、あくまで、これ以上の露出をしてはならない。男に支持されるためには、あくまで、男の想像力に頼らなければならない。
露出をし過ぎると幻滅させるというのが、このアイドルという職業の難しいところなのだ。
声は高い方がいい。男は幼女を好む傾向にある。声は高い方が幼さを増し、相手を安心させ、つけ入る隙を作ることができる。
アイドルはバカではできない。例えばあなたの好きなアイドルがバカなら、その子はバカを演じている。緻密な計算が必要なのだ。
「みんなー! 今日も来てくれてありがとう! 愛してるよー!」
今日も来てくれてありがとう! との言葉に嘘はない。客が来なければ、一銭にもならないのがアイドルなのだ。お客は大切である。
どんなに気色の悪い豚のような男だろうが、握手会では金さえ払えば握手をする。それがプロというものだ。
彼女にはプロとしての高い意識があった。一方で、彼女は、それだけのことをするならずっと、こうやって広いステージに立ち、金を払ってくれる客をすし詰めにして一気に儲けられる今日の仕事の方が楽だなぁとも思いながら、今日も歌を歌った。
ステージを降り、シャワーを浴びていると、其処にマネージャーがやって来た。
彼は、一年前に、交代したばかりのマネージャーだ。
一年前、とあるマンションで様々な事件があり、このアイドルはそれに巻き込まれた。貸した金を催促に行ったら、とんでもない目に遭った。そこで様々な理由から、当時のマネージャーはアイドルの身代わりとなって死んでしまったのだ。
表向きは。
これはあくまで表向きの「設定」であり、実際にどうなったのかは――しかし「実際に」は、もうどうでもいいのだ。その「実際」の出来事が、二度と世間に出ることはないから。
そのマネージャーから電話を受け取って、アイドルは心臓が口から飛び出る思いをした。
「オパールか?」
電話の相手は、聞き覚えのある男声で、はっきりとアイドルの名を「オパール」と呼んだ。
「オパール」という呼び名は、このアイドルにとって、様々なことを思い出す名前だった。
「ウヴァロヴァイトさん? お久しぶりです」
オパールは電話口の彼に頭を下げて、にこりとした。
「お元気そうで何よりです、ウヴァロヴァイトさんは死んだのだろうと思っていましたから、てっきり……ふふ」
「私に死んでいて欲しかっただろう? 残念だったな」
「まさか。あなた様には生きて貰わなければ困りますわ。何せ、私は、アルマンディンさんに貸したお金を、返してもらわなければならないのですから。あなたのマンションで事件が起きたのですよ? いい加減、そろそろ、責任取ってくださいな」
そう、一年前、後ろ暗い暮らしをするものばかりが住むマンションで、事件が起きた。そのマンションの管理人が、ジェードという青年であり――それを雇っていたのがウヴァロヴァイトだったのだ。
「それで、ウヴァロヴァイトさん、私に何か御用ですの?」
「金は積む」
ウヴァロヴァイトの言葉は非常に端的だった。
オパールは、自分の目つきがすっと鋭くなるのを感じる。
「私、金を積めば何でもする女ではありませんことよ」
「ウソつけ。おまえほど、金の切れ目が縁の切れ目の女を見たことが無い。彼氏がおまえに貢ぎ過ぎて金を失ったからって、塩酸のプールに生きたまま放るなんて」
「それは私にまつわる、ただの噂では無いですか」
ふふ、と口元を押さえて笑いながら、ウヴァロヴァイトの発言を受ける。ウヴァロヴァイトも同じように笑っていた。
「それで? 私に何を御依頼なのです?」
「八百万円だ」
先に金額を提示してくるあたり、分かっている男だ。
「とあるステージで一曲披露して欲しい」
「ステージ? 遠かったら嫌ですわよ、旅費はそちら持ちですが、遅くなると、疲れて肌のキメに出るのです」
頬に手を当てて溜息を吐くと、ウヴァロヴァイトは「文化祭だ」と言った。
「文化祭」
思わず繰り返したオパールに、ウヴァロヴァイトが告げた学校名は――
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