最終話

 一方、ウヴァロヴァイトは苛立っていた。

 場面は戻って、マンションのフリースペース。ジェードから、チャロアイトの部屋で見つけたメモについて、報告があったばかりのタイミングである。

 こんなことなら、その怪しい懇親会とやらに、参加表明しておくべきだった。何事も馬鹿にしてはいけないと強く思う。

 完璧な人間がどうのこうの、という意味が全く分からない。

 今回の一連の出来事の最初の一行は、アルマンディンの死ではない。

 恐らく、もっと前から、同業者の間で少しずつ起きていた変化の中の一つなのだ。    

 世界全体が変化しているということは、自分の縄張りも。


「懇親会か……」


 余りアテにならないが、もうこうなると、目の前の長靴を履いた猫みたいな男に問いかけるしかない。


「懇親会の中止の報せが、今おまえのところに来ていただろう、クンツァイト」

「王子と呼んでくれたまえ」

「中止の報せが来るということは、おまえは懇親会に参加する予定だったということだ。懇親会のプログラムのようなものはないのか?」


クンツァイトは、にまにまと笑って頬杖を突いた。


「懇親会の目玉は、ある美術館の除幕式である」


「美術館……?」


 生まれてこの方、美術館なんて知らないかのような声を出してしまうウヴァロヴァイトであった。

 まぁ、ウヴァロヴァイトのような、人を廃棄物のように取り扱う業界にいる人間は、存外、美しいものを好む者は多い。

 その美しさの基準には、やはり個人の物差しが使われるが。

 美しいことは正しいとか言う人や、昆虫を愛でるもの、幼児の姿に拘るもの――聞き及んだ程度だが、ごまんといる。

 しかし、美術館というのは、全く予想外だった。

 前述のとおり、美しさの基準は各々で違う歪んだ物差し。故に、皆が納得する美しいものを集めることなどできないのだ。

 そんなものを開館したところで、金になるのだろうか――

 ウヴァロヴァイトはマンションを経営している視点で考えたが、全く得がなさそうだった。

 それともただの趣味の発露だとでも?


 ルチルが、ウヴァロヴァイトの前に山盛りのパンケーキを運んできた。

 ウヴァロヴァイトはそれにフォークを刺す。

 現時点で確からしいのは、縄張りの概念を越えて、ウヴァロヴァイトのようなものたちが組もうとしているということだ。

 美術館の開館なんていう、全く意味不明な動機で。

 通常、ウヴァロヴァイトのようなものたちが、自分の縄張りを越えて行動することは滅多にない。

 例えば、ある人物をA街で始末する依頼があるとする。そうすると、A街に縄張りを持つ人間が依頼を請ける。B街を縄張りとする人間は、手を出してはならない。ライオンと同じで縄張りは不可侵なのだ。余計な争いを生まないために。

 それを破って美術館が作られた。

 此処には大きな力が働いていると考えざるを得ない。

 ウヴァロヴァイトは、長い睫毛で覆われた目をじっと閉じ、それからゆっくりと顔を上げた。

 向かいに座って頬杖を突いて、クンツァイトがチェシャ猫みたいに笑っている。


「ルチル」


 ルチルがウヴァロヴァイトの横に立って、静かに腕を持ち上げる。

 その手には黒い拳銃が一丁。

 ルチルが向けた拳銃の先には、クンツァイト。


「どういうつもりであろうか? レディ」


 クンツァイトは未だ座っていて、自分の膝をドラムのように、とんとんと叩いている。

 ウヴァロヴァイトは首を傾げた。


「もう、面倒だ。アルマンディンの命を奪ったとして、最もふさわしいのがおまえなんだよ」


 瞬きもせず、歌うように言葉を紡いでいく。


「だから、死んでもらう」


 クンツァイトはテーブルに両肘を突き、指を組んで顎を乗せた。


「この王子、クンツァイトがやったという証拠は?」

「証拠は必要ない。おまえがやったとも思っていない。ただ、おまえがやったとするのが、最もふさわしいというだけだ。良いか? つまり、こう言うことだ」


 ウヴァロヴァイトはパンケーキをフォークで突いた。


「先ず、今回のアルマンディンの死には、界隈の変化が関わっている」


 パンケーキにハチの巣状に穴が空いていく。


「界隈の変化の最たるものが、クンツァイト、おまえが今言った、美術館の開設だ。そんなもの、先ず開く意味が無いし、開いたところで、祝いなどする必要は無い。しかし、中には、それに賛同するものがいて、懇親会にまで発展した。美術館を建てた人間は、ある程度、我々のようなものの中で、権力を持っているのだと容易に推測できる。最もあてはまるのは」


 フォークの先でクンツァイトを示し、


「おまえだ。クンツァイト」


「それは、この私がアルマンディンを殺す理由には全く繋がらないと思うが?」


 クンツァイトは身体を左右に交互に倒し、笑っている。


「その美術館に関することで、何か重要な秘密をアルマンディンが掴んでしまった、と考えれば、合点は行く」



「そうだろうか。世の中、合点がいくなぁと思えば、大抵のことが合点がいくのであるよ」


 クンツァイトは手をパンと叩いてからテーブルに飛び乗り、両手を広げた。ブーツの先にぶつかってグラスが倒れて引っ繰り返り、ワインが血のように垂れ落ちる。


「その程度の証拠で、私を始末して良いと思っているのか?」


「おまえが生きていることを望むものもいないだろう」


「生きていること自体を望むことはいないかもしれないな」


 意外にもクンツァイトは、其処には素直に応じた。


「しかし、私の権力を必要とするものはいる。私の家臣と民を全て敵に回す勇気がおまえにあるのか? ウヴァロヴァイト」


 そうなのだ。

 ウヴァロヴァイトも、それだけは引っかかっていた――

 クンツァイトにも、ウヴァロヴァイトと同じか、それ以上の部下がいる。父から立場を譲られたと話していた。ブラフかもしれないが、警戒しておくに越したことはない。そう考えると、下手な手出しは危険なのだ。どれほどの人数が彼に従っているのかは知らないが。

 復讐と称して、一気にクンツァイトの部下に攻め込まれたら終わる。

アルマンディンが命を奪われてしまった事実が知れ渡って名が落ちるのと、クンツァイトの死をもって彼の部下が攻めて来るのとどちらを選ぶか。ウヴァロヴァイトは悩んでいた。


 その少し前後する時間帯、ジェードと真珠はマンションの廊下を歩いていた。

 ジェードはすっかり諦めつつあった。俺は今、仕事のできない人間になり果てている。とは言え、どんなに鼓舞されても、これ以上の手がかりが見付けられる気もしなかった。

 いよいよ其処に待っているのは死だ。


「そう言えば、鬼太郎はさっきから、どうしてそんなに、ずっとマトリョーシカを抱いて歩いてるんだい?」


 抱いてはいなかったが、確かに、チャロアイトと捜査をしていた時、あのアルマンディンの部屋で拾ったマトリョーシカを、ジェードはずっと小脇に抱えていた。ウヴァロヴァイトに教えるほどのものでもないと思っていたし、言えるような状況でも無かったから。


「マトリョーシカって可愛いよね。僕に見せておくれよ」


 真珠はマトリョーシカをジェードからそっと受け取ると、ふたを開けたり閉めたりして遊び始めた。



それで上側の蓋を外し、結局落としてしまった真珠が、それを拾いながら中を覗き込んで、あっと声を上げた。


「何か書いてあるよ。ほら。まるで呪いの人形だね」


真珠は着物の袂を押さえながら笑ってマトリョーシカを返して来た。ジェードも中を覗き込む。なるほど、確かに、呪いと言われたのは分かる。字は血で書かれていたからだ。赤さを通り越し、とうに酸化した古い血で、こう書かれていたからだ。


≪L・i・A・l・S・i・2・O・6≫


「これはいったいどういう意味だろうね?」


 長身を屈めるように血文字を覗き込んで、真珠は目を三日月形にした。


「アルマンディンの僕らへのラブレターかもしれないよ」


「ダイイングメッセージを称して……『死者から生者へのラブレター』か。相変わらず、しゃれたこと言う」


 しかし、学のないジェードにしてみれば、アルファベットなんて見るだけで頭がパンクして反吐が出そうだった。

 学校に行っている暇があれば、身体を壊して血を吐いても働かなければならなかったのだ。

 少し邂逅にいたろうとした、その時だった。


 ぱぁん、とポップコーンが跳ねるような軽い音。

 真珠が「ひゃっ」と叫んで千切れた耳をふさぐ。


 降って来たのは火の粉だった。


 こうして見ると、雨漏りって凄い平和だよな、とジェードは一瞬、思ってしまう。

 火の粉は、ぼたぼた音がしそうなほどの勢いでみるみる落ちてきて、あっという間に炎となり、床と壁を這いずり回る赤黒い蛇となった。


 

 真珠は、降りかかる火の粉に、ひぃひぃと叫んで歩き回り、明らかに狼狽していた。しかし、それはジェードも似たようなものだ。

 今日は厄日。何でこんな時に火事なのだろうか。

 だが、厄日というより、前々からこのマンションに潜んでいた疫病神が湧き出したという方が近い表現の気がした。

 きっと、今日こうなるような災いの種みたいなものは、このマンションに、ずっと前から蒔かれていたのだ。目をそらしてきただけだ。

 俺達のような極悪非道な者に、平穏な暮らしなど与えられる資格はないのだから。

 だが、このまま、むざむざと死ぬわけにはいかない。口を袖で覆い、逃げようとしたジェードは、思い切り転げかけた。

 足を、真珠がつかんできたのだ。


「鬼太郎、何とかしてよ」

 真珠は血走った目を向けてくる。


「鬼太郎はマンションのオーナーだろ……このマンション、消化機器がどこかにあるんじゃない? 知ってるでしょ? 教えてよ」


 事実、このマンションには、消化設備がある。消火器のような生半可なものではなく、泡上の消火剤を振り撒くスプリンクラーだ。慎重なウヴァロヴァイトが、万が一にも罠が張られ、マンションが燃やされては困ると、全部屋と廊下に設置したものだった。


 だが、生半可な火では使うなとも厳命されている。そんな泡、一度吹き出せば、マンションは使い物にならなくなるからだ。各室の個人の持ち物も使えなくなる。損害賠償の額など計り知れないだろう。

 今がその時なのか、ジェードは決めかねていた。

 だいたい、いたずら防止のため、簡単には発動できない場所にスイッチがある――ジェードの現在地からは、階段を数十階分昇り、最上階にいかねばならない。

 今なら、逃げられるのではないか。

 この建物にいるのは皆外道だ、何故助けてやる意味があるのだろうか、と思う。

 しかし、真珠は瞳孔の開いた目でジェードを見詰め、そして持っていた刀を抜き、じりじりと迫って来る。しかも、笑顔で、だ。


「鬼太郎、消火機器があるなら使っておくれよ。僕の大切な家族が焼け死んでしまうよ……」


「……俺に何の関係が」


「助けに走ってくれないのならば、そんないらない足は切ってしまうよ。切って火の中に放り込むよ」


 ジェードは、しばし黙って考えていた。今更慌てても、最上階まで、間に合わないかもしれなかった。しかし――



 場面は戻って、マンションのフリースペース。

 ウヴァロヴァイト及びルチル対クンツァイトのように睨み合っているところで、オパールが、こてんと首を傾げた。


「その美術館って誰が建てたものですの?」


「それは麗しいレディの依頼でも流石に言えないのである」


「馬鹿な人もいるものですわ、と思っただけですのよ。そんな無駄なものに大事なお金を使うなんて!」


「人は皆趣味には金を掛けるものさ、レディ」


 クンツァイトはマントの裾を手で払い、皺を直してから笑う。


「まぁ、そう恨まないでくれたまえ……私も依頼だったのだ。その美術館の開設まで、邪魔を入れるなと言われた。もし邪魔をするようなものがいたら、決して手加減はせず始末しろとな。そう頼まれたのさ。美術館を作った、とある大物からね」


「アルマンディンを始末したのはおまえだ、と認めるんだな? クンツァイト」


「私がやったという証拠が無い限りは何を語っても絵空事だからねぇ。それに、依頼人を知ったら、例え証拠が出ようがでなかろうが、私を罰することは出来ないよ。故にウヴァロヴァイトの話に乗って少し楽しもうかと思ってさ」


 毛を舐める猫のようにのんきな口調だ。


「美術館の建設の邪魔って、アルマンディンが何をしてしまったというんだ?」


「そもそも、その美術館に飾ろうとしていたものが何か分かるかね」


クンツァイトの問いに、オパールは頬に人差し指を当てて首を傾げた。


「美術館というのですから、絵画とか、彫刻ですとか……」


「レディ。それだけでは、それこそ、この我々のような職業の者が、美術館を開設しようなどと考えるわけがなかろう」


クンツァイトは、人差し指を立て、舌を、ち。ち。ち。と鳴らす。


「正解は……『完璧な人間』の展示である!」


ば、と両腕を広げると、マントが翻って、ばさ、と大きな音を発した。


「『完璧な人間』?」


「完璧な人間を標本にして飾る。それがその美術館の最大の見世物であった」


遺体を標本にして飾りたがるやつは、ウヴァロヴァイトの同業者でたまにいる。しかし、大抵は部屋において眺める程度だ。それを皆に見せようと言うのは、非常に珍しく感じた。


「……いや、どういうことだ。そもそもこの世に完璧な人間などいるのか?」


「いなければ、作るしかない」


クンツァイトは、何処か遠いところを見ながら深く頷いた。

そこで、はっと目が覚めたような感覚になる。


「そうか、それでバラバラ殺人か。その美術館を建設しようとしたやつは、我々のようなものを買い集めて、働かせた……多くの人間の命を奪い、その人間の、美しい部位だけを切り取って収集し、最終的に一つに組み立てて、飾る気だった。プラモデルのように」


「C’est vrai.」


「いや、何故フランス語……」


 クンツァイトからウヴァロヴァイトに惜しみない拍手が送られる。


「人間と言うのは確かに、それ一人では完璧な者などいない。それはこの王子、クンツァイトですらそうさ。だが、顔が不細工でも手は綺麗とか、足が太くて大根でも髪が艶があって良いとか、良いところが一つくらいはあるものだ。人間は捨てたものでは無い」


「依頼主は、手や、足や、顔など、それぞれ出来栄えの良い人間を始末させ、その美しいパーツだけ切り取って持ち帰らせ、集まって一つの身体を作り上げて、美術館で公開する予定だったんだな」


 其処でオパールがぱっと自分の両胸を押さえる。


「ちょっ、狙わないでくださいな! このおっぱい、一千万円掛かってますのよ!」


「いや、奪われるなら、とっくにやられているだろう。おまえがいま生きているということは、おまえの胸は美しくないと言うことだ。安心しろ」


「失礼だな、てめぇ」


「なんて言われたいんだよ、おまえは……」


 しかし、胸を大きくするのに一千万円か、若くいるのも大変だな。オパールに睨まれたので、ウヴァロヴァイトは一応頭を下げておいた。


「で、クンツァイト、おまえは、そのパーツの一部を回収してくる役を担ったんだな」


「嗚呼、そうして、アルマンディンのあの太くたくましく、美しい胴回りを手に入れるために、あの事件の日――の三日前から、アルマンディンのところに泊まっていたのさ」


「そう言うことで私は、アルマンディンのところへ彼の胴を目当てに訪ねたのであるが、其処で驚いた。アルマンディンは、この私のことを怪しんでいた。この業界の、美術館を建てたり懇親会をやったりと言う流れも疑っていた。だから、応援が必要になったのさ。其処で、私はルチルを呼びつけた」


「ルチルは私の命令にしか従わないはず……」


 ウヴァロヴァイトは椅子の肘掛をぐっと掴んだ。

 しかし、この期に及んでもなお、ルチルは瞬きをした程度で姿勢も動かさない。


「つまり、その行動すらも、ウヴァロヴァイト。おまえの為だったということさ」


「私のため? 意味不明だ」


「私が此処に来た時から、お前に興味を示していた理由がそれだよ。ルチルが、此処まで熱を上げる男というのは、どんなものなのだろうかと思ったのさ」


 いいか、とクンツァイトはサーベルでウヴァロヴァイトを指す。


「おまえは足が動かないんだろう。だから、完璧な人間の作り方さえ分かれば、おまえの足も動かせるのではないかとルチルは踏んだのだ。ルチルが美術館の建設に肩入れした理由はそれだよ」


 ウヴァロヴァイトは五秒ほど唖然として固まって、それからルチルを見た。それでも、ルチルは動かない。目すら合わせない。


「そもそも私は歩けるようになりたいなどと思ったことが無い……歩けるようになったら、歩かなければならないんだろう? いつも運んでもらえる、今の方がずっと楽だ。勝手な判断で、私の幸せを決めないでくれ」


 ウヴァロヴァイトは深い溜息を吐いた。


「大体、私の足は、死体の繋ぎ合わせのような方法で治るものではない。ルチルがそんなことすら分からない馬鹿だとは思いたくないな」


「だから、実際には知らなかったのさ。細かいことは、何も。ルチルには知らされていなかった。件の美術館については、計画に加わっているほとんどが、知らなかったのだよ」


「おまえは知っていたのにか?」


「それは、このクンツァイト、まがりなりにも群れのトップであるし、美術館建設の実行部隊でもあるからな。他の者は、なんとなくついてきただけだ。ルチルに至っては、語感で、『完璧な人間』と聞いた時に、完全無欠の、どんな病気も治っちゃう、何か凄い人間を作り上げるんだと思ったんじゃないか。チャロアイトだってそう。欠点の無い人間を作る計画だと思った。皆、言葉を自分の都合の良いように取ったんだ。それによって、逆に良いように使われたのさ」


「確認は大切だな。ライオンの群れだってそうだ、一匹だけ指示を聞かず、他の雌と違う動きをしてみろ、バイソンの角に刺されて死ぬだけ」


「チャロアイトもそれと同じだ。途中で、どうやら自分の思っていた完璧な人間と違うと感じ、手のひらを返したから、私が始末した」


 このマンションに呼び出されたことが、結果的に奏功したとクンツァイトは手を叩く。


「チャロアイトはチャロアイトで、私をハメようと思っていたのであろう。彼ほど今回の美術館の話に期待を持っていた者もいまい、彼の『友人になること』に対する執着は凄まじかったからな。きっと期待が裏切られて恨んでいただろう。しかし、私の方が一枚上手だったのさ。そして」


 クンツァイトは、ぱっとウヴァロヴァイトを振り返った。


「この私が、こんなに熱心に解説してやっている理由が分かるか?」


 ウヴァロヴァイトと、ぱっちり目が合った。

 そうだ、確かに、此処でこんなに、語る必要はない。


「……何かの時間稼ぎか?」


 ウヴァロヴァイトは脳内で話を整理していた。

 先ず、前提として、「完璧な人間」を展示するという美術館建設の話が全ての発端だ。

 そして、その建設を目論んだある人物は、自分で死体を集めるのではなく、各人に依頼をした。その一人がクンツァイトだ。

 クンツァイトは、美しい胴を手に入れるためにアルマンディンの部屋に上がり込んだ。正直、立場の差を使えばアルマンディンの部屋に入ることは全く難しく無かっただろう。

 そこに三日以上宿泊すれば監視カメラの映像は消える。

 しかし、アルマンディンも、この界隈の裏で動いている何かに警戒していた。バラバラ殺人の証拠を集めていた。

 それを見せつけられ、クンツァイトはルチルに応援を依頼した。

 ルチルはクンツァイトと同じく、美術館建設に関わっていた。それはウヴァロヴァイトのために。

 その作戦は成功した。

 それほどの大きな動きなら、もう、アルマンディンの死どころの話では無い。


「クンツァイト、一体誰なんだ。その、美術館建設を企んだ人間は。おまえほどの立場の人間を働かせられるとなれば、下っ端では無いだろう」


 クンツァイトは薄く微笑んで立っている。

 その目はウヴァロヴァイトを嘲るようで、虫唾が走った。


「答えろ」


 其処で、地響きのようなものを床や壁から感じ取った。周りを見渡す、その暇も無く天井が一部、崩れ落ちる。

 一気に橙色の炎が壁伝いに張って来て、辺りを覆い尽くした。床を、テーブルを、飲み込んで行く。


 天井が崩れる音は、漫画で描かれるようなガラガラではなく、ゴゴという、ライオンの唸る声に似ていた。ウヴァロヴァイトが唖然としている間に、火は、あっという間に回って行く。


「このフリースペースに来る道すがら、廊下に、ボタン一つでこのマンションを燃やせる仕掛けを施しておいたのだ。万が一、私の犯行であるとバレてしまった時のために」


 何かを言い返そうとしたら煙に喉を刺され、ウヴァロヴァイトはむせ返る。


「おまえも犯罪者の群れのトップなら、分かるだろう。依頼人を知られてしまえば、我々に訪れるのは死である」


 一方、そう口を開いたクンツァイトの声は、とても落ち着いて、堂々としていした。


「私はそんな死に方は嫌だ。この美しいクンツァイトの死にざまが、仕事のミスをした結果、誰かに命を奪われるなんて。そんな無様なエンドロールは耐えられん」


 厳密に言えば、そんな「厳密」今は意味がない。クンツァイトを問い詰めるか、ここで彼の手持ちのものを調べ上げれば、美術館を建てようとした人物は、いずれ分かるだろうから。

 偽りの王子、寧ろ長靴を履いた安っぽいサビ猫にしか見えない彼が、サーベルを腰に仕舞い、赤いマントを翻す。その音が、火の燃えるごうごうと言う音より大きく、耳に響いた。

 それから胸に手を当て、跪く王子のような体勢で、クンツァイトは微笑む。


「故に……このキュートな王子、クンツァイトの人生――これにて幕引きである」


 その脳天に銃弾をぶち込んでやろうと銃を構えたが、少し考えて、下ろした。

 何をしても、もう無駄だ。

 とうに炎は蛇となって部屋を飲みつくそうとしている。クンツァイトを殺して、助かる場面でもない。


 オパールは、

「この私の美しい顔に火傷でも残ったらどうするんだ。てめぇ一生許さねぇぞ。カビくせぇ小僧が」

 とクンツァイトを罵って走り去った。

 あれだけ早く走れれば、万が一、逃げられたかもしれないけれど、もちろん、ウヴァロヴァイトの足は動かないのである。しかも、この期に及んでも、別に動けば良かったとは思わなかった。ウヴァロヴァイトにとっては、人生全体から見て、足が動かない方が得だったことの方が、どう見積もっても多かったから。

 良く燃える天井を見上げていると、身体が、炎と違う暖かさに覆われて、はっとする。

 ルチルが、椅子に座るウヴァロヴァイトを抱きしめて、足を床について、そっと小刻みに震えていた。


「……逃げろ」


 ウヴァロヴァイトはルチルに命じた。彼女の足なら充分に逃げられるだろうと思った。


「一緒に死ぬことはない。ライオンのプライドのトップは、新しい若手の王候補と戦い、敗北して、王の座を譲って死ぬことはある。その際プライドの雌は新たな王の女となる。それで良いんだ。こう言う時、死ぬのはな、トップだけで良いんだ」


 しかし、ルチルはそのまま決して動かなかった。肩口に顔を押し付け、表情すら窺えない。

 この時、ウヴァロヴァイトは少し、自分の群れの部下であるジェードに、消火機器について教えていたのを思い出した。


 しかし、実際には、発動させてはくれないだろう。ジェードに、ウヴァロヴァイトたちを助ける意味は無い。

 他者に弄られて無意味に発動し、マンションを壊されることを警戒し、消火装置を自動にしなかったことが仇だった。最初から最後まで人を信じなかった人生だったなぁ、と思う。しかし、それにも後悔は無い。人を信じていたら、とっくにウヴァロヴァイトは死んでいただろうから。

 こうやって、自分を愛してくれる女に抱かれて焼け死ぬとは、それはライオンの王として、滑稽極まりない。最悪だ。ウヴァロヴァイトの頬が緩む。ただ、唯一信じた女が、自分を裏切っていなくて良かった。

 たった一つだけ後悔があるとするなら、ルチルの声を聴いたことが無かった事実だ。

 一度で良いから、名前を呼んでみて欲しかった。自分でも忘れかかった本名というもので。

 炎は勢いを増し、クンツァイトとウヴァロヴァイトの間に壁を作る。いよいよ、ウヴァロヴァイトの部下たちも、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。ただ一人、ルチルを残して。

 恐らく彼らは助かるだろう。此処に残ったものは、灰すら残らない。


 これで、このマンションで起きた事実として、ただ一つ、確かだと後世に残るのは「アルマンディンが死んだ」と言うことだけになるのだ。


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