第2話

 ここまで話して、チャロアイトは、やっと少し落ち着きを取り戻してきたようだ。床、いや土の上に尻を下ろす。だぼだぼの、スカートのようにも見えるズボンが、あっという間に土で汚れていった。


「それで、忙しい中、皆に聞き込みをして回ってるんだね。ジェードは心優しい管理人さんだね……」

「回ってるというか、おまえのところに来たのが最初だけどな。家賃が払われていれば何もしなかった」


 弔い合戦みたいなのを想像されちゃ困る、とジェードは首を横に振る。それで腰に着けていた銃を抜くと、チャロアイトに向けた。かちゃ、と金属音が鳴る。まだ引き金に指をかけただけなのに、それが響く程、この部屋は静かだった。


「ここのルールは絶対だ。それを破り、俺を怒らせた罪は死刑よりはるかに重い。アルマンディンにルールを破らせたのは奴の命を奪ったやつさ」


 ギロチンに掛けようか、とジェードは口の端を歪めた。普段は喋ることも億劫だが、ことこういう話になると饒舌なのは、ここの住人にありがちな特徴だった。


「滞納金を払わせたら、土下座させて、土下座くらいじゃ何も御詫びにはならんからな、それからギロチンに。一度食い込んだところで刃を止めて」


 抱えた膝の上に頬杖を突き、チャロアイトは悲しみに暮れた溜息を吐いた。うんざりという顔で。ジェードは、ここからが良いところだと思ったのだけれど。


「で、何だってジェードは僕のところに一番に来たの?」

「そうだな……」


 遺体の状況から一番チャロアイトが犯人と思えたから――

 という、本音は一回胸に収めた。実際に胸を押さえて収めた。


「おまえは友人を裏切らないからだ」


 チャロアイトは柴犬みたいな顔で笑った。


「うん、僕は友人を裏切ったりしないよ」

「俺も友人だろ?」


 此方からは思ってないけど。


「嗚呼、勿論だよジェード」

「そうか。なら、用心棒を頼む。聞き込みの最中に俺が無法者にやられないようにな」

「任せて」


 チャロアイトは端に置いてあった真っ黒い、夜の色のスーツケースを持つと、部屋を後にしようとするジェードに、すたすたと付いて来た。


「どんなにおまえが理屈を並べたところで、チャロアイト、おまえは相手を始末しちまうじゃないか」


マンションの廊下を二人並んで歩きながら、ジェードは口を開いた。

チャロアイトは眉毛をハの字にした。


「悪いことをするのは悪い人に決まっているからね。悪い人は、倒さなければ」


自己責任だ、と責めるよりもっと更に酷い。と、思ったが心にしまっておいた。

結局こいつは、良い人間、話の分かる人間を装った悪魔なのだ。

と言うか、悪魔は人の話を聞くふりをして、巧みに誘導し、結果、自分の望みの為にしか動かないのだから、どうしようもなくチャロアイトも悪魔なのだ。


「それで、何処に行って、誰に対して聞き込みをするつもり?」

「犯人はこのマンションの住人の中にいる」


ジェードは全くチャロアイトを見ず、足も止めず、爪先だけを見ながら答えた。


「このマンションの中に……悲しいな。友人同士で傷つけ合ったり、疑い合うのは」


チャロアイトは天を仰いでから、矢張りついて来る。


「それなら、その犯人は友人の命を奪ったことになる。僕としては必ず消しておかなければ」


その犯人もおまえの「友人」じゃないのかとか思ったが、矢張り指摘せずに行く。


「やっぱり、ジェードがそう思う根拠って、玄関が指紋認証だからかな?」

「指紋なんて写真からでも作れる。ただ、このマンションによそ者は入れない」

「人の目で二十四時間監視してるから?」

「と言う事になってる。そこが覆ると……」

「覆ると……?」

「マンションの入居者減るだろ。セキュリティが悪かったらさ」


ジェードは生真面目にそう自分に言い聞かせるような口調で答えた。

マンションの名誉のためにも、絶対に解決しなければならないのだ。


 指紋が偽装できることくらいは、流石にチャロアイトも知っていた。一応、それを前提に考えてみる。


「じゃあ、アルマンディンの命を奪った輩は、このマンションの中にいて、指紋を偽装してアルマンディンの部屋に入って、彼を襲い、バラバラにして、そのまま放置したのか」

「バラバラにする意味が全然分からないんだけどな。それだと。意味不明なんだけどな」

「パーツが全部部屋の中に揃ってたのなら、そうなるね。揃ってたの?」

「咄嗟に処分したから、其処までちゃんと見た訳じゃ無いが……」

「ジェードがやっちゃったの?」

「違う。未だ、家賃滞納から二カ月経って無い。俺は必ずルールを守る」

「じゃあなんで遺体を処分したりしたんだい?」

「チャロアイト、質問ばっかりしてないで、少し自分の頭で考えたら如何だ」


 答えてくれたっていいじゃないか、これはミステリ小説じゃないんだし、ワトソン役がワトソンを務める理由もないだろう。


「……嗚呼、そうか。マンションの査定が下がっちゃうもんね。もみ消そうとした訳か」

「やってみたら血のシミが大きすぎて到底無理だったから、考えを変えて、自ら如何にかするより、犯人に弁償させることにしたんだけどな」


「でも、各室の前にはカメラがある」


 チャロアイトも住人であるから、勿論知っている。ここのマンションの各室の入り口は、ばっちりカメラで録画されているのだ。解像度だって、低くない。


「勿論それは俺だって真っ先に確認したさ」


 ジェードは肩を竦めた。


「でも、犯人は着ぐるみに入ってたんだ。パンダの。しかもエアタイプの膨らすやつだ」

「体型も分からない……」

「視界は狭い筈だがな。アルマンディンはやられちまった」


 油断していたと言う事か、それともと、可能性を並べつつ――二人は険しい顔でエレベーターに乗り込んだ。


「しかし、何故アルマンディンをバラバラにしたか、理由は分からないが……一つだけ。このマンションの屋上に入った経験が無い奴だってことだけは分かる」

「だね」


 エレベーターが屋上に着いたのは、チャロアイトがこう言うのと同時だった。


「――このマンションの掃除屋に死体の処分を頼まないってことは。だよね?」

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