アルマンディンは死んだ。そして、【完結】

るあ

第1話

「最近は何でもかんでも『自己責任』なんだ」


 二階の角部屋は花畑だ。

 十畳のぶち抜き、簡素なキッチンとシャワーブース、トイレはあるが、その全ては木製カウンター、グレーのカーテンで仕切られているだけの内装であることは、このマンションでは全室共通である。が、ここ、二階の角部屋は花畑なのだった。

 壁や天井を這うように、枯れているのか生きているのか分からない木がうねり、静脈のように生えている。繰り返すが、ここはあくまで室内だ。

 その木の洞や、短い枝に、額が掛けてある。中には蝶の標本が、びっしりと並んでいる。

 室内であるが、その床は見えない。土だ。そしてそこには色とりどりの花が咲いている。赤が多い。その花々の間を、大小さまざまな生きた蝶が、飛び回っている。さながらここは蝶の楽園だ。いずれ、ここの住人がピンで挿して標本にしてしまうとしても。

 空調はなく、この八月の時期、日光が差さない部屋とは言え、入るとむっと暑かった。

 ここの住人は、この土の上で眠る。本も読まないしテレビも見ない。食事は外で済ませるかカウンターで立って食べる。だから、ベッドも、本棚も、まるでないのだ。勿論それは、このマンションの管理人であるジェードにしてみても、住人のプライベートにまで介入することはなく、この辺りについては想像だが。

 そう、普通、マンションの管理人が、住人の部屋を訪れる事はない。


「そのうちに、強姦に遭っても『女性がその店に入ったのが悪い、自己責任だ』、詐欺に遭っても『その商品に興味を持ったのが悪い、自己責任だ』となって、しまいには、道端で突然命を奪われたって、『その道を歩いた被害者が悪い、自己責任だ』となるよ。ものが盗られたら、『そこにモノがあったのが悪い!』ってね。それで、犯人の側にしてみたって、立場が強いって訳じゃない。『生まれたのが悪い、自己責任を取って生まれる前に戻って死んで来い』と言われるようになるよ。僕は危惧しているんだ。夜も眠れないくらいに」


 そんな危惧が生まれるのは自分の日頃の行動に非があるからだろう、まさに自己責任だと思ったが、ジェードは特に言わなかった。


「なぁ、チャロアイト」


 ジョードの指に、禍々しい緑の鱗粉に身を包んだ蝶が留まった。


「アルマンディンが死んだ」

「何だと」


 ジェードが事実を淡々と抑揚なく告げると、その落ち着きに反し、チャロアイトはみるみる青くなった。


「何で。どうして。いつ」

「チャロアイト。どうしてそんなに慌てるんだ」

「アルマンディンは僕等の友人じゃないか!」


 チャロアイトはジェードの黒いカーディガンを掴んで来る。蝶が何処かに逃げて行った。どんなに逃げたって、ここは密室、標本にされる未来からは逃げられないのだけれど、一先ずジェードは蝶の足のむずむずがなくなって丁度良かった。


「アルマンディンの方はお前を友達とは思ってないさ。安心しろ。悲しんでやる必要はない」


 事実、このマンションには共有スペースがあったが、其処で顔を合わせているからと言って、到底友人とは程遠いだろう。人はそんなに簡単に友人にはなれないものだ。表向き話を合わせる人間関係とは言えるかもしれないが。

 ましてや、こんなマンションにおいては。

 チャロアイトは、それでもさめざめと涙を流した。


「なら如何してジェードは僕の部屋に来たんだい?」

「決まってるじゃないか。アルマンディンが殺された、その犯人を捜して、そいつにアルマンディンの家賃を払わせるためだ」

「家賃」


 涙で充血した目でジェードを見て来るチャロアイトに、ジェードは仕方なく、億劫ではあるが、アルマンディンの遺体を発見した時の状況を話してやることにした。


 四十二階建て。

 日当たり最悪、北向き。

 部屋は一階ロビー、共有スペースを除き、全てが同じ間取り。

 各室のドアにはデフォルトで設置された指紋認証。

 自室の壁へのポスター貼り、ペット飼育可。

 屋上は使用不可のプールあり。

 管理人による二十四時間体制のマンション入り口の見守り付き。

 敷金・礼金合計百万円。

 家賃ひと月二十五万円。

 身元保証一切不要。

 ただし、家賃滞納二カ月で管理人による処分あり。


 それが「Sangre de paloma」だ。


 こんなところに住む人間は、罪を抱えた人間――それも、一切の情状酌量を必要としないような、趣味で悪いことに手を染めるような人間しか有り得ない。


 それは矢張り、管理人にも言えることで、上記の「処分」というのは、書くまでもなく、命を取ってしまうという意味だ。


 ジェードはといえば、「Sangre de paloma」の傍に住んでいる。買い上げた、廃屠畜場で。ジェードは兎に角肉が好きだった。

 なら、どうやって二十四時間マンションを監視できているかというと、それは人を買っているからだ。午前八時から十八時間働くのと、残り六時間を働くのと、何方が良いか選ばせて、二人の人間に監視に当たらせている。

 何、彼らが身体を壊したら次の人間を買えば良いのだ。

 何の心配もいらない。


 しかしそれにしたって、家賃滞納の督促ばかりは、管理人のジェードが自ら行おうと心掛けている。


 それは、今回もそうだった。


 アルマンディンは酷い男で、無骨で不愛想であり、無礼であり、マンションに女を連れ帰っては、近所と盗りあいになった。管理人視点からして、余りいいところはなかった。持ち帰る女のレベルも低かったし。

 が、家賃を滞納するのは有り得ないと常日頃語っており、実際に、アルマンディンが家賃を滞納したためしはなかったのだ。

 アルマンディンは、勿論悪いことではあるが、たくさん仕事をして稼いでいたから、滞納する必要なんてない。

 故に、寧ろ、家賃が一カ月払われず、ジェードは彼の身を案じたほどだった。風邪でも引いたんだろうか?

 そして二カ月が経過し、予定通り、規約通り、ジェードはアルマンディンを始末すべく、彼の部屋、三階の一室に向かった。

 しかし、管理人の鍵でドアを開けて、そうしたら中でアルマンディンが死んでいたのである。見ればすぐわかった。


「もうちょっと詳しく」

「喜んでるのか」

「違うよ。友達の死を弔うために詳細を知りたいんだ。ましてや、何でジェードは、アルマンディンが殺されたなんて分かったんだい?」


 病死かもしれないし。みたいなことを言う口を人差し指を当てて塞いでやり、


「あんなに身体が千切れ千切れになっていたらすぐ分かるさ」


 と、素直に答えてチャロアイトの貧血を引き起こすことに成功したのだ。


「善人ぶるなよ。チャロアイト。お前だって」

「僕は血は苦手なんだ」


 チャロアイトは右頬から首全てを覆う様な、華麗なアゲハ蝶のタトゥーを掻いた。


 先述のとおり、アルマンディンはロクでもない男であったから、命を奪われてしまう原因はいくらでもある気がしたが、兎に角ジェードは困っている。

 このままでは家賃を回収できない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る