ただの愚者か陰謀か

 執事長が苦労を掛けた時間は泡となり消えてしまった。

 この部屋に連れて来る前に長々と説教と指導を行っていたのだが、これほど無駄となるならば、さっさとお縄にして無理やりに引き摺って来れば良かったと強く後悔している執事長である。


 掃除係というものは、その部屋の主人がいない間に掃除を行うものだ。

 だから当主と顔を合わせることはないと言っても、何かの行き違いで相まみえることもあろう。

 そういった場合にどう対応すべきかという教育は、徹底的に受けているはずだった。


 洗濯係の侍女といい、この掃除係の侍女といい、何故斯様に教育の行き届かぬ侍女が増殖していたのだろう。

 侍女長が使いものにならない状態だったとしても、さすがにおかしい。

 元からいる侍女たちが、新しく入ったこの無礼な侍女らを窘めないはずがなかった。


 自身の監督不行き届きの自覚はあっても、何かの陰謀めいたものを感じとる執事長である。

 これについてはレオンも薄々と勘付き始めていた。


 先代公爵夫妻を突然に亡くし、その後に当主となったレオンがまだ若き青年であったなら。

 その隙に何か画策してくる貴族が……いるだろうか?

 公爵家に手を出すなどこの国では命知らずのすることで……ここで執事長の脳内で、その何かとオリヴィアの嫁いできた日の姿が重なった。

 元々体が弱いのだという話を鵜呑みにしてきたが、まさか奥様も……。


 執事長が懸念したのと時を同じくして、レオンもまた、伯爵家を疑い始める。

 持参金もないどころか、ろくな婚礼道具を用意することもなく、専属の侍女も付けずに、せめて最高のドレスを用意するでもなく。これらを恥ともせずに伯爵家は堂々と痩せ細ったオリヴィアをレオンへと引き渡してきた。


 レオンは何か嫌味めいたことを言った気がするが、病気がちで体が弱く、準備がままならなかったのだと、筋の通らない言い訳を最後にしていたのも、あのいつもおどおどとして人の顔色を窺ってばかりいる挙動の不審な当主だったか。

 ただの考えなしの男だと思っていたが、それとも──。



「聞いてくださいますかぁ、公爵さまぁ。この人、さっきから酷いんですのぉ」


 がたっと椅子を倒す勢いで立ち上がったレオンは、執事長だけを見て言った。


「こやつを拘束せよ。猿轡も持って来い」


 ぽかんと口を開けて間抜けな顔を見せた侍女は、すぐにまた微笑みながら首を傾げる。


「嫌ですわぁ、公爵さまったらぁ。いくら照れたからってぇ、そこまでしなくてもいいですわよぉ。わたくしの顔でしたらぁ、これからはいくら見詰めて──」


 レオンがすべて聞き流しているうちに、侍女は拘束されていた。

 この邸を警備する屈強な男たちは、執事長の指示で部屋に入って来ると、あっという間に侍女をロープでぐるぐる巻きにして、床に転がせたのだ。

 女相手だからと容赦するなと命じたのは執事長であるが、男たちの潔い態度には私怨が込められていたように感じなくもない。


「きゃあ、いや、離して。何をするのよ!いや、どこを触っているの!」


 拘束された体で床を撥ねながら、甲高い声でぎゃあぎゃあと喚いていた侍女は、本当に猿轡を噛ませられ、すぐに静かになった。

 レオンはほっと息を吐き、執事長を見やる。


「こいつの対応は最初から地下室でいいと考えているが、どう思う?」


「異論はございません。このような者が邸に潜伏していたこと、すべて私の不徳の致すところでございます。如何なる処分もお受けする所存ですので、どうか厳罰に処してくださいませ」


「お前たちの処分は最後に決めるが……やはりお前もそう思うか」


「内部に手引きした者でもなければ、あり得ぬ事態かと」


 抵抗を辞めて大人しくなったかと思えば、侍女はこの期に及んで頬を喜色に染めていた。

 地下室の意味を取り違えている気がしてならないレオンであったが、真実を教えてやろうとは思わない。

 どうせすぐに知ることになるのだから。


 だがここでレオンには、どうしても先に言っておきたいことがあった。


「お前、俺の愛妾を名乗っていたそうだな?」


 転がりながら何度も頷いた侍女の瞳が笑っているように見えたレオンは、この侍女の行く末を決定する。









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