侍女長の事情

 侍女たちの数を減らされたのは、先代夫妻が亡くなった後だった。

 女主人を失い、身の回りの世話をすべく婦人がいなくなったのだから、それは当然の対応である。


 レオンは忙しく邸のことには興味を示さなかった。


 張り合いのない日々は、侍女長のその内に身勝手な恨み言を育てていく。



 たかが伯爵家のご令嬢であるというのに。

 こちらは公爵家で、それもすでに爵位を継いだ忙しいご当主様だ。


 何故いつも足を運ぶのはレオンばかりで、そちらから会いに来ないのか。


 将来的にこの邸の女主人となる気があれば、そろそろ挨拶に来ても良いはずである。



 それらが侍女長としては過ぎる考えだということも分からなくなるほどに、侍女長は先代夫人を亡くしたことで心を病んでいた。



 続く張り合いのない日々は、侍女長の傲慢な考え方を次第に肥大させていく。



 幼くして母親を亡くしたご令嬢だから。

 きっと酷く我がままで思慮の足りない娘へと育っているに違いない。


 わたくしが亡き奥様に代わって、立派な公爵夫人へと育て上げなければ。



 そんな侍女長がオリヴィアと再会出来たのは、結局レオンとの結婚式当日のことだった。

 花嫁の準備はすべて伯爵家側で整えることが慣例であるも、レオンは心配だからと手を貸すように命じたのだ。


 そこで挨拶に向かった侍女長は、また身勝手にも失望する。


 鶏がらのように痩せた体に、張りのない肌、荒れた唇、艶のない髪……オリヴィアの容姿からどこを切り取っても、公爵夫人に相応しい部分が見付けられなかったのだ。

 幼い頃を知っていて、容姿だけは期待していたというのに。

 美しいと言えたところは、幼い頃から翡翠によく例えられていた深緑色の瞳だけであろうか。

 それとて痩せて窪んだ目には不釣り合いと映る美しさで、褒め称えられるような状態ではない。


 さらにオリヴィアの振舞いが、侍女長の幻滅に拍車を掛けた。

 侍女に頭を下げることを厭わず、軽々と謝罪の言葉を口にしたオリヴィアに、公爵夫人となるべく矜持さえ持たないのだと信じた侍女長は、もはやオリヴィアを見限ろうとしていた。


 だがまだこのときは。

 侍女としての矜持をぎりぎり保っていた侍女長は、どんな方であろうとも公爵夫人、公爵家に仕えるからには誠心誠意お世話をしようという意志は持っていたのだ。

 ついでに、わたくしが育てていけば、という良からぬ思想も相変わらず持ち得ていたが。



 侍女長がその矜持と身勝手な思想をすっかり手放したのは、結婚式を終えて邸に戻った後のこと。


「今夜はオリヴィアを休ませるから、そのように」


 伝えたレオンは、一人自室に戻って行く。

 初夜はない。つまりそういうことだ。


 レオンは亡き夫人方との約束を律儀に守っただけなのだろう。

 然るべきときにこの結婚は終焉を迎え、いずれは公爵家に相応しいご令嬢が新たにやって来る。


 またしても身勝手にも独自の解釈を作り上げた侍女長は、この瞬間にオリヴィアを公爵夫人として敬う存在から外してしまった。

 そうしてオリヴィアのすべての世話は、侍女長の部下でもある侍女たちへと一任される。




 ぼんやりと頭の中でこれまでの自身の言動を省みた侍女長は、ようやくその愚かさに気付き、茫然としていた。


 隣では食事の件を知って大声で騒ぎ出した執事長が、レオンに叱り付けられている。

 今後は邸内で一切の声を荒げることも許さぬと厳命したレオンは、続いて一段と鋭くした視線を侍女長へと向けるも、もはや侍女長は何の恐れも感じはしなかった。


「お前はオリヴィアの現状を知っていたようだな?」


 侍女長はすっと頭を下げると、静かに伝える。


「すべてわたくしの責任でございます」


 侍女長は、侍女として先代夫人に長く仕えた経験とそこから得たものまでは、完全に失ってはいなかったのだ。

 悲しみの中でそれらが見えなくなっていただけで、察するに余りあるが、しかしそれを取り戻すには遅きに失した。



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