第48話 【番外編7】2人の家路
アムールとトレーネは、ナーサに手を振って、再び歩き出す。
「今日、楽しかった?」
背の高いトレーネが、背中を丸めて、少しアムールの顔を覗き込む。
「んー……多分、楽しかったんだと思う。だって、なんか、いつもとちょっと、帰り道の色が違う」
「……そっか」
実は、アムールは過去に受けたいじめによって、かなり重度な精神疾患を患っている。
小学六年生だったときのこと。
大好きな友達に、一番大事にしていた帽子を、教室の真ん中で破られた。
なぜ大事にしていたか。
それは、初めて友達からもらったプレゼントだったから。
なぜ涙が込み上げてきたのか。
それは、その子がくれたものだったから。
人見知りで、うまく友達を作れなかった彼女が、初めてできた友達のように思っていた子だったから。
『最初はさぁ、すっごいカンペキな子だなって思ったし、あたしの好きな子と仲良いみたいだから媚び売ってたんだけど……蓋を開けてみれば、ちょっと絵が上手いだけ。ちょっと頭がいいだけ。それ以外には何にもない。普通っていうか……それ以下だよね』
『てか、みんなそう言ってるし』
そう言われたアムールは教室中を見回す。
アムールの味方をする者は、1人としていない。
『アムールって、愛っていう意味の名前だけど、うちのクラスの誰からも愛されてないよね』
『ち、違う……! これは、そういう意味の名前じゃない。どんな形の愛でもいいから、1人でも、本当に大切に思える人を探してっていう意味なの……! だから、あ、あなたたちに愛されてないって知って、悲しかった、けど、けど、けど、私が、みんなのこと、好きなら、それで、それで、いいの。だって、この名前は、私が愛してれば、成立するから』
一番のトラウマはその日だけれど、それからの日々も地獄だった。
『アムールは優しいなぁ。お前にとって俺たちは大事な友達なんだもんな。これくらい許してくれるよね』
掃除中、床用のクリーナーの中に入った、埃が溶けた水を、頭からぶちまけられた。
『あー、汚れちゃったね、綺麗にしてあげる』
水道から持ってきた、新しい水が入っているバケツの中身を、また頭からかけられる。
『でも……これだけじゃダメだよね』
アムールの長くて綺麗な黄緑色の髪の毛に、女子の持ったハサミが、大きな音を立てて通る。
『気に入ってたのに』
アムールが小さく呟くと。
『は? 汚れてるから親切でやってあげてんじゃん?』
『そんな汚い髪の毛、ない方がいいでしょ』
『あ、これだけじゃ足りないってことじゃない?』
『服もやれってこと?』
『男子、やっていいよ』
『いくら俺たちでも、こんな女興味ねぇよ』
でも、結局は女子たちに制服を引き裂かれた。
そんなことばかりだ。
でも。
『友達なんだろ』『大事なんだよね』
『友達なんでしょ』『大好きって言ってたよね』
そんな言葉ばかりが、アムールのことを突き刺す。
(まだ、みんなは、私のこと、友達だと思ってるかもしれない。こうやって、じゃれ合うことが、彼らの愛情表現なのかもしれない)
そして、卒業式の日。
『友達でいてくれてありがとう』
そう言わないといけない気がして、アムールの口から、自然と溢れた一言だった。
『別に、あたしたちが好きなんじゃなくて、アムールが勝手にあたしたちのこと好きだっただけでしょ』
『俺たち、別に俺たちから見て友達だって言った覚えないけど』
アムールが壊れたのはこの日だ。
涙は出なかった。
お父さんが作る夕飯の味を感じない。
猫舌だったはずなのに、舌先を巡る温度も感じない。
昨日までかろうじて色がついていた景色の全てが灰色に見える。
大好きだった絵。
綺麗に描けているのはわかってるけど、愛着が湧かない。
ずっと好きだった画家の絵も、何がいいんだかわかったもんじゃない。
もう全部、どうでもいい。
心配されたって、めんどくさいだけ。
親にも何も言わなかった。
中学に入ってから、他の小学校からきた同級生にこのことを伝えたこともない。
笑顔と優しさの仮面をつけて過ごしていた。
気づいたら、その仮面は大正解だったようで、なんだか自分は日本の中学3年生の中でトップクラスに優しいらしいじゃあないか。
なんだか大層な学校に推薦が決まっていて、面接をしたら余裕で入学できてしまった。
(私なんかを選ぶなんて、世間は見る目がないね。全部偽物なのに)
「……あ、ごめん。ショートカットだけど、すごい綺麗な髪で、絶対、伸ばしたらもっと綺麗なんだろうなって、思って……って、他クラスで初対面のやつがそんな目線で見てたらキモいよな。ごめん」
高校に入学してから、何かが変わった。
全部、今、目の前のこいつ……近藤トレーネとかいう、こいつのせいだ。
あの日、そんなことを言ってきたから。
私の笑顔の仮面は完璧だったはずなのに、気づいたら涙が出ていた。
おかしいな、もう、何年も怒ってないし、泣いてないし。
こんなはずはないのに。
なんだろうか、この感情は。
その後、名前も知らない、その同級生に、全部話した。
なんでかわからないけれど、その間、ずっと涙が止まらなかった。
こんなのは初めてだった。
「……それは、多分、遠野さんがそう思ってるだけで、偽物なんかじゃない。僕なんかが偉そうに言っていいことじゃない、とは思うけど……その……君は、今までの日々を生きてきて、表情の奥にその涙を隠してたわけでしょ? なら、今、僕に見せてくれたのは、教えてくれたことは、偽物なんかじゃない。今までの君は、それを見せられなかっただけ。誰よりも頑張ってたはず。だから……」
その時の言葉、私は一生忘れる気はない。
「君は、心からさっき泣いた。だから、絶対、また、心から笑える」
「どうかした?」
あの日から変わっていない、同じ表情で、トレーネは問いかける。
「ううん。なんでもない。でも、やっぱり、今日は、本当に楽しかったかもね」
「……そっか。ならよかった」
君はいつか、また心から笑えるはずだ。
トレーネは、心の中で、小さく呟く。
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