第16話 僕ら音楽準備室に一人ぼっち

「……その言葉を待ってたわ!」


満面の笑みで、マドカが言う。


今まで思い描いていたものの、本物と呼べるその笑顔を見て、アルマは、昔のことを思い出していた。

20年近く昔の話だ。




「なんで兄ちゃんは、楽器を始めたんだ?」


まだ小学生のアルマは、その体には少し大きいピアノの椅子に腰掛け、中学生になったばかりのユーラに話しかけた。


前髪はセンター分けにされており、髪の色と質感は、アルマと全く同じ。

けれど、纏う雰囲気は、アルマが月なら、太陽。

着ている制服は青色で、目も、右目は青色だ。

体つきは、少し前まで小学生だったとは疑い難いほどがっしりしている。


アルマの記憶の中に生きているユーラは、そんな少年だった。


「ん〜、そうだなぁ………ただ単に音楽が好きだったから、かな」


吹奏楽部の活動を経て、管楽器の技術を身に付けたのにもかかわらず、ユーラは、小学生の時と変わらず、アコースティックギターを抱え、あぐらをかき、軽やかに弦の上で指を踊らせながら答えた。


「ギターは、気づいたらできるようになってたんだよね。好きだったから毎日触ってたってだけなんだけど。だから僕は、タブ譜が読めるくらいで、音楽的なことは、よくわかってないんだ」


そう答えている間も、ユーラの指は踊り続ける。

中学生とは思えない、美しい音色だ。


「そっか。俺は兄ちゃんが教えてくれたから、ピアノができるようになったけど、兄ちゃんは誰にも教えてもらってなかったんだな」


椅子の高さを調節し終えたアルマは、ユーラに合わせてピアノを奏で始めた。

こちらも、才能の高さを感じさせる、軽やかな音色だ。


それに気づいたユーラが、今まで踊らせていた指を一度止めて、


「いつもの曲、やろうか。歌うのは得意でしょ?」


と、アルマに言った。


アルマは小さく頷くだけだったが、心の底では舞い上がっていた。


そして、ユーラの伴奏と共に、電子ピアノの電源を入れ、まだ声変わりのしていない幼い声で歌い始めた。




僕ら音楽準備室に一人ぼっち

どうにもならない感情たちの集う墓地

ありふれた日々取り払うための装置

だけど

どうにもならない問題は放置


永遠に流れる風の音色は 

心にかかる埃を払った

路上に投げ捨てられたコーヒーの缶でさえも

その歌声を聴いて笑っているんだ


僕ら日常の中で抱いてしまった好意

だけど

いくらでも感じてきたんだよ相違

感情の整理に脳細胞たちを総動員

そして

今伝えたい僕の中の僕の総意


僕は音楽準備室に一人ぼっち

どうにもならない感情たちを集めた墓地

ありふれた日々を変えることもできない装置

だけど

どうにもならない問題は全部放置


してきたせいかなぁ

いつの間にか

無くなってしまった

ねぇどうして

ねぇどうして

ねぇどうして


君にしか答えられないよ

さぁ僕を掘り起こして


僕ら音楽室準備室に2人ぼっち

どうにもならない感情が生き返る日は遠い

ありふれた日々を取り払ったほど君の行為

だから

吹かせてよ君だけの風の音色を



「ちゃんと歌いながら弾けるようになったんだね! 偉いよ、アルマ!」


曲が終わると同時に、ユーラがギターを肩にかけたまま立ち上がり、アルマの頭を撫でながら、太陽にも勝るほどの笑顔ではしゃぎ始めた。


「ははっ……! そうかな……」


アルマは頰をかきながら、月のような、照れくさそうな笑みを浮かべた。



「俺は、昔、兄貴と音楽やってたんです。それで、昔から音楽が好きで、真面目に演奏家になりたいって思ってました。でも………現実は甘くなかった」


そう言ったアルマの声に、マドカは、どこか悲しさを覚えた。


「それでも、俺は音楽に関係する仕事をしたかったから、どんなに嫌だろうと、この店を辞めなかった。でも………」


「………でも?」


マドカは躊躇とまどいがちに訊いた。


「そんな音楽は間違ってるって、今日、マドカさんの笑顔を見て思いました。やっぱり、俺は楽しい音楽が好きです」


アルマは、ユーラと奏でた一曲一曲の、歌詞を、音程を、コードを、指運びを、感覚を、全てはっきりと覚えている。


「僕らは、心のどこかでひとりぼっちなんです。だけど、必ず、心のどこかにあるどうにもならない感情を、さらけ出せるところがあると思うんです。昔、兄貴が作って、一緒に歌ってた曲の中に、そんな歌詞があります。俺の場合、それが音楽だった。だけど、ここで感じる音楽は、歪んでて、楽しくないんです」


「だから、奏者も、聴いている人も幸せになれる音楽を、俺は奏でたいと思ってます」


マドカは、音楽のことは全くわからないが、アルマの中にある、確かな熱意をしっかりと感じていた。


「ふふっ、いいんじゃないかしら? だけど、研修はしっかり受けてもらうわよ?」

「もちろんです」

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