古き竜の伝承歌

 ぽろん、ぽろろんと弦が撫でられ音を鳴らす。旋律に合わせて吟遊詩人は低い声で歌っていた。

 誰かが問う。曲の名を。

 男は何も返さず、ただ笑みを浮かべた。


 男の片眸は緑、片眸は赤黒だった。赤黒の中には薄赤の魔法陣があり、呪い由来の邪眼だと容易に推測が立つだろう。時には差別の原因ともなるそれを隠しもせず、また呪いを発動させもせず、ただの瞳のように男は晒していた。

「綺麗な目ですねぇ」

 一人の獣人が声をかけた。一見して呪術師と分かるその女は、己の目を隠す封じ布を持ち上げ男の邪眼に魅入る。

「うーん、森長の邪眼ですか。良い。良い目ですねぇ……よろしければ、買い取らせていただけませんか。額は、」

「売り物じゃあない。形見なんだ、これは」

 男は弦を鳴らす指を止めた。

「ほう、形見ですか。と、なるとその邪眼、解呪が施されて?」

「いいや」

「おや。解呪なしの移植とは。とんだ呪術医がいたもんですねぇ。協会に見つかったら処罰物でございますねぇ」

「そうかもしれないな。今の世では」

「おや旦那、長寿の方でございましたか。これはとんだ失礼を……」

 しかし。呪術師として長年鍛えられた獣の目には、男はただの人間にしか見えなかった。

 この世にヒトは四種族いる。森と共に生きるエルフ、山と共に生きるドワーフ、海と共に生きるセルキー、そしてそれらを繋ぐ人間。この四種族以外はヒトとは言えず、魔族と総称されていた。

「……ふむ」

 この男の耳は丸く、背は高く、水掻きも足ビレもない。獣人のような耳尾はない。放浪の民ワンダラのような角も赤眼もなく、精霊種のような体外魔力の流れもない。やはり、ただの人間にしか見えなかった。しかし人間の寿命なぞたかが知れている……。

 あるいは。呪術師は幼い頃、村の老婆から聞いた話を思い出した。

 __猛き峰の先、永久雪の地には竜の民が住む。彼らはヒトの姿をとり、悪しき者に裁きを下す。

 だが、言ってしまえばただの御伽噺だ。言う事を聞かない子どもを言い聞かせる教訓話。そんな事くらい呪術師にも分かっていた。

 男は笑い、四弦の撥弦楽器を構える。

「お嬢さん。何かリクエストは? 代金は頂くがね」

「…………では、古き竜の伝承歌を。分かりますか?」

「ああ、良いよ」

 白い左手が弦に触れた。


 朗々と男は語り歌う。

「__おお、竜よ。陽、あの朱き空目指し行かん。千年旅の後、お前は剣の中の剣、最も猛き誠実の手で討たれ、骸は猛き峰とならん。されど目指し行かん。お前の居城は既に亡く、待つは永遠の旅路のみ」

 誰もがその声に聞き惚れていた。

「竜よ、お前は何求む。和はなく、葬もなく、お前は誰にも望まれん。おお、竜よ。お前の名は災厄、お前は誰にも望まれん。なぁ、竜よ。それでも行くか。それでも、お前は…………」

 だららん、と一際強く弦が鳴った。

「行く手阻むは英雄。数多の竜を殺め、お前をも殺める者。しかして良き女を妻とせん」

 また、だららんと。

「お前は長き抗いの果て、剣の中の剣、最も猛き誠実の手で討たれ、骸は猛き峰とならん。なぁ、竜よ。それでも行くか。それでも、お前は…………」

 だららんと、今度は弱く弦が鳴った。

 だららん。

 だららん。

 だららん…………。


 この曲の意味を呪術師は知らない。一時期共に旅した詩人が奏でていた、というだけだ。その彼も、この曲の意味は知らなかった。

 竜は英雄譚における障害だ。素晴らしき英雄の手で殺される為だけに現れ、死んでいく。故に悪虐で、恐ろしく、血も涙もない。だがこの曲の竜はどうだ。死を悲しまれ、それでも死ぬ為に旅する竜は。

 送魂歌じみた間奏が終わる。

 意味は知らずとも歌詞は知っている。竜は死を願われ、英雄の手で殺される。人々は歓喜に沸き、英雄を讃え、竜の骸は山々となる____呪術師の記憶では、そうだった。


 しかし。


「__竜よ」

 一転、明るい声で男は歌う。それは呪術師の知らぬ歌詞だった。

「お前の死を、私は覚えていよう。お前の無念を、私は覚えていよう。私は永遠を生きる者、お前より先に生まれ、お前より後に死する者。私の名は『銀の風』、私の名は『銀の風』___」

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