思う

雷雨の日だった。

お嬢様の成人祝いで華やかな宴が開かれ、呑んで騒ぎ、歌い踊り、客人が帰って、片付けすらも終えて。そうして閑散とした広間で、旦那様は窓に寄りかかって外を見ていた。時折落ちる雷が、焼け爛れた旦那様の顔を露わにする。

「…………ああ、サダルスウドか」

黄色の目がこちらを見て、すぐに窓に戻る。

「……冷えるな。早く、寝た方が良い」

「…………」

「…………」

「…………」

「……今日は、良い日だった」

窓枠の隣に立つ。

旦那様はボクを見ない。窓の外に何があるのか、あるいは窓に映る自身を見ているのか、ジッとそちらを見ながら独白をする。

「あの子も無事に大人になった。そろそろ、辺境伯の地位を譲る時期か……そうすれば、私の出番はなくなる。大人しく、隠居しよう」

そう言う旦那様の目は隠居老人のものではない。あまりにも鋭すぎる。そう、戦場の、最前線に立つ兵士の目だ。初めて会った時から変わらない目だ。

ボクの否定的な感情が伝わったのか、旦那様は唇を歪める。

「……やはり、君はラグラスの弟子だな。良い目をしている」

「…………」

「あれからもう、八年経った。それでも私は、国を許せそうにない」

「…………」

「……同胞は、いる」

目つきが険しくなる。爛れた顔が憎悪に歪む。

それ以上は、言われなくても分かった。旦那様は、いや、旦那様達は国に反旗を翻そうとしているんだ。八年前の戦で多くを失わせ、それなのに償いを与えない国に、皇帝に。その行いは決して肯定できるものではないが、否定できるものでもない。

「サダルスウド。来るか」

首を横に振る。

「だろうな。君は兵士ではない」

旦那様は疲れた笑みを浮かべ、目を閉じた。

無言が続く。


雷雨は激しくなっていく。ザァザァと。ザァザァと。


今の皇帝は八年前に戦争を起こした皇帝ではない。五年前に即位した、前皇帝の息子だ。彼について、ボクは語る口を持たない。実際に会って話した事がないんだもの、好き勝手言うのは個人的に好きじゃない。

けど、旦那様には悪いけど、悪い人ではないと思っている。理由は簡単だ。先生____サラクェ・ガリズ=ラツィラジ・ラグラスがずっと隣に居続けているから。

拳を握りしめる。もしも戦争が始まっても、旦那様も先生も、あと今の皇帝にも、死んでほしくないな。きっと、話し合えば分かり合えるから。

自分の甘い考えが嫌になる。


#####


王都にて反乱が起こった、と聞いた。

主犯の辺境伯……その名には聞き覚えがあった。どこだったか、と考えていると隣でアンジェが声を上げる。

「スウド、無事かなぁ」

「スウド? なぜ、今」

「忘れちゃったの? この人、スウドを雇った人だよ」

成る程、それは聞き覚えがあって当然だ。スウド、サダルスウド・エンキはわたし達の弟弟子、その行方くらい知っていて当然だろう。

アンジェが新聞を読む。わたしに読めたら良かったが、話すのは兎も角読むのは未だに苦手だ。

「えーとねぇ……王は逃亡。北方のミシェラ公爵の下に身を寄せている、って。先生も一緒みたいだね。無事かなぁ」

「……無事ではないだろう」

「そう。でも、元気だと良いな。ねぇ、会いに行かない?」

「駄目だ」

言ってから、マズいと思った。

予想通り、アンジェの顔は険しくなっている。そして放たれた言葉も予想通り。

「そんなに怒って、どうしたの」

冷たい声だった。思わず目を逸らしてしまう。こういうアンジェは苦手だ。自分が悪い事は分かるのに、どこが悪いのかは分からないから。

「……怒ってない」

喉から出たのはそんな音。無論、アンジェは納得しない。わたしも最善の解答とは思えない。

「ねぇ、リック。ちゃんと口に出して。分からなくはないけど、あなたの口から直接聞きたいの」

「…………危険、だ。今の王について、嫌という程分かるだろう?」

誰かに聞かれたら。そう思うけども、声はとめどなく溢れていく。

「あいつは自分の行いを反省しない。何がマズかったか、おそらく分かっていない。逃亡先でも同じ事を繰り返す。先生が止めても。……あの愚王は人間以外を殺す。エルフも、ドワーフも、魔族も、わたしの植物どうほう達さえも。そこにお前が行けば、何が起こるかなんて……明白だ」

「……うん」

「それに……北も戦場になる、かもしれない。それは、とても危険だ」

アンジェは黙っていた。普段なら頼まなくても喋るというのに、今日は嫌に口下手だった。わたしも黙る。もとより口が上手でない。普段なら頼まれたって、こんなに喋らないのに。

今日は何かおかしい。言ってしまった言葉の一つ一つ、流れゆく風の一筋一筋、過ぎゆく時間の一刻一刻、その全てが何かズレている気がしてきた。

「お前に何かあったら。わたしは、嫌だ。心配で、気が気じゃない」

発した新しい言葉は、又してもおかしい気がする。


かつて。わたし達は一人の人間を師と仰ぎ、同じ屋敷で生活していた。師____サラクェ・ガリズ=ラツィラジ・ラグラスは当時の皇帝の弟で、しかし宮廷争いを嫌って辺境に引きこもっている男だった。『不具の賢者』と呼ばれていた先生は、多くの事を知っていた。しかし弟子はわたし含めて五人だけ。しかも皆、別々の事を知りたがっていた。

変わった屋敷だった。庭には雑多な植物が生い茂り、屋敷の中からは様々な言語が聞こえ、本棚一杯に魔術書が押し込まれ、床にはくだらない子ども用オモチャが転がっていた。それらを互いに手に取って、あれやこれやと意見を交わしていた。それを先生は穏やかな目で眺めていた。

先生は五年前、現皇帝が帝位についた時にその相談役として宮廷に戻った。それを機にわたし達は分かれ、以来、繋がりは絶たれている。


#####


月は出ていない。しかし、目的地はよく見える。

ミシェラ公爵の城砦。灯りのないそこに、俺は用がある。


ラグラスの屋敷を出て五年。リックもアンジェもサダルスウドも、それにカルーアとも会っていない。こんな狭い世界なんだと思っていたが、仕方ない。そも、カルーアに至っては指名手配されていやがるし……会えなくて当然かもしれない。

この五年、ラグラスは宮廷から出ていない。しかし、数ヶ月前の王都反乱の際に愚王と共にミシェラ公爵の下へ逃げた。あの皇帝に関しては今すぐ殺したいくらい憎いが、それはそれ、これはこれ。暗殺はまた別の機会にしよう。


壁を登り、廊下に侵入。魔術で探すとすぐに見つかった。慌てる事なく、身隠しの魔術を重ねてから歩き出す。

真夜中だからか、にしても見張りが少なすぎる。安堵よりも恐怖が湧き上がってくる。

息を吐いて、吸う。落ち着け。いざとなれば、この目と腕がある。無事とは言い難くとも逃げられるさ。だから、大丈夫。焦れば全てが台無しになる、と経験上知っているだろう。

脈が安定してきた頃、目的地に着いた。ドアをノックして侵入、魔術を解除する。

「おや。殿下かと思ったけど……君か」

相変わらず、優しい声だった。顔をそれ以上直視できなかった。俯いて、俺は後ろ手でドアを閉める。それから防音の魔術。これで、たとえ床が抜けても誰にも感知されない。

「久しぶりだね、スピィリア。元気がなさそうだけど、大丈夫かい?」

「……ああ」

「そんなとこにいないで、座って。疲れただろう」

「…………」

「……スピィリア? どうしたんだい?」

杖を手にする音がした。

カツン、カツンと杖の音。少し引き摺る左足。近くで囁かれる低い声。

「顔を上げて。何か、あったんだね? 私で良ければ話を聞くよ」

俺の肩に手が置かれる。反射的にそれを振り払ってしまった。

顔が上がる。

驚く顔も、白に近い銀髪も、春空のような青い瞳も。全てが、あの時と同じ色。少し老けてはいるものの、何も変わっていない。

「……ラグラス」

名を呼ぶと変わらない笑みを浮かべた。

「その名前も久しぶりだ。皆、摂政様だなんて呼ぶから……それで、どうして君は来たの? どういう用でここに?」

「雑談でもしようかと」

「君がただ雑談をする為に来るような奴じゃない、と私は知っているよ」

「……とても、荒唐無稽な話だ」

「それでも話して。私達は師弟である以前に友人だろう?」

ああ、そうだ。だからこそ俺は、こんな馬鹿げた計画を立ててしまったんだ。

自嘲の笑みが漏れる。ラグラスと俺の、人間とエルフの寿命の差を、知らない訳じゃないんだ。それでも、思ってしまったんだ。俺は。

ラグラスの右手を取る。細い。戦場を知らない、細い手だった。

息を吸い、言葉と共に吐く。

「一緒に、逃げてくれ」

「嫌だ」

「ラグラス!」

「私は、自分の意思であの子と共にいるんだ。こればっかりは君の頼みでも駄目だな」

「このままだとお前は死ぬ! 革命の終わりに処刑されるか、反乱に巻き込まれて殺されるか。それは分からない。だが、お前にそんな死は似合わない! お前は幸せの中で死ぬべきだ!」

「うん。私も、苦しんで死ぬのは嫌だな」

「なら、」

「でも。あの子を独りぼっちにするのは、もっと嫌なんだ」

「あんな愚かな王のどこが良いと言うんだ!」

「さぁ? 私にも分からないや」

ラグラスは破顔した。

呆気に取られる俺の手を離して、ラグラスは書き物机の方に足を向けた。

「……今しかないんだ」

「そうだね。……リックやアンジェには、もう会えないだろうな。彼らは戦う術を持たない。サダルスウドも、自分は学者だからって来ないだろうね。カルーアはどうだろう。突然やって来そうだけど、来ないかもね。でも、君は来るって信じてたよ。そういう奴だもの。私の知るスピィリアは」

「…………いかないでくれ」

「スピィリア。頼みたいんだ」

振り向いたラグラスの手には紐で束ねられた封筒があった。それが、俺の手に渡される。

「これをみんなに。ちょっとしたプレゼントさ」

「…………遺書じゃないか……なぁラグラス、」

「大丈夫だよ。スピィリア」

青い目が、懐かしむように細くなった。

「私は幸せだ。君という友人を得たのだから。いつ死んだって悔いはないよ」


日の出より先に城砦を出た。

森に入って、喉が枯れるまで泣いた。


#####


ラグラス邸には五人の弟子と一人の師しかいなかった。

リックが雑多な植物を植えた庭。アンジェが口にする多様な言語。スピィリアが買った本棚一杯の魔術書。僕が床に散らしたくだらないオモチャ達。そして、サダルスウドがそれらを吸収し、整理し、思考する。『先生』が満足そうに微笑む。

素敵な毎日だった。少なくとも、僕の馬鹿みたいに長い生の中では。でも、何事にも終わりはある。五年前に『先生』が皇帝の相談役になって、素敵な毎日は終わりを告げた。


晴天だった。うん、処刑にはサイコーな日だ。真っ青な空と澄んだ世界、これ程処刑に相応しい日はないね。けど『先生』がいる場所は薄暗くて、そういう爽やかさは全然伝わってきていなかった。

「よく分かったね。ここが」

「そりゃ、僕だぜ? 何でも分かるに決まってるだろ。歳だけは取ってんだから」

窓から降りて、『先生』の隣に立つ。随分と痩せてやがる。あの愚王め、『先生』を苦労させたな? あとで処刑具の刃をに変えとくか。

王城の端にある監獄塔。今はもう使われていないそこの最上部に、『先生』は幽閉されている。周囲が城壁だから眺めはクソ程悪い。

「なぁ、『先生』。ちょっと出かけね?」

見張りは下の入り口にしかいない。窓から逃げればバレやしない。そう思っての提案だったが、『先生』は首を横に振った。

「断るよ」

「冷たいねぇ」

「だって今日、私は死ぬんだ」

それなのに、『先生』の目はいつも通りの青色をしていた。

「カルーア。私がどんな風に殺されるか、知ってる?」

「いいや、全く」

嘘だ。先程、広場で見た。天まで伸びるかのように、高く聳える処刑台を。その上で『先生』を待つ、斜め刃の断頭台を。

『先生』は楽しそうに語る。

「楽に死ねるそうだよ。説明が難しくて、どういう仕組みなのかはよく分からなかったけど……兎も角、苦しまなくて済むなら良い」

「あの愚王の為ですかい」

「何か言ったかな?」

「いえ何も。ところで『先生』、この国はどうなると思う」

「それを考えるのは、君だよ。私じゃない」

ゆるりと首を振って『先生』は笑った。

階下から足音がする。まだ全然話せていないが、もう終わりのようだ。

窓に手をかけて、最後に『先生』を見る。その青い目に映る僕は、どういう顔をしているんだか。

「じゃ、あの世でもお元気で」

「君も元気で。無事に逃げ切れると良いね」

「ハッ、逃げてみせるさ。僕ぁ寿命が馬鹿長いんだから」

窓枠に乗り、飛び降りる。

風が足先から僕を包む。そこに転移の魔術が混ざって、陣になり、世界が変わる。


ラグラスの遺体はその後、共同墓地に埋められたという。

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