寒夜

 寒さで目が覚めた。

 手洗いにでも行こうかと、階段を降りる。真夜中の屋敷は昼間と顔を変え、一種不気味さが漂っていた。まるで霧、ambiguum、vagueness、五里霧中……。最後の段を降りた時、キッチンに灯りが灯っているのに気づいた。覗き込むとアラスカ様が一人、マグカップを両手で包んでいた。こちらに気づくと眠たげな目が細くなる。

「何してるの。早く寝なさいな。一人で寝れない子どもじゃないでしょう」

「……アラスカ様こそ。何をしておられるのですか」

「喉が渇いたの。それだけ」

 そう言うけれど、マグカップからは良い匂いがしていた。これは、牛乳だ。温めた牛乳。

「早く寝なさいな」

 アラスカ様がまた、言った。

「あなたこそ。ネフライトさんに怒られてしまいますよ」

「勝手に怒らせれば良いのよ」

「それは、良くないですよ。ネフライトさんは、」

「わたくしの事を思っている……ええ、理解はしているわ。従う気がないの。悪いかしら」

「悪いです」

「口答えを許したつもりはないわ」

「そんな…………」

 言い返す言葉を探したけれど思いつかなかった。半開きの口を閉じて、暗い廊下を手洗いの方へ進んでいく。


 帰りも、キッチンの灯りはついたままだった。アラスカ様はまた眠たげな目を細める。

「早く寝なさいな」

「……アラスカ様も、眠った方が良いですよ。最近、お忙しかったですし」

「眠れないの」

「添い寝をしましょうか」

「いいわ。あなた、冷たいもの。余計眠れなくなっちゃう」

「それはそうですね」

 けれどアラスカ様を一人、冷たいキッチンに残す気にはなれなかった。

 コンロに投げられたままの鍋に水を入れ、火をつける。あっという間に沸いたそれをコップに移す。それだけの、いわばただの白湯なのに美味く感じるのはなぜだろうか。普段は眠っている真夜中に飲む異常さが、美味しく感じられてしまう原因かもしれない。

「嫌な夢を、見たんです」

 ふと、口が開いた。

「自分の大切な人が目の前で死ぬ夢」

「でも、夢じゃない」

「夢だから、ですよ。……夢だって分かった瞬間、あれが現実だと認めてしまったから」

 胡蝶の夢、という古い言葉がある。今が夢か現実かなど些細な違いだと……。

「つい先程死んだ人も、自分の大切な人です。けれど、五年前に死んだ人も、自分にとって大切な人なんです。どちらが夢でも、嫌な話ですよ」

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