贄
次王は、わずか五つだった。
幼いガキだ。そう思いつつも仕事をする。
「良いか? そこが、お前の席だ」
玉座を示し、座るよう促す。が、ガキは動かない。ジッと俺を見ている。
「…………なんだ」
「すらないの?」
「なぜ? それはお前の席だ」
「…………」
ジッと、視線は動かない。ジッと、ジッと、ジッと、ジッと。
先に折れたのは俺だった。
「……座れば良いんだろ」
仕方ないので腰を下ろす。と、足の間にガキが座り、嬉しそうに俺を見上げてくる。
「……ここ、リィのばしょね」
その表情は王らしくなく、なんとなく俺は拍子抜けしてしまった。
#####
この国には資源が少ない。国民が畑を耕し、家畜を飼い、それでも少ない。理由はいたって単純、気候が悪いからだ。
昼は延々と暑く、夜は延々と寒く。雨季には街が沈む程の雨が降り、乾季には干からびた死体が転がる程の乾燥がある。
植物も家畜も耐えられる品種を使えば良い。だが、民はどうだ。幼子と老人が死に、その悲しみでまた人が死ぬ。人が死ねば国が荒れ、国が荒れれば人が死ぬ。
地獄だ。端的に言って、この国は地獄だった。
「リィ、眠いか」
ウトウトと頭が落ちる。が、
「ん……がんばる」
目をこすり、健気に頑張ろうとする。その頭を撫で、寝ても良いと告げると王はすぐに眠ってしまった。
スヤスヤと、小さな寝息がある。
「神官長殿も子育てに慣れましたか」
「阿呆。戯言を吐く暇があるなら報告をしろ」
上目で睨むとレェンは残念そうに肩をすくめる。そして、
「南の方で疫病が」
「疫病? 医師は」
「既に。しかし、間に合わないかと」
まただ。また、疫病だ。
神に祈ったところで意味はない。神官長である俺がそう思っているからだろうか……いや、違う。国が不安定だからだ。王が幼いからか、ここ数年荒れている。
それはつまり、神のせいではないのか?……俺には分からない。
レェンは続ける。
「西の方では干ばつが。難民がここに集まっております」
「それは知っている、が……時期が外れすぎている。乾季にはまだ早い筈だ」
「はい。……神官長。やはり生贄をたててはいかがでしょうか」
駄目だ、とは言い切れない。
生贄をたてれば民は落ち着く。民が落ち着けば国も落ち着く、だろうが…………。
レェンを見る。顔には陰が差していた。
「……もうしばらく、待つ。それでも良くならないなら……俺を贄にしろ」
「し、神官長!?」
「静かに。……こいつが起きる」
幸い、王は起きなかった。寝返りを打てず身悶えする程度で、瞼は開きそうにない。
安堵の息を吐く。
「神官長、それは本気ですか?」
「ああ。俺が贄になればあの龍も喜ぶだろうよ。安心しろ、ちゃんと遺書は書いておく」
「そうではなくて……あなたがいなくなった時、王を誰に任せればよろしいのですか? まだ、こんなに幼いのですよ?」
「お前ならできるだろう、レェン。無理だと言うならお前が任せて良いと思う奴を、」
「そういう問題ではありません」
レェンの語気が強くなる。
「あなたがいなくなった場合、誰が政を行うのですか。まさか王に? こんな幼い王に政治の何が分かるというのですか」
「レェン、それは、」
「それに次の神官長を誰になさるおつもりで? 候補者として育てられた者はいませんよ? 適当にお選びになるつもりですか? 前王のように」
「レェン、ま、」
「それに、それに……王は、あなたの事を大事に思われています。今あなたがいなくなったら、王はどれ程悲しむでしょうね」
「…………」
「……一介の神官ごときが言い過ぎだとお思いでしょうが、王の事もお考えください」
「…………」
「そんな馬鹿な事をおっしゃる暇があるなら、対策を練ってください」
そう言ってレェンは去っていった。
カツンカツンと音が反響する。
王と共に中庭を歩く。
すぐに逃げてしまう彼女の手を取り、整備されなくなった道を歩く。この先には神殿がある。修理について神官長である俺に相談したいと言われたので、ついでに王を連れていく。……一人にするとまたうるさくなるからだ。それ以上の理由はない。
「さみしいね」
「ああ」
「……リィががんばったら、さみしくなくなる?」
「だろうな」
だが、こんなガキになにができるというんだ。
……大人しく勉強していろ、と思うのは、傲慢だろうか。
「ねぇ」
「……なんだ?」
「リィががんばったら、わらう?」
足が止まる。空いた手で頬を触り、触り、触り……微苦笑すら浮かばない。
いつからだろう。少なくとも、王と会った時には笑えなくなっていた。笑い方なんて忘れてしまったし、意識して笑うのも上手くできなくなっている。
「わらえるように、なる?」
「…………さぁな」
手を引いて歩き出す。
「リィ、がんばるね」
それに返答はできない。
神殿はいつも通り寂しかった。俺に気づいたラニアが走って来る。
「神官長! あ、お、王!? こんにちは!?」
「ラニア。落ち着いて行動しなさい。急いだって神殿が壊れるだけだ」
「そ、そんなに暴れては、ない、です、よ……多分」
視線を自分の足に落としてから、ラニアはすぐに顔を上げ、
「偶像が。欠けました」
「どこが?」
「首が落ちました。……記録が正しいなら、これは、良くない事の前触れです」
言いたい事は分かる。ラニアも生贄をたてたいのだろう。
記録が正しいなら。最後に偶像が欠けたのは五百七年前だ。その際には飢饉が起き、当時の民の七割が死んだという。
「……何を捧げる」
「……やはり、人がよろしいかと」
ラニアの目が王に向く。
「おい、貴様、」
「ち、違います!……違います、が」
他に、誰を捧げるというのだ。ラニアの目はそう語っていた。
王には両親がいない。それどころか血縁者がいない。皆、二年前に様々な理由で死んでしまった。だから今、幼い少女が王をしているのだ。
……ああ、いや、一人。一人だけ、血縁者がいるではないか。
「……ラニア」
「嫌です」
こいつもか。
「なら、他に誰を投げると言うんだ。神に近いのは、王族の血が入ってるのは今二人しかいないというのに!」
「だからそれを探しているんです! 私も! レェンも!」
……それを、探している?
「お前、達は……一般市民を、殺すと、いう、のか……?」
「はい。資料を探し、以前の王の妾の血筋を探しています」
「……それが、どういう事か……知っている、のか?」
ラニアは何も言わず、顎を引いた。
思わず怒りのままに言葉を吐きそうになる。それを止めたのは俺の手を握る王だった。
「いけにえ、って、なぁに?」
見ると、大きな目を目一杯丸く広げて、王は首を傾げていた。
ラニアを目で制してから王と目線を合わせる。
「生贄というのは、英雄だ。選ばれる事は素晴らしい事だが、これは凄く大変な事でな。普通の人は嫌がるんだ」
「リィにできる?」
「まだ早い。それに、リィは王だろう? 王様には王様にしかできない事があるからな」
「じゃあ、できない?」
「そういう訳ではないが。リィがしなくても良いように俺達が努力する」
分かったのか分からないままか、王は小さく頷いて笑った。
ラニアが俺を睨むように見る。嘘を教えるな、と言いたいのだろう。だが、こればかりは仕方がない。
立ち上がった時にボソリと、ラニアが呟いた。
「あなたは甘過ぎます」
「甘い方が良い。この世は地獄だ」
会話は続かず、別の話に移った。
#####
王が眠り、月が出ている夜だった。
コンコンとノックの音。やっと寝付いた王が起きていない事を確認し、扉を開ける。
「レェンか。どうした」
「……生贄をたてねばなりません。民に、これ以上の不安は強いれません」
「それで、王を殺すつもりか」
手に握られたナイフを見る。抵抗するなら殺すのだろう。
レェンは顔を伏せている。
「じゃあ、行くか」
「え?」
レェンの腕を掴んで部屋から出る。足は何の躊躇いもなく神殿に向かっていた。いや、厳密に言うならばその隣にあるオアシス、神の泉に。
「し、神官長、」
「簡単な話だ。王を生贄にする訳にはいかない。俺の代わりはごまんといるが、王の代わりは今は一人もいない。遺書は俺の部屋の机の中にある。前任からの受け売りばかりを書いたが、あれで問題はないと思う。それでも何かが起きた場合、遺書に書いた通りお前に任せる」
「神官長、そういう事では、」
「俺の代わりに王を支えてくれ。それと、他に王族を探そうとするな。ラニアにも言っておいてくれ。生贄は当分出させるな。無論、動物も捧げるな。くれぐれも王を殺すな、殺させるな。いざとなれば王さえ残っていれば国は残り続ける。お前に死ねとは言わないが、王を失う事だけは避けてほしい。これは単純に俺の要望だから、守ってくれなくても良い。その場合は呪い殺すかもしれん、すまんな」
中庭を抜け、目の前に神殿が見えて来た。
「あとは、」
「神官長!」
腕を強く引かれ足を止めさせられる。
振り返ると、レェンが酷く歪んだ顔をしていた。
「……それだけは、どうか」
「断る。放っておけばお前らは善意で王を殺す。もしくは哀れな一般市民を殺す。それなら、俺が死ぬのが一番手っ取り早い上に問題も少ない」
「問題しかないッ! 神官長! あなたは、」
「確実に言える事は、死への抵抗がない事だ」
足を動かして前に進む。
「王にもそれはないだろう。だが、王が死んだ場合、次王は誰になる。これこそ代わりがいない。そして、一般市民だ。死への抵抗は確実にある。どれ程説得したって、心の奥底には恐怖がこびりつく。神の為の贄にそういったものは不要だ。誇りと自信と、あとは少しの信仰心でもあれば上出来だろう。それなら、俺が一番良い」
「それでも! それでも、あなたは……あなたは、死んではいけない」
「なぜ?」
足を動かし続けながら問いかける。
「俺が王族だからか? 俺が神官長だからか? 馬鹿らしい。元はと言えば俺は、神官長になる筈だった男の
「それでも、」
「本当は。……本当は、神官長が決まる日に死ぬ筈だったんだ。生贄として」
お前も知っているだろう、と聞くと、レェンは目を丸く開いていた。
数十年に一度、神官長が代わる時に生贄を一人捧げる。泉に投げ捨てて、しかし死体は重りもないのに浮かび上がらない。それは神に連れ去られるからだ。
生まれた頃から聞かされていた。神に連れ去られるなら、普通の死に方よりはマシだろうと言い聞かせて、俺は死ぬ気でいたのに。
やっとたどり着いた泉を前に、手を離す。
「無様に何年も生きた。そろそろ死んでも良いだろう」
泉を見下ろす。崖の下、月光を反射しているもののやはり暗かった。果たして本当に水があるのか、不安になる程に。だが、今朝見た時には水があった。問題ないだろう。
さて。神に捧げる時の祝詞はなんだったか。記憶を漁り、呟いていく。
最後の言葉を言い終える。
一歩踏み出す。カランと石が落ちた音がした。
力を抜こうとした瞬間。
「オド?」
振り返る。王がいた。
「……なぜ、ここに」
「オド、ねないの? メッだよ、ねないとわるいかみさまにつれてかれちゃうんだよ?」
俺の服を掴んで、王は帰ろうと急かす。
最悪だ。このタイミングで王が来るなんて。
「……王。先に戻っていてください」
「オド?」
「レェン。王を、任せます」
掴んでいた手を離し、身を投げる。
伸びた手は掴めない。
俺は、水の中に落下した。声はもう、聞こえない。
ああ。やっとだ。オドという奴隷は、神官長となってしまった奴隷は、やっと死ぬ事ができた。
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