最後の晩餐に君を喰らいたい

 脳みそが焼き切れるんじゃねぇか、ってくらいあっつい砂漠のど真ん中。対峙するは砂の長、アルマッド。鱗のような硬い皮膚に覆われた砂竜の一種だ。身に手足も翼もなく、しかし砂の中を自在に泳ぎ回り、素早い動きで敵を圧死させる。

 そして、こいつの肉は非常に美味い。

「クソ魔術師!! まだ術式ができんのか!?」

「黙れ馬鹿!! 今できた!!」

 アルマッドがこちらにやって来る瞬間、杖を振り、起動。間を開けずに俺の前に薄氷色の魔法陣が広がり、今夜のメインディッシュに絡みつく。逃げようともがくが、まぁ無理だろう。俺の魔術に勝てるやつなんざ両手の指で数えられる程しかいない。

「リエ・リエラ・ラズイド!!」

 呪文を唱えると魔法陣からツタのようなものが現れ、アルマッドの身に突き刺さる。普通の剣じゃあ攻撃できないが、これくらい細いもので皮膚の割れ目の隙間を狙えば、浅くだが刺さる。そこに電流を流し込めれば、

「シェワン・シー・アガイ!!」

 アルマッドが硬直する。見えはしないが、焦げる匂いが漂ってきた。

 バァン、と倒れる音がして砂が周囲に広がる。しばらくして晴れた視界には、目を真っ白にしたアルマッドが倒れていた。

 恐れはいらない。緊張を解いて、息を吐く。

「アルマッドの肉は保存食に、骨は酒に向いてる。目と内臓はこのままじゃ食えんが、美味い出汁が出るし、漬ければ酒のつまみになる。って事で武闘家殿、解体してくれ。鱗は硬いが、もう少し時間が経てば隙間から刃を入れれるようになる筈だ」

「ああ」

 嬉々として解体用の刀を抜いて、武闘家殿はアルマッドの口の中に入っていった。舌でも切り取るつもりだろうが、アルマッドの舌は美味くない。調理しろと言われたら最善を尽くすが。

 黒筒に火をつけて狼煙を上げる。薄桃の煙はどこまでもどこまでも昇っていって、限界を知らないようだった。


 #####


 皇暦705年。冒険者ギルドが一般に普及し、農家の次男三男辺りが一攫千金目当てに死んでいく時代。俺と武闘家殿は賞金首の代わりに獣を狩り、肉を剥ぎ、食らっていた。金は関係ない、強く、美味い連中が良い__そう言っていたせいか、面倒事ばかりが流れ込んでいる。次の依頼もそうだった。

「密林のトラ?」

「そうです! ジャンギァタイガー、って言うんですけど」

「知らんな」

 冒険者ギルドの出張受付嬢こと、金帯冒険者のリズィア嬢はそう言って一枚の依頼書を見せてきた。シェラーの西に広がる密林に馬鹿みてぇに凶暴なトラが出る、と依頼書には書かれていた。

 狼煙を上げて二時間。ギルドの連中や雇われた行商人連がやってきて、アルマッドをバラしていく。俺達二人じゃ食い切れないし、どうせ後で金はもらえるし、別に文句はない。

 武闘家殿が解体隊に混ざっているだろう、夜闇で姿は見えないが、時折歓声が聞こえてくる。

「ジャンギァタイガー、美味しいそうですよ」

 俺と同じようにアルマッドを見ながらリズィア嬢は言った。

「肉食じゃねぇのか?」

「はい、鉱食です」

「余計不味そうじゃねぇか」

「えっと……岩塩食べてるらしいですよ。だから、おつまみに良いって。あと、皮と角が高いです」

 ペラペラと手帳をめくりながらリズィア嬢は読み上げていく。

「ジャンギァタイガーは一角獣の一種です。処女を云々はないですが、その分凶暴性が強いですね。歳を取る程角が硬くなり、宝石のようになります。が、凶暴性も増します。今回のは推定年齢35歳なのでぇ……白金竜並みですね」

「白金竜だと!?」

 いつの間にか武闘家殿が俺の隣にいた。頭から血を被っているから、おそらく中に入って内臓を取り出していたのだろう。若干臭い。

「はい! 白金竜並みに強いと思われます! 大きさは普通のトラより二回り程大きいので、」

「白金竜の幼体程度か」

「興味湧いてきましたよね?」

 どうする、と武闘家殿を見、呆れてため息が出てしまう。

 少年のように目を輝かせ、武闘家殿は剣に手をかけていた。

「……受ける」

「そうおっしゃると思って! 既に受注してあります! シェラー行きの行商もいますので、それに乗れば明日の夕方には着きますよ!」

「あー……あの、赤い幌の馬車か」

 赤い幌に黄色の太陽、シェラーを聖地とする太陽教の紋章だ。かなり大所帯のようで、似たような馬車が多く集まっていた。

「はい!……あの人達、道中の護衛も依頼していますから。あなた達が受けてくれると、ギルドとしては、というかアタシとしては一石二鳥でして」

「まぁ、ついでだ。良いよな、武闘家殿?」

「ああ」

「ありがとうございます!」

 リズィア嬢は心底嬉しそうに頭を下げた。ギルドからノルマを言い渡されているのだろう、出張受付嬢も大変だな。

 さて。話を変えよう。

「ところで。賞金首狙いの連中がこの辺にいたりはするか?」

「えっと……多分、いません。少なくとも、今朝ギルドを出る時に見た情報では」

 リズィア嬢はそう言って笑みを浮かべた。

「安心してください、嘘じゃないです。アタシ、あなた達を殺させたくないですから」

「ノルマの為に?」

「はい!……だって、あなた達くらいですよ。喜んで竜を殺しにいくのは」

 武闘家殿が喜ぶからな、仕方ない。そう言い訳したかったが、まるで俺と武闘家殿が恋人同士のようだと思ったのでやめる。やめたが、武闘家殿は俺を見て笑っていた。

「なんだ」

「面白い」

 フイと視線が外れたかと思えば、武闘家殿はそのままどこかに行ってしまった。

 相変わらず、変な奴だ。


 #####


 幌馬車に揺られながら太陽を見ていた。

 眠くなる気温だが、結界を緩められないから眠れない。結界術は得意ではないが、直接警戒するよりも効率的だ。仕方がない。

 武闘家殿は隣で寝転んでいる。寒いところの生まれのせいか、砂漠の暑さにやられたのだ。

 やはり早々に立ち去るべきだった、とか、密林も暑いだろうな、とか思いつつ周囲を見る。不幸な事に、俺達のいる最後尾の馬車にはもう一人、人がいた。他は全て荷物、御者は機械人形だというのに。

「大変やねぇ」

 その、俺達じゃない一人が笑顔で言う。

 赤毛の獣人……犬種ドッガリアだろう。砂漠地方に住む獣人だ。服装からしてシェラーの商人か。アルマッド討伐のおこぼれを貰った帰り、というところだろう。

 スゥ、と相手の目が細まった。

「なん? わてに値でもつけようと?」

「……いいや、全く。職業病、ってやつだ。気にしないでくれ」

「ふぅん……傭兵も大変なんやねぇ」

 面倒な野郎だ。目を逸らして、武闘家殿を見る。瞼は閉じられているが、起きているのが分かった。

 幌馬車の後ろから外を見る。轍の後が残った砂の上には何もない。

 筈だった。

「っ! シャッド・ソーリャ・メドウ!!」

 杖を振り、落ちていたソレを引き寄せる。

 両腕で抱える。遠目で見た通り、子どもだった。人間と獣人の合いの子だ。

 ズゾゾと何かが砂を裂く音。武闘家殿が起き上がった音がした。

「イヴァレアか! 腕が鳴るな」

「武闘家殿、大人しくしてろ。あんたはこれを前に伝えに行け。ついでにガキを頼む」

 返事はない。が、子どもを差し出すと受け取り、足音が遠ざかって行った。

 杖を構え、目を閉じる。

 さぁ、俺を思い浮かべろ。道具としての俺を。

 杖先にはリース状の輪があり、ベルを模した青い宝石が下がっている。使用した木材はセントリフの森のもの。芯には一番最初に作った、アダマンタイト芯の杖。石突きは金メッキの銅。

 見に纏うローブは絹製。月光花で染めた為、花嫁衣装のように白い。縁取りの刺繍は赤糸と金糸で植物を模したもの。フード部分の刺繍は一際豪勢で、大輪の花。

 それ以外は何もいらない。視覚は不要。聴覚は己の呼吸音と、心臓音だけで十分。嗅覚は己の匂いを、味覚は己の味を。そして、触覚は衣服と杖、すなわち俺自身を認識する。


「…………炎よ、我が願いを聞けガーダ=ワ・ソロリア・オン風よ、我が思いを聞けウェッダ=ワ・トラーヤ・オン日の神は行方を知らせずアーフィナ・オロ・フオン月の神が支配を続けるジッダ・オロ・メヤノ・シェーラ暁の鐘は既に鳴りワーナル・メダ・ヤしかし夜明けは訪れんラッザ・アーフィナ・オロ・メヤノ炎よ、日の神は何処へ参られたかガーダ=アーフィナ・オロ・フオン風よ、月の神はいつまでおられるのかウェッダ=ジッダ・オロ・メヤノ・シェーラ


 呪文を唱え終え、目を開ける。

 馬車と大股七歩程の距離を開けて、イヴァレアは固まっていた。砂の海から身を出し、サメのような頭を露出した状態で。

 一歩遅れて、イヴァレアが崩れる。綺麗に切り刻まれた肉片一つ一つが発火し、肉を炭に変えていく。

 久しぶりに使った魔術だったが、体が覚えているというか、案外上手くいくものだな。息を吐いて、雇い主達に無事を報告しようとした時だった。

「禁忌の魔術やね」

 甘い、ねっとりするような声。振り向くと赤毛の獣人が残っていた。呑気にキセルを吸っている。

 逃げていなかったのか。思わず舌打ちが鳴る。

「古代戦争でエルフが使うたっていう魔術。人が扱えるもんの中で、いっちゃん魔法に近いもの」

「……もしも禁忌の魔術だとして、どうしてお前に分かる。呪文の語句の一つだって、知っている筈がない。知っているとしたら、大犯罪者だ。打ち首でも文句は言えん。だろう?」

 禁忌の魔術はその名前以外の何ものも知られてはならない、となっている。しかも、禁忌の魔術についての書籍はエルフの魔術学院の禁書書庫の隠し扉の云々、と、滅茶苦茶厳重にしまわれている。

 だから、普通の商人であるこの獣人が知っている筈はない。勿論、平々凡々な魔術師の俺も、知っている筈はない。

 汗が首筋を流れる感覚が生々しく感じられる。

「……それは、そうやね」

 獣人はそれ以上何も言わなかった。

 いつの間にか馬車群れは止まっていて、砂漠に降りた商人達が何事か騒いでいた。その中から武闘家殿がやって来る。左腕で先程の子どもを抱えたままで。どこか嬉しそうだった。

「報酬が増える」

「イヴァレアを倒したから? だが、燃やしちまったぜ?」

「分かってるだろう。イヴァレアの皮膚は硬く、耐火性に優れる。しかし、肉から剥ぐのが難しい。……お前は、肉だけを燃やした。だろう?」

 随分とまぁ、観察しておられる事で。そんな皮肉を言いたかったが、それどころじゃなかった。

 子どもがジッと、俺を見ていた。まるで、なにかを見透かすように。


 #####


 子どもは、シハーブと名乗った。

「保護者は」

「いません」

「ガキ一人で、砂漠ん中いたってか? ロクな装備なしで?」

「はい」

「何してぇんだ、お前」

「シェラーに行きたいんです」

 ……不気味だ。

 この歳の子どもにしては、感情がない。淡々としている。どうしようかと思い悩み、武闘家殿を見る。が、熱にやられて寝込んでいる。駄目だ。

 ガタゴトと揺れる馬車列の最後尾。無手の子どもをあのまま放っておく訳にもいかず、代金後払いを条件に商人はシハーブを馬車に乗せた。そして、俺達に押し付けた。

「…………シェラーに行って、何するんだ」

 散々悩んだ末、そんな変な質問をしてしまう。家に帰ります、と当たり前の返答がすぐに返ってきた。

「……どこ」

「ラカル」

 ラカル、という家名だか地名だかに心当たりはない。だが、赤毛の商人にはあるらしい。ラカルってホンマか、と素っ頓狂な声を上げる。

「知ってるのか?」

「知っとるも何も、ラカルっちゅうのは、シェラーを治める領主様や」

「……嘘、って可能性は?」

「領主様は兎種ラヴァニア。そんで、この子は兎種ラヴァニアと人の合いの子……不自然はあらへん」

 人の姿に、獣の耳と尾を持つ__獣人と人の合いの子は、二つを混ぜたような容姿をしている。そして、シハーブには兎のような長い耳と丸い尻尾があるが、顔や手足は人のものだ。

 それでも疑問がある。

「獣人は、獣人以外の種族を嫌っていると聞いたが。領主ともあろう者が、まさか人を嫁に?」

「阿呆、んな訳ないやろ。正妻は獅子種ライオネルや」

「正妻……ああ、そうか。獣人は一夫多妻か」

「妻やあらへん、妾や。当代様は人間の妾を囲っとる。金持ちの酔狂やね。やけん……エージャさんの息子か」

 真剣な顔つきで赤毛の商人は問う。シハーブは頷いて、

「はい。父はマジャラ・ラカル。母はエージャ・ミロです」

 と、律儀に親の名前を出して答えてくれた。

 獣人の表情の変化は分かりにくいが、それでも、赤毛の商人が焦っているのは分かった。目が泳いでいる上に、口が半開きで固まっている。

 ゆっくりと息を吸い、赤毛の商人が首を振る。

「殺されるで」

「分かってます」

「エージャさんはもう逃げはった」

「それでも。それでもボクは帰ります」

 シハーブの考えが俺には理解できなかった。商人も同じらしい。目を細め、額に手を当てて大きく息を吐く。

 領主の家で何があって、なぜシハーブが死ぬのかは分からない。分からないが、怖くはない。だが、死ぬのが分かった上で突き進むこの子どもは、全く理解ができなくて、とても怖い。

 __死への怯えがないのは冒険者として致命的だ。

 昔言われた言葉を思い出す。まぁ、シハーブは冒険者ではないのだけども。

「……いくら人の子言うたって、死ぬのはあかんわ」

 ガタゴトと揺れる音に混じって、赤毛の商人の呟きが聞こえた。


 #####


 シェラーの町は暑く、フードを被っても、日陰を歩いても、鋭い日光が肌を焼く感覚がある。今にも死にそうな武闘家殿に冷気の魔術をかけつつ、ゆっくりと、ギルドに向かって足を進める。

「まさか、こんなに暑いのが駄目だとはな」

「……私も、今知った」

 武闘家殿は息絶え絶えの様子だった。自分の足で歩けはするようだが、この調子じゃあ、ジャンギァタイガーもクソもない。受注を取り消して、さっさと涼しいところに行くしかない。武闘家殿は納得しないだろうが、死なれては困る。命以上に大事なものはない。

「アルマッドん時は平気だったよなぁ?」

「あの時も、少し」

「調子悪かった、と? マジかよ……次、山行こうぜ、山。涼しいだろ」

「山……山、か。面白い」

 クク、と低い笑い声。見ると、武闘家殿は道の先、遠くを見つめていた。俺も顔は向けてみたが、なぁにも見えない。

「贄だ」

「贄? 祭りでもして、」

 シハーブだ。数刻前に別れたから、そろそろ家に着いていてもおかしくない。だが、違うかもしれない。普通に、家畜を殺して生贄にしているだけかもしれない。

 武闘家殿に、何があると聞けば済む話。だが、俺の足は動いていた。

 人混みをかき分け進む。こういう時、他より小さいこの体は不便だ。それでも、進むしかない。この目で見ないと納得できない。

 死なないでほしい。そんな事を、いつの間にか祈っていた。


 人混みを抜けると、豪邸があった。その前に少年の死体。そして、剣を持った獣人が一人。獅子種ライオネルだ。

「おい、そこの無毛種。何の用だ」

 低い声だ。シハーブに似ていなくもない。

 気づけば、足が動いていた。が。

「すまない」

 腕を後ろに引かれ、転げかける。俺を引っ張った誰かの体が支えになった。

 見上げると武闘家殿がいた。急いだのだろう、息を切らしている。

「熱で頭がおかしくなったらしい。療養させる」

「武闘家殿!! だが、あれはっ、」

「黙れ。……失礼する」

 重力が消えた、と思ったら武闘家殿に抱えられていた。暴れても抜けられそうにない。こいつは前衛、俺は後衛。その上、種族的に見ても筋肉量は武闘家殿の方が上だ。

 集まっていた獣人達が、倍近く身の丈がある武闘家殿を恐れてか、千々に散って行く。

 しばらく歩いて、武闘家殿は呟いた。

「魔術師。貴様、あの獣を殺そうとしただろう」

「……悪いか」

「悪い。ここで殺しを行えば居場所がバレるぞ。良いのか」

「だが、あれはシハーブだ」

「知らん。捨てに行った命にまで責任は持てん。貴様はもとより、私にも」

 武闘家殿は淡々とした声で言い捨てた。

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