殺し屋と絵描き
立派なリムジンだった。
最後部座席に座るのは赤毛の男だ。見た目は若いが、その所作は老練している。左目を隠す黒革の眼帯は厳つい雰囲気がするが、男自身は柔らかな笑みを浮かべていた。
そこから少し離れた位置に護衛が一人、控えている。歴戦の武者だろう、鋭い目と使い込まれた刀がそれを示していた。
この空間に異常があるとしたら。それは、赤毛の男の隣で呑気に絵を描く少女だろう。どこにでもいそうな茶髪の彼女は、武器を持たず、丸っこい双眸をキラキラと輝かせながら、ただただ熱心にスケッチブックと相対していた。護衛二人からの殺気だった目も気にせず、それどころか隣の男すらも気にする様子がない。下手をすれば、今リムジンに乗っている事すら気づいていないのかもしれない。そのくらいには熱心だった。
しかし、突然鉛筆を止めると、ページを綺麗に破った。そして、
「ん。あげる」
と男へ押し付け、新しい白紙のページと睨み合った。走り出そうとした鉛筆を赤毛の男が止めたのも、無理もない話だ。
「待って、ちょっと、えがく君、待ってくれ。少しだけ話を、しないかい?」
「…………良いよ」
少女は鉛筆を置くと、愛嬌のある笑顔を浮かべた。
「何話すの? ニケの頭? ヴィーナスの腕? それとも、完成したモナリザ?」
「君の絵について話したい」
「あたしの絵? 良いよ」
少女は足元のリュックを取ると、無造作にひっくり返した。
バラン、バランとスケッチブックが何冊も落ちていく。
「どれほしいの。好きなの、あげる」
「すでにある絵じゃない。君に新しく描いてほしいんだ」
「良いよ。何描けば良いの? おじさん? それとも、あそこの人?」
赤毛の男は薄く笑うと、一葉の写真を少女に手渡す。
「火森 修。彼の絵を描いてほしい」
タイミングを見計らったようにリムジンが止まった。男は何も言わずに降り、しかし護衛は残る。
二人を乗せたリムジンがまた走り出す。
少女の名は、一文字えがく。一部では名の知れた殺し屋であり___絵描きだ。
護衛は、
#####
到着したのは森だった。蔦の絡まった鉄柵を斬り壊し、『右顧左眄』は躊躇う事なく足を進める。その後を少女が着いて行く。
「ねーねー、おじさん。おじさんの事、なんて呼べば良いの? ウコサベン、ってサイコーにクールな名前だけどさ、呼びにくいよね。長くってさ。ねー、おじさん。おじさんってば!」
「うっせぇんだよ、ガキ。誰かいたらどうすんだよ」
「お友達になる!」
「頭ん中に花畑でも作ってんのか?」
軽くはたかれても少女は口を止めなかった。それどころか以前よりも多弁になる。それにつられてか『右顧左眄』も饒舌になっていた。
「駄目なの? なんで? なんで駄目なの? だってみんな、おじさんみたいに良い人かも知れないよ?」
「俺が良い人だと? ハッ、てめぇの目はどうなってやがんだ」
「こうなってる! キレーでしょ? チョコレートみたいな色でさ! あ、キレーな虫だ!」
「おい、勝手にどっか行くな! てめぇ、もしや恭介さんの話聞いてねぇな?」
「見て見て、キレーな色してる! キレーな色になるかな? なるよね!」
「おい待、」
『右顧左眄』が止めるのも間に合わなかった。
右手に力を込める。次に開いた時には、バラバラになった翠の甲虫ができていた。
少女は不快そうに手を払う。そして、足を止めた『右顧左眄』を見て一言、
「早く行こ」
「…………ああ」
躊躇いがちに、それでも歩みを再開する。
少女は一方的に話し続ける。歩くたびにカチャリカチャリとリュックサックから、プラスチックが擦れ合う音がしていた。その中に金属質の音が混ざっているのを『右顧左眄』は聞き逃さない。しかし、わざわざ彼女に問うような事ではない。なぜなら、殺し屋だから。
「アニキってひどいの。最近いっつも、いそがしーからって遊んでくれなくってさ。つまんない。ベンキョーなんかなくなっちゃえ」
「んなもんだよ、普通」
「でも、つまんない! あのね、アニキ、絵、へたっぴなの! すっごいへたっぴなんだよ!」
「だが、上手い文を書くって話じゃねぇか」
「アニキ知ってるの?」
「いや。噂で聞いた程度だ」
「あたしも知ってるよ! うつろぎよーへー! すっごく強いんでしょ! ウコサベンって人がとっても強いって聞いたから、おじさん、とっても強いんだね!」
目を輝かせる少女と対照的に、『右顧左眄』の目は冷め切っていた。
「ハッ……強い、ねぇ」
胸ポケットから煙草を出そうとし、戻す。
煙を吐くようにフゥーッと歯間で息を吐き、『右顧左眄』は少女を見ずに答えた。
「俺ァ空木はやめた。今の強者は当主の右腕、『傾城傾国』だろうよ」
「けーせー……? 誰? どのくらい強いの?」
「タダで語らせようってか? 出奔したとはいえ生家だ、高くつくぜ。具体的には……」
一瞬の逡巡の後、『右顧左眄』は子どもでは到底払えない額を示した。
「一番安いので、これ。どうする?」
「イジワル!……つーちゃんみたい」
プゥ、と少女は頬を膨らませると先へ走り出してしまう。と、いっても子どもの足だ。追いつけないものではなかった。
獣道を進むには『右顧左眄』の服装は適していなかった。丈の長いロングコートは何をせずとも草木に絡み、引っ掛かり、汚れていく。その度に裾を引っ張って救出し、あるいははたいて種子を落としていく。ふと前を見ると少女は楽しげに笑っていた。
「あはは、ワンちゃんみたい!」
「ワン……っ!? おい、あんまり先に行くな! 何があるか分からねぇんだから」
「お友達ー! あはは、あはははは!」
「だぁから、」
殺気を感じた。すぐさま前方へ跳躍、右腰の刀に手を添え、一閃。
血糊を払って鞘に戻し、まず一人。
「五人か。おいガキ、動くな」
「すごぉい……ねーねー、この人、かっこいー銃持ってるよ!」
「死体を漁るな!」
再び鞘走って二人同時。カチンと鯉口が鳴る音がするや否や、四人目が両断された。
そして『右顧左眄』の死角から少女を狙った五人目は、目も向けられずに首を落とされた。
鮮血が緑を汚す。少女は死体を漁る手を止めなかった。嬉々とした表情は、まるでオモチャ売り場に連れて行かれた子どもだ。
「汚ねぇだろ、やめろ」
「えー……ねー、これ、何?」
少女が見せたのは小瓶だった。中は蛍光緑の液体で満ちている。
「知るかよ。あー、もう、どろんこじゃねぇか」
「えへへ。これ、キレーな色になるかなぁ? なるよね! もらっちゃおー」
大事そうに両手で抱えた後、上着のポケットに入れる。そして少女はまた先を歩き出した。ため息を吐いて『右顧左眄』も着いて行く。念の為に意識を凝らしてみるものの、敵襲はこれで終わりのようだった。周囲からは獣一匹、気配を感じない。
襲撃者の身元を調べる気はなかった。そんな事よりも先に進む方が重要だと、少なくとも『右顧左眄』は思ったからだ。
しかし、疑問が浮かばない訳ではない。
「……火森 修ってのは、そうまでして守られる奴かねぇ」
「お姫様なんじゃない?」
「んな訳ねぇだろ」
「どうして? 分かんないよ? ピンクのフリフリのお洋服着て、おっきいベッドで眠ってて、王子様を待ってるかもしれないよ?」
「だが、お姫様だとしても守られる理由がある筈だ」
「理由……すっごい事知ってるとか! ニケの頭とか、ヴィーナスの腕とか、おじさん家の隠し事とか」
『右顧左眄』は曖昧な笑みを浮かべるだけだ。面白い冗談だ、と言うように。しかし、少女が続けた言葉でみるみる驚愕に変わる。
「『風光明媚』こと空木 長閑は十五年前、志摩 零と結婚した。そして七年後、二人は殺された。零の兄、志麻 恭介__今のおじさんが仕えてる人に殺されて。表向きには、いや、裏で流れた情報ですらも、事故死として処理されてるけどね。もしかして、火森 修って人、この事知って、」
「それ以上、何も言うな」
「なんで? おじさんがお家出る原因になったから? それとも、」
「斬るぞ」
チャキ、と鯉口が鳴る。事の重大さを理解したのか、少女は満面の笑みで頷いた。
それから、森の奥に鎮座した屋敷に着くまで、二人は無言だった。
ノックも程々に、立派な扉を蹴り開けて土足で上がり込む。幾枚も襖を開けた先に目的の人物はいた。
「てめぇが火森 修だな」
畳の上には様々な呪具が、部屋の中央には精密に描かれた魔法陣があったが、『右顧左眄』は躊躇う事なく足を踏み入れる。その後ろを少しだけ心配そうに少女が着いて行く。
火森は写真よりも老けて見えた。怯えた声で、
「う、う、うう、『右顧左眄』!? なんでここに!?」
「仕事。てめぇ、画材になれ」
「し、志摩の旦那が許さね、」
「その旦那が命じてんだ」
目を細め、『右顧左眄』は少女を見た。つまらなそうに呪具を蹴っていたが、視線に気付くと嬉しそうに顔を上げる。
「ガキ。仕事は覚えてんな?」
「うん! あの人描けば良いんでしょ? ちゃーんと覚えてるよ!」
火森は後ずさるが、『右顧左眄』に睨まれると動けなくなってしまう。
少女はリュックサックを下ろした。まずはスケッチブックを、次に真っ白な筆を、筆洗い用のバケツを、そして最後に出したのは、一振りの脇差だった。
「よし! じゃ、いっくよー!」
「い、嫌だ。オレはまだ死にたく、」
「大丈夫!」
シャと、刃が走るには軽すぎる音がした。しかし、次の瞬間には火森は血を噴いて倒れ伏す。少女は手慣れた様子でバケツに血を集める。
死んだか、と『右顧左眄』が問うたが答えはなかった。
スケッチブックの上を勢いよく、真っ赤な筆が駆け抜ける。
#####
立派なリムジンだった。
最後部座席に座るのは赤毛の男だ。見た目は若いが、その所作は老練している。左目を隠す黒革の眼帯は厳つい雰囲気がするが、男自身は柔らかな笑みを浮かべていた。
そこから少し離れた位置に護衛が一人、控えている。歴戦の武者だろう、鋭い目と使い込まれた刀がそれを示していた。
この空間に異常があるとしたら。それは、赤毛の男の隣で呑気に絵を描く少女だろう。どこにでもいそうな茶髪の彼女は、武器を持たず、丸っこい双眸をキラキラと輝かせながら、ただただ熱心にスケッチブックと相対していた。護衛二人からの殺気だった目も気にせず、それどころか隣の男すらも気にする様子がない。下手をすれば、今リムジンに乗っている事すら気づいていないのかもしれない。そのくらいには熱心だった。
「良い絵だね、これ」
赤毛の男が、渡されていた絵から顔を上げた。その抽象画の価値を理解できるものは、果たして存在するだろうか。しかし立派な額に収められている今なら、ゴッホやピカソに並ぶ名画に見えるだろう。
少女は顔を上げなかった。初めに出会った時と同じように、次の絵に取り掛かる直前で手を掴まれて、ようやく聞く耳を持つ。
「…………どうしたの?」
「良い絵だね、って褒めたかったんだ。僕は、芸術を見る目がある方ではないけど……それでも、良い絵だと思ったんだ」
「そう。なら、そうなんじゃない」
「随分と冷たいね。自分の絵が嫌いかい?」
少女は首を横に振った。それからポツリポツリと、冷め切ったスープを飲むようにゆっくりと、言葉を吐いていく。
「まだまだ。道半ばですらない。始まって、三歩も進んでない。……もっと、先があるの。頭のあるニケ、腕を持ったヴィーナス、完成したモナリザ……神が降りた絵に、値はつけられない。けれど、神は降りないから、全て何かが、欠けてしまう…………神の降りる絵を、あたしは描くわ。それが、一文字えがく、という人間だから」
薄笑みを浮かべ、少女は一つ頷いた。
リムジンは静かに走り抜けていく。
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