王
隣国、シャジャアには王がいる。民を好み、同じ目線で立ち、それでいて全てを俯瞰する王だ。
そして、そいつが今、私の前にいる。
「美味いな、これ」
がっついて飯を食べるこの黒髪の青年が、このシャジャアの王らしい。歳は自分と同じ頃だろうが、十代後半の、あの若々しさがある。
「で。国王様? 何故にこんなとこでぶっ倒れてたんですかいな」
「んー、飯を食べてなくて……ああ、そうだ」
青年は地図を取り出すとある一点を指差す。この付近にある、レトラ山だ。
「ここに、化け物がいると聞いた。何か知らないか」
「化け物……知りませんねぃ。しかし、近づくなとは聞きました」
「なぜ」
そう言ってこちらを見る赤の瞳には聡明さがある。
「……ある村の話ですが。そこな山には、一匹の竜がおったそうで。そやつが毎年贄を願いましたので、とある若者が竜を騙し討ちで殺してしもうたようです。すると竜は村を呪い、廃村へと変えてしまった。しかしそれに飽き足らず、竜は石に姿を変え、今も人々を呪い続いているのだそうです。ですので、山に立ち入る者は呪われ、死んでしまう、と」
語り終えると、それまで黙って聞いていた青年は薄い笑みを浮かべた。
「……何か言いたいようですが」
「言いたい事しかない」
背を伸ばし、青年は真っ直ぐな目でこちらを見る。
ガーネット、いや、それよりもルビーだ。発色の良い赤色の瞳が心臓を射抜こうとしている。そんな感じがした。
口が開かれる。
「おそらくそれは、火山活動により発生した強力な魔力霧のせいだろう。地脈に流れていた魔力がマグマ溜まりを通って噴火口から地上に放出、普通ならそのまま周囲の動植物に吸われるが、冬場、特に朝方だと、気体となっている魔力が液体となり、魔力霧が発生する。一般的な濃度だと特に問題はないが……当時、レトラ山の活動が活発だったのだろう。それと、冬の気温が普段よりも低かったとか、まぁ、想定の域を出ないから確かじゃないが。そういった条件が組み合わさり、竜の石の伝承が生まれたのだろう。もしこれが正しかったら、廃村にした後に竜は石になったんじゃあない。竜が石に、魔力霧が発生したが故に、村は終わったんだ」
魔力霧か。確かにそれなら有り得そうだ。
しかし、意外だった。シャジャアの王は口より先に手が出るタイプと聞いていたから、こんな専門知識を持っているとは思えなかった。そう言った事は彼の弟、神官長殿がしていると聞いたのだが。
……伝書鳩を飛ばした方が良いかもしれない。
「まぁ、よくある話だな」
「ですが、竜は魔術に長けていたと聞きます」
「ああ、そうだな……だが、やはり考え難い。他者を呪う術は術者本人をも蝕む。それは、竜にとって最も忌避すべきものだ」
シャジャアの王はそう言って口を閉じた。
竜は、人となる際に魔術を捨てたと聞く。故に竜人は魔術の類を一切使えない。魔術回路がいくら完璧だろうと、そこに魔力は流れない。
やろうと思えば殺せるか。
懐のナイフに触れた時、弾けるように王の顔が上がった。そして、
気づけば組み伏せられ、自分は地に顎を打ち付けた。目端で背後を見ると、酷く恐ろしい目をしたシャジャアの王が私の腕を捻っている。
指の間には何もない。
「……どうか、されましょうか」
「……いや。すまん。つい、癖で」
ニィと浮かんだ笑みは年相応と言うべきか。柔らかく、しかし鋭さがある。
手を離して私を起き上がらせながら、
「金属音がしたから、反応してしまった」
「金属音……ああ、これでしょうか」
ナイフと共に隠していた鈴を渡すと、それを月光に透かして嬉しそうに笑う。
化け物か、こいつっ! 金属音と言ったって、このナイフは音がし難いよう作られた、特殊なものだ。そして、その殆どは魔術加工をした木材だ。刃以外に金属は使っていない。
刃と革鞘が擦れた時、おそらくその、存在しない音をこいつは聞いたのだ。
「綺麗な鈴だな。ファバンの工芸品か?」
「ご存知でしたか。名工の作ではなくただの量産品だそうですが、お守りでして」
「量産品でこれか……すまないな、ありがとう」
「お気になさらぬよう。こちらも悪うございますので」
シャラン、シャランと音を立てながら、鈴が自分の手に戻る。
「私はただの平民でございますが。国王殿が苦労なされているのは、やんわりと分かります」
「いや、自分自身は特に何かできてないからな。弟や友人にいつも世話になってばかりだ」
「それでも、民にとって王のいるいないは大変な問題でございますので」
やはり、シャジャアを攻めるのならまず身辺から、だろう。
探りを入れてみよう。
「そういえば……一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ?」
「不躾で申し訳ないのですが。神官長殿は先祖返りである、というお噂を聞いた事がございまして。竜人の先祖返り、というのは、つまり……魔術をお使いになられる、と?」
「あー……いや。魔術は使えない。ただ……」
「ただ?」
「並の竜人よりも身体能力が高い。それくらいだろう」
王は小さく笑い、あとは、と話す。
「弟は地霊の声が聞こえる、らしい」
「地霊の、声?」
「だから神官長をするのだ、と。そのくらいだ。自分と違って剣も使えなければ、同様に魔術も使えない」
つまり、殺せば死ぬのか。良かった。
他にも聞きたい事はあるが、やめておこう。疑われたら困る。
しばらくは静かだった。焚き火のパチパチという音しかしない。
シャジャアの王は星を見上げている。そういえば、彼の友人であるあの大天災、キターブは星術が得意だと聞いた。その影響だろう。
「……嫌な空だ」
「凶兆でもございましたか」
「ああ」
そう言って指差したのは南の空。
「あの赤い星。凶星だ」
あれは赤鳥の心臓か。誰かの死を予想する星だと聞いた事ある。
首を横に振り、
「無事だと良いが」
と王は呟いた。
それから、ゆるゆると立ち上がる。
「さて。礼をしないとな」
「……もう、夜でございます。この辺りは治安がよろしくない、朝に出た方が、」
ザクリ、と音がした。頬をヌメリと何かが流れていく。
血だ。そう気づいた時には遅かった。ボトッ、と地面に何かが落ちる。暗くて良く見えないが、それは、
「……み、み?」
顔の右側に触れる。出っ張りが、なかった。
「無駄な事を言えぬよう、口を裂きたいところですが。命を助けていただいた身、そして神に仕える身。殺生は避けねばなりません」
王の口調が変わっていた。
前を見ると、直刀を鞘に収める男がいた。顔の右側、火に当たる部分に、大きな火傷痕を貼りつけた。
瞬間、察する。
「貴様、神官長かっ!!」
「気づいてなかったのか。ふむ、ただの馬鹿だったか」
噂通り口が悪い。
舌を鳴らし、シャジャアの王もとい神官長が私を見下ろす。
「あの鈴は、ファバンの伏兵のものだな」
気づいていたのか。暗いからバレないと、それに、見えたとしてもあの鈴を知ってはいないと思っていたのに。
「まぁ、俺は兄程愚かではない。二度は許さん殺す」
神官長が背を向ける。
油断したな。
「俺の事は好きに伝えると良い。あの愚王に」
一歩踏み出す。
ナイフを握り、振りかざす。
背に深々と刺さる、否、刺さらない!
「言ったろう。二度は許さん、と」
滑るナイフで服が切れ、肌が現れる。
それは蛇の鱗だった。
それは黒の鱗だった。
それが黒竜の鱗だと気づいた時には、自分は喉を貫かれていた。
「兄のように、何度も許しはしない。しかし、苦しめて殺しはしない」
最期の音が聞こえる。
「どうか、安らかに」
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