お利口さん
「この村から逃げるのよ」
そう言った彼女は、今にも泣きそうだった。自分は怪我一つしていないのに。
「この村から逃げて、幸せに生きるの。アンタにはその権利がある」
そう言った声はとても力強かった。
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電車に揺られながら、過ぎ行く景色を眺めている彼女を見ていた。その隣で彼が眠っている、ように見える。寝れる訳がないだろう。いつ追っ手が来るのか、分からないのだから。自分がそうなんだから、きっと彼もそうだ。
でも、彼女は心強かった。俺達の心でも読んだのか、不意に呟く。
「……大丈夫よ。誰も追って来れない。だって、髪の長い女一人と、真面目そうな男二人を探してるんだもの。永遠に見つかりっこないわ」
長い髪を切った彼女は、それはそれで美しかった。
恥ずかしくなって下を向く。染めた髪と開けたばかりのピアスは、俺という誠実な人間を隠す為の小細工だ。彼の白髪やスカジャンも同じだ。その上ガニ股で眠っていれば、真面目で誠実な男には誰も見えないだろう。
窓の外を見る。村は、遠くに消えていた。
彼女は村で権力を持っていた。だって、とても偉い村長の一人娘だもの。彼女が死ねと言えば言われた奴は次の日には消えるし、あの人と結婚したいと言えば外堀は埋められる。どんな気紛れでも。幸いにも彼女は悪人ではないので、その手の命令はされなかった。
俺は彼女の一族に仕えていた。彼らの我が儘を遂行していた。五年前に俺以外の家族がみんな殺されてからは、一人でこなしてきた。……怨みがない訳じゃない。無力だと理解してるだけだ。
彼は彼女の許嫁だった。隣町の、後ろ暗い組織の長の隠し子だった。両家を繋ぐ為だけに今まで生きていて、結婚すれば用済みと殺される存在だった。そうされるには惜しい程に善良な男だった。
俺達は彼女に連れられて、結婚式前夜に逃げ出した。長い黒髪を置き手紙にして。
この電車がどこに向かうのか、俺には分からない。乗り換えて、乗り換えて、乗り換えて、適当に東へ向かっているから。東に行く理由はとくにない。強いて言うなら、東には
「大丈夫よ。心配はないわ」
彼女は言う。
「誰も追って来れやしない。だって、誰もあたし達個人が欲しい訳じゃないもの。あの人達がほしいのは、お利口さんな権力と、お利口さんな武力と、お利口さんな財源だもの」
窓ガラスに映った彼女がニィと笑った。
「お利口さんじゃない今のあたし達なんて、誰にも見つかりっこないわ」
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