ある殺し屋の話
刀を振るうと首が飛んだ。
地面に降り立ち、舌を鳴らす。
「弱い」
地面へ落ちた首へ向け、不満を漏らす。
冷たい声だった。
#####
平和が支配する世界を表、暴力が支配する世界を裏というのなら、魔術が支配する世界は対偶だろう。
閉め切ったカーテンの端から差し込むのは昼間の光。目覚まし時計を見ると、午前十一時。欠伸をし、ベッドを降りる。
床に散らばった服を拾い、洗濯機に投げる。洗面台の鏡には寝ぼけ眼の自分自身がいたが、顔を洗うと幾分かマシになる。
「昨日、何したっけ」
呟きながら台所に向かう。六枚切りの食パンをトースターに入れ、ダイヤルを回す。インスタントコーヒーを淹れて、冷蔵庫からサラダとマーガリンを出す。テレビをつけて、ワイドショーを垂れ流す。
トースターが音を鳴らした時、ワイドショーではある女優の結婚を報道していた。扉を開けた手を止め、テレビに釘付けになる。
「…………結婚、したのか」
ようやく言葉を紡げた時には、既に次のニュースに移っていた。
食パンは味気なかった。朝から悲しいニュースを見たせいだ、と理解していても、悲しいものは悲しいし、味気ないものは味気ない。
スマホを見ると、友人から心配するメールが来ていた。適当に返しながらも目は死んでいる。
「やっぱタンパク質の塊好きになるの駄目だわ」
機械的にコーヒーを飲む。
「駄目だ。今日の仕事やる気でねぇ……休みてぇ」
食パンの最後の一欠片を押し込み、コーヒーで流し込む。申し訳程度にサラダを摘んで、残りは冷蔵庫に戻す。
流しに食器を置いて息を吐くと、電話の着信音が部屋に響いた。画面に表示されるのは、今最も話したくない、しかし話さないといけない人。ため息をまた吐いて、電話を繋げる。
「もしもし」
『不機嫌そうだね。今日の仕事について、変更ができたから連絡するよ。どうも、先方が予約した店が火事で閉店したらしくてね』
不思議な事もあるもんだ、と電話の向こうで笑い声がした。
昨日の仕事を思い出す。ある高級料理店の放火だ。
『死傷者はなし、だって。すごいねぇ』
「…………」
『あの店、きな臭い噂あったし、燃えてくれて助かったよ』
「…………お前が命令したんだろうが」
『何か言った?』
「要件は終わりか?」
終わりかけのワイドショーは今日のニュースを振り返っていた。左上に表示された時刻は、十一時五十七分。
『ああ、そういえば。君の好きな女優が結婚したね。それじゃあまた、夜に』
通話はプツリと切れた。
ため息を吐いて、床に崩れ落ちる。洗い物ができる気分じゃなかった。
テレビを消してベランダに出る。秋の始めの涼しい空気が薄着を通して肌を撫でる。煙草に火をつけると、煙は右側へ流れていった。斜め下の線路を電車が走って行く。
口内に広がる煙草の味は、いつも通り不味い。
昼過ぎのスーパーには子どもを連れた母親が多かった。
買い物カゴに安売りされた缶詰めを投げ込み、適当な野菜を丁寧に置き、六枚切りの食パンを重ねる。メモを確かめつつ、レジへ歩を進める。
「袋、あります」
バーコードを機械に当てながら店員は頷いた。
店員の後ろにある煙草を見、ストックを思い出す。今日は買わなくても良さそうだ。
紙幣を渡し、釣り銭を受け取る。綺麗に詰められたカゴを持って、袋詰めのテーブルに向かう。ちょこまかと走る子どもを避け、母親に浅く会釈する。
防水仕様の袋に入れ替え、スーパーを出る。袋は重く、徒歩で帰る身には辛く感じた。
スーツ姿のお勤め人を見る度に罪悪感を感じる。まるで、働いていないくせに生きている、社会のゴミのように思えてくる。だが、自分の仕事はスーツを着てパソコンを叩くものではないし、昼過ぎに起きても問題がない。罪悪感の必要はない、筈だ。
「夕飯、どうしよ」
思考を切り替える。ああ、そろそろ米を買わないといけない。新米の時期が近いから、小さいやつで良い。
青信号を渡って右に曲がる。
メールの着信音。立ち止まって開くと、今日の仕事場所についてだった。書かれた店名と住所は知らないものだが高級店だろう。だからといって、何も変わらないが。
歩みを再開する。
早めの夕飯を終え、食器を洗う。布巾で拭いて、流しの横に並べる。
クローゼットを開けてワイシャツを取り出す。自然と歌が漏れたのは、今朝の衝撃的なニュースを忘れる為だ。
「あなたはぁ……わたしの、綺麗な思い出ぇ……」
スラックスを履き、ベルトを締める。
「いなくなってもぉ……輝きぃ、続ける……」
ベストを着る。靴下を履く。
「ずっと、幸せでいてぇ……あなたの、幸せがぁ」
ジャケットに手を通す。
「わたしのおぉ…………幸せぇ、だから」
ロングコートと商売道具を取る。
#####
彼の名は、
だが、しかし。それにまつわる血生臭い話は、ここで語るべき話ではない。
#####
帰宅。
時計を見ると九時過ぎ。今日は早く終わった、と若干の嬉しさが込み上げてくる。
「酒盛りだ、酒盛り。いやぁ、良いねぇ、仕事終わりってのは」
嬉々として、冷蔵庫から以前に大量買いしていた缶ビールを出す。プルタブを開けて喉に流し込むと、冷たさが落ちていくのが自覚できた。
____ああ、自分は生きている。
安堵とも、恐怖とも、悲しみとも喜ぶともつかぬ感情が胸に渦巻く。強いて言うならば、哀愁だ。
ビールを飲み干し、ベランダに出る。夜風が身に沁みた。煙草に火をつけると、煙は流されず上に昇っていった。
酒の苦味と煙草の苦味が混ざる。九時の街はまだ煌々と明るく、安っぽい
「……死にたかねぇなァ」
叶わない願望を口にすると同時、電車が眼下を通り過ぎていった。けたたましい走行音は付近の家賃を下げ、住民の安眠を妨害する。だが、慣れてしまえば子守唄に成り下がる。
「死ぬなら、戦場で死にてぇな」
酔いが回ったのだろうか。感傷的な言葉が漏れたが、誰にも聞かれず夜の街へ消えていった。
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