暮らす日々に笑顔があるならそれはきっといい人生に違いない
英 金瓶
赤いきつね
台所から、カタカタカタ!と音を立ててヤカンが騒ぐ。
「湯が沸いとるぞ!」と僕を急かす。
僕はキーを弾く手を止めて、家電量販店でケース買いした赤いきつねを一つ取り、台所へと向かう。
ガス台の
表面のセロハンを
続いて取り出したアルミ色の袋を破き、粉末のつゆを乾麺の上に広げるのだが、ここでひとつ注意したいことがある。
それはアルミ色の袋を破いて開けるとき、決して横向きに破いてはならないということ。
なぜなら、この赤いきつねのつゆの袋は七味の入った袋と
僕は以前、それを知らずに流れに任せて横に破き、湯を注ぐ前の麺に粉末つゆと一緒に七味も一緒にふりかけてしまったことがある。
味はさほど変わりはしないのだろうが、気分的に七味の風味が落ちてしまったようで、僕はとても残念な気がした。
それからは、このアルミ色の袋は必ず縦に破くよう注意を払っている。
そうして開けた袋の中身を乾麺の上に広げ、それからお揚げさんをかぶせるように元に戻す。
この時も僕にはこだわりがあって、お揚げさんには申し訳ないがなるべく奥へと詰めてもらう。
それはなぜかと言うと、この後訪れるスペシャルゲストに、少しでもゆとりあるスペースで憩いの時間をともに過ごしていただきたいからだ。
僕はそうしてスペシャルゲストを迎え入れる準備を整えて、次の工程へと進む。
ガス台の炎を再度MAX強め、ヤカン軍曹には再び興奮状態へと奮起してもらう。
そしていよいよスペシャルゲストの登場。
冷蔵庫から招待されたスペシャルゲストの玉子さんの殻を割り、お揚げさんに無理言って空けてもらったスペースへとそっと案内をする。
「……よし!」
僕はベストなポジションに降り立った玉子さんに異変がないかと静かに見守り確認すると、いよいよ本工程のクライマックスを迎えるため奮起したヤカン軍曹へと手を伸ばす。
これでもかというほどに激しく奮起し続けたヤカン軍曹は、炎からその身を離すと途端にテンションが下がり落ち着きを取り戻し始めた。
僕は軍曹の口元を玉子さんの真上に近づけ、徐々にその身を
激しく湯気を放ち、やがてその口から溢れ出る熱湯。
僕はその熱湯を、玉子さんの白身部分にのみ充てるように、黄身の周りを回しながらゆっくりと注いでいく。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
慌てずに、焦らずに……。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
それはまるで、世界一のバリスタがコーヒー豆に敬意を払いお湯を注ぐように……。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
慎重に、丁寧に……。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
やがて、立ち
それが、僕の
僕は玉子さんの分お湯を少し多めに注ぎ、最後に赤いパッケージを下ろしてヤカン軍曹の尻をアイロンのようにあて、一片の旨味も逃がさぬよう赤いきつねに封印をした。
そして5分。
この5分こそ、僕の人生において最も長い5分だ。
しかし、この5分間があるからこそ、僕を至極の
この
あと3分。
胃袋が「そろそろではないのか?」とザワつき始めた。
あと1分。
今か今かと
ピピピッ!ピピピッ!ピピピッ!
そして時は満ちた。
今、
満を持して赤い封印を解くと、パッケージの裏側で待ち構えていた
挑発された食欲を抱え、僕はそれに応えるように小鼻を膨らませて立ち昇った湯気を逃すことなく吸い込む。
ス――――ッ!ハァ―――――ッ。
「良き、香り……。」
僕はいつも、この香りに郷愁を感じてしまう。
箸を取り、手を合わせて今日の赤いきつねに感謝を告げる。
「いただきます!」
その合図を皮切りに、僕は儀式化された動作を行う。
まずはお揚げさんを二~三回箸の背で押し、汁に沈める。
こうすることによって、お揚げさんの下に
そうしてつゆの色が濃くなり始めた頃、僕はまず出汁を一口啜って、胃袋の受け入れ態勢を整えることにしている。
白い湯気を掻き分け
僕はその熱を警戒してフー、フー、と冷ましながら、恐る恐る出汁を吸い込む。
ズズズズズッ。
「あちっ!」
予想通り出汁は熱々。
それでも耐えながら熱々の出汁を口に含むと、その熱はやがて口いっぱいの温もりへと変化し、徐々に出汁の
僕は、コクリとそれを喉の奥へと追いやって、
「あ~……。」
続いて箸を
僕はこの時いつも、麺とつゆが絡み合って美味しくなっていくのを自然と想像してしまうんだ。
やがて麺とつゆがいい
立ち昇る湯気とともに、白き龍の如く舞い上がる麺。
僕はその麺を貪欲に頬張る。
フー、フー、ズルズルズルッ!
熱っ!
熱い‼ けど旨い‼‼
熱さに耐えながら、滑らかな舌触りの麺を口の中でハフハフと転がす。
まさに至福の喜び。
こうして僕は、
そうして額にじんわりと汗が
二つ折りにしておいたお揚げさんを箸で浮かせ、口を寄せて「はむ!」と咥える。
ジュワッと溢れた甘いつゆが口の中いっぱいに広がった。
「ん―――――っ‼」
言葉では、言いあらわせない幸福感。
いま僕は、この上ない笑顔で笑っているに違いない。
これこそが、赤いきつねの醍醐味だ!
こうして一口だけお揚げさんを楽しむと、僕は再び麺に箸を進める。
麺、かやく、麺、かやく、麺、麺、麺……時々つゆ。
やがて麺をすべて食べ終えると、僕の丼には三分の二のお揚げさんと半分ほどのつゆ。
そして未だ手つかずの玉子さんが残る。
さぁ!ここからが、次なる
僕は台所に行き、茶碗半分の
それを丼にポチャンと落とすと、スプーンの背でほぐすように
十分に丼に広がったら、まずは一口、そのままスプーンで掬いあげて口の中に「はむ!」
ん~!旨い‼
これもまた、赤いきつねあっての至福の
僕はそれを、もう一口、もう一口と、
そうしてあと二口ほどまでになったら、今度はスプーンを再び箸に持ち替えて、三分の二のお揚げさんでご飯を包んで持ち上げる。
そう!朝飯の時、海苔でよくやるあれだ!
僕はそれを、つゆを
「あ~!旨い!たまらん‼」
白飯の旨味が、甘いつゆの波に乗って押し寄せてきた。
僕はこれを、赤いきつねの裏醍醐味と呼ぶ。
そしていよいよ、憩いの時間は最高潮の
僕は
さあ!玉子さん!出番です‼
熱湯の余熱でトロ~ッと仕上がった黄身と、かき集めた米粒たち。
僕は、それらすべてを汁と一緒に一気に掻っ込んだ。
これこそまさに集大成。
出汁の旨味、白飯の旨味と間髪入れずに押し寄せて、それらすべてをプチッと弾けた玉子さんが包み込み、僕の口の中いっぱいに広がっていく。
こうして僕の最後の一口は、まろやかな味わいで幕を閉じた。
あ~……シ・ア・ワ・セ……♡。
僕はしばらくの間、その余韻に浸っていた。
「はぁ~……ごちそうさまでした。」
そして再び手を合わせ、赤いきつねと玉子さんに感謝の意を告げた。
美味しかった……。
今日も赤いきつねに満たされた。
赤いきつねは、いつも旨い。
裏切ることなく旨い。
そしてこの食べ方も、裏切ることなくいつも旨い。
この食べ方は、僕の父親だった
僕は食べ終えると、いつもあの
幼き日の、
『
『わーい!』
『ほーら、玉子さんも入ってるぞ。熱いから気を付けてな。』
『うん!いただきま~す!』
そうしてあの
僕は、湯気の向こうで見守ってくれていた温かなあの笑顔が大好きだった。
暮らす日々に笑顔があるならそれはきっといい人生に違いない 英 金瓶 @hanabusakinpei
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