狗藤威吹⑧

「無音、まだ俺が心配かい?」


 見かけ上は大して変わっていない。

 強いて言うなら暴走して以降、力を使うと浮かび上がる涙のような痣がより色濃くなったぐらいだ。

 しかし、その力は先ほどまでとは文字通り次元が違う。

 一般人の目で見ても明らかな変化。仮にも天職妖怪と診断された男が気付かないわけがない。


「……いや。僕の出る幕はなさそうだ。

まあ、個人的な願望を言って良いならあの蜥蜴を殴りたい気持ちもあるけど威吹に譲るよ」


 その言葉を受け、威吹も蒼窮の結界を解除する。


「無音に殴られても肉球の感触で和んじゃうんじゃない?」

「クッ……可愛いワンちゃんなのがここで仇になったか」

「可愛い……?」

「可愛いだろ――っと、僕のことは良いんだよ」


 ニヤリと無音の顔が愉悦に歪む。


「あそこでビビってどうしようか考えてる蜥蜴の相手をしてあげなよ」

「ああ、そうだね。その通りだ」


 ヘラヘラと薄笑いを浮かべ、威吹は語り掛ける。

 よう、随分と無口になったじゃないかと。


〈……〉


 見下ろしているはずの龍神の表情からは当初の余裕が消え失せ。

 見上げているはずの威吹の表情には最初から余裕があった。

 誰の目にもその力関係は明らかだろう。


「だんまりは寂しい――ね……んん?」


 ふと威吹の中でバラバラに転がっていたものが、繋がった。

 いや、繋がってしまったと言うべきか。

 途端、威吹の表情が何とも言えないものに変わる。


「あー……いや、そうか。そういうことだったのか」


 もしそうなら。いや違う、そうなのだ。

 材料を全て繋ぎ合せてしまえば、そうとしかならない。


「う、うわぁ……」


 ノリノリでバカにして、ノリノリで大妖怪になったが――気付いてしまったのだ。

 龍神の願いと、龍神を取り巻く環境に。


「?……威吹、どうしたのさ」

「いや……何つーか、急に馬鹿馬鹿しくなって来たって言うか」

「は? まさか見逃すってのかい? この害獣を?」


 無音が信じられないと目を見開く。


「害獣、ね。多分それは人間に迷惑をかけてるって意味で言ってるんだろうけど」


 龍神を放置したところで無音が危惧するようなことは一切ない。

 そう断言するが、無音は納得がいかない御様子。

 しょうがないかと、諭すように威吹は渋々説明を始める。


「無音、この龍神様はね。時代に適合出来なかった哀れな蜥蜴さんなんだよ」

〈~~~~!!!?! 黙れぇええええええええええええええええええええええええ!!!!!!〉


 叫びと共に攻撃が飛んで来るが、無視して語り始める。


「河川か山か。どちらかは知らないけど元々は名のある土地で祀られていた神だったんだと思う」

「元々この山の神様やってたんじゃないの?」

「ああ。よく考えたら龍神って言えば水神や海神だろ。この山にも川は流れてるけど……」


 龍神の力に反してこの山はあまりにも小さ過ぎる。

 仮に昔から神をやっていたのならば周辺地域もかなり栄えていたはずだ。

 だから元は別の場所で神であったと考えるのが自然だろう。


「じゃあ何でこの山の神様やってるのさ」

「そこだよ。そこに考えが及んでなかったんだよ」


 元居た場所では多くの人間に崇め奉られ、時に人の傲慢を天災という形で諌めつつ多くの実りを齎していたのだろう。

 だが時代と共に信仰は薄れ、人々は龍神を忘れていった。


「それでも信心深い者らは一定数居て龍神様を敬ってたんだろうけど」


 それも長くは続かなかった。

 現実世界と幻想世界。

 両立出来ぬ概念を一つ所に置いておけば繁栄が阻害されてしまうと、世界がその身を二つに分かったのだ。


「一応、昭和初期までは現実と神秘は完全に訣別していなかったらしいけど……」


 龍神は無理だ。

 力の大きさを考えるに早期にあちら側へ放逐されてしまったと推測出来る。


「世界が分かたれても自由に行き来出来るから戻ることも出来たんだろうが、まあ無理だわな」


 龍神の願いは人々に畏れ敬われる神で在り続けること。

 ただ戻るだけでは意味がないのだ。


「時代の流れは残酷だねえ」


 諸外国ならばともかく、日本は特にそう。

 戦争、敗戦、復興。

 目まぐるしく動く時代の中で日本人の信仰心は加速度的に失われていった。


「天照大御神ぐらいのネームバリューと、それを活かせる頭があったなら話は変わってたかもしれないが」


 所詮は無いものねだりだ。

 龍神にあるのは力だけ。

 時代の流れを覆し新たに信仰の土壌を作りあげるなぞ、どだい無理な話だ。

 結局、龍神は僅かな信仰を護ることも出来ず幻想の日ノ本に沈むことしか出来なかった。


「だから同情してやれって? 冗談じゃない!!」

「まま、落ち着きなさいよ。そうじゃない。話はまだ途中だよ――っと」


 龍神が無差別に振り撒く破壊を悉く無力化しながら続ける。


「うじうじ引き篭もることしか出来ない龍神だが、ある時転機が訪れる」


 幻想世界で起きた大戦争だ。

 戦争を契機に幻想と現実は正式な交流を持つようになった。

 龍神はそこに光明を見出したのだが、


「他所の国は知らんけど、うちの国の御偉方は交渉相手に大妖怪を選んだ」


 日本という国の背景を考えるなら天照を筆頭とする高天原の神々が一番適任なのだろう。

 が、彼らは半ばもう人に見切りをつけている。

 良いように表現するなら子離れを果たしているといったところか。

 今でも熱心に信仰している一握りの者に時たま関わるぐらいでそれ以外は一切ノータッチというのが天照らのスタンスだ。


「何故だ? 八百万の神なんて言葉があるぐらいだ。高天原の天津神以外にも神は居るぞ?」


 龍神もその内の一柱だ。

 何故、彼らが選ばれず大妖怪が選ばれた?

 色々理由はあるが敢えて一つ挙げるなら、


「おたくらが何時までも過去の栄光を忘れられない老害だから」


 これに尽きる。


「対等であってはいけない。見下すなど以ての外。

人は神を見上げる存在でなければいけない。人は神に縋る弱く脆い存在でなければいけない。

――――誰がそんな面倒臭い奴の相手をしたがる?」


 だから大妖怪が選ばれた。

 彼らも神と同様に人を見下して居るが、同時に認めても居る。

 人に退治される側に居たからこそ、その輝きを知っているのだ。

 万人に宿るわけではない。だが、どんな時代であろうと絶えたことはないと知っている。

 大妖怪は人が紡ぐ歴史の価値を認めている、ゆえに人もまた彼らを選んだのだ。

 そしてそれは正解だった。

 過度な干渉を行わず人の世が今も続いていることがその証明だ。


「……無視されたのか」


 無音の呟きに龍神は目を血走らせ、叫ぶ。

 黙れ! そのような目で儂を見るな!! と。


「ンフフフ、無音も言うねえ。ああそうさ。無視されたのさ。論外だとね。

だが龍神は諦めなかった。混沌極まる時代だったからね。付け入る隙があると判断したんだ」


 第二次大戦期も混沌としてはいたが、あれは安定に向かう流れでもあった。

 一歩踏み外せば世界の終わりまで真っ逆さまな暗黒期とは違う。


「世界を渡り現世に舞い戻った龍神様はまず足場を整えようと考えたんだろう」


 龍神が人を見下していると言っても、馬鹿ではない。

 大暴れして威を示すような真似をすれば袋叩きに遭うことぐらい分かっていた。


「それがこの山で、選ばれたのが……」

「そう、後に村を作る逃亡者の集団だ」


 ここを足がかりに信仰を広めようとしたのだ。

 と、そこで無音が口を挟む。


「あんなやり方で?」

「人間の価値観で考えちゃいけないよ」


 龍神からすれば人が犯した数々の大逆に対する正当な罰を与えただけ。

 正しい行いで、恥じ入るようなことは一切ないのだ。


「……納得は出来ないけど理解はしたよ。

でも、信仰を広めるって割りには……どうなの? 全然広まってないじゃん」


 それなりに大きな山ではあるが、名だたる霊峰などとは比べるべくもない。

 村の規模もそう。山深くにある村としては大きなものではあるが、村の域は出ていない。


「威吹と志乃さんに壊されるまでの間、何やってたのさ」

〈黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙――――ッッ!?〉


 龍神を時の鎖で縛り付ける。

 効かない攻撃を無力化し続けるのは楽な作業だが、いい加減喧しかった。


「無音の疑問に答えよう――――龍神は最初の時点で躓いてたんだよ」


 大妖怪クラスでないとどうにか出来ない龍神。

 そんなものが現世に紛れ込んだのだ。

 情報が流れて来るのは当然で、警戒をするのは自然な流れ。


「自分で選んだつもりだったんだろう。でも違った。誘導されたんだよ、この箱庭やまにね」


 そして政府はそこに生贄を送り込んだ。


「そう、件の逃亡者集団のことだ」


 それが箱庭を完成させるための最後のパーツだった。

 そして目論み通り、龍神は自身を崇めさせるシステムを作り上げた。


「どうしてそんなことを……」

「当時の時代背景を考えてみなよ」


 適材適所を徹底していた時代。

 裏の人間であろうと無駄なことに動かせる余裕はなかったはずだ。


「この龍神様を駆除しようと思ったら……さてどれだけの犠牲が出たことか」


 最低でも大妖怪の領域に足を踏み入れねば戦いにすらならないような相手だ。

 人間だけで退治しようと思ったら相応の犠牲を払わねばならない。

 交流のある大妖怪の手を借りる。

 或いは普通の妖怪に取引を持ちかけ数を揃える。

 そのような手段も取れなくはないが、情勢的に難しい。

 前者は交渉相手として神よりマシと言うだけで別に好物件というわけではないのだ。

 下手に借りを作りたくはない。普通の妖怪にしてもそう。

 龍神討伐で皆死んでくれるのなら良いが、生き残って下手に発言権を増されても困る。

 無論、いざと言う時は形振り構わないだろうが、戦うのはあくまで最終手段。


「だから箱庭をくれてやった」


 初期投資の人間にしたって社会に馴染めず逃げ出した者らだ。

 損ではあるが、そこまで重くもない。


「これぐらいなら許容範囲だろう――ってね」

〈~~~~!!!!!!!!!!〉


 身じろぎ一つ出来ず、表情も変えられず。

 それでも龍神は叫んでいた。

 このリアクションを見るに、自分の想像は間違いではなかったようだ。


「信仰が広まらないのは当たり前だ。

初期投資に使った以上の人的資源が注ぎ込まれないように水際でカットされてんだもん」


 龍神も途中でおかしいと思ったはずだ。

 当時の社会に馴染めない人間にとって自分の住まう山は正しく楽園。

 なのに全然人が増えないのだから、普通はおかしいと気付く。


「だが、気付いたところで意味はない。もう手遅れだ」


 怒りのままに山を出て暴れることさえ出来ない。

 それは村を自ら手放すということだから。

 真実は人間の思惑で作られた小さな箱庭なのかもしれない。

 だが龍神にとっては小さくとも再度、手に入れることが出来た在るべき理想の世界なのだ。

 手放してしまえば、もう二度とは手に入らないと分かっているだけに捨てることは決して出来やしない。


「……この話の何が笑えるかってさ。

交渉の末にこういう形になったとかじゃなく、人間の一方的な通告なんだよ」


 龍神は厄介な相手だ。

 しかし、本当に面倒なことになるのであれば駆除してしまえば良い。

 人間にとって龍神とは“その程度”の存在なのだ。

 だから話し合いなどは行わず一方的に境界線を押し付けた。

 そして龍神はそれを呑まざるを得なかった。

 旧き時代の神と人の在り方に固執する龍神にとってはどれほどの屈辱だったことか。


「だからこそ俺と志乃が許せなかったんだろうな」


 生贄がたった一人、逃げ出しただけ? 否、それは違う。

 最後に残された小さな小さな楽園。

 龍神にとってその重みは世界そのものと比肩し得るものだ。

 そこでは一切の瑕疵なく神と人の営みが続かねばならない。

 万が一などあってはならないのだ。

 その万が一を起こしたのが人外の者ならば、まだ自制も利いただろう。

 だがやったのは人間。矮小極まる人間の子供二人。

 発狂し、自分で楽園を破壊するほど怒ってしまうのも無理はない。


「志乃はさっさと成仏しちゃったし、俺も何だかんだ生き残った。

おたくからすれば踏んだり蹴ったりだよなあ――――でも、酷いのはここからだ」


「ここからって……もう何もないでしょ」

「いや、あるんだなこれが。順序立てて説明しよう」


 今直ぐ口を塞ぎたいのだろう。

 龍神が必死に抵抗しているが、時の鎖は小揺るぎもしない。

 本気で縛ったわけではないが仮にも理である時間の束縛だ。生半なことでは壊れない。


「龍神はもう、ここから動けない。何故か分かるかい?」

「え? いやもう何もないんだし――――あ」

「気付いたか。あるんだよ、ほんの僅かだけど残っているものが」


 自ら楽園を壊してしまったが、何もかもが消えてしまったわけではない。

 今目の前に広がる地獄絵図がそれだ。

 これが楽園の残滓。唯一の慰め。

 信者であり、神への大逆を贖う咎人でもある彼らがまだ存在する。

 燃え尽きた後の灰を未練がましく握り締めているようなものだが、捨てられないものは捨てられない。


「これで山を完全封鎖したなら、それは龍神を“封じ込めた”と言えなくもないか?」


 厄介極まる荒神を狡知を凝らして山に封印した。

 卑劣極まる手によって封印されてしまったと言い換えることも出来る。


「それならまあ、神としての面目も立たなくはないが……」

「……僕、普通に毎年、山に来てた」

「そう。わざわざこんな山に立ち入る者が居ないから放置した? いや違う」


 思い出して欲しい。

 麓で交わした威吹と無音の会話を。威吹はこの山を“買った”のだ。


「山は普通に売りに出されてた。これはどういうことだ?」


 暗黒時代と違って、今ではわざわざ集団で山に集落を作るようなことはまずない。

 特に有名でもないこの山に登山や山菜取りで入るとしても年間で十人も居れば多い方だ。

 その程度ならば、別段龍神に殺されたところで何ら問題はない。

 年間何万人も死んでいるのだから誤差だ誤差。


「どうせ動けやしないだろうが、万が一ということもある。

十人程度ならご機嫌取りになるかもしれないし“くれてやっても”構わない。

だがそれで欲が出て分を弁えないような行動に出るなら――日本政府はそういうスタンスなんだよ」


 酷い死体蹴りだ。

 いや、日本政府も別に悪意を持ってやっているわけではない。

 ただ淡々と必要な対処をしているだけ。それだけに、より残酷と言えなくもないが。


(つーか……村が潰れた後の対応については見知った悪者の影がチラつくんだよなあ)


 具体的には九本ぐらい尻尾が生えてる悪者だ。

 日本政府にそうと悟られることなく的確に尊厳を踏み躙る手を打たせるぐらいは平気でする。


「じゃあ、僕が毎年つつがなく墓参りを終えられたのは……」

「気付いていたからだろうね」


 もし、無音をどうにかしてしまえば人間から施しを“憐れみ”を受け取ったことになってしまう。

 だから村が潰れて以降、この山で死んだ人間は居ないはずだ。


「その上で思い出して欲しい」

「…………まだ、何かあるの?」


 無音は当初と比べ、随分と落ち着いていた。

 怒りもあるのだろうが、話を聞く内に憐憫の情も強くなったのだろう。

 無理もない。この龍神の尊厳は最早、見る影もないほどズタボロになっているのだから。


「最初に龍神が俺らの前に現れた時、何て言った?」

「え? 確か……」

「“思い出した。不敬にも儂への供物を横から掠め取った赦し難き盗人の臭いぞ”――そう言ったんだよ」


 あ、と無音が口元に手を当てる。


「怨み骨髄どころじゃない相手を忘れると思う?

しかも、怒りの理由が供物を横から掠め取った? 違う、違うだろう」


 龍神は威吹のことを忘れていなかったはずだ。

 怒りの理由はもっと複雑で根深いもののはずだ。

 なのに、あんなことを口にした。


「虚勢だ。なけなしの矜持を振り絞って“ありもしない”神としての威光を俺たちに示そうとしたのさ」

「うわぁ……」

「な? 分かるだろ? これに怨み辛みを抱けってのが無茶な話だ」


 力については申し分ない。

 酒呑を除けばこれまで戦った中で最上位に位置する。

 だが、中身については藁のように殺された有象無象の人間にすら劣る歴代最下位。

 正直、かつてないほどやる気が出ない。

 何ならまだ画廊の下っ端を相手にしていた時の方が楽しいぐらいだ。


「気の毒過ぎて何も言えないよ」

〈――――止めろ〉

「お?」


 聞こえるはずのない声が聞こえ、僅かに目を見開く。


〈止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろヤメロヤメロヤメロヤメロ……〉


 そして次の瞬間、


〈そんな目で儂を見るな……わ、儂を憐れむなァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!〉


 時の鎖が砕け散った。


「アイツ……ってええ!? 威吹、アイツ逃げたよ?!」


 嵐を巻き起こし、いざ開戦かと思われたが龍神が山から飛び去ってしまった。

 一瞬、呆気に取られる威吹だったが直ぐに龍神の意図に気付き口元を歪める。


「違う」

「え」


 零どころかマイナスに突入していたモチベーションが徐々に徐々に沸き始める。


「何だ、やれば出来るじゃん」

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