狗藤威吹⑦

 存在感に満ち満ちた厳かな声が山に響く。


〈獣だ。薄汚い獣の臭い……いや、違う。それだけではない〉


 降り注ぐ神威は化け物にとっては毒にしかならない。

 自分はともかく、無音は放って置いたらやばいと判断した威吹は結界を展開する。


〈覚えがある。何時であったか。何だったか。誰だったか。〉


 金色の縦に裂けた巨大な瞳が虚空に浮かび上がる。

 瞳はギョロギョロと忙しなく動き回り、やがて威吹を捉えた。


〈思い出した。不敬にも儂への供物を横から掠め取った赦し難き盗人の臭いぞ〉

「子供のやったことだ。笑って流せよ。ちっちぇ神様だなあ」

〈不遜!!!!〉


 無音を巻き込まぬよう突き飛ばし天から放たれた雷をその身で受け止める。

 雷そのものの威力もさることながら、そこに込められた神気が毒のように肉体を蝕む。


「やっぱりちっちゃい!!」


 ぐずぐずと焼け爛れた肉を修復しながら笑う。

 大概は即座に再生するのだが神気の影響か、妙に遅い。


〈……?〉


 何やら不思議そうな御様子。まあ、大体の察しはつく。

 気付いたのだろう。あれ? コイツ確か人間じゃなかったか? と。

 最初に気付けよ、と思うかもしれないがそこはそれ。

 寝こけていた蜥蜴に察しの良さを期待するのは酷だろう。


「……威吹、あれは……」

「話に出て来た龍神様だよ」


 一つ確かめたいことがあったと言うのはこれ。

 世界が広がった今だからこそ、思ったのだ。

 ひょっとして例の龍神とやらも実在していたのでは? と。

 それで確かめてみようと思ったのだが、別にこれは因縁に絡んでのことではない。単純な好奇心だ。


「そして、この惨状を作り出した元凶でもあるね」


 囚われた霊魂たちを見渡し、口元を歪める。


「は?」


 と無音が間抜け面を晒す。

 まがりなりにも神と呼ばれる存在がこの地獄絵図を作り出していると言うのが理解出来ないのだろう。

 生贄求めてる時点で悪神じゃね? と思うかもしれないが、そこはそれ。

 神が生贄を求めるのは太古の時代より行われて来たことなのでギリセーフと言えなくもない。

 が、この酸鼻極まる光景はアウトだ。

 例え正当なる憎悪の下に行われているのだとしても、神が見過ごして良いものではない。

 どういうことだ? と目で訴える無音に向け、威吹は説明を始める。


「平穏を約束するとは言ったが死後のことまで保証するとは言ってないってか? ウケる」


 村人たちを捕らえているのは膨れ上がった子供たちの怨念であり龍神本人ではない。

 だが、その怨念を掻き立てたのは他ならぬ龍神である。


「殺した子供の霊魂を飴玉のように舌で転がしながら、幸せそうな村人を見せ付け囁くのさ」


 憎いだろう? と。

 許せぬだろう? と。

 お前の人生は何だったんだろうな? と。


「そうして子供は龍神と村人への憎悪で染め上げられ怨霊に成り果てるんだ」


 だけど嗚呼、悲しいかな。

 怨霊に成り果てようとも龍神はどうしようもない。


「村人もそう。存命中は龍神の加護に護られているから手の出しようがない」


 だが、死ねばその限りではない。

 加護のお陰で病にも事故にも遭わず満ち足りた生涯を全うしたその直後だ。

 死したその瞬間に、子供たちの怨霊は牙を剥く。

 極楽のような生から一転、地獄のような死後が始まるのだ。

 が、子供たちの気も決して晴れはしない。元凶たる龍神には手を出せないからだ。

 ゆえにその魂が成仏することはなく、永遠の苦痛を強いられる。

 そんな彼らの阿鼻叫喚を愉しみながら龍神は微睡み続けていた。


「……く、腐ってやがる。何が龍神だ!? ただの糞蜥蜴じゃないか!!!!」


 趣味の悪い子守唄の意味を知った無音が、軽蔑も露にそう吐き捨てた。


〈儂を侮辱するか!!!!〉


 今度は無音へ向け雷が降り注ぐ。

 威吹はそれに“全力”の攻撃をぶつけ相殺し、無音を護った。


「沸点低いねえ。足りてなくない? カルシウム」


 小馬鹿にするような物言いで殺意が更に深く大きくなったのが分かった。

 龍神は嗤う。思い上がったな小僧と。


〈少しばかり人から外れた程度で愚かなものよ。木っ端の“妖怪”風情が神に及ぶと思うてか?〉

「ンフフフ」

〈何がおかしい!?〉

「いや」


 仰る通りだ。

 やってることを振り返れば龍神は小物のそれだが、その力に嘘はない。

 どこか覚えのある臭いもするし、血統と積み重ねた時間の賜物だろう。

 現状の彼我の実力差は絶望的なまでに開いている。

 逆立ちしたって勝てはしない。それはその通り。否定のしようがない。

 その通りなのだが、


「人間の子供に“出し抜かれた”蜥蜴に思い上がったとか言われても説得力ないよ」


 断言しよう。志乃は何も知らなかった。

 生贄に捧げられることは知っていたが龍神が実在するなどとは思ってもいなかっただろう。

 だが、結果として彼女は――九つの童女は龍神を出し抜いた。

 出し抜き、人間としての生を全うし散華した。


「大方、儀式の手順に沿って殺さなきゃ魂がそっちにいかない仕組みににでもなってたんだろ?」


 だから、見逃してしまった。

 神罰が下ったタイミングを考えると、大方寝こけていたのだろう。


「捧げられるはずだった小娘に出し抜かれただけでも間抜けだが」


 傑作なのはその後だ。


「挙句、屈辱で癇癪起こして自分で何もかも台無しにしちゃうんだからさぁ。

ンフ……ンフフフ! ッハハハハハハハハハハハハハ! 間抜けも極まり過ぎだろう!?

糞蜥蜴? とんでもない! こんな愉快な蜥蜴そうそう居やしない!!」


 あの山崩れで皆が死に、この山にはもう誰も居ない。

 二度と生贄が捧げられることはない――龍神は自らへの信仰をその手で破壊してしまったのだ。


「ふぅ……そのザマでよくもまあ……ンフ……大物ぶれるよね? 面白過ぎて腹筋捻じ切れるわ。

あ、ひょっとして復讐? 山崩れじゃ殺せなかったから腹筋捻じ切って殺すとかそういうアレ?

参ったな。発想で負けた。流石は蜥蜴。人間様じゃとても思いつかない愉快な殺し方だよ」


〈貴様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!〉


 殺意が乗った颶風が吹き付ける。

 全身を切り刻まれながらも笑顔を崩さない威吹に対し、龍神は遂に姿を現す。


〈大逆、ここに極まれり!!! 最早、一片の慈悲さえ貴様には与えぬ!!!!!〉


 山を丸々巻き込んでも尚、有り余る巨体から放たれる神威が全身を貫く。

 妖怪からすれば放射線にも等しいそれを浴びながらも、やはり威吹は笑っている。


「まるであんたに寛容さがあったかのような口ぶりじゃないか。つくづくギャグセンたけーなオイ」


 なあ? と無音に話を振るが、どうも彼はそれどころじゃないらしい。


「威吹! やるなら僕も戦う! だからこの刀をどっかやってくれ!!」


 足元に突き刺さりドーム状の結界を張る蒼窮を指差し無音が叫ぶ。

 龍神が姿を現す寸前に無音を守護するために威吹が放ったのだが、どうやら邪魔らしい。


「いや……流石にね? 友達をこんな安い喧嘩に巻き込むのは俺も気が引けるって言うかー?」

「冗談言ってる場合か! 僕が居たところで意味なんかないだろうけど、君一人じゃもっと……!!」


 心配してくれるのは嬉しい。

 が、威吹からすればそれは無用の心配だ。

 強がりを言っているわけではない。


〈無駄だ! 貴様も、そこな小僧も逃がしはせん!! 魂魄まで焼き尽くしてく――――ぬぅ!?〉


 威吹の態度を見て友を庇おうとしているとでも勘違いしたのだろう。

 ここに来て初めて喜色を滲ませながら囀るも……気付いてしまった。


「今の俺では、ただの“妖怪”では自称龍神に勝てない。ああ、それは事実だ」


 龍神の顕現に伴い荒れていた大気が嘘のように沈静化した。

 凪いだ空気の中、威吹は薄笑いを浮かべたまま語る。


「なら、なってしまえば良い」


 世界が大きく軋みを上げた次の瞬間、


「――――“大妖怪”に」


 狗藤威吹という人間/妖怪が根本から生まれ変わっていく。

 ちょっとそこまで散歩に行くかのような気軽さで威吹は“大妖怪”へと至ろうとしている。

 そんな馬鹿なと思う者も居るかもしれない。

 だが、その者らも今の目に見えて存在感の違う威吹を見れば理解せざるを得ない。


〈ば……ばか、な……〉


 龍神が慄くのも無理はない。

 例えどれだけ才気に溢れていても、なろうと思ってなれるような存在ではないのだ。

 だが威吹は事も無げに成し遂げようとしている。

 それは何故か? 簡単だ。

 大妖怪へと至る扉の鍵を威吹は既に持っていたのだ。


〈グッ……ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!〉


 咆哮と共に再度大気が荒れ出す。

 雨が、風が、雷が降り注ぎ、吹き荒び、猛り狂う。

 その殺意は余すことなく威吹へと放たれた――が。

 大地を穿ち地中深く貫く雨も。

 列島を両断する狂風も。

 山を灰燼と化して尚、余りある雷も。

 威吹の身体から噴出した闇に悉く吸い込まれていった。


「俺が口にするのも滑稽な話だが、これも因果応報って言うべきなのかねえ」


 ニタァ、と邪悪に歪んだ口元からせせら笑いが漏れ出す。


〈グ……ヌゥ……! 何が言いたい!?〉

「志乃さ」


 全ては六年前のあの日に帰結する。

 当時は、分からなかった。

 幼さや事件から間もないということもあって、上手くそれを形に出来なかった。

 だが答えを得たのはあの瞬間、志乃の命が失われた正にその時だった。


「あの日、志乃を手にかけた時にふと気付いたんだ」


 有史以来、人間は多くの壁にぶつかって来た。

 そしてその度に壁を乗り越えその向こうにあるものを手にし続けて来た。

 かつては何も持っていなかった人間が、今はどうだ? 多くの実りを手にしている。

 世界を焼く炎。星の海を往く技術。

 かつては神域にあったものでさえ人は己の領域にまで引き摺り落としてみせた。


「人間には“どうにもならない”ものがあるんだって」


 今までがそうであったように、人類はこの先も進み続ける。

 幾度壁にぶつかろうともそれを乗り越え貪欲に先へ先へと。

 人類という種が絶えぬ限り、その歩みが止まることはない。

 ――――だが、どれだけ時を経ても乗り越えることが出来ないものもある。


「その“どうにもならない”ものこそが俺という存在の核だった」


 例えばそれは死であったり。

 例えばそれは時間であったり。

 例えばそれは闇であったり。

 永遠の果てであろうとも決して人間には侵せないものがあると威吹は悟った。

 そんなこと、誰でも知っているって? ああ、それはそうだろう。

 死など一番分かり易い。人が何時か死ぬなんて子供でも知っている。


 しかし、それを直視し続けられる人間がどこに居る?


 死を例に続けよう。

 死を想えなどと言うが絶えず死を見つめ続けることが出来る人間がどれだけ居る?

 常人がそんなことをしようものなら早晩、狂ってしまう。

 だがそれは当然のこと。何もおかしくはない。

 狂えず途方もない熱量で見つめ続けてしまうような人種だけが次のステージへ堕ちて行くのだ。


「間抜けな話だよな」


 だが、進む先は共通ではない。

 共通しているのは終点に辿り着くと同時に人でなくなるということだけ。

 堕ちた者らは灯火を頼りにそれぞれの答えが待つ道へと進んで行く。

 灯火の名は――――“感情”。人間の原動力そのもの。


「限定的にとは言え時間なんてものを操れた時点で気付いても良さそうだったのにね」


 威吹が“どうにもならぬ”ものを憤怒や憎悪などを滾らせ見つめていたのなら。

 鬼か、狐か、天狗か、もしくは別の種か。

 “人間”の妖怪などとは違う純正の化け物へと変じていただろう。

 ネガティブな感情と共に諦めを踏破した者が行き着く先は化け物以外にはあり得ない。


 威吹が“どうにもならぬ”ものを愛や哀しみなどを湛え見つめていたのなら。

 メシアか覚者か、或いは別の、もしくは新たな冠か。

 死の先に救済を見出した聖なる逸脱者へと転じていただろう。

 ポジティブな感情と共に答えに至った彼らは人に近しく、だが絶対的に人足り得ない存在だ。

 どうにもならぬものを超えてしまった時点で、人は人足る資格を失ってしまうから。


「自分のことほどよく分からないとは言うが……いやはや、恥ずかしい」


 では狗藤威吹が掲げる灯火は如何なるものか。

 怒りか? 憎しみか? 愛か? 哀しみか? 否、どれでもない。

 威吹はそもそも、灯火さえ持ち合わせていないのだ。

 ポジティブな感情も、ネガティブな感情も持たぬまま堕ちて行った。

 感情が――心がないと言うことか? 否、それは違う。

 単純にフィルターを挟まず、ありのままの形をその瞳に映しただけ。

 ポジティブでもネガティブでもなくニュートラルなのだ。


 怒りであれ憎しみであれ愛であれ哀しみであれ。

 ベクトルは違えど根源にあるものは祈り――つまりは願望だ。

 こうしたい、ああしたい、そうあって欲しいというフィルターを通す以上、実像からは歪んでしまう。

 しかし、威吹にはそれがない。

 確かに喪失の哀しみが切っ掛けだった。

 だが永遠の別離を哀しめど、だからと言ってどうにもならぬものをどうこうしようとは思わなかった。


 諦め? いや違う。

 諦観もまた、実像を歪ませるフィルターだ。

 威吹はただただ純粋なのだ。

 どうにもならぬものを真正面から見つめ続けているだけ。

 そういうものなのだと、どこまでも純粋に。

 だが、どこまでもフラットな威吹では純正の化け物にも聖なる逸脱者にもなれない。

 彼らはどうにもならぬものの先を目指したのだから、根本からして違うのだ。

 だが普通の人間でも居られない。

 そうするには、あまりにも外れ過ぎてしまったから。

 では威吹は何になる? どこへ至った?

 その答えは最初から示されている――“人間”の大妖怪だ


「ところで……良いのかい?」


 踏破しようとは微塵も思わず、かと言って見つめることを止めもしない。

 純粋さが孕むその熱量に導かれ威吹は今、どうにもならぬものと合一を果たそうとしている。

 と言っても威吹が完全な概念に成り果てるわけではない。

 どうにもならぬものをそうと受け止めている以上、威吹の“人間”が切り離されることはあり得ないのだ。


 「もう“なっちゃう”よ?」


 人が決して超えられぬものを体現する異端の人間、異端の化け物。


〈~~~!! ■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!〉


 ゆえに“人間”の大妖怪。


「残念――――時間切れだ」


 今ここに、新たな大妖怪が産声を上げた。

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