狗藤威吹⑥

「――――その後については……正直、語れることはないかな」


 濁流に呑まれた時点で意識は失った。

 目覚めたのは確か二週間後だったか。

 偶然通りがかった若い女の看護士が目に涙を浮かべて抱き付いて来た記憶がある。


「元気になるまで入院して、元気になったら元の日常にって感じだし」


 だから昔語りはこれにて終了。

 威吹はニタリと笑い、問いを投げる。


「どうだい? 聞かない方が良かっただろ?」

「……」


 丼いっぱいの苦虫を無理矢理流し込まれたのかと言いたくなるほど無音の表情は苦々しい。

 犬の状態で聞いていれば不快感を示しはしても、軽く流せていただろうが……。

 やはり人間の状態ではメンタルもそっちで完全に固定されてしまうせいか刺激が強過ぎたようだ。


「……僕の、僕の祖父母も知っていたのかな」

「知らないって考える方がどうかしてるだろ」

「――――気持ち悪い」


 搾り出すように無音はそう吐き捨てた。

 その気持ちは威吹にもよーく理解できる。


「十年に一度だからね。ジジババの年齢が七十だったとしても七人は犠牲になってるわけだ」


 成人してから村のしきたりを教えられたのだとして、だ。

 内二人はもうどうしようもない。

 だが、残る五人については言い訳のしようもない。

 自らの幸福のために五人の子供に犠牲を強いたのだ。


「そんな奴らが普通の良識ある大人をやってるんだもんな? そりゃ気持ち悪いよ」


 後ろめたさがあって、だからこそ善良であろうとした。

 それならばまだ良い。

 いや良くはないが、マシだと言うことも出来る。

 だが、そうじゃない。


「元祖父母も含めて村の人らは皆、良い人だったよ。

愛想のアの字もないクソガキにも、そりゃあ良くしてくれたもんさ。

ひょっとしたら俺に優しくしてくれた村人の中に無音の爺さん婆さんも居たのかもね」


 村人は極々自然に、誰に言われるでもなく善良な心根をしていた。

 衣食住足りて礼節を知るとは言うが、正にそれだ。

 満ち足りているからこそ意識するまでもなく善人のように居られた。


 つまりそれはどういうことだ?


 簡単だ。

 彼らは志乃を、これまで生贄に捧げられてきた子供たちを人間だと認識していなかった。

 自分たちを幸せにする都合の良いナニカだとしか思っていないのだ。

 ならば、罪悪感など生まれようはずもない。


「志乃ちゃんとならきっと“良い”ことになる――思えばあれは伏線だったんだなあ」


 推理小説とか読まないから見落としちゃったよ。

 ケラケラと笑う威吹とは対照的に、無音の顔色はドンドン悪くなっていく。


「…………イカレてやがる」

「無音?」


 犬歯を剥き出しにし、怒りも露に無音が叫ぶ。


「孫とそう歳の変わらない子供をふざけた理由で殺そうとしておいて……ッッ!

一体、どのツラさげて僕に会いに来てたんだアイツらは!!!!!!!? ふざけんな!!!!」


 メキメキと無音の肉体が軋みを上げ始めた。

 あ、こりゃマズイと思ったがもう遅い。

 無音はいつもの馬鹿犬形態ではなく猛々しい山犬の姿に変貌し、憤怒の雄叫びを上げた。


「ああ……胸糞悪いにもほどがあるぜ!!!!

良い歳こいた大人がァ! ガキに縋り付いてんじゃねえよ!!!!!

倫理だとか道徳だとかはどうでも良い!! 恥とすら思ってねえ態度が癪に障る!!!!!!」


 化け物になったことで怒りの理由も変わったが、その熱量に変わりはない。

 このまま放置すれば折角買った山が滅茶苦茶になってしまう。


「えい」

「キャイン!!!?」


 喉元に指を突き刺しそこから妖気を流し込む。

 馴染ませる気のないそれは猛毒に等しく、無音はバタリと倒れ痙攣し始めた。


「人間の姿に戻れば妖気は排出されるよ」


 そう言ってやると無音はぶくぶくと泡を噴きながらも何とか血を制御し人間の姿に戻った。


「し、死ぬかと思った……」

「いや死なないよ? ちゃんと生き地獄が続くようにしたもん」

「もっと酷い……」

「まあまあ、とりあえずお茶でも飲んで落ち着きなさいよ」


 言いつつ、威吹も自分のお茶を呷った。


「取り乱した僕も悪いけど、もうちょっとやり方が……あ、これ美味しい」

「でしょ? コンビニ寄った時に何かティン! と来たから買ったんだけど正解だったわ」

「現世を離れてると新商品とかにも疎くなっちゃうよね」

「アイドルコンビニ行ってんの?」

「アイドル差別は止めてください。トイレだって行くしコンビニで何買うか悩んでうろうろしたりします」

「俺も、お前店内何周するんだよってくらいうろうろするタイプだわ」

「へえ、初耳ぃ――――じゃなくて!!!!」


 威吹は思った。


「無音、キャラ変した?」

「してないよ!!」

「いやでも何か今日の無音、雨宮みたい」

「僕もそれちょっと思ったけど……ああ!!」


 ガシガシと頭を掻き毟りながら無音は叫ぶ。

 どうして威吹はそんなに落ち着いていられるのだと。


「志乃ちゃんが死んだのは……!!」

「志乃を殺したのは俺だよ」

「違うだろ!? 君は――――」


 無音が言わんとすることも分かる。

 志乃が死を選んだのは、その環境ゆえ。

 そしてその環境を作り出したのは村人たちだ。

 ならば志乃を殺したのは村人たちだとも言える。というか、そうとしか言えない。

 無音の言いたいことはよく分かる。


 でも、


「せめてこの命に意味があったんだと証明したい――志乃はそう言ったんだよ」


 そしてその願いを自分は聞き届けた。

 それだけで十分だ。


「彼女の選択と俺の決断に水を差したくないんだ」


 言ってしまうと私情だ。

 自分と志乃だけで完結していれば良いという私情。


「威吹……」

「それに、だ。無音にとっては今聞いた話だけど俺にとっては六年前の話だからね」


 考える時間は山ほどあったし、自分なりにもう結論は出している。

 今更村人がどうこうと取り乱すことはない。


「大体、俺が自分で話すって決めて打ち明けたんだよ? キレ散らかされても反応に困るでしょ」

「それは……まあ、うん。何て言葉をかければ良いか分からないけどさあ」


 何だかなあとぼやく無音に威吹は言う。


「というかさ。そうじゃないでしょ」

「え」

「無音が本当に聞きたいのは別のことなんじゃないの?」

「……」

「察せないほど、俺は鈍感じゃないよ」


 話を聞き終え激情に駆られたのは事実なのだろう。

 だが、同時に嫌な可能性にも思い当たってしまった。


「無音が知りたいのは自分の母親も知っていたのかどうか――だよね?」

「……ッッ」


 無音の母もこの村の出身だ。

 不吉な想像をしてしまうのも無理はない。

 だが威吹からすればそれは杞憂というもの。


「安心しなよ。無音のお母さんは無音が知る優しいお母さんさ」

「……何でそう言い切れるのさ」

「何でって。少し考えれば分かるだろ?」


 今の無音は冷静じゃない。

 だが落ち着いて考えれば、言い切るだけの根拠は見えて来る。


「俺の元父親も無音のお母さんも、外に出てるじゃないか」

「?」

「だからぁ。儀式の邪魔をする者は躊躇いなく殺すような連中がだよ?」


 秘密を抱えた人間をそのまま外に出すだろうか? 出すわけがない。

 外に出れている時点で村の秘密は知らないと考えるのが自然だ。


「多分、村を愛し村で骨を埋めるであろうガキを見極めてさ。

そいつが成人になった時に秘密が伝えられるとかそんな感じなんじゃないかな」


「そう、なのかな」

「そうだよ」

「いやでも! それはあくまで威吹の推測だろう!?」


 不安なのだろうが実に面倒臭い。

 そう思ったが、こうなってしまったのは自分のせいだ。

 威吹は分かった分かったと言って片手を振るう。

 すると家の塀が消えた――いや、塀だけではない。

 今二人が居る家屋を残し過去の残影が跡形もなく消え失せた。


「直接、聞いてみよう」

「は? 聞くって誰に?」

「当事者にさ」


 ポン、と無音の肩を叩き閉じている感覚を無理矢理こじ開ける。

 同時に自らのそれも開く――目に映る世界が一変した。


「な――――あ……こ、これ、は……」


 かつて村があった場所を埋め尽くす無数の人、人、人、人。

 ただ、量は多いが偏っている。

 ここには老人か子供の二種類しか居ない。

 そしてその二種類は更に二つに分類される。

 すなわち虐げる者と虐げられる者に。


《あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! やめ、やめでぐれえぇえええええええええええ!!!!!》

《キャハハハハハハハハハハハ!!!!》

《しら……知らなかったんじゃ! こんな、こんなことになるなんて……!!!!》

《うるさいだまれしね!!!!!》


 虐げるのは血涙を流し憎悪の哄笑を上げる異形の子供たち。

 虐げられるのは必死で許しを乞う老人たち。


「い、威吹……? これって……」

「察しの通り。被害者と加害者さ――――数百年分のな」


 顔を青褪めさせている無音を横目で見つつ、威吹は思った。

 やはり自分は、そして志乃は間違っていなかったと。

 囚われている子供たちの中に志乃の顔がないのがその証拠だ。

 心穏やかに話しが出来たのは、この光景を先に見ていたからというのもある。


「いやはや悪趣味な“子守唄”だこと」


 もしも志乃が子守唄を奏でる楽団の一部にされていたのなら。

 ああ、その時はどうなっていたことか。

 かつて不眠の魔女に怒った時よりも酷いことになっていたであろうことは間違いない。


「さて、どうする?」

「え……ど、どうするって……?」

「俺が知ってる村長を呼び出して真相を確かめるか」


 ピン、と人差し指を立てる。


「もしくは無音の爺さん婆さんを呼び出して確かめるか」


 次いで中指を立てる。

 前者でも問題はないだろう。

 だが安心を得るのなら後者の方がより確実だ。まあ、その代わりに嫌なものを見てしまうだろうが。

 ゆえに威吹は選択肢を提示したのだ。

 一方、選択を迫られた無音は熟考の末、こう答えた。


「……祖父母で、よろしく」

「あいよ」


 目を細め虐げられる老人の群れを探る。

 容姿などは知らないが血縁であるならば探しようはある。

 無音と似た匂いや気配を辿れば――発見した。

 威吹がクイッ、と中指を折るとそれが群れの中から飛び出す。


《ひぃあ!? あ、あんたは……?》

《た、助けてくれたのかい? わしらを……》


 威吹は笑いそうになった。

 村を壊滅させた元凶である自分に救いを見出しているのだ。滑稽も極まったと言うもの。

 が、馬鹿正直にそれを教えてやる理由はない。

 威吹は内心を隠し、さあどうかなと笑い話を持ちかける。


「助けるかどうかはそっちの態度次第だね」

《な、何でも! 何でも致しますゆえ……お、御慈悲を……!!》


「そうだね。じゃあ質問に答えてもらおうか。お前たちには娘が居たはずだ。

その娘はこの村で行われていた儀式について知っているのか?」


 ド直球な問いかけ。

 普通は引っ掛かりを覚えるだろうが、目の前の惨めな老人二人にそんな余裕はない。

 即座にありません! と答えた。


「それは何故?」


 更に問いを重ねると詳しいことを教えてくれた。

 概ね、威吹の予想通りだった。

 秘密を伝える者はしっかり選別されていたのだ。


「なるほど。じゃ、戻って良いよ」

《そんな……!?》

《約束がちが――!!!》


 宙にデコピンを放つと再度、老人二人はすっ飛んで行った。

 だが、飛ばした後で気付く。

 一応、聞いておいた方が良かったかな? と。


「ごめん無音。どうするかは無音にも相談するべきだった」

「……いや、良いさ。母さんのことが知れただけで十分だよ」


 安堵したような、それでいて複雑そうな顔で無音は大きく息を吐いた。


「ねえ威吹」

「ん?」

「あの人たち、気付いてなかったよね。威吹が何かしたの?」

「してないよ。単に目に見えて力を持つ俺のご機嫌取りしか考えてなかったんだろ」

「そっか……一応、毎年、花と線香を上げに来てたのにね」


 自分のことしか見えてなかったんだな。

 そう吐き捨てる無音に、威吹はフォローと言うわけではないが補足を入れる。


「さっきのは見てなかっただけど、墓参りする姿は見えなかったんだよ」

「え」

「鎮魂の祈りや魂の慰撫なんかは届かない仕組みになってるからね、この場所は」


 何のために? 決まってる、彼らを成仏させないためだ。

 ここは一度囚われてしまえば二度とは出られぬ魂の牢獄なのだ。


「牢獄……じ、人為的なものってこと? この光景が?」

「うん、ジン為的なものだよ。いや、子供たちの村人への憎悪は本物だけどね」


 ただ、その憎悪にしても手を加えられていないわけではない。

 そりゃ自分を生贄に捧げた者らとその子孫を怨むのは当然のことだろう。

 だが、憎悪の火をより強く滾らせろと嗤っている者が居るのだ。


「い、一体誰がそんなことを」

「誰って、そりゃあ……」


 雷鳴が轟く。

 地面を穿つような勢いで雨が降り始める。

 悲鳴のように風が荒ぶ。

 ズン、と大きく山が鳴動する。


 そして、


〈――――嗚呼、忌々しい臭いがするな〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る