狗藤威吹④

「父方の爺さん婆さんがな。突然、うちにやって来たんだ」


 家で一人留守番をしている最中だったと記憶している。

 インターホンが鳴り、無用心にもそのまま玄関を開けたら見知らぬ老人二人が立っていたのだ。


「見知らぬ……?」

「盆や正月に田舎に行ったりするような家だったとでも?」

「あー……」

「祖父母が存在することさえ知らなかったわ」

「それはまた……でも、そんなに関わりの薄い人たちがどうして急に?」

「俺だよ」


 どうも元祖父母は息子が結婚したことは知っていたが子供が生まれたことは知らなかったらしい。

 十年近く孫の存在を知らなかったというのも何ともアレな話だが、あの元両親ならば不思議なことではない。

 母方の祖父母が存在しているなら、恐らくそちらは今も知らないのではなかろうか。


「風の噂で孫の存在を知って居ても立っても居られず上京して会いに来たんだ。

途中で買ったんだろうね。当時の最新ゲーム機と人気だったソフトをお土産に貰ったよ」


 元祖父母はきっと孫が喜んでくれると思ったのだろう。

 だが、生憎と当時の威吹はいっぱいいっぱいだった。


「俺を見て何かおかしいと察したんだろうね。

色々俺に聞いてきてさ。答えてる内にドンドン顔色が悪くなっていったのを覚えてるよ」


「……お爺さんたちは……その……」


 苦笑しながら威吹は無音の言葉を引き継ぐ。


「息子と違って“まとも”だって? まあ、そうだね。そう受け取れなくもないよ」

「何か含みを感じる……」

「兎に角だ。俺をこのままにはしておけないと思ったらしい」


 元両親が帰宅すると説教、説教、説教の嵐が吹き荒れた。

 が、元両親には馬耳東風。

 元祖父母が処置なしと項垂れていたのが印象的だった。


「話し合いの末、俺は爺さんらと暮らすことになった。

って言っても俺にも地元で出来た友達とかも居たからね。

一先ずは夏休みが終わるまでの間だけ。その後、俺が希望すれば本格的にって感じ」


 もし、そうなっていたら元両親も気兼ねなく離婚出来ていたかもしれない。

 尤も、今となっては意味のない仮定だが。


「終業式が終わったら迎えに来た爺さんと一緒に街を出た」


 寄り道を挟みながらの道中だった。

 あれは恐らく自分への配慮だったのだろう。

 少しでも元気になってくれれば美味い物を食べさせてくれたり綺麗な景色を見せてくれたのだと思う。

 残念ながらさして効果はなかったが、あの心配りは嘘じゃない。


「駅を降りて村へ続くロープウェイの中でも色々話してくれたっけか」


 確かにここらは田舎で村も都会の子には物足りないかもしれない。

 だが、とても良い場所だ。

 暮らしていればきっと威吹も元気になると励ましてくれた。


「そうして村での暮らしが始まったんだが最初は特に何があるわけでもなかった。

爺さんが魚釣りや虫取りに連れ出してはくれたんだがノーリアクション。

自分で言うのも何だが無愛想で可愛げの欠片もないガキだったと思うよ」


「それは……でも、しょうがないよ」

「うん。爺さんらもそう思ってたんだろうね」


 根気強く付き合っていこうという気概が見え隠れしていた。


「そんな感じで数日経った頃のことだ。

その日は爺さんが村の仕事で忙しくて俺は縁側でボーっとしてた」


 何かを見ていたわけではない。

 何かを考えていたわけではない。

 心が緩やかに死へと向かっていたのだ。


「具体的にはこんな感じ」

「うぉ!?」


 自分の隣にハイライトのない瞳をした子供が横たわっているのを発見し無音が飛び上がる。


「幻影で当時の俺を作ってみたんだが、どうよ?」

「どうも何も……あの、何か犯罪臭が凄いです……」

「それは俺も思った。我がことながらひっでぇ面してるわ」

「手遅れ感が半端ないよね」

「でも、こんな手遅れ感半端ないガキを変えた奴が居るんだよ」

「あ」


 塀の向こうから顔を出してじっと幼い威吹を見つめる女の子。

 空色の髪をした彼女はぷるぷると震え出したかと思うと、


《アハハハハハハハハハハハハ!!!!》


 ゲラゲラと笑い始めた。


《し、死んだ魚だ! 死んだ魚の目だ!! アハハハハハハハハ!!》

《……》


 少女は軽快な動きで塀を飛び越え着地。

 脇目も振らずに威吹(小)に歩み寄る。


《あなた、村の外から来た人でしょ?》

《……》

《東京? やっぱり東京から?》

《……》

《あ、まずは自己紹介よね。私は志乃。あなたのお名前、聞かせて?》


 天真爛漫という形容がピッタリな弾ける笑顔。

 無音もホッコリするような素敵なそれも、威吹(小)には通じない。

 チラっと志乃を見たかと思うとふいっと視線を逸らしてダンマリ継続。


《名前は?》


 しかし志乃は諦めない。

 ゆさゆさと威吹(小)の身体を揺すってコミュニケーションを継続。

 が、やっぱり威吹(小)は何も答えない。


《ねえねえ》


 尻を叩く。頬を引っ張る。脇の下を擽る。

 志乃のそれは最早、ウザ絡みだった。


《………………威吹》


 目は合わせぬまま蚊が鳴くような小さな声でポツリ。


《いぶき、威吹――か。素敵な名前! 私、好きよ? あなたの名前》

《……》

《ねね、威吹! 遊びましょ? こんな良い天気の日に家でじっとしてるなんて勿体ないわ!!》

《……》

《ふーん、へー、ほーん。そっか。そんな態度取っちゃうんだ》

《……》

《初めてよ。ここまで他人に虚仮にされたのは》

《……ハッ》

《そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな》


 言うや志乃は威吹(小)のズボンに手をかけ――パンツごと剥ぎ取った。


《! お、おま……おま……!!!》

《返して欲しいなら追って来なさい!!》


 志乃はタタタ、と壁を蹴って塀を駆け上がりそのまま向こうに消えて行った。

 唖然としていた威吹(小)だが、我に返るや涙目でワナワナと震えだす。

 そんな時、祖母が洗濯物を抱えて縁側を通りすがり、孫のあられもない姿にギョっとする。


《い、威吹ちゃん!? ど、どうしたのそれ!?》

《……おばあちゃん》


 威吹(小)が事情を告げる。

 すると祖母は最後には笑顔でこう言った。


《まあ、まあまあまあ。そう、そうなの。良かったわねえ》


 何も良くねえだろと睨み付ける威吹の頭を撫で、祖母は諭すように言う。


《ふふ、良いじゃないの。遊んで来なさいな。大丈夫、志乃ちゃんとならきっと“良い”ことになるわ》


 新しい下着とズボンを威吹(小)に渡し、祖母は背中を押した。

 ダメだ。この婆、話が通じねえ。

 そう悟った威吹(小)は渋々、家を出た。

 志乃は直ぐに見つかった。

 後ろで手を組み、何が楽しいのかニコニコと笑っている。


《……パンツとズボン、返せよ》

《えへへぇ、私に付き合ってくれたら返したげる》

《……》

《さ、行きましょ!》


 志乃はタタっと駆け寄り、さっと威吹(小)の手を取った。

 威吹は覚えている。

 小さくて、柔らかくて、温かなその手を。

 どうしてか、泣きそうになったことを。


(忘れやしない。忘れやしないさ)


 さっと手を振り幻影を掻き消す。

 一息、入れたかったのだ。


「……あの、志乃ちゃんって子が君を変えてくれた人なんだね」

「ああ」


 狗藤威吹という人間の――いや、人間だけじゃない。

 化け物としての人格形成に深く関わっていると言っても過言ではない存在だ。


「可愛い子だね」

「ああ。あれで金髪ロングの碧眼だったらヤバかったと思うよ」


 正直、志乃に抱く想いの形が分からない。

 友情だったのか、愛情だったのか。

 後者のような気もするけれど、それを確かめる前に別れが訪れてしまった。

 知りたいと思わなくもないが、あの日のままで留めておきたいとも思う。

 我が事ながら実に面倒臭いと威吹は苦笑を滲ませる。


「……あのさぁ」

「ん?」

「これ、聞いて良いのか悪いのか分からないんだけど」

「何だよ」

「本筋とは関係ないし……でも、聞かなきゃモヤモヤするだろうし……」

「だから何だって。別に怒りゃしないから言ってみなよ」


 ハッキリしない無音の尻を叩いてやる。

 それでも少し迷っていたようだが、それならと無音は打ち明ける。


「十中八九……この話の結末はスッキリしないと思うんだ。

威吹の不穏な前振りに加えて……ねえ? 事故の結末もああだしさ。

だから……あー……ね? 志乃ちゃんも……ね? 悲しい想像しちゃうわけだよ。

で、そんな女の子と同じ名前の知り合いが居るんだけど――――志乃と詩乃、これって偶然?」


 勘の良い男である。

 いや、そうでもないか。人並みに察しが良ければ思いつくことだ。


「偶然じゃないよ」

「やっぱり……」

「あの性悪狐が俺の心の傷を抉るためにわざわざ同じ名前にしたのさ」

「うわぁ……」

「本人曰く“あなたの心に傷をつけた唯一のヒトにあやかったの”だって」

「最低……」


 仰る通りだと威吹も頷く。


「あの時はキレたね。本気でキレた」


 化け物としての在り方が馴染んでいなかった。

 詩乃の人となりを知らなかった。

 それらの理由も憤怒の一因ではあるが、正直思い出すと今でも割と本気で腹が立つ。


「いや、分かってるんだよ? それが正に奴の狙いだってね」


 というか、詩乃自身が言っていたことだ。

 怒らせることが、意識させることが狙いであると。


「毒婦…………威吹さ、何でおばさんを母親だと思えるの?」

「性格は糞でも家族になろうって気持ちに嘘はないからね」


 母親で在ろうと努力しているし、母と呼ぶに足る振る舞いをしていると思う。

 問題は母親だけでなく恋人、妻、姉だの身近な女性関係をコンプしようとしていることか。

 いや、それにしたって全力の愛情表現なのだからそう悪いものではない。


「う、うーん……? 元お母さんも酷いけど現お母さんも大概酷いと思うけど……」

「ま、そこらは感じ方だわな。それより本筋に戻っても?」

「あ、ごめん。脱線させちゃって」

「いや良いよ。急いでるわけでもないしね」


 話を再開しようとして、ああそう言えばと思い出す。


「本筋に戻る前に一つだけ訂正を」

「?」

「無音はさ。多分、誤解してる」

「誤解? 何を?」

「志乃のこと。山崩れでくたばったのは俺と志乃以外の村人だけだ」

「え……あ、僕ってきり威吹は志乃ちゃんに……」


 身を挺して庇ってもらい奇跡的に一命を、などと思い込んでいたらしい。

 ドラマチックな妄想である。

 やはり先に訂正しておいて正解だった。


「志乃は死んだよ。でもそれは事故なんかじゃない」


 無音の妄想ならば――ああ、悲しい結末だろうさ。

 だがそんな悲しくも優しい終わりならば、きっと自分はそこまで引き摺っていなかった。


「志乃はね」


 あの子の命は、


「――――俺が殺したんだよ」


 自分が奪ったのだ。

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