狗藤威吹③

 画廊を含む有力者たちと協力関係を結んだ翌日。

 威吹は鈍行の揺れに眠気を誘われながら流れる景色をぼんやり眺めていた。


「…………変わらないな」


 六年前もこんな風に窓の外を眺めていた。

 違うのは心の在りようと両隣に元祖父母が居ないことぐらいか。

 益体もないことを考えていると、アナウンスが鳴り響いた。目的地に着くらしい。


「ふぅ」


 小さく息を吐き、窓の淵に置いていたグラサンを手に取り立ち上がる。

 それから間を置かずガタン! と少しだけ強く揺れ電車が止まった。

 扉が開いた途端に噎せ返るような熱気が威吹を襲う。

 顔を顰めつつ無人駅の改札口を抜け、駅を出ると……まあ、何もない。


「しかし、よく廃駅にならないなここ」


 中部地方のとある山間部に今、威吹は居る。

 もう少し先まで行くか、戻るかすれば小さな町ぐらいはあるがこの駅の近くには何もない。

 かつては山の奥深くに村落があったが、それも六年前に消えた。

 なのに未だ無人駅とは言え、しっかり駅として存在しているのだから驚きだ。


「……」


 威吹は時間が止まったように変わらない景色を見渡し、目を閉じた。

 しばしの沈黙の後、威吹はゆっくりと歩き始めたのだが……。


「ん?」


 山の入り口まで後少しと言ったところで声が聞こえた。

 後援会の人間に買い取らせた際、警備の人間を置くように頼んだがそれだろうか?

 いや、何か様子がおかしい気もする。

 首を傾げつつ早足で現場に赴くと、そこには人間形態の無音が居た。


「んもう……立ち入り禁止って何でですか? 去年まで別にそんなことなかったのに」

「新しくこの山を含む一帯の所有者となられた御方の判断だ。さっさと帰れ」

「帰れも何も次の電車夕方なんですけど!? まだお昼なんですけど!?」


 何でおんねん、と思ったがあれでも友人だ。

 さっさと助けてやろうと近付きポンと肩を叩く。


「うぉ!? 誰……って威吹――え、威吹……?」

「何で疑問系なのさ」

「いやだって、そんな服着てる威吹初めて見たんだけど」


 下は夏らしい白のクロップドパンツにボーンサンダル。

 上はサマーハットにサングラス、袖を肘まで捲り上げた紺色の麻シャツ――端的に言ってかなりチャラい。

 威吹の私服の好みからはかなり外れている装いだ。

 無音が疑問系にもなるのも当然だろう。


「何でそんな格好してんの?」

「ちょっとした気分転換? それより」


 チラリと警備の人間を見る。

 話はしっかり通っていたらしく頭を下げられた。


「これ、俺のツレなんだ」

「そうでしたか。知らぬこととは言え申し訳ありません」

「いや、俺もコイツがここに居ると思ってなかったし。暑い中、ご苦労さんね」


 ポンと肩を叩き山の中に入る。


「おい、ボーっとしてるんじゃないよ。用事があるんだろ?」

「え? あ、うん。今行く!!」


 困惑気味の無音を引き連れ山を進む。

 そうして警備の人間が見えなくなったところで立ち止まり、振り返る。


「で、おたく何でここに居るわけ?」

「まんま僕の台詞なんだけど……」

「俺が俺の山に来て何が悪いのさ」

「はぁ!? え……は? 俺の山?」

「昨日さ、この山と周辺の土地を買ったんだよ。や、買ったつっても俺は一銭も払ってないんだけど」

「んんん!?」

「さっき無音を止めた人らは俺が山買わせた連中に頼んで派遣してもらった私設警備員」

「ちょ、ちょっと待って。追いつかない。理解が全然追いつかないんだけど!?」


 やれやれと首を振り威吹はポケットから飴玉を取り出し、無音に差し出した。

 無音は黙ってそれを受け取り封を開け口の中に放り込んだ。


「あ、サイダー味……うん、落ち着いた。まだ全然何も分からないけど一先ず落ち着いた」

「ここはもう俺の私有地ってことだけ理解してりゃ良いよ。で、そっちは何でここに?」

「ああうん。お墓参りにね」

「…………墓参り?」


 威吹の眉が顰められる。


「う、うん。大雨が原因の山崩れで潰れちゃったけど六年前までこの山の奥に村があったんだ」


 知っている。知らないわけがない。


「そこに僕の母方のお爺ちゃんとお婆ちゃんが住んでてね」

「二人はその山崩れの時に?」


「……うん。他の村人と一緒にね。ああでも、確か生き残りが一人居たんだっけか?

確か外から来た子供が奇跡的に一命を取り留めたって聞いた覚えが……っと、ごめん話がずれたね。

村があった場所には慰霊碑も何もないし、ちゃんとしたお墓も別にあるんだけどさ」


 それなのにわざわざここまで? と聞くと無音は苦笑気味に頷いた。


「ほら、もう直ぐお盆でしょ? 二人が帰って来るのは村だと思うんだよ。

何度一緒に暮らそうって言っても村が良いって拒否るぐらいだからね。

だからお盆の時期になると、こっちに来てお花と線香を上げに来てるんだ。

帰って来たのに何もなかったら寂しいでしょ?」


 なるほど、実に真っ当な理由だ。

 孝行者の孫を持って“地獄”に居る祖父母もさぞや喜んでいるだろう。


「僕の話はこれぐらいで良いだろ? 威吹の話も聞かせてくれよ」

「んー、何と言うべきか。思い出に浸りに来た?」

「思い出に浸るって……」

「俺の元祖父母もあの村の人間でね。俺自身も少しの間、村で暮らしてたんだよ」

「!」


 止めていた足を動かし、歩き始める。


「あの、威吹……僕の勘違いかもしれないけど……」


 犬の時ならド直球で聞いてきただろうにと苦笑しつつ察しの通りだと肯定する。


「生き残った子供ってのは俺のことさ」

「……そっか。その、何て言えば良いのか」

「変に気を遣わなくて良いよ」


 元祖父母を含めて村の人間が死んだことについてはどうとも思っていないから。

 これは化け物としての価値観を手に入れたことによる意識の変遷ではない。

 純粋な人間であった頃から。

 何なら六年前。病院で目を覚まし事の次第を知らされた時からそうだった。


「連中のことはどうでも良い……――って。少し無神経だったか」


 死んだ村人の中には無音の祖父母も居るのだ。

 クッソどうでも良いのは揺ぎ無い事実だが発言に配慮すべきだった。


「いや僕のことは良いよ。でも、それならどうして……」

「言いたいことは分かるよ」


 どうして足を運んだのか。

 どうして山と周辺の土地を買い占めるような真似をしたのか。

 言いたいことはよく分かる。


「でも、これ以上は聞かない方が良いと思う」

「……どういうこと?」

「思い出は思い出のままに。綺麗に完結してるものにケチをつけたくはないだろ?」

「……ねえ威吹」

「ん?」

「そんなこと言われたら逆に気になるよね?」


 わざとやってる? と無音がジト目を向けてくる。


「ンフフフ、そうだね。うん、俺もさ。誰かに話を聞いてもらいたかったんだよ」


 誰にでも、というわけではない。

 話しても良いと思ったのは無音が一定の信を置く友人だからだ。


「でもほら。内容が内容だけにね。ちょっと申し訳ないかなーって」

「ほらー! またそんなこと言う! どう考えても聞かなきゃ後でもやもやするやつじゃん!?」

「で、どうする?」

「聞くよ! 聞かせてよ!」

「そっか。じゃあ、村に着いたら話そうか」

「え、お預け!? じゃあもうさっさと山上がろうよ! 僕も犬になるからさ!!」

「まま、落ち着けって。ゆっくり山歩きを楽しもうじゃないの」


 やいのやいの騒ぎつつ肩を並べて山を行く。

 そうしてのんべんだらりと歩き続けることしばし。

 山道が終わり二人は開けた場所に出た。


「へえ、今はこうなってるんだ」


 見渡す限りのだだっ広い空き地。

 そこにかつての面影は欠片も窺えない。


「ゆっくり話をしたいし――うん、ちょっと景観を変えようか」

「え」


 戸惑う無音を他所に妖気を練り上げ、発露する。

 するとどうだ? 何もない広大な空き地が往時の姿を取り戻したではないか。


「な、何これ?」

「俺の記憶を頼りに再現したジオラマ。話をするならこの方が気分出るかなーって」


 それと、天気だ。

 少しばかり空模様が怪しくなってきた。

 雨に打たれても風邪など引かないが好んで風雨に晒される趣味もない。

 だから屋根を用意したのだ。


「じゃ、俺が暮らしてた家に行こうか」

「あ、待って。話が長くなるんなら先に花と線香を上げておきたいんだけど……」

「分かった。じゃあ終わったら臭いでも辿って俺のとこまで来てよ」

「了解」


 無音と別れ、威吹は元祖父母の家へと向かった。

 和風建築の平屋には当然のことながら家主は居ない。

 だが、それ以外は全て揃っている。

 当時の最新家電や高そうな絵画や骨董の数々。

 元祖父母が特別金持ちだったわけではない。

 多分、他の家々も似たようなものだろう。


「よくよく考えれば不自然だよなあ」


 クツクツと喉を鳴らしながら廊下を抜けて縁側に行き腰を下ろす。


「……ホントに“居た”んだな。今は寝てるみたいだけど」


 この山に足を運んだのは改めて過去と向き合うため。

 しかしそれとは別に一つ確かめたいこともあった。

 そしてその確認は済んだ。

 駅を出たあたりから薄々感じてはいたが、村まで来ると確信に変わった。

 今更知ったところでどうと言うこともないが、


「ンフフフ」


 笑いが込み上げてくる。

 この感情を何と形容すれば良いのか。

 威吹自身にも分からない。


「――――アオォオオオオオオオオン!!!!!」


 不思議な感慨を吹き飛ばすように遠吠えが響き渡り、そいつはシュタっと威吹の前に着地した。

 馬鹿丸出しの顔をしたその柴犬は――そう、無音である。


「何で犬になってんの?」

「重そうな話だし予防線張っておこうかなって!!」


 確かに妖怪モードならばメンタルが崩れることはそうそうあるまい。

 だが、


「その状態だと話す気失せるから戻って?」

「そんな……!?」


 ちょちょっと無音の身体を操って元の人間形態に戻す。

 うわぁ……と顔を顰める無音に威吹が座れと促すと、彼は肩を落として隣に腰掛けた。


「「……」」


 無言で空を見る。

 山を登り始めた頃は透き通った綺麗な青だったのに今は濁った灰色に変わってしまった。

 気が滅入るような空の下で気が滅入る話をする。

 何だかなあと思わなくもないが、引っ張ってもしょうがない。

 威吹は召喚したペットボトルのお茶の一本を無音に渡し、静かに語り始めた。


「初めて会った時にも話したけどさ。俺の家は仮面夫婦どころか仮面家族だったんだ。

物心ついた頃から縁を切るまでの十数年間。

父親とも母親とも事務的なものを除けば一度たりとも会話なんてしないぐらい破綻し切ってた」


 と言っても虐待を受けていたわけではない。

 餓えたことは一度もなかったし、温かい布団で眠ることも出来た。

 欲しい玩具やゲームだって、頼めば購入に必要な金を渡してもらえた。

 生活に不自由した記憶は一度もない。


「どうしてそうなったのかは俺にも分からない」


 好き合って結婚し子を成したんじゃないのか?

 いや、結婚ですら世間体のためのものだったのか。

 そんな疑問を抱いたこともあるが、今はもうどうでも良い。


「……別に離婚なんて今はそう珍しくもないのにね」

「その後の問題を嫌ったんじゃない?」


 元父も元母も親をやる気がないのは明白だった。

 子供の押し付け合いで揉めるのは世間体的に最悪だろう。

 離婚ならまだ性格の不一致とかすれ違いとかどうとでも言い訳出来るが子供は無理だ。


「どっちか片方が楽になるのが許せなかったのかも」

「……言っちゃ何だけどさ。最悪だよね」

「はは、まあでもあくまで想像だし」


 真実は闇の中。

 いや、別に調べようと思えば調べられるが今更だ。


「まあ兎に角だ。俺はそういう家庭が苦痛でしょうがなかった。

いや、まだ家の中であーうー言ってる頃はそうでもなかったよ?

考える頭がなくても息苦しさみたいなのは感じてたけど無視出来た。

でも保育園とか通って世界が広まると……ダメだ」


 家族というものが何なのか。

 友達の父母や兄弟姉妹を見て、理解出来てしまった。


「羨ましかった?」

「どうだろ? 多分、そういう気持ちも多少はあったと思うけど」

「けど?」

「それ以上に気持ち悪さが勝ったね。自分とこが如何に不自然で嘘臭いかを思い知ったよ」


 グイ、とペットボトルを呷って喉を潤す。


「不自然さや嘘を全否定してるわけではないんだ」

「それは分かる。もしそうならオバさん全否定だもんね」

「…………まあ、母さんは嘘の煮こごりみたいな存在だけど無音、さらっと毒吐くね」

「アハハ、でも何でおと――んん! 元お父さん、元お母さんのは気持ち悪かったんだろうね?」

「あー……」


 言葉を探すように視線を彷徨わせ、威吹はポツポツと理由を語る。


「不本意と妥協が根底にあったから――だと思う。

そりゃ人間だもん。不本意なことも時にはしなきゃだし、妥協することもあるだろうさ。

でもさ。それは本当に欲しいものや、やりたいことのための我慢だろ?」


 したいから、楽しいからやっている。

 或いは願いや祈りがその先にある。

 そういうポジティブさが元両親にはなかったのだ。


「だから気持ち悪い。生きる屍みたいなもんだ。

おい、想像してみなよ。家族って最小単位の人間関係が生ゾンビだぞ?」


 どうでも良い。我慢しても良いと思える程度のことなら不自由にも甘んじよう。

 だが譲れない部分では納得を優先させる、例えその結末が死に通じているとしても。

 そんな納得を第一に考える――しっくり来る在り方を威吹が好むようになったのは間違いなく元両親の影響だろう。


「正直、やってらんねーわ」

「軽いなぁ……」

「諸々振り切った後だからね」


 そして、いよいよ本題だ。

 振りというか前置きが長くなった自覚はある。

 だが、覚悟を決める時間が欲しかったのだ。


「でも、ガキの頃の俺はそうじゃなかった。時間が経つにつれ心が死に向かっていたような気がする」

「……」

「そして六年前の夏。いよいよ限界かって時に転機が訪れた」


 はらはらと、空が涙を流し始めた。

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