末期の一筆⑤

 奈落との出会いより一週間。

 妖鉱石とも言うべき特殊な素材で絵の具を作ったからだろうか。

 玲司は精力的に創作活動に勤しんでいた。

 昼は威吹と出かけ未知をその目に焼き付け、夜は焼き付けたそれを形にすべく筆を取る。

 老人のそれとは思えないハードスケジュールだが玲司はむしろ、日毎元気になっているようだった。


「奈落に生命力を分けてもらったお陰かな?」

「クワー?」

「爺は元気だなって話」


 ロックを抱き上げ公園のベンチに腰掛ける。

 時刻は午前五時。世界はとても静かだ。


「それより悪いね、ロック。起こしちゃってさ」


 今朝はどうにも夢見が悪かった。

 いつもなら二度寝していたのだがどうにも眠れず、かと言って家に居る気にもなれず。

 気分転換にと外に出ようとしたのだが、その際にロックを起こしてしまったのだ。


「クワワ?」

「気にするなって? お前はホント、懐の広い雄だなあ」


 ワシャワシャと頭を撫でてやるとロックは嬉しそうに笑った。


「クゥーワッフ?」

「ところで今日はどこに爺を連れてくんだって?」


 奈落の時のように希望があるならそこに付き合おう。

 だが、そういうのはあの一度きりで以降は自分にお任せという感じだった。

 今日もそうだった場合はどうしたものか。


「んー……」


 酒呑童子のところにはもう連れて行った。

 巡りが悪かったのか茨木童子とは会えなかったが酒呑一人でも玲司は大層ご満悦だった。

 その日の夜に描かれた酒呑を題材にした妖怪画は正しく鬼気迫る出来だ。

 後日、本人に見せてやったがかなり上機嫌だった。


 僧正坊の下にも連れて行った。

 天狗ポリスのところにリタが居て、しかも僧正坊に弟子入りしたと聞きかなり驚いたものだ。

 大天狗の一匹に加え怪異殺しという稀有な素養を持つ人間。

 玲司のインスピレーションも刺激されたようで、二人が剣を交える画は素晴らしい出来だった。


「クァー?」

「桃園はって? 桃園にも連れてったよ。三兄弟と孔明相手に大はしゃぎさ」


 当時の思い出を語ってもらい、そこから想像を膨らませたのだろう。

 赤壁の戦いを題材にした画は当事者らをして昔日の血が騒ぐと言わしめる出来だった。


「ククワー?」

「んむ? 人や妖怪じゃなく景色を見せたらどうだって? ああ、それも良いかもね」


 ただ一つ、問題がある。

 威吹自身、その手のスポットについての知識が殆どないのだ。


「ま、母さんか劉備あたりに聞けば良いか」

「ワゥー……」

「他力本願だって? いやいや、適材適所だよこれは」


 パン! と手を叩き話題を打ち切る。

 ツッコんだら負けみたいな考えもあって敢えて触れずにきたが、そろそろ限界だった。

 ロックが話を振ってくれるものだと思っていたが徹頭徹尾無視するつもりらしい。

 ならばもう、自分が触れるしかないだろう。

 威吹は意を決して公園の隅に視線をやった。


「なあロック。あそこで父親を自称するオッサンがパンイチで寝てるんだけど俺はどうすれば良いかな?」

「……」

「酒瓶抱いて眠るとか、まんま駄目な酔っ払いのテンプレートじゃんよ……」


 まあ抱いている酒瓶はテンプレではないが。

 幼児ぐらいの大きさがあるぞ。何升瓶なんだあれは。


「茨木は何してんの? お世話係でしょ? 嫁さんでしょ? 何でアレを放置するの?」


 性質の悪いことにだ。

 酒呑の寝ている場所は公園の入り口からは見えないのである。

 ベンチに座り園内を見渡し、初めて気付いたのだ。

 いや、気付いた時点で公園を出るという選択肢もあるにはあった。

 しかしあんな酔っ払いのために自分が出て行くのは癪だったので居座ることにしたのだが……存在感が酷い。


「ねえロック、どうしよっか」

「クワワ?」

「む……中々に過激なことを……」


 酒呑童子が酔っ払って眠っている。

 このシチュエーション、何か思い出さない?

 そう言われて察せないほど自分も愚鈍ではない。


「俺、頼光やるからロックは綱ね」

「クーワー!!」


 伝説によると頼光とその四天王たちは山伏の姿に化けたと言う。

 ならば自分たちもそれに倣おうと威吹は自分とロックを山伏スタイルに変化させる。


「これ、刀ね」

「クワ!!」


 自身は召喚した蒼窮を。

 ロックには自身の腕を引き千切りそれを媒介に変化させたペンギンサイズの太刀を。

 刀を肩に担ぎ、そろりそろりと歩み寄る一人と一匹。

 別にこんなことをせずとも酒呑は気づかないだろう。

 だが気分だ気分。


「じゃあ、寝起きドッキリ(首チョンパ)――しちゃおっか」

「クックワ!!(小声)」

「俺、首斬るからロックは心臓ね」


 頷き合い、


「いっせーのー……でっ!!」

「ワッ!!」


 断頭の刃を振り下ろす。

 力の込め方、タイミング。何もかもが完璧。

 吸い込まれた刃は見事に酒呑の首を断った。

 見ればロックも完全に心臓を破壊したようだ。

 にへら、と思わず笑い合う二人だったが――その笑顔はすぐさま不快の色で塗り潰される。


「んごごごごご……も、もう呑め……いやまだ呑めるよぅ……zzz」


 まるで堪えていないのだ。

 首を斬られ、心臓を穿たれたのにも関わらず。


「………………源頼光御一行は少なくとも一回は殺してるんだよなあ」

「クゥー……」


 神便鬼毒酒というデバフがあったのは知っている。

 しかし、それだけで殺せるほど生半な相手ではない。

 当人らの退魔師としての力量もかなりのものだったのだろう。

 同じシチュエーションで殺せないということは自分たちの力が彼らに劣っているということに他ならない。


「ふぅ」


 こうなれば認めるしかあるまい。


「負けだよ酒呑。何に負けたかよく分からないけど俺の負けだ。あんたはここで惰眠を貪って良い」


 サッカーボールをそうするように酒呑の生首を蹴っ飛ばし、威吹とロックは歩き出す。

 敗者は多くを語らず、去るものだから。


「河原にでも行こっか」

「クク?」

「ほら、ロックも一度会ったことあるでしょ? アイドル目指してた俺の同級生が練習してたあの河原だよ」


 その後、河原に向かいバッタリと朝練中の三人に遭遇する。

 練習に付き合ったり駄弁ったりして時間を潰す。

 時計の針が八時を示したところでお開きになり、威吹はロックと共に自宅へ帰還。


「ただいまー……っておいおい。何? 母さん、朝から随分と食べたねえ。ストレスでも溜まってるの?」


 テーブルの上に積み上げられた皿、皿、皿。

 朝からどれだけ食べたのかと目を丸くする威吹に詩乃は違う違うと首を振る。


「これは先生さんだよ」

「玲司さん? おいおいおい、死ぬわあの爺」


 量もそうだがメニュー。

 残留する匂いから推察するに肉や揚げ物も大量にあったと見て間違いない。

 それを一人で平らげるとか、御老人には自殺願望でもあるのだろうか。


「で、その玲司さんは? 便所? 病院?」

「アトリエ――威吹を待ってるから行ってあげて」

「アトリエって……そんなのあったの?」

「ンフフフ、頼まれて私が手配したの。ま、細かいことは先生さんから聞けば良いんじゃないかな」


 はいこれ愛妻弁当、と重箱とメモを手渡される。

 愛妻部分はスルーしつつメモを見て……威吹は顔を顰めた。

 記された住所は百望が暮らしていた屋敷があった場所。

 つまり、かつて威吹が暴走をして恥を晒したあの森だ。


「あそこかぁ……」


 好んで行きたいと思う場所ではないが……しょうがない。

 威吹は肩を落としながらも、着替えを済ませて家を後にする。


「あんまり待たせるわけにもいかないし、急ごう」


 普通に飛べば割と時間がかかるが、少し本気を出せば一分もかからない。

 地上に余波が届かぬよう配慮しつつ空を駆け目的地へ。

 森の上空に躍り出るやキョロキョロと地上を見渡し――発見。

 小さな庵。あれが詩乃の手配したというアトリエだろう。

 降下し、庵の中に入ると作務衣姿の玲司が威吹を迎える。


「悪いねぃ、わざわざ足を運ばせちまって」

「いや別に良いけどさ。今日は朝から絵を描くの?」

「ああ、心身共に十分温まったからな」


 ん? と首を傾げる。


「話が噛み合ってないな。どういうこと?」

「準備運動は終わりってことさ」


 まさか、と目を見開く威吹に玲司はニヤリと笑い、告げる。


「――――俺って絵描きの本懐を果たす時が来たのさ」

「……」

「何でい?」

「いや、形にしたい何かが見つかったのは良いんだけどさ」


 何故、それを教えてくれないのか。

 今まで夜に描いていたものが準備運動というのなら、だ。

 結構最初の方で見つかっていたのでは? はよ言えや。

 威吹に直球の不満をぶつけられ玲司はカラカラと笑う。


「いやいや、そうでもないんだわ。完全に把握したのは昨日の夜だったしな」

「そうなの?」

「おうさ。切っ掛けはぁ……奈落さんとこで例の蜜を飲んだ時だったか。気付いたのよ」


 気付いた? 一体何に?


「兄ちゃんは常にそう。何か別のものを見つめ続けてる。

ああ、何も物理的にって意味じゃねえぞ?

人と話す時はちゃんと目を見てるし親の教育がしっかり……っと、何か知らんが薮蛇だったか?」


 すまんと謝罪を一つ挟み、玲司は続ける。


「兎に角だ。俺は兄ちゃんが無意識に何かを見続けてることに気付いたわけよ。

で、そいつが多分……俺の答えそのものか。答えに至るための最後のピースだと確信したのさ。

今から理屈をつけるなら多分、遠ざかったことで逆に見えるようになったんだろうなあ」


 要領を得ない話だ。

 しかし、それは絵が完成すれば分かる話なので一先ず置いておこう。


「近く、俺は辿り着く。そう確信した。根拠はねえがな。

だからお狐様にアトリエの準備を頼んで俺は毎晩毎晩準備運動に勤しんでたのよ」


「…………あれらが準備運動か」


 世の芸術家が聞けば筆を折りかねない傲慢さだ。


「そして俺の予感は正しかった。ようやっと、分かったのさ。

兄ちゃんの視線の先を探り続けてようやく理解した。

兄ちゃんの見ているものの一つが俺がずっとずぅっと探し続けてたものだった」


 そう語る玲司の顔は感慨深げで……少し、羨ましかった。


「ちなみに俺が見続けてるものってのは?」


 常に何か別のものを見ている。

 そう言われても正直、ピンと来ないのだ。


「……俺の作品を譲り渡す以上、一つは分かっちまうだろうが……」

「?」


 玲司の反応がよろしくない。

 彼は一体、何を言わんとしているのか。


「そいつは多分、兄ちゃん自身が――狗藤威吹って人間/妖怪が自分で見つけるべきものなんだ。

俺が答えを見つけたように、な。一つは答えを明かされちまう。

だがそれで何もかもが理解出来るわけじゃねえだろう。多分な。

こればっかりはな。他人に意見を求めるべきじゃねえと俺は思うのよ」


 他人の意見が真実の正答を歪ませてしまう。

 だから、自らに問い続けるしかない。

 その果てに見つかるものが狗藤威吹の真実なのだと玲司は言う。


「説教臭えことは言いたくねえが……」

「いや良いよ。玲司さんが言うなら、多分その通りなんだと思うし」


 人生の先達。

 自らの真実を手にした男の言葉だ。

 ふわふわと、ぼんやりと生きている小僧のそれよりよっぽど信を置ける。


「はは、兄ちゃんは素直だな。良いと思うぜ」


 玲司は真面目な顔を作り、真っ直ぐ威吹を見つめる。


「兄ちゃんには感謝してる。お狐様にもな。もし、兄ちゃんが居なけりゃ俺ぁ……」

「よしてくれよ。俺は俺の好奇心に従っただけなんだから」


 改まって礼など言われても照れるだけだ。

 感謝をと言うのなら見事、その作品を描き切ってくれればそれで良いと威吹は笑う。


「そうかい……ああ、任せな。

人生最後にして最高の作品を見せてやらぁ。俺が死んだ後、絵の面倒は頼むぜ?」


「ああ」


 決して無碍にはしない。

 威吹が真摯にそう伝えると玲司は嬉しそうに笑った。


「ところで何で俺をここに?」


 最後の作品に取り掛かるというのなら外野は居ない方が良いだろう。

 ひょっとして、あれか。

 恩返しの意味を兼ねて製作過程を? と首を傾げる威吹に玲司は違う違うと手を振る。


「兄ちゃんが居なきゃ絵を描くことすらままならねえのさ」

「?」

「絵の具をな、作ってもらいてえんだ」

「絵の具って……あるじゃん、絵の具。毎晩毎晩使ってたけどまだ残ってるでしょ?」


 好きなだけ持って行けと奈落が言ったのでかなりの量を採取した。

 連日連夜の製作でそれなり以上に消費はしているが、まだまだ余裕はあるはず。


「それに俺、絵の具を作る能力とかないよ?」

「まあまあまあ。最後まで話を聞いてくれ」


 曰く、奈落の結せ……もとい鉱石で作った岩絵の具では不足なのだとか。

 他の作品ならば上等過ぎるぐらいだが、これから取り掛かるのは最後にして最高の作品。

 であれば求めるハードルも高くなるのは自明の理。

 それゆえ威吹に助力を求めたのだと言う。


「俺に出来ること、なんだよね?」

「おうとも。兄ちゃん、変化の術を使う時に髪の毛やら何やらを媒介にするよな?」

「うん」

「だが媒介は別に形あるものでなくても良いんだろ? 妖気とやらをそのまま加工したりさ」

「まあね」


 媒介に妖気を流し込んで変質させる。

 変化のプロセスを大雑把に説明するとそんな感じだ。

 しかし、妖気そのものを形にすることも出来なくはない。


「でも、妖気をそのまま加工するのは……」


「ああ、違う違う。何も妖気をそのまま使えってわけじゃねえんだ。

重要なのは目に見えない。だが確かにあるものが媒介になり得るかどうかなんだ」


 はて? と首を傾げる威吹に玲司は答えを告げる。


「魂だ」

「…………は?」

「俺の魂を削り出してよ。そいつを岩絵の具のように加工して欲しいんだ」

「何でまた……」

「何でも何もねえ。単純な話だ。俺の魂は俺が望む色を知っているからに決まってらあね」


 出来るか? 玲司の瞳が威吹を射抜く。

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