末期の一筆④

 爺が目を覆いたくなる惨状を晒した翌日。

 威吹は玲司に付き合って関東のとある深山に足を踏み入れていた。


「かぁーっ! 空気がうめえや。コイツは、現世では味わえない贅沢だなぁ。ええ?」


 あちこちを旅していたという言に嘘はなく。

 整備されていない山道でも玲司の足取りはしっかりしていた。


「元気だねえ」


 北斎の作品で逝きかけた後の深夜。

 百鬼夜行を生で見たいという玲司のお願いにより夜の帝都ツアーを観光。

 あちこちで暴れ回る化け物どもを時々ちょっかいかけつつ見物。

 明け方までハッスルしていたと言うのに玲司は元気溌剌、実にタフな爺である。


「ところで玲司さん。何で山に来たの? あと、何なのこの山?」


 今朝起きたら今日はこの山に行きたいと地図を渡され言われるがままに連れて来た。

 付き合うと決めた以上、文句はないが目的が知りたかった。


「絵の具をな、作ろうと思ってよぅ」

「絵の具? 山で?」


 はてな顔をする威吹に玲司は苦笑交じりに説明する。


「岩絵の具ってんだが……聞いたことねえか?」

「ないっすねえ」


 威吹にとって絵の具とはチューブからニュルっと出るアレだ。

 岩を絵の具にするなどというのは初めて聞いた。


「日本画の定番なんだがな。東山ブルーなんて聞いたことないかい?」

「ないねえ。ってか、岩をどうやって絵の具にするの?」

「鉱石や半貴石を砕いて膠を使い指で混ぜて絵の具にすんのさ」

「へえ」

「現世じゃなあ、質の良い天然物なんぞとっくのとうに掘り尽くされちまったが……」


 こっちならば、ということだろう。

 現世と違ってこちらの日本の自然は殆ど手付かずのまま残っているので期待は出来そうだ。


「具体的にどんな石をご所望なんで?」

「孔雀石、藍銅鉱、虎石、辰砂あたりの基本は押さえておきてえな」


 どれ一つとして聞いたことがない石だった。


「それ、全部一つの山で採れるわけ?」

「採れるぜ――この山ならな」


 ニヤリと笑う玲司。

 ここで威吹もようやく気付いた――この山は生きている。

 自然がどうとか、ではなくもっと直接的な意味で。


「…………驚いたな。山その物が妖怪なのか」


 それも木っ端の妖怪ではない。正真正銘の大妖怪だ。

 そんな奴の腹の中に居たと今の今まで気付けなかった己の間抜けさに笑いそうになる。


「フフフ、狗藤威吹。若き大妖怪よ。お前は思う以上にのんびりとしておるのだな」


 少し舌足らずな子供の声が耳朶を揺らす。

 視線を向ければ近くの木の枝に紅い着物の童女が座っているのが見えた。


「俺はまだ大妖怪じゃない」

「必ず至るのであればそれはもう大妖怪であろうよ」

「そんなものかねえ。で、君がこの山の主?」

「そうだ。まあ、正確にはその端末だな」


 音もなく降り立った童女がテクテクとこちらにやって来る。

 とても愛らしい。愛らしいが威吹は洋ロリ派なので心が揺れることはなかった。


「改めて名乗ろう。我が名は奈落。九尾から話は聞いている。歓迎するぞ人間。そして九尾のつがいよ」

「いや、つがいではないっすね」


 そこだけは訂正しておく。


「採掘場所まで案内してやろう。着いて来い」

「聞いてないよこの人……人ってか山」


 まあ良い。

 案内人としてこれ以上に適任な者は居ないので着いて行くことに否はない。


「ところでよぅ、奈落さんや。お前さん、お狐様とはどういう関係なんだい?」

「友であり敵であり、師と弟子であり、生産者と消費者でもある。とても一言では説明出来んな」

「待って。友と敵は分かるけど他が意味わかんないんだけど」


 永遠の時を生きる化け物なのだ。

 友誼を結んでいようとも、時には殺し合うこともあろう。

 だが師匠と弟子? 生産者と消費者?

 どちらがどちらであっても理解出来ない間柄だ。


「いや何、昔にな。あ奴が女なのだから美容に気を使えと言ってきてな」

「…………玲司さん。山の美容って何よ?」

「…………盆栽的なアレじゃね?」


 施肥、剪定、針金掛け、水やりなど手間をかけて山としての見栄えを良くする。

 それが山にとっての美容なのでは? と玲司が自信なさげに答える。


「まあそれで奴から色々教わったのだ。その甲斐あって我の中は美しかろう?」


 周囲を見渡しフンス! と自慢げに鼻を鳴らす。

 容姿が容姿なのでめちゃ可愛いのだが、我の中という表現は如何なものか。

 事実その通りなのだが、腹の中から内臓を覗き見ているようで微妙な気分になってしまう。


「生産者と消費者というのもその関係だ。

あ奴の会社では我専用のケア用品を販売していてな。毎度、世話になっている。

まあ材料の提供は我がしているので持ちつ持たれつだな。うむ」


 山用のケア用品? ちょっと理解が及ばない。


「ま、まあ理解したぜ。その関係でお狐様はお前さんを紹介してくれたんだな」


「うむ。奴曰く、お前のいんすぴれーしょんを刺激するほどのものとなると国内では我以外に居らんとのことだ。

神山、霊峰なら話はまた別だが……その類の山がお前を受け入れることはまずなかろうよ」


 その言葉に玲司が眉を顰める。


「やっぱり、神様からすりゃ俺らみたいなんは唾棄すべき存在なのかねえ」

「当たり前だ。お前たちのような者が持つ感性は人に許されたものではないのだから」


 神々は人に正しさと信仰を求める。

 玲司の信心がどうかは知らないが、正しさという面ではもうどうしようもない。


「筆を捨てろを言われて素直に捨てられるか?」

「そりゃあ……無理だわなあ」


 詩乃の口から語られた危険性。

 それを知っても尚、省みようとしない。

 自分は大丈夫だという根拠のない過信ならばまだ良い。

 しかし、玲司は違う。

 自分が魔性を秘める作品を描くかもしれないと理解した上で、それでも筆を取ろうとしている。

 神々からすれば許容出来るものではない。


「だがまあ、積極的にお前を殺しに来るようなことはないから安心しろ」


 自らの領域に立ち入らねば、ということだろう。


「ところで、だ。お前たち、喉が渇いていないか?」

「いや俺は別に。でも人間の玲司さんはどうだろね。大丈夫?」


 山の景色を目に焼き付けたいとの要望で超常の力を使わず山を登ってきた。

 まだ半ばを少し超えたところだが、それでもかなりの距離を歩いたはずだ。

 威吹はともかく人間の玲司は喉が渇いていても不思議ではない。


「ん? ああ、気を遣ってくれてありがとよ。だが大丈……――夫じゃねえな。いやもう、カラッカラだわ」


 慌てて言葉を翻す玲司。

 その理由は威吹にも察せた。

 奈落が露骨にガッカリした顔をしたからだ。

 例えるなら子供が疲れて帰ってきた親を持て成そうと色々準備したのに寝ると言われた時のような。


「水も持って来たんだが、見通しが甘かったらしい。もうすっからかんよ」


 玲司がそう肩を竦めるや威吹は時を止めた。

 そして瞬時に玲司の鞄の中にあった水筒の水を消滅させ即座に時間停止を解除。


「そうかそうか。ふふふ、困った奴だなお前は」


 奈落は気付いていないらしい。

 が、それも当然だろう。

 何せ威吹の時間停止は詩乃や酒呑童子、僧正坊ですら状況証拠からでしか気付けなかったのだから。


「それでぇ……申し訳ねえんだが……上手い湧き水なんか飲めるとこを教えちゃくれねえだろうか?」


 ナイスだ爺。威吹は玲司のフォロー力に内心で惜しみない賞賛を送った。

 威吹自身、似たようなことを考えていたからだ。

 山の妖怪。喉が渇いていないかという問い。

 そこから美味い水でも飲ませたいのだろうと二人はあたりをつけていたのだが、


「それは帰る時にでも教えてやる」


 あら? と首を傾げる男どもを他所に和ロリはパチン! と指を鳴らす。

 すると近くの樹木にツツジに似た花が咲く。

 奈落はそれを二輪、摘み取るとそれを二人に手渡した。


「ふふふ、吸ってみろ」


 花の蜜て……と思ったが折角の好意だ。無碍にも出来ない。

 男二人は気を遣って花に吸い付き――同時に目を見開いた。


「な、何じゃこら!?」

「……? ????」


 花の容量以上に出て来る蜜もそうだが、その味。

 誇張なく甘露。天が降らせたと言っても過言ではない美味さだ。

 しかも、ただ美味いだけではない。

 玲司の場合は単純に生命力が。

 自分の場合は体感で妖気が二倍は膨れ上がったのだ。

 これが一時的なブーストなら多少の驚きで済んだだろう。

 しかし、分かる。これは永続だ。

 威吹はマジかという目で奈落を見る。


「ふふふ、困ったちゃんにも山の恵を与える我の慈悲に感謝せよ」

「「へへー! ありがとうごぜーますぅー!!」」

「ふふん!」


 薄々そうじゃないかとは思っていたが奈落は構ってちゃんだった。

 しかもちょっとバカっぽいタイプの。


「ぉぉぉおおお……! にしても、やべえぞ兄ちゃん! 元気が……元気が止め処なく溢れてきやがる!!!」

「何で爺は一々そこを膨らませるの?」

「いやだって、男の元気の象徴って言ったらここじゃんよ。そら元気にもなるわって言うね。」


 山の美しい景観を台無しにする汚い小山に威吹のテンションはだだ下がりだ。


「ともあれ。人間、これでお前は何とか最後まで保つであろうよ。我にもそうだが九尾にも感謝すると良い」

「お狐様の差配だったのか。ああ、帰ったらゲザっとくよ」


 最後まで、というのは山を登り終えるまで――という意味ではない。

 恐らく詩乃は確信しているのだ。

 玲司が幻想世界滞在中に最後の作品を描き始めると。

 それを完成させるためには、今のままでは命が足りぬと。


「さて、休憩は終わりだ。行くぞ」


 再度、奈落の案内に従って歩き出す。

 蜜のお陰でこれまでよりも玲司のペースが早くなったので進行は実にスムーズだった。

 大体、三十分ほどで目的地に辿り着いたのだが……。


「奈落さん、ここは?」


 着いたぞ、と言われて足を止めたその場所には何もなかった。

 開けた平地で花もなければ草木もない。

 罅割れた大地が広がるだけの寂しいここに目的のものがあるとは思えなかった。


「我の心臓部に位置する場所だ」

「にしちゃあ……随分と寂しくねえかい?」

「そうせねば命が溢れ過ぎて、ここだけとんでもないことになってしまうのだ」


 全体のバランスを整えるため。

 敢えて普段は力をカットしているとのことだ。


「早速お目当てのものを――と行きたいが……なあ、威吹よ?」


 言うや四方八方から無数の影が飛び出し威吹たちを包囲した。

 人間、妖怪――混交の編成を見れば新派の手の者であることは明白だ。


「分かってます。ええ、俺の客っぽいしこっちで対処しますよ」


 数日前から付き纏われていることは知っていた。

 出掛けに撒いたつもりだったが、どうやってかここまで辿り着けたらしい。


「ちょっかいかけるなとは言わないけどさ。俺より先に対処するべき奴らが居るんでないの?」

「それを貴様が言うのか……!?」


 肩を竦める威吹に新派の者らが不快感を増大させる。


「……三田村先生、どうぞこちらへ」

「ん? ああ……いや良い。遠慮しとくよ」


 政府の人間らしき男が玲司を保護しようと持ちかけるが彼はそれを拒否。

 男は顔を顰めるが是非もなし、と呟き臨戦態勢に入った。

 どうやら威吹の抹殺を優先するようだ。


「奈落様。この非礼はそこな愚か者を贄と捧げることで御容赦頂きたい」

「まあ、構わんぞ」


 やはりと言うべきか奈落は中立を貫くらしい。

 世俗のことにあまり興味がないのだろう。


「狗藤威吹。貴様は許されざる罪を犯した」

「はあ」

「だが、まだ取り返しはつく。我らに絶対服従を誓うのであればその命、助けてやっても構わん」

「お気持ちだけ貰っておきます」


 威吹の舐め腐った態度に新派の人妖が一斉に不快感を露にする。


「……我らが何の策もなしにここに居ると思うてか?」

「あなたは既に詰んでいるのですよ」

「戦いは始まる前に終わっている。勝つべくして勝つのだ」


 どうやら大層な切り札があるらしい。

 少し興味をそそられたが、付き合うつもりはない。

 だって、今しばらくは玲司を優先すると決めているから。


「勝つべくして勝つ、ね。なら俺も一つ忠告しておこうか。

その場から微動だにしない方が良い。じゃなきゃ―――――ンフフフ、酷いことになっちゃうよ」


「抜かせ! 総員、術式発……んな!?」


 威吹の忠告を虚言と切り捨て戦闘を始めようとする新派の者たち。

 彼らは直ぐに思い知った。忠告が決して虚言でなかったことを。


「か、身体が……!!」

「何が……何が起こっている!?」


 足が大地に根を張り、身体が樹木へと作り変えられていく。

 抗おうとしても樹木化は止まらず、たちまち彼らは人面樹のような有様に。


「うっわ、グロテスク~」

「! 待て……待ってくれ! 分かった。私が政府に口を聞こう! だから……!!」

「いや良いよ」

「あ、あぁ……! 消える、消えてしまう! 私が……私が……きえ……」


 枝の先に蕾が出現し、ゆっくりと花弁が開き始める。

 そして全ての蕾が花をつける頃、彼は皆、物言わぬ桜の樹に成り果てた。


「だから言ったのに」


 人の話を聞かないからこうなるのだ。

 小さく嘆息し、威吹は玲司に視線を向ける。


「芸術点狙ってみました」


「枯れ地(木)に花を咲かせましょうってかい?

季節に合わんのは減点だが……まあ夏の桜もそれはそれで乙か」


 季節はずれなら冬のがもっと良かったが。

 流石に芸術家、採点も辛口だ。


「さて。それじゃあ奈落さん。頼めるかな?」

「よかろう。しかし、こうなると我としても普通にお出しするのは躊躇うな。うむ、ではこうしよう」


 パチン、と指を鳴らすや桜の花が一斉に散る。

 同時に風が吹き、視界を花吹雪が埋め尽くした。

 十数秒ほど吹雪が続き、それが晴れると……。


「おぉ……こりゃあ……すげえな」


 散った桜の代わりに実る色とりどりの鉱石の花。

 見蕩れるほどに美しかった。


「さあ、好きなだけ採ると良いぞ」

「お、おぉ……ありがてえが……いや、もう少しだけ花を見させちゃくれねえかい?」


 この光景を目に焼き付けたい。

 玲司がそう願うと、奈落はドヤ顔で頷いた。


「ところで奈落さん。この石、本当にあげちゃって良いの?」


 威吹に鉱石の良し悪しは分からない。

 しかし、そんな素人の目で見ても咲き誇る石の花々は別格だった。

 恐らくアレらは、この山で死んだ、或いは喰われた命の結晶だ。

 美しさもさることながら秘められた力もかなりのものだ。

 讃岐屋にでも持って行けばグラム単位でとんでもない値がつくだろう。

 そんなものを軽々と渡して良いのだろうか?

 威吹の疑問に奈落はこともなげにこう答える。


「構わぬ。これは……アレだ。我からすれば人間で言うところの尿結石みたいなものゆえな」

「「にょ、尿結石……」」


 何もかも台無しである。

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