末期の一筆②
告げられた言葉を飲み込めず呆然とする神崎。
それとは対照的に展示物から威吹に視線を移した三田村玲司は冷静だった。
「わかんのかい?」
「まあ、何となくね」
どうしてかは分からない。
ただ、何となく寿命が分かってしまったのだ。
「多分、年は越せないんじゃないかなあ」
「ほう!
真偽はともかくとしてだ。
迫る寿命を考えてのことであったのならば、性急な行動にも得心がいく。
威吹は一先ず、近場の席に腰掛け話を聞く体勢に入った。
「い、いやいやいや! 狗藤さん? 三田村先生!?
何か勝手に分かり合ってないで……と言うか……え、寿命? 寿命なんですか?
そんな馬鹿な! 検査で異常もないし、矍鑠としていらっしゃる先生がそんな……」
「お若いの。こう言うのは理屈じゃあねえのさ。
というか、珍しいことかい? 元気だった爺さん婆さんが突然ポックリ逝くなんざよくあることだろうに」
詳しく聞きたげな神崎を手で制し、三田村玲司は威吹の近くに腰をかけた。
足を組み、頬杖を突くその姿は何ともまあ……柄が悪い。
「それで? 三田村玲司先生は一体俺に何の御用なので?」
「玲司で良いよ。堅苦しい呼ばれ方は好きじゃねえ」
「ふう、ん。じゃあ玲司さん。無茶を通してここまで来た理由を語ってくれよ」
とりあえず稚児趣味のやべえ爺ではなさそうなのは分かった。
なのでここに来るまでの間に感じていた戦慄はもうない。
フラットな気持ちで話を聞ける。
「絵描きが筆を取るのは何故だ? そりゃおめえ、描きたいものがあるからに決まってらぁ」
懐から取り出したスキットルを呷りながら玲司は続ける。
「心に焼き付いた何かを形にしたくて俺ァ、この道に足を踏み入れたんだ。
けどよぅ、分からねえんだな。七十年以上絵を描いててもよ。
手前が何を形にしたいのかが、てんで分からねえんだ」
手がかり一つない。
正に雲を掴むような話だと玲司は笑う。
「七十を数えたあたりで流石の俺も少し焦り始めてな。一旦筆を置いて旅に出たのよ。
世界中、色んなとこを回った。だがまあ、正直、収穫はなかった。
いや、良い景色や良い人間に出会えはしたんだがな? 俺の探し物は見つからなかった」
失意のまま帰国した玲司だが、空港に辿り着き気付いたらしい。
よくよく考えたら日本の観光名所とかは行ったことねえな、と。
「そんで家帰る前に京都に行って……お前さんを見つけたんだ」
「……俺が、形にしたい何かだったって?」
威吹の問いに玲司はいいや、と首を振る。
「それそのものじゃあねえ。ただ、遠目に見たお前さんに何かを感じたのは確かだ。
これまでにない衝撃がビビ! っと来たのさ。
ヒントなのか、或いは作品を完成させるためにお前さんの力が必要なのか。
考えても分からねえが、お前さんに会わなきゃいけねえと強く確信した」
「なるほど」
小さく頷く。
一先ず、これで玲司が自分に会いたがっていた理由は分かった。
その上で、威吹は問うた。自分に何を望むのかと。
「そうさな。しばらくの間、俺と行動を共にして欲しい」
「ふむ……現世に同行しろと?」
「いんや? 折角、こんな世界があると分かったんだ」
こっちで色々見て回るつもりだから付き合って欲しいと玲司は頭を下げた。
長期滞在の予定は聞いていなかったようで神崎がギョっとしているが……まあ、無理だろう。
この老人をどうにかしたいなら力づく以外は不可能だ。
そしてその力づくにしたって命を盾にされてしまえば、不可能になる。
「まあ、良いよ。予定がない時は玲司さんに付き合ってあげて良い――条件を呑むのなら、ね」
「条件ねえ。良いぜ、言ってみな。何が何でも叶えてやる」
自分に出来ることなら、と言わないあたりに玲司の本気が窺える。
と言っても、威吹とて無茶な願いを提示するつもりはさらさらない。
「欲界六天図」
「あん?」
「俺は小学生の頃、美術の教科書に載ってるあんたの絵にどうしようもなく惹き付けられた」
美しい色使いの煌びやかな絵。
なのに写真越しでも伝わってくる濃密なまでの醜悪さ。
分かり易く醜いものなんて何一つ描かれていないのに、あれは酷く醜かった。
なのに、それ以上に美しかった。
何の根拠もなく、これがこの人にとっての最高傑作なんだなと思っていた。
だが、
「話を聞くにあの絵ですらも、あんたにとっては通過点でしかない」
手を抜いた、と言うわけではない。
だが本命へと至るための試行錯誤の結果であるのは事実だろう。
「あんたの最後にして最高の作品を俺にくれ」
「ちょ……狗藤さん!?」
ガタン! と神崎が立ち上がる。
当然だ。
重文指定を受けるような作品を描く画家の遺作(予定)だ。
そんなものをおいそれと一個人に渡すと言うのは承服し難いだろう。
しかし、
「何だい? そんなことで良いのか? 良いさ良いさ。持ってけ。
ああ、何ならお前さんが惚れ込んでくれた欲界六天図もくれてやるぜぃ?」
「三田村先生!?」
「何でい、売り払った作品はともかくありゃあ俺らの所有物だぜ? 何の文句があるってんだ」
現在はメトロポリタン美術館に貸し出されている欲界六天図だが、
普段は日本最大の国立美術館に所有者である玲司からの貸し出しという形で展示されている。
神崎が焦っているのは欲界六天図が重文指定を受けかけた作品であるということだ。
重文指定を受けると色々と七面倒な制約がついてしまう。
玲司はそれを嫌い、重文指定を強行するなら欲界六天図を燃やすと宣言した。
政府は交渉の末、所有権が移らぬまま玲司が死去したら欲界六天図を譲り受ける契約を結んでいたのだ。
「大体、お前さん内調の人間だろう? 畑違いじゃねえか」
「畑は違えども今回の一件で話が決まれば私にも皺寄せがくるんですって!!」
「神崎さんを困らせるのは俺としても本意じゃない」
威吹の言葉に神崎がパァっと顔を輝かせるも……。
「どいつを消せば静かになるか教えてください。なーに、一週間もあれば大抵の奴は始末できますよ」
「oh……お気持ちだけ受け取っておきます……はい」
人間の顔も持っているので話は通じ易い。
が、化け物として譲る気のない部分は一切譲らない。
奪うつもりはないが貰えるというのならば欲界六天図を誰に譲るつもりもなかった。
「そいじゃお役人さん。話はこれで仕舞いだ。METの方にも連絡を入れておいてくんな」
「はい……ですが一つだけ。先生、何故絵をお譲りになろうと?」
わざわざ自分の手元に残すほど気に入っていた作品だ。
そこまでして威吹の助力を請いたいのかと神崎が問う。
「まあ、それもあるが……この
「そうですね……」
「そいじゃあ兄ちゃん、よろしく頼むぜ」
玲司が差し出した手を握り返す。
「ところで玲司さん、あんた滞在する場所は決まってるの?」
「ん? おう、こっちの帝国ホテルに部屋を取ってもらってるからそこを使おうと思う」
勿論、延期分は自分の金でと玲司は付け加えた。
「でもそれがどうしたってんでい?」
「いや、決まってないならうちはどうかと思ってね」
一緒に行動するならその方が効率が良いし、加えて家には詩乃が居る。
九尾の狐と言えば葛飾北斎や歌川国芳も題材にした古の大妖怪。
芸術家である玲司のインスピレーションを刺激する良い材料になるだろうと考えたのだ。
「良いのかい? それならお言葉に甘えようかねえ」
「高級ホテルほどの持て成しは期待できないけどね、一般家庭だし」
「構いやしねえよ。雨風凌げるだけで十分ってもんさ」
「……そういうことでしたらホテルの荷物は私が狗藤さんのお宅に運ぶよう手配しておきますので」
「お、悪いねえお役人さん」
話はまとまった。
なら、いつまでも美術室でたむろしている必要はないだろう。
「玲司さん、この学校のこととか聞いてる?」
「いんや? 特には聞いてねえな」
「平将門が学院長やってるんだけど、どう? 会ってく?」
「へえ! 本物の新皇様が居るのかい!? そりゃすげえや!!」
「あ、いや狗藤さん。先ほどご挨拶に伺ったんですが学院長は所用で出かけたそうですよ」
「あら? そうなの。悪いね、何かぬか喜びさせたみたいで」
「何、今日会えなくてもまた今度会えるならそれで良いさ。俺にとってこの世界は未知も未知」
見るべきもの、見たいものは他に幾らでもあると笑う玲司に釣られ威吹も笑みを浮かべる。
「だがまあ、先ずは飯だな飯。腹が減っちゃあ何も出来やしねえ。飯屋に連れてっておくんな」
「ああ、そういやそんな時間でしたね。神崎さんもどうです?」
「お邪魔でなければ御一緒させて頂きます」
「おう、構やしねえよ。それで兄ちゃん、どこ連れてってくれるんだい?」
「んー」
季節と年齢を考えるなら冷たい素麺か蕎麦か。
物足りないなら付け合せで天麩羅でも頼めば良いし、いやだが待て。
こないだ酒呑に連れてってもらった鰻屋が美味しかった記憶が?
「ふむ」
威吹はじっくり玲司を観察する。
老齢ではあるが歯は入れ歯ではなく天然物。
内臓も特に問題はなさそうだ。
冬には散るであろう命ではあるが少なくとも今は完全な健康体。
「冷たい麺類か鰻。どっちが良い?」
「そら鰻だろい」
「私は笊蕎麦が食べたいところですが、ここは先生に合わせましょう」
「OK。それじゃあ鰻で決定ね。鰻も美味しいけど酒呑童子おススメの店だから大人の二人はお酒もありかもね」
「へえ! 大江の御山の酒呑童子が太鼓判を押す店たぁ、楽しみだ」
笑いながら立ち上がろうとした玲司だが、バキリと嫌な音が響き渡った。
杖だ。玲司の使っている杖が根元から圧し折れたのである。
威吹はバランスを崩し倒れそうになった玲司を咄嗟に風で支えた。
「お、おぉう? 妖術か何かかい? こりゃすげえ」
感心しながら折れた杖を拾い上げ、玲司は深々と溜め息を吐いた。
「お気に入りだったの? 足腰はそう悪くはなさそうだけど」
「いや何。旅をしてたっつったろ? 長距離を歩くとなるとこの齢じゃ流石にキツイんでねえ」
「ははぁ。正に相棒だったわけだ」
「おうとも。ここまで付き合ってくれてありがとよ」
玲司は両手を合わせてから旅行袋に杖を仕舞いこんだ。
「飯の後で構わねえから新しい杖を買いてえんだが」
「ん? それは良いけど……買うぐらいなら」
髪の毛を一本引き抜き、フッと息を吹き掛ける。
すると毛は見事な黒檀の杖に変化した。
「変化の術! そいやあ、九尾の狐の血も引いてるんだったな!!
あいや、良い杖のようだし珍品ではあるんだが……流石の俺も知ってるぜ?
木の葉を金に変えても時間が経てば戻るってのがお約束だろい?」
確かにその通りだ。
普通の妖狐ならば精々、数十分かそこらがリミットだろう。
しかし、威吹はそんじょそこらの妖狐とは“モノ”が違う。
「そのお約束が通用するレベルはとうに超えてるよ」
威吹は妖狐の血を励起させ金色の毛並みが美しい六本の尾を見せ付ける。
玲司、そして神崎はこれでもかと目を見開き呆然としていた。
「九つにはまだ届かないが、これでも六尾の狐。
メガフロートみたいな大規模且つ世界にそぐわぬ建造物をとなれば……ぶっちゃけ難しい。
でも、その杖ぐらいだったら半永久的に実体化させておくのは容易だ」
変化させた物体に込められた妖気。
それは独立したもので普通なら時と共に目減りする。
が、威吹レベルの妖怪ともなれば事情は変わってくる。
紅覇に与えた瞳が勝手に独立して悪さをしていたことを思い出してくれれば話は早いだろう。
「細かい説明は省くけど、この杖は生きてるんだよ。意思はないけどね」
込められた妖気を意図的に使うでもしない限り杖の変化が解除されることはないだろう。
少なくとも玲司が生きている内は絶対に。
「不安なら」
手の平を風で切り裂き血を杖に滴らせる。
血は杖に染み込み溶けるように消えて行った。
素人にはこの行為の意味なぞ分からないだろうが、
「はー……よくわかんねえが、その杖の質――いや、格? が上がったのは分かるぜい」
常人ならぬ感性を持つ玲司にはしっかり伝わったようだ。
自然回復する妖気の量が格段に増えたので格が上がったという彼の表現は実に的を射ている。
「妖怪ってのはすげえなあオイ」
「……いや、凄いのは妖怪ではなく狗藤さんですよ。狗藤さん、こっちに来てまだ半年も経ってませんよね?」
妖狐の尾が増える。
これほど分かり易い成長はない。
しかし、一本尾を増やすために妖狐がどれだけ苦心しているのか。
何十年何百年の世界だ。しかも、尾が増えるごとに難易度は更に高くなっていく。
それを知る神崎からすれば威吹の成長速度は出鱈目極まるものなのだろう。
「いや、特に修行とかはしてないんですけどね? 何か気付けば月一ぐらいのペースで増えてて」
最初は三本だったのになーと笑う威吹に神崎はもう色々なものがキャパオーバーしたのだろう。
仏のような穏やかな顔で笑っている。
「そこらも詳しく聞きてえが……今はとりあえず鰻だ! 案内頼むぜ兄ちゃん!!」
「りょーかい」
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