末期の一筆①

 七月二十日。今期最後の登校日で明日からは夏休み。

 教壇の上では黒猫先生が夏休みに入る生徒らにありがたい話をしてくれているが、


「zzz……」


 威吹は爆睡中だった。

 深夜にやっていたラジオの怪談が予想以上に面白かったのだ。

 まあそれでも普段なら自制するのだろうが、今日で学校は終わり。

 子供である威吹が緩んでしまうのも無理からぬことだ。


「……あの人、よくあの状態で眠れるわね」

「正気じゃないよ」

「俺さあ、未だに信じられないんだよね。数ヶ月前までアレが一般人だったとかあり得ないでしょ」

「あっちで生きてても、いずれ何らかの形で世を騒がせてた気がする」


 ひそひそ話をしながらちらちらと威吹を見つめるクラスメイトたちは明らかに引いていた。

 と言うのも今の威吹は頭部、胴体、四肢に六分割され教室の後ろの壁に磔られているからだ。

 下手人は黒猫先生。

 チョークの代わりに投擲した短刀でスッパリ斬られて縫い付けられてしまったのである。

 そんな状態で幸せそうに寝息を立てているのだ、普通は引く。


「現世に帰省する者は勘と身体が鈍らぬよう気をつけること。

だらけ過ぎてこちらに戻って来た際、ポックリ殺られるとか情けないにもほどがあるからな。

こちらに残る者は暑さで頭が茹だった馬鹿どもに絡まれないよう気をつけること。

夏でテンションが上がるのは何も人間だけじゃないからな」


 ちらりと黒猫先生が威吹を見るとクラスメイトらがあー、と頷いた。

 夏だし、なんて馬鹿な理由で何かやらかしそうな気配がしたからだ。


「夏休み明け、誰一人として欠けず元気な顔を見せてくれると嬉しい――以上だ」


 今期最後のHRが終わる。

 ちなみに威吹は未だ熟睡中だ。


「…………よくもまあ、こんな状態で寝れるなあ」


 授業が終わるや、無音と百望が威吹に近付いて来た。

 ちなみに今日の無音は珍しく犬ではなく人間形態だ。


「妖怪になると痛覚とかも鈍っちゃうわけ?」


「いや、そんなことはないよ? 妖怪でも痛いものは痛いさ。

特に威吹は普段は普通の人間と遜色ない状態で過ごしてるからね」


 耐久度や感覚も人間のそれと変わりない。

 まあ、その状態でも既に妖怪として覚醒しているので首を斬られようが心臓を抉られようが死にはしないが。


「その割には威吹、平然と身体ぶっ飛ばされたりしてるわよね」


 少し前にあった威吹を殺す授業を思い出したのだろう。

 百望の顔色が若干、青くなる。


「うん。僕はともかく威吹なら痛覚のカットぐらいは出来るだろうけど……」


 威吹の性格上、まずあり得ないだろう。


「…………痛みへの耐性おかしくない?

ひょっとして……こっちに来る前は複雑な家庭環境だったり……ぎゃ、虐待とか……」


 百望が暗い想像をしかけたところで、威吹がパチリと目を覚ます。


「よく分かんないけど俺、別に虐待とかされてないよ?」


 起き抜けに、それも生首のまますることではないがとりあえず否定の言葉を口にする。

 威吹は元両親を好きではないが、だからと言って不当に貶められて良いとも思ってはいない。


「そ、そう……?」

「そうそう」


 言いつつと自分の肉体を液状化させ即座に再生。

 傷一つない状態に回帰し、ボキボキと骨を鳴らす。


「んー……よく寝たぁ……ところで、これもう学校終わってる?」

「うん、もう放課後だよ」

「そっか。いや、先生には申し訳ないことしたな」

「そのレベルの体罰与えられたらチャラだと思うわ」


 どんなにキツイ体罰でも受けた本人がケロっとしていたのなら意味はないだろう。


「それより威吹、明日から夏休みだけど予定はあるの?」

「具体的な日時は決めてないけど現世の京都に観光行くつもり」

「GWも京都じゃなかった?」

「また夏に貴船の川床を楽しもうって約束してたからね」


 それ以外にも前回は行けなかった観光名所が幾つかある。

 そこに足を運んで……それでも時間が余ったのなら大阪や奈良も観光するつもりだ。


「……」

「何だい雨宮、その顔は」

「いや……威吹が現世にって時点でもう、何か嫌な予感が……」

「し、失礼な。こっちでならともかく、現世では俺も多少は弁えてるよ!!」


 前回のことについては……あれだ、運が悪かった。

 雪菜を死に追いやったのが御堂一族でなければ被害はもっと少なかったはずだ。


「こっちに居ると伝わり難いけど、あの事件の反響半端じゃないのよ?」


 元総理や現職の大臣。

 その他、政界財界の大物や警察検察関係者。

 多くの人間の下劣な罪が白日の下に晒されたのだ。

 自国民は当然として他国からも散々、叩かれたことだろう。

 暗黒時代以降最大のスキャンダルと言っても過言ではないかもしれない。


 が、威吹にも言い分はある。

 拉致と殺害については隠し切れないだろうし公表するのは仕方ない。

 何なら主犯として自分の名前が出されても文句はない。

 国が自分を潰しにかかるのならば、その時は喜んで迎え撃つつもりだった。

 だが、死んだ者らの行状を明らかにする必要はあったのか?

 もうちょっと、傷のつかない立ち回りがあったのでは?


「あったかもしれないけど威吹にはそれを言う資格はないと思うの」

「それも否定できないわ――ってか、この話はどうでも良いんだよ。夏休みの話しよう、夏休みの話」


 二人の予定は? と聞くと百望の顔が露骨に曇った。


「どうしたの?」

「…………ちょっと、幻想世界のイギリスに……」


 欧州は魔法の本場だ。

 見習いとは言え百望も魔女。一度ぐらいは足を運んでおくべき場所だ。

 表情が優れないのは、現世のそれとは比較にならないほどこちらの海外が危険な場所だからだろう。


「あぁ……行きたくない……行きたくないけど、行かなきゃ新しい師匠が来てくれないし……」

「? 新しい師匠? 雨宮さんのお師匠様って確か……」

「そうそう、寝不足っぽい女の人だろ? 名前はロゼレムだっけ。その人が居るのに新しい師匠?」

「いやぁ……師匠は向こう数百年は使い物にならないから……」


 威吹を暴走させたロゼレムは後日、詩乃と僧正坊から報復を受けたらしい。

 と言っても殺されたわけではない。

 二人の呪術で数百年ほど兎のぬいぐるみに変えられてしまったのだと百望は溜め息交じりに語った。


「動けはするんだけど魔法は殆ど使えないのよ。

私は口だけでも十分なんだけど、存外師匠ってば真面目なの。

だから師匠の教え子――私からすれば姉弟子にあたる方が代理で指導をってことになったわけ。

とは言え、無条件で受けてくれるわけじゃなくて……あちらが出す課題を乗り越えたら、なんだけどね」


「ああ、その課題を受けるために渡英するわけだ」


 海外の危険度に加え、出される課題が憂鬱顔の理由というわけだ。

 可哀想だし詩乃と僧正坊にお願いしてロゼレムへの呪いを解いてもらうか?

 と一瞬考える威吹だが、


(……余計話が拗れそうだな)


 口を出さない方が吉だろうと考えを却下。

 空気を変えるべく今度は無音に話を振る。


「僕? 僕は七月はこっちで過ごして八月頭からお盆が終わるぐらいまでは帰省するつもりだよ」

「へえ、予定が合いそうなら一緒に京都行く?」

「人の多い場所はあんまり……ああいや、威吹が一緒なら大丈夫か」


 認識阻害の結界。変化の術。

 アイドル(休業中)である無音を誤魔化す手段なら幾らでも存在する。


「じゃあ、その時は連絡してよ。現世に居るなら僕も付き合うからさ」

「りょーかい」


 じとっと湿った視線を感じる。百望だ。

 自分はしんどい夏休みが確定しているのにお前たちは、という妬みが痛いぐらいに伝わってくる。

 これは少々よろしくない。

 ご機嫌取りに餡蜜でも奢ってやるべきかと思案しているとガラリと教室の扉が開かれた。

 何となしに目を向けると、意外な人物を目にする。


「…………神崎さん?」


 姿を現したのは威吹をこちらの世界に導いた政府の役人神崎だった。


「お久しぶりです狗藤さん」

「ええ、その節はお世話に。ところで何故、神崎さんが……」

「あー……実は狗藤さんにお願いがありまして……お時間、頂けませんか?」

「それはまあ、構いませんが」

「ありがとうございます!」


 無音と百望に一言告げて神崎と共に教室を出る。

 申し訳ありませんと頭を下げる神崎を手で制し、威吹は本題を切り出す。


「それで? 俺に一体何の御用なので?」


 政府の人間が接触してくる。

 GWの一件か。はたまた最近起こした戦争の件か。

 思いつく心当たりは二つだが神崎の申し訳なさそうな顔を見るに、その線はなさそうだ。

 しかし、そうなると目的が分からない。


「実は、その……どうしても狗藤さんに御会いしたいと仰る方が居ましてね」

「俺に?」

「ええ、三田村玲司氏をご存知でしょうか?」

「んー、何か聞いた覚えがあるような……?」


 ただ、どこで聞いたかが分からない。

 首を傾げる威吹に神崎はこう続けた。


「作品の幾つかが重要文化財にも指定されるほどの日本画の巨匠ですよ」

「! ああ、知ってる知ってる! 小学生の時だったかな? 美術の教科書で見たことある!!」


 仏教における欲界を題材にした作品、欲界六天図の作者だ。

 教科書に載っているそれに一時期、随分と見入った記憶がある。

 まさかその三田村玲司が自分に? と神崎を見ると彼はコクリと頷いた。


「……でも、そんな偉い先生が何だって俺を?」


 記憶にある限り、三田村玲司との面識はない。

 なの何故、わざわざ自分を?


「先生の話ではGW中に京都で狗藤さんとすれ違ったみたいなんですよ」

「はあ……それで?」

「いや、その先は私にも」


 何でも件の三田村玲司は威吹の似顔絵を下に私費で調査をさせていたのだと言う。

 そして身元と、ダミーの留学先まで辿り着いたらしい。


「表向き、かなり厳しい学校で親族以外との面会は不可。

その親族との面会にしても非常時のみと言う具合のカバーストーリーなんですが……」


 頭が痛いとばかりにコメカミを抑える神崎。

 その草臥れた表情からは、言いようもない悲哀を感じた。


「会わせろの一点張り。無理ですとつっぱねってたら会わせなければ自殺すると言い出したんですよ」

「えぇ……」


 何て面倒臭い爺なのか。

 これがただの爺さんならともかく、重文指定を受ける作品を作るような大先生だ。

 雑な対応は出来ない。


「うちの人間を行かせて真偽を確かめると……ええまあ、本気だったようで。

こりゃまずいと先生。そして調査に関わった者ら全てに記憶処理を施したのですが……」


「駄目だったんですか?」

「はい。記憶を消しても狗藤さんのことは忘れていないようで、また同じように調査を始めたのです」


 何だそれは。

 何で会ったこともない老人にそこまで執着されているんだ。

 威吹は久しく感じていなかった怖気に身体を震わせる。


「こうなるともう、記憶処理は意味を成さないでしょう。

何度も何度も重ね掛けしては先生の心身に異常をきたしかねません」


 それでは本末転倒だ。

 ゆえに神崎――と言うより政府は威吹との接触を認めたのだろう。


「ですので仕方なく……」

「こっちに連れて来たんですか?」

「はい」

「神崎さんのお願いなら俺が現世に足を運んだのに」


 神崎の話から察するに三田村玲司は普通の人間だ。

 そんな人間にこちらの知識を開示するのは神崎の立場からすれば望ましいものではないはず。

 それを差し引いても政府が自殺を止めるような人間を、こちらの世界に連れて来るのはマズイだろう。

 最近は特に治安も悪化しているし、万が一があってはこれまた本末転倒だ。

 威吹がそう指摘すると神崎は困ったように頬をかきながら答えた。


「いえね……現世では狗藤さんの現世への立ち入りを制限すると言うお話が……」

「へえ」


 戦争を起こしたことによる報復措置。いや、自衛のためか。

 何にせよ自分を現世に入れたくないと言うのは理解できる。

 まあ、理解できたところでそれを酌んでやるつもりは欠片もないが。


『儂に手を出せば日ノ本という国そのものが貴様の敵になるのだぞ!!』


 かつてそう喚いた老人も居ることだし正面切って敵対するのも悪くはない。

 などと考えていると神崎が額に汗を浮かべながら必死で弁解を始める。


「ああいえ! 政府としての決定ではありませんよ?

野党の連中が喚いているだけで石動総理や私はそのようなことは決して!!

先だっての戦争も、狗藤さんにそのような意図はなかったのでしょうが長い目で見れば私どもに利することですし!」


 へえ、とまた声が出る。

 今度は面白い、ではなく感心のそれだ。


「まあそれはともかく、それなら何で三田村先生をこっちに?」

「今申し上げました理由で要らぬ時間がかかってしまい……」

「痺れを切らしたと」

「……はい。こちらの危険性はちゃんと説明したんですけどねえ…………」


 ガックリ肩を落とす神崎から感じる中間管理職の悲哀。

 威吹は目頭が熱くなるのを感じていた。


「しかし三田村先生は何だってそこまで……あ、ひょっとして死期が近いとか?」


 会わせなければ自殺する。

 僅かな時間も惜しい。

 老齢であることを考えれば、その性急さは死期が近いゆえのものかもしれない。


「私も正直、その可能性は考えました。

ですので秘密裏に医療とオカルトの両面で探りを入れてみたのですがまったくの健康体」


「つまりは爺のワガママでしかない、と」

「はは……っと、ここです」


 足を止めたのは美術室の前だった。

 神崎に着いて何となしに歩いていたが……まさかここに?

 せめて応接室に通せよと思わなくもないが、これも本人の希望なのかもしれない。


 心の準備はよろしいですね?

 神崎の確認に頷きを返すと、彼はゆっくり扉を引いた。

 美術室の中には生徒の展示物を興味深そうに見つめる老人の姿が。

 教科書に載っていた写真よりも老けていて、尚且つチョイ悪な雰囲気が漂うあの老人が三田村玲司だろう。


「神崎さん」

「はい?」


 直に見たから分かった。

 であれば神崎にぐらいは伝えねばなるまい。


「あの爺さん、やっぱり死期が近いみたいですよ」

「………………は?」

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