日常③

 詩乃の最後のハジメテ発言に冷や汗をかかされたが、それはそれ。

 どんな理由であれデートで詩乃を持て成すと決めたのだ。

 威吹は自分なりに頭を捻って考えたデートプランを下に、先ずは帝国劇場。通称帝劇を訪れた。


「…………ふと思ったんだけどさ」

「ん、どうしたの?」

「この帝国劇場とか京都の清水寺とか、これってどう言う理屈でここに存在してるの?」


 人間との交流が始まってから新造された……のならば分かる。

 いや、作る理由は分からないが存在する理由は理解できる。

 しかし、この手の歴史的な建築物からはどうも“本物”の匂いがするのだ。

 特に清水寺。現世でも足を運んだからこそ分かる。

 灰になったこちらの清水寺は偽物ではない。


「影だよ影」

「影?」

「そ。長い歴史があるとか人の想念が強くこびり付いてるとか条件が幾つか重なると切り離された影が出現するの」


 かつて一つだった世界が分かたれたのは一つで居られなくなったから。

 神秘と科学は太極図の陰陽が如く並び立つ概念ではないのだ。

 今の世界を見れば分かるだろう。現世においては神秘が日陰に。幻想世界では科学が日陰に。

 調和とはほど遠い、互いに喰い合うことしか出来ぬのだ。

 これを一つの世界に閉じ込めておけば不毛な喰らい合いが続き可能性が先細りする。

 ゆえに世界はその身を二つに分かった。


「現世には神秘を排除する機構が世界の根幹に組み込まれてるの」

「ん? その割にはあっちでも特に不自由は感じなかったけど……」

「そこらは別の話になるからまた今度ね」


 ゴホン、と咳払いをして詩乃は仕切り直す。


「威吹が言った清水寺なんかは分かり易いかな。

神社仏閣が聖域だってのは説明するまでもないと思うけど……」


「ああ、何となく分かった」


 神仏は善。妖怪は悪。

 その考え方は……まあ、大体合ってる。

 個人単位で見れば妖怪にも善なる者は居るが本質として妖怪はダークサイドの存在だ。

 しかし、神仏も妖怪も同じ神秘――人知では推し測れぬものであることに変わりはない。


「神秘を排除する機構に善悪は関係ないわけか」

「その通り」


 完全に神秘が消滅しないあたり、一定の許容量みたいなものがあるのだろう。

 だがそれを超過した場合、神秘は現世から幻想世界へ排除される。


「こっちで消滅した清水寺は神秘の比率が大部分を占める清水寺だったわけだ」


 いや、消滅と言う表現は正確ではないのかもしれない。

 出現した背景を鑑みるに現世にある清水寺が消えない限りはいずれ復活しそうだし。


「なるほどねー。いや、納得納得」

「それは何より。次は私の疑問に答えてもらって良いかな?」

「?」


 詩乃がすっ、と指差した先にはポスターが貼ってあった。

 今、公演中の劇についてのもので花形女優がセンターを飾っている。

 あれが一体どうしたと言うのか。

 首を傾げる威吹に詩乃はこう続けた。


「デートで観劇ってのはまあ、お約束だと思うよ。でもさ――――何で大奥?」

「こういうドロドロしたの好きでしょ?」

「いや、まあ、好きだけどさぁ……」

「母さんが言いたいことも分かるよ?」


 威吹も最初は甘ったるい恋愛系。

 ほのぼのとしたタイプの作品、笑って泣けるコメディなどの方が良いかとも考えた。

 考えたし、その手の公演がされている劇場も見繕いはした。

 しかし、いざ最終選考と言う段になって思ったのだ。


「相手は普通の女の子じゃないってね」

「し、失礼な……」

「まあ、ベッタベタなデートでもそれはそれで楽しんでくれるんだろうけどさ」


 自分が普通の男の子を演じ、詩乃が普通の女の子を演じる。

 何一つ特別ではない少年少女の甘酸っぱくも有り触れたデート。

 それはそれで、詩乃は楽しんでくれるだろう。

 だが、それでは面白くない。詩乃が、ではなく自分が。


「母さんが楽しめても俺が楽しめないんじゃ……ねえ?」

「えー……」

「いやいや、よく考えてよ」


 自分にとってはこれが人生初のデートなのだ。

 その思い出が、毒にも薬にもならないものになって良いのか?


「それは……うん、よろしくはないね。

私が相手役を務める威吹の初デートが無味無乾燥なものだって言うのは面白くない。

ンフフフ、そういう気遣いをしてくれるのは素直に嬉しいよ」


「それは重畳。じゃ、チケット買いに行こう」


 チケットと、観劇の御供にお菓子とジュースを買い劇場へ。

 映画館は付き合いで幾度か足を運んだことはあるが、舞台というのは初めての経験だ。

 少しばかり、胸が躍る。


「ああそうだ、お母さんね。ここの舞台に立ったこともあるんだよ?」

「マジ? 何やったの?」

「封神演義」

「ああうん……それはもう、見事な妲己が見られたんだろうね……」


 何かを演じさせたら並ぶ者なき女。

 それが過去に演じた己を演じるのだ。

 その完成度は他の追随を許しはしないだろう。


「そういや封神演義だとおたく、女カの使い走りみたいだったけど……実際のところ、どうなの?」

「あっちは女神で私は妖怪。上下の区別なんかないよ? ちょっと面識がある程度だね」


 顔を合わせれば軽く談笑する程度の間柄らしい。


「と言うか、あのあたりの時代は色々ややこしいんだよ」


 はぁ、と溜め息を吐く詩乃。

 珍しく本気でうんざりとしているようだ。

 好奇心をそそられた威吹は続きを促した。


「長くなるからザックリ説明するけど神仙の派閥争いだね。

そっちには私一切関係ないんだけど、私が遊び場にしてた殷が代理戦争に利用されたの」


 利用された、などと言っているが怪しいものだ。

 この女がそんな可愛いタマか?


「私もそれはそれでと遊びに組み込みはしたけど……手が足りなさ過ぎたね。

予測不可能な動きをする駒なんてのは珍しくないよ?

その不規則性すら織り込んで盤面を操作してこそ出来る女だもん。

ただ……こう、誰が意図したわけでもない偶発的な事象が連鎖しちゃって――――」


「一言で言うと?」

「あーもうめちゃくちゃだよ」


 とても分かり易かった。


「呂尚――太公望なんかも途中からストレスで壊れた人みたいなテンションになってたし」

「太公望……」

「前にこっち来た時、彼と飲んだんだけど未だにあの頃のことは思い出したくない黒歴史みたいだね」


 そうこうしていると、場内にアナウンスが響き渡る。

 いよいよかと未だ幕が下りたままの舞台に意識を向け……はたと気付く。


「……妖狐?」

「帝劇の役者は大概、私が斡旋した化け狐たちだから」

「手広くやってるねえ」


 劇が始まる。

 最初は世界観の説明がてら緩やかに話を進めていくのかと思いきや初っ端から修羅場。

 舞台上で言い争う女たちの名前さえまだ出ていない。

 しかし、醜い女の情念を剥き出しにして罵り合う姿だけで掴みは十分だった。

 ほう、と若干前のめりになる威吹。

 だが、これはまだまだ序の口。

 三十分も経つ頃には隣に居る詩乃の存在も忘れ、瞬きする暇さえ惜しいと劇に見入っていた。


 そして数時間後。

 観劇の後に予定していたレストランに場所を移した威吹はホクホク顔で詩乃に語り掛ける。


「いや、面白かった。うん、お芝居で時間を忘れるとか初めての経験だよ。

劇にする以上、客に受けるエンタメ的な脚色はされてるんだろうけど……全然気にならなかった。

役者が良いからかな? 脚本が良かったからかな? いや両方か。

あんまりこの手の娯楽には興味なかったけど……良いものは良いんだね。人生損してた気分だよ」


 出された料理にも手をつけず嬉々として語るほど威吹はハマっていた。

 自分も楽しむと言う目標は達成したと言っても良いだろう。


「ンフフフ、威吹が嬉しそうで何より」

「母さんはどうだった?」

「それはもう。何だか懐かしい気分になっちゃった」


 言われて気付く。

 そりゃそうだ、九尾の狐が大奥なんてものを見過ごすはずがない。


「時の将軍を誑かしたり大奥内の権力争いに油注いだりしてたの?」

「ううん。“九尾の狐らしい”ことは何もしてないよ」

「じゃあ何で大奥に……物見遊山?」


 女の修羅場を眺めて楽しんでいたのかとも思ったが、それも違うらしい。


「友達のお願いで、かな」

「友達?」

「そ。斎藤福――春日局だね。私、あの子と友達だったんだよ」


 春日局。本名斎藤福。

 徳川三代将軍、家光の乳母で松平信綱、柳生宗矩に並び鼎の脚の一人に数えられた女傑である。

 そんな女と毒婦の頂点である九尾の狐が友人関係?

 一体何の冗談だと思ったが詩乃の目を見るに嘘ではないらしい。


「ああ、懐かしいなあ」


 戦国最大の謀反人明智光秀の名とその末路を知らぬ者は居まい。

 福の父、斎藤利三は光秀の重臣であった。

 山崎の戦いで敗戦した利三は坂本城下で捕らえられ処刑された。

 謀反人に与した男の娘。その立場の厳しさは察するに余りある。

 詩乃が福を見つけたのは利三の死後、母方の実家である稲葉家へ向かう時だったと言う。


「福ちゃんは年齢不相応に賢い子だったよ。

自分の置かれている現状と、先行きの暗い未来をしっかり理解してた。

それでも俯かず凛と前を向いていたのを見て……ンフフフ、ちょっと悪戯心が沸いてね」


「潜り込んだの?」

「うん。同じぐらいの年頃の童女に化けて福ちゃん付きの女中になったの」


 詩乃としてはほんの十年程度の余興のつもりだったらしい。

 しかし、予想に反して福は決して九尾の悪辣なちょっかいには屈しなかった。

 毅然とした態度で跳ね除け続けたのだと言う。


「表向きは年の近い友人として仕えつつ、周りを動かして色々やったんだけどね。

これがまた面白いぐらいに上手くいかないの。

グラグラ揺れながらも最後の一線で何度も何度も踏み止まり続ける」


 当初の十年と言う想定を超えた以上、自分の負け。

 詩乃は自らの正体を明かした上で、褒美をやろうと持ちかけたらしい。

 しかし、


「あなたさえ良ければこれからもお友達として傍に居てくれると嬉しいです――だって」


 九尾の狐相手にそんなことを言えるのは狂人か英傑の二択だろう。

 そして福は後者だった。


「ご褒美でも何でもないでしょ? でもまあ、他にやることもなかったし付き合おうと思ったんだ」

「読めた。以後の春日局の権勢は母さんの助力があったわけだ」


 権謀術数の化身みたいな女の力を得られるのだ、権力など思いのままだろう。

 詩乃の性格上、自分で負けを認めたのなら曲解して力を貸すこともないし栄光は約束されている。


「ンフフフ……ハ・ズ・レ。福ちゃんは私の力なんか借りなかったよ。

いや、女中として身の回りの世話をしたり公家の教養を授けたことはあったけどね?

でも、それにしたって前者は私の仕事だし後者も頼まれてやったわけじゃない。

あの子の教師が微妙だったからついつい口を出しただけ」


 福の栄光はあくまで彼女のものだと詩乃は断言した。


「福ちゃんが私に願いを口にしたのは今わの際の一度きり。

大奥が徳川を殺す毒とならばあなたの手で誰の目にも惨めで、滑稽な幕引きを。

“友人として、どうかお頼み申し上げます”――だって」


 どう思う? と詩乃が水を向けてくる。

 威吹は素直に答えた――巧いことを言うものだと。

 化け物は自らのルールを押し通せないことを嫌う。

 今回の場合で言えば勝利に対する対価だ。

 自分に勝ったのに対価を求めない福。

 しかし、無理に何かを求めさせるのは勝者への礼に欠く。

 詩乃は数十年以上、消化不良を抱えていたはずだ。

 そこにこのお願いは……ああ、重ねて言うが巧い。

 守護ではなく破壊を願ったのもそう。


「あの子はね、待ってたの。本当に大切な何かを見つけるその時まで。

あの子はね、考えてたの。本当に大切な何かのためにどう願いを託せば良いかを」


 すっかり騙されちゃったよ。

 そう言って笑う詩乃の顔には友情と誇らしさが滲んでいた。


「世継ぎのためだけじゃなく他にも様々な理由で大奥は必要なシステムだった。

おいそれと潰して良いようなものではなかった。

でも同時に、女だけの閉じた世界で生じる闇と歪みについても福ちゃんは理解していた」


「女が国を傾けた例が身近に居るし、そりゃ危機感を持つわな」


 代表的な悪女が詩乃と言うだけで他にも傾国の女は存在する。

 女の欲深さと悪性が愚かな男が交わり最悪の科学反応を起こすのは、そう珍しいことではないのだ。


「だからそこらのバランスを見極めるのが得意な母さんに託したわけだ。

傾国センサーが反応したらガッシャーン! してもらうために」


「ンフフフ、甘いね威吹」


 ? と首を傾げる威吹に詩乃は語る。


「私は私が思う以上に、福ちゃんのことを気に入ってたみたいなんだ。

だから、あの子が残したものが崩れ去るのが惜しいと思ってしまった。

正直、何回か分岐点はあったんだよ。私が手を出さなきゃ駄目になるだろうなって時がさ」


 まさか、と目を見開く。


「介入したよ。大奥を維持するためにね。

理由はさっき言った通り。福ちゃんは私がこう動くだろうと織り込み済みであのお願いをしたんだよ」


「ほー……流石は春日局。才女だねえ」


 威吹がそう言うと詩乃はでしょ? と上機嫌に笑う。

 本当に福のことが気に入っているらしい。


「ところで威吹。昔話も良いけど折角の料理が冷めちゃうよ?」

「おっと」


 そこからはお喋りを慎み食事に集中。

 そして食後。いよいよデートのシメだ。

 威吹は詩乃を連れ帝都を一望できる高台へと向かった。


「夜景? 今日は月も星も、街の灯りもイマイチな感じだけど……」


 今日はいつもより血の気の多い連中が暴れ出すのが早いらしい。

 空は妖気でどんよりと曇り、あちこちから怒号と叫喚が聞こえる。

 まあ化け物の夜景と言うのであればこれが正解なのだろうが、今回に限っては違う。


「流石にこれがトリじゃ白けるでしょ?」


 威吹は帝都を背に、指揮者の如く腕を振るった。

 するとどうだ? それに呼応するように帝都のあちらこちらから花火が上がり始めたではないか。


「月も星も、街灯りさえも見えない夜。だからこそ、夜空に咲く花が映えるのさ」


 黒天に咲く色とりどりの花。

 美しいそれは……なるほど、デートのシメにはピッタリだろう。

 問題は、花火の正体だ。

 この花火の正体は帝都で暴れ回っている化け物たちである。

 どういうことかって?

 帝都全域にばら撒いた自らの分身を使い化け物らを花火に変化させて打ち上げているのだ。

 見た目は綺麗な花火だが、内情はきたねえ花火そのものである。

 まあ、


「綺麗な花火だね。ンフフフ、お母さん……すっごく嬉しい」

「喜んでもらえたのなら何よりだ」


 この親子はまるで気にしていないのだが。

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