狐と猫

 威吹が演説を行った同日夜、詩乃は一人、飲み屋街にある大衆酒場を訪れていた。

 特に深い理由はない。単なる食事だ。

 普段は自宅で威吹相手に腕を振るっているのだが今日は帰らないと連絡があったのだ。

 威吹のために甲斐甲斐しく家事をしているが、自分のためだけとなると詩乃は割とずぼらだった。


「うーん、この出汁巻き……チープな味」


 贅の限りを尽くし、国を傾けた九尾の狐。

 そんな女が安っぽい大衆酒場で満足出来るのか?

 そう思うかもしれないが詩乃は存外、こう言うのもいけるのだ。

 毎日通うほどでもないが、時々ならば下品な喧騒をBGMに一人手酌で飲むのも悪くないと思っている。


「それにしても、やっぱり話題は威吹一色になってるなあ」


 ここに来るまでもそうだったが、店の中でも威吹の名前が飛び交っている。

 まあ、当然だろう。

 帝都の空をスクリーンにした愉快犯丸出しな演説。あれを無視することは出来まい。

 詩乃は徳利を傾けながら、客たちの会話に耳を傾ける。


「いやはや、スカっとしたぜぇ。前々から気に入らなかったんだよな、あの集団」

「分かる分かる。ガキ相手にムキになるのも何だかなーって放置してたが」

「ああ、今回は同じガキ。それも百年も生きてねえ雛鳥どころか卵みてえなガキにやられたんだもんな」


 うらぶれた店の雰囲気から分かるように客の年齢層は高い。

 そして全員が全員と言うわけではないが、歳を経た化け物ほど威吹に好意的な傾向が見られる。

 いや、より正確に説明するなら化け物としての本分をブレさせていない者らと言うべきか。


「にしても戦争かあ。五日後に出航だっけ? 派手なことになりそうだから参加しようかな」

「でも名目上は若手組主導なんだし、年齢制限あるんじゃないの?」

「年齢なんてわかんないわ。十七歳ですって言えば万事OKよ」

「天才かよ」

「まあね」


 威吹の侵攻が始まれば西も東もただでは済まない。

 火種は一気に燃え上がる。

 手綱を握る者が居なければ制御不能の戦争が始まってしまう。


(私も含めて手綱を握れそうな奴は誰もその気がないしね)


 酒呑童子のような脳筋を除く大妖怪ならば威吹が起こした戦争の手綱を取ることは出来る。

 穏当に着地させ、多少歪ではあるもののこれまでと変わらない日々を継続させられる。

 が、自分も含めて頭の回る奴は誰も動かないことを詩乃は知っていた。


「ああでも、戦争は良いけどあの小僧が目立ってんのは気に入らないかな」

「仕掛けんの?」

「うん。戦争は中止になっちゃうけど、アイツがイキってる方が嫌だもん」

「は? ふざけんなよ。戦争利用して賭けやるつもりなんだから潰されちゃ困るんだよ」

「知らないよ。じゃあ先にお前が死ね」


 殺し合うなら外でやれ! と言う店主の言葉に促され複数の妖怪が外に出て行った。

 見たところ図抜けて強い者は居なかったので、かなり長引きそうだ。

 そんなことを考えながら次の銚子に手を伸ばしたところで、声をかけられる。


「お隣、よろしいですか?」


 首に巻いた赤いリボンがキュートな黒猫――黒猫先生だった。

 詩乃は少し驚いたものの、どうぞと黒猫先生を促し隣に座らせる。


「先生もお夕飯?」

「ええ。買い溜めしていた現世の猫缶のストックが切れてしまいまして」


 黒猫先生は串焼きセットとビールを注文し、詩乃にこう切り出した。


「学校をサボって何をしているのかと思っていたら……やってくれましたね」

「ンフフフ、うちの子がごめんなさいね」


 深々と溜め息を吐く黒猫先生。

 教職の立場からすれば、威吹の行動は厄介極まりない。

 とは言え、だ。教職と言う名の猫の皮を剥がせば話はまた変わってくるだろう。


「向こう見ずは若者の特権とは言え……」

「それは違うよ先生」


 確かに化け物として動いている時の威吹は刹那的だ。

 深く考えずに行動に移してしまう。


「あの子の興味は、好奇心は、戦争の“先”だからね」


 無論、戦争自体も面白そうだと思っているし期待もしているのだろう。

 西の化け物がどう動くのか、そそるような手合いは存在するのか。

 それも楽しみにしているはずだ。

 が、威吹が一番関心を抱いているのは戦争の後だ。


「分かってて……ああいや、うん。理解しているのなら尚更、やらない理由がないか」

「でしょ? 若手組や若獅子会だって元はそのためのものだもん」


 黒猫先生の目が大きく見開かれた。

 どうやら知らなかったらしい。


「それはどう言う……」

「知りたい?」

「是非に」


 可愛い我が子の面倒を見てくださっている先生だ。

 少しぐらいのサービスはしてあげても良いだろう。

 詩乃は徳利の中身を一気に飲み干し、語り始めた。


「この国の化け物は些か以上に人間に近付き過ぎた」


 染まり過ぎたと言い換えても良いかもしれない。


「現世と正式な交流が始まった時点で、こうなることを予期していた者らも当然居るけどね」

「あなたもその一人ですか?」

「そうだね。けど、私はあんまり関心なかったかな。正直どうでも良いよ」


 千年前からもう、威吹以外は見えていなかったから。


「でも、どうでも良くないと思う者らも居た。人にも化け物にも領分がある」


 それを侵せばどうなるか。

 そこに目を向ければ今の平穏がどれほど儚いものかを理解するだろう。


「単にスタンスが人間のそれに近くなるだけなら良いんだけど」


 そうじゃない。物理的な意味でも化け物は変わっている。

 その変化は、少なくとも人間にとっては歓迎すべきものではないのだ。


「ねえ、気付いてる? この六百年で親を持つ妖怪が増えてるんだよ?」

「それは……いや、言われてみれば確かに……」

「教育の現場に居る黒猫先生なら分かるでしょ?」


 妖怪の生まれ方は多岐に渡る。

 自然発生。父と母の間に。或いは単為生殖で。


「現世と交流を持つまでは、どれが一番多いとかそう言うことはなかったのにね」


 だが今は違う。明確に雌雄で子を成すケースが増えている。


「繁殖方法だけじゃない。繁殖率もそう」


 他種族同士は元より、同種族の間でも子が生まれ難い時代があった。

 寿命がなく個体としての性能が高いから、増える必要がなかったのかもしれない。

 まあそこらの詳しい理由については知らないし、さして興味もない。

 重要なのは生まれる子供の数が増えたと言う一点のみ。


「今のところ人間ほどポンポン生まれてるわけじゃないけど」


 繁殖率はこれから徐々に徐々に増えていくのは間違いない。


「これが何を意味するか、先生なら分かるよね?」


 人間と同じような思考形態で、人間よりも性能が高い生命体。

 つまり、妖怪が人間の上位互換になりかねないのだ。


「今はまだ、人間にも強みが残ってるけどそれは時間によって消え去るアドバンテージでしかない」


 繁殖力であったり、人間が弱さを埋めるために積み重ねた知識や技術。

 色々とあるけれど、それらは時間をかければ獲得出来る。

 人間の在り方に近付いた化け物ならば習得は可能だ。

 そうして化け物が人の強みをドンドン獲得し、

 逆に人間が強みを失い妖怪の完全なる下位存在へと引き摺り下ろされた時――――さあ、どうなる?


「六百年前の大戦争は人外同士によるものだったけど……ねえ?」


 詩乃の口元が邪悪に歪む。


「……」


 黒猫先生は無言だった。最悪の想像をしているのだろう。

 仮に、仮に表と裏。

 人間対人外の大戦争が起きた場合、どうなってしまうのか。

 どちらかの勝利によって表裏、諸共に世界が滅びるのか。

 もしくは世界の再統合が起きるのか。

 どうなるかは分からない。分からないが、試せるようなものでもない。


「人間の中にも私が今示した可能性に気付いてる者は居るだろうね」


 でも、言えない。何も出来ない。

 その可能性を示唆した時点で恐怖の種が植え付けられてしまうから。

 人間は弱い。心も、身体も。そして愚かだ。

 だからこそ、あり得るかもしれない最悪の可能性を知れば……。

 意識してしまったらもう、駄目だ。

 聡い人間ほど、この案件に対し慎重にならざるを得ない。

 慎重になると言うことはイコール、大きな行動を起こせないと言うことでもある。


「…………あなたは、どう捉えておられるので?」

「んー、なるようになる――かな? 他も大体、そんな感じだと思うよ」

「他の大妖怪も?」

「基本は静観だけどちょっとスタンスが違う奴らが居るね」

「と言いますと?」

「やるならやるで、キッチリ色分けしてからやりたいって感じかな」


 現状。人間に染まり過ぎた化け物も、そうでない化け物もなあなあで暮らしている。

 仮にこの状態で戦争に雪崩れ込めば人外対人間の構図になるが、ちょっと待て。

 それは違うだろうと異を唱える者が居るのだ。


「人間の真似事をする化け物を快く思わない化け物が居るのは分かるでしょ?」

「ええ……ああ、色分けとはそう言う」


 意識せずとも化け物の領分を堅持する者らが動かないのには理由がある。

 気分が乗らないから。これだ。しかし、化け物らしい化け物にとって気分と言う要素は重要だ。

 個々人同士での諍いならともかく、大規模な動きになることはまずない。

 とは言え、切っ掛けがあれば火が点く状態ではある。

 一度火が点いてしまえば後はもう簡単だ。対立は表面化し、なあなあの状態は終焉を迎える。


「では、若手組や若獅子会がそのためにあると言っていたのは……」

「うん。あれはね、元々潰えることが前提で作られた組織なんだよ」


 若手の実力者であることを前面に押し出す――すなわちある種の特権階級。

 特権階級であることを自覚させるための好待遇。

 秩序の守人と言う大義を使わせての若年層の支配。

 他にも色々あるが、この三つだけでも分かるだろう。

 意図して、人間のよろしくない部分を真似た組織構造をしているのだ。

 その理由は……ここまでの話を聞けばもう分かるだろう。


「若手組は既に潰えた。看板こそ使ってるけど、あれが別物なのは子供でも分かるよね」


 化け物らしい化け物によって若手組は潰された。

 残るは西だ。若獅子会が威吹の手で潰された時、燻っていた火種は一気に燃え上がる。

 百にも満たぬ小僧がそれだけ派手なことをやれば刺激されるのは当然だ。

 なあなあの現状は終わりを告げ、明確な対立が浮き彫りになるだろう。

 領分から逸脱した化け物は、領分を守る化け物を強く敵視するようになる。

 時代の変化に適合出来ない危険分子であると。

 領分を守る化け物は、逸脱した化け物らを蔑み燻らせていた不満を敵意へと変える。

 こんなしょうもない連中が幅を利かせているのは気に喰わぬと。


「先生は、どっちにつくのかな? ンフフフ♪」

「……私個人としては、領分を弁えた化け物に分類されるでしょう。私自身は領分云々など意識はしていませんが」

「まあ、それはね。分かり易く説明するために領分って言葉を使ったけど少しズレてるのは自覚してるよ」


 領分を守る化け物に分類される者らは、領分を守っているなどというつもりは微塵もないだろう。

 自分が正しいと――いや、好ましいと思う在り方をしているだけだ。

 領分から逸脱した化け物を嫌うのも、同じ化け物なのに気持ち悪い在り方をしているから。

 そこにご大層な理由などありはしない。


「ですが私は教師です。好きで、やりたくてやっている教師です。

であれば生徒らが己の道を迷いなく進めるよう育ててやるだけの話」


「なるほど。良いんじゃないかな」


 火種は一気に燃え上がる。

 そう言ったが、完全に二極化するとは欠片も思っていない。

 ただ、対立が浮き彫りになるだけだ。

 興味がない者はどちらにもつかず、気ままに生きるだろう。


「あなたもそうでしょう?」

「まあね」


 詩乃自身はどうでも良いのだ。

 実際に人類との大戦争間近に迫れば多少は真面目に考えはするだろう。

 だがそれは先の話だ。

 領分を逸脱した化け物らが人の強みを手にするとしても百年二百年ではとても足りない。

 千年単位のスケールなのだから今、考えてもしょうがないだろう。


「大妖怪と言う存在は、つくづく気ままなものですね……」


 グビッ、とジョッキを呷る黒猫先生。

 かなりシュールな絵面なので、詩乃は思わずパシャってしまった。


「ちなみに狗藤は知っているのですか?」

「当事者になってるからね。薄々気付いてるんじゃない?」


 気付いていて乗っている。

 火をつける役をノリノリで演じようとしている。


「まったく……困ったお子さんですよ」

「ンフフフ、ごめんなさいね? お詫びと言っては何だけど、今日はご馳走させてもらうから」


 新たに注文をしようとするが、


「御歓談中失礼致します」


 見知らぬ妖怪にそれを遮られる。

 外見年齢は二十代後半の、出来る女上司と言った印象を受ける女。

 見覚えはないので無視しても構わなかったが、どうぞと先を促す。

 と言うのも詩乃は今、割とご機嫌なのだ。

 理由は言わずもがな、威吹である。

 活き活きとロクでもない演説をする威吹がとても楽しそうだったから詩乃も機嫌が良いのだ。


「私は棗。元東国若手組第三席にして、現在は賢妖衆に所属しております」

「ふぅん」


 若手組に明確なトップは居ない。

 と言うことになっているが十三人の中に序列は存在している。

 席次の順番で上から順に発言力が高くなる仕組みだ。

 そして賢妖衆。若手組で任期を全うした者らが向かう天下り先の一つだ。

 これらもまた、ロクでもない仕掛けの一つである。


「その棗さんが私に何か御用かな?」

「昼頃、御子息が成された宣言はご承知の上かと思います」

「まあね」

「あれは、よろしくない。玉藻御前様の口から愚行を止めるよう説得して頂けませんか?」


 ああ、そう言うアレか。

 詩乃の機嫌が急激に下降したことに棗は気付いていない。


「このままでは我らとしても動かざるを得ません。

そうなれば、実力からして殺さずに彼を止めると言うのは困難を極めます。

我々としましても、次代を担う強き化け物を無為に失うと言うのは不本意なのです」


 黒猫先生があちゃー、と前足で額を抑えた。


「私ね、普通の馬鹿は嫌いじゃないんだよ」

「は?」

「馬鹿は馬鹿だからね。変に目くじら立てる方が大人げないって言うのかな」


 だから馬鹿に対しては寛容になれる。


「でも自分が“頭良い”って勘違いしてる救いようのない馬鹿は嫌い」

「何を……」

「君さ、威吹を殺そうとしても私や酒呑童子、僧正坊が動かないって分かってるでしょ?」


 棗の表情に緊張が走る。


「それはその通り。理由は違えど私もあの二人も動かないよ。

でもさ、それを計算に入れなきゃ喧嘩も売れない小賢しい相手ってどうなんだろうね?」


 威吹がどうこうではなく単純に気に入らない。


「安全圏からしか囀れない腰抜けが調子に乗ってるのは不愉快だよね」

「あ、いや……それは、そんなことは……」

「分を弁えて視界に入らず隅っこで息を殺してビクビク震えてるだけなら、まあ許してあげても良いんだけどさ」


 さも自分が特別であるかのような顔で現れ、

 目の前で堂々とくだらないことをピーチクパーチク囀られては見逃せない。

 ゴキブリを見つけたらとりあえず潰すだろう?

 殺そうとして逃げられはしても意図的に見逃しはしないだろう?


「棗ちゃん、人間の恋人が居るんだね」

「!?」

「年下――なのは当然として、年齢は十八歳ぐらい? 付き合って三年ぐらいかな?」


 何故分かったのか。臭いだ。

 臭いを嗅げばその程度の情報は得られる。


「よし決めた。ゲームをしよっか」

「げ、ゲーム……?」

「これから棗ちゃんを含めて十三人の元若手組を攫う」

「え、あ……」

「そしてそれぞれが情で一番深く結ばれた相手も攫って来よう」


 二人一組ずつ、どこかの個室に監禁するのだ。


「私は言葉で君たちを憎しみ合わせ、殺し合うよう仕向ける。

期限は……そうだね、五日。威吹が帝都を発つその日まで耐えられたのなら解放するよ」


 以降は一切、手を出さない。

 五日、たったの五日、悪い狐に唆されなければ良いだけの話だ。

 簡単だ、実に簡単なゲームだ。


「お、御許しを……どうか、どうか御許しを……!!

謝ります、何でもします、狗藤威吹……威吹様にも決して手出しはしません!!

ですから、どうか、どうか御慈悲を……!!」


 涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら懇願する棗に、詩乃は優しく微笑んだ。


「大丈夫。“賢い”棗ちゃんならこの程度、何なく乗り越えられるからさ」


 ああでも、と詩乃の顔が邪悪に歪む。


「徒党を組んだ程度で威吹をどうこう出来ると勘違いしてる頭じゃ難しいかな?」


 一番気に入らない点はこれだ。


「あ、あ、あ、あ」

「ンフフフ♪ がんばれ♥ がんばれ♥」


 舞台裏で地獄のゲームが始まる……。

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