西の一幕
「…………全然釣れへんぞ」
幻想世界の京都府内某所にある釣堀で一人の青年が釣り糸を垂らしていた。
癖毛と眠たげな瞳が印象的な彼の名は安浦
人間のような姓名をしているが、生粋の妖怪である。
「ここ釣堀やろ? せやのに釣れへんっておかしいやろがい」
糸を垂らして三時間。未だ釣果はゼロ。
水の中に魚の気配があるのは分かる。
しかし、一匹たりとて餌に食いつこうとはしない。
これはおかしい、明らかにおかしい。
この釣堀の店主が魚にそういう教育をしているのではと勘繰ってしまうほどに。
「……いや待てよ。釣られたんは実は俺やったっちゅーオチかこれ?」
釣堀だが何を釣るかは明言されていない。
この釣堀は金を払いまんまと釣れない釣堀にやって来た間抜けを釣るためのものでは?
だとすれば見事の一言だ。
こうも見事に釣られてしまったのであれば怒りも沸かない。
素直に負けを認めよう。そして鮮やかな手腕を見せてくれた釣堀の経営者に賞賛を――――
「あ、パパ! 釣れたよー!!」
「お、凄いな大輔は」
「!?」
真の顔が驚愕に染まる。
溢れ出る敗北感。
ここまで惨めな気持ちになったのは十九年生きて来て初めてだった。
「…………坊主、おどれ将来は大物になるで」
「???」
自分を上回った少年の頭をポンと撫で、真は追加の餌を買うべく立ち上がった。
確かに負けた。負けたがこのままでは終われない。
こうなったら釣れるまでやる――真は深く、そう決意を固めていた。
「――――っし、こうなったら何十年でも付き合ったるわい」
大量に餌を買い込んだ真は凛々しい顔でそう宣言し、釣り糸を放り投げようとするが……。
「何アホなこと言うてるんですか……堪忍してくださいよやっさん……」
「あ゛? って何や……タコかいな」
剣呑な空気と共に振り返った真だが、見知ったスキンヘッドの少年を認識した途端に殺気を霧散させる。
「おどれも釣りか?」
「なわけないでしょ。やっさんがここにおる言うから来たんですよ」
「何ぞ用でもあるんかいや?」
ヒュッ! と糸を放りつつ問うと、タコは深々と溜め息を吐いた。
失礼な奴め。釣堀に蹴落としてやろうかと思う真であったが、グッと我慢。
流石にそれは大人気なさ過ぎる。
「会合ですよ会合」
「会合? 今日、商店街の集まりなんかあったっけ?」
真はこう見えて小さな居酒屋の経営者である。
自身の店が入っている商店街での会合にもマメに顔を出し、
率先して面倒事を引き受けているのでその評判は高い……と言うのは余談か。
「ちゃいますって。若獅子会の会合ですよ」
「あ? あぁ……それか。どうでもええわ」
若獅子会。正式名称は西国若獅子会。
二百歳以下の実力者で構成された若い化け物の寄り合いで、真は今代の会長を務めていた。
と言っても本人にやる気はない。
今の若手で一番強いからお飾りでも良いから頭になってくれと恩人に頼まれ名前を貸しただけ。
真にとっては若獅子会よりも、商店街の集まりの方がよっぽど重要だった。
「それよかタコ。おどれ釣り上手かったよな?」
「え? まあ、はい」
「奢ったるからちょいと見本見せてくれや」
「いやいやいや! やっさん! 前々から言おう言おう思てましたけど何でそないやる気ないんですか!? アンタ僕らの大将でしょ!!」
ガクガクと身体を揺するタコに真は深々と溜め息を吐いた。
「逆に聞きたいねんけど何でやる気があると思うん?」
若獅子会。そして東の化け物たちの寄り合いである若手組。
真にはこの二つの組織の存在意義が分からない。
「何が若獅子会や。しょーもないにもほどがあるで」
「しょ、しょーもないって……」
「いやまあ、おどれも含めてアホどもは真剣にやっとるようやし?
浮きに視線を固定したまま、深々と溜め息を吐く。
「気の合う奴らとつるむ言うんは分かる。俺も商店街の皆とは旅行行ったりするしな。
こないだも現世のな、東京行って来てん東京。流石は華の大都会。三日じゃ足りへんわ」
気の合う仲間と美味しいものを食べて、色んな場所を見て回って。
楽しい、楽しい旅行だったと真は笑う。
「若獅子会のアホどもとやったらこうはいかん。だって俺アイツら好きやないもん。
それはアイツらも同じやろうな。俺のこと好きな奴とかおらへんやろ。やのにアイツら、俺を頭と認めとる」
もうその時点で理解が出来ない。
しかし、まだ理解が出来ない点がある。
「好んで若獅子会に所属しとる奴ら同士でもや。そり合わんのが殆どやろ?
せやのに組織としてまとまっとる――――何やそれ、気持ち悪ッ」
利害得失だとか秩序だとか、そう言うのは人間の領分だろう。
化け物がそこに踏み入るのは違うと言うのが真の意見だった。
「せ、せやけどやっさん! それ言うたらやっさんもやないですか!?
嫌々頭張っとるんとちゃいますのん? 他の幹部の御方々と変わらんでしょう!!」
「いや、ちゃうよ? だって俺、連中とつるんどる言う意識ないし」
恩人が土下座をしてまで頼んだから大将の座を引き受けた。
誰のためでもない、自分が恩人の願いに応えたいと思ったからだ。
そして仮にお飾りではなくしっかり大将をやってくれと言われていたなら、普通に断っていた。
「俺は別にお飾りの頭であることに不満はないねん。
一々俺を巻き込もうとする連中が鬱陶しくて理解出来んちゅーだけでな」
そもそもからして、だ。
就任の際にそこらの所信表明はしっかりしてあるのだ。
なのに何かあると、大将だからと自分を引き摺り出そうとしてくる。
「おかしいやろ? 俺、ちゃんと言うたぞ。不満あるんやったら今直ぐ言え。
そしたら大将の椅子から降りるし、お飾りでええんやったら俺に関わるなってな」
不満はあるのだろうが誰も言葉にしなかった。
それは幹部連中にとって自分が大将の椅子に座るのに都合の良い部分もあったから。
ようは損得だ。
マイナスもあるが、概ねプラスだったから異を唱えなかったのだ。
「で、でも……組織に不平不満あるんなら変えればええやないですか……大将なんですし……」
「いや、おどれが俺にやる気ないとか言うから思ったことを話しただけやで?
何で俺がわざわざしょーもない思てるもんのために骨折らなあかんねん」
自分の思い通りの組織を作りたい。
そう言う欲望があったのならそうしていただろう。
が、そんな欲求は一欠けらもありはしない。
「存在するだけでムカつく言うんなら、ああ全力で潰したろやないかい」
だが違う。若獅子会は何度も言うが“しょーもない”なのだ。
怒りではなく呆れ。
それは積極的に行動を起こす燃料にはなり得ない。
「…………」
「何やタコ? 言いたいことがあるんならハッキリ言えや。俺は別に怒らへんぞ」
「……ほな、言わせてもらいますわ」
「おう」
「独立独歩。自由気ままが化け物の在り方――やっさんはそない考えてるんちゃいますか?」
「まあ、せやな」
概ね間違ってはいない。
だが、それがどうしたと言うのか。
「それ、古いですわ」
「ほう」
「今はそう言う時代ちゃうんです。
表は表。裏は裏でそれぞれ独立しとった時代はとうに終わったんです。
せやったら、それに合わせて僕らも変わらなあかんでしょ。
人間見下して、胡坐かいとったら……僕ら、ホンマに滅びますよ? 人間舐めたらあかんわ」
真は人間を舐めているなどとは一言も言っていない。
むしろ彼は人間を評価している。
そこを勘違いされるのは面白くない。
「おいタコ、俺は別に人間を軽んじてるわけちゃうぞ。むしろ評価しとる」
人間ほど可能性に満ちた存在はいない。
仮に化け物と人類、どちらかが根絶やしになるまで終わらない戦争を始めたとしてだ。
最後の最後に勝利するのはきっと人間だろうと思っている。
「せやったら分かるでしょ? 協調ですわ協調。
好き勝手やっとる暴君と誰が仲良うしたがるんです?
人間とええ関係を築くためにも、僕らが歩み寄って在り方を変えな」
「……おどれ、真性のアホやな」
元々、頭の良いタイプではなかった。
しかし、ここまで思慮が足りない男だとは思ってもみなかった。
真にアホと言われたタコは怒りも露に顔を真っ赤にするが……それだけだ。
隔絶した実力差を知るからこそ、噛み付くことさえ出来やしない。
「仲良うしたいなら尚更、互いの領分を忘れたらあかんやろがい。
仮に俺が人間の偉いさんやったら人間の真似事しとる化け物なんぞ――――……」
ふと、脳裏にある推測が浮かび上がる。
妄想の類とも斬り捨てられるような、割と突拍子もないことだ。
「やっさん?」
「……もしかして、そのために?」
東国若手組。西国若獅子会。
大妖怪が設立に関わったとも言われる存在意義の分からないこの両組織。
これがもし、自分の推測通りの理由で存在するのだとしたら……。
「正しい形に戻すため……ちゃうな。見せしめ? 色分け?」
「やっさん? やっさん! どないしたんです急に」
「ん? おう……いや何でもないわ」
「何でもないて。明らかに何かある顔でしたやん。やっさんのマジ顔とか久しぶりに見ましたよ僕」
「じゃかましわ」
それにしても、と真は浮きを睨み付ける。
ピクリとも反応しない。
これはやはり、この釣堀は釣り人を釣るためのものなのでは?
先ほど釣果があった子供は――――そう、サクラ。
釣れる可能性はありますよ、だから諦めないでと囁く悪魔の使いなのでは?
真は被害妄想染みた考えをドンドンと加速させていく。
「……おいタコ、おどれこの釣堀をどう思う? 俺が思うにここは――――」
「え? ああ、僕も一時期通てましたけどええとこや思いますよ。初心者の友達でも割りと釣れてましたし」
「は? おどれ、おどれもここの回し者やったんかい!? ようも裏切ってくれたなァ!!」
「はぁ!? 何言うてるんですか! ちょ、痛い痛い痛い痛いですって!!」
よくよく見れば、先ほどの子供以外にもちょいちょい魚を釣り上げている客が居る。
味方がどこにも居ない。
まさか自分一人をハメるためだけにここまで大掛かりなことをするとは。
いやだが、売られた喧嘩を買わない道理はない。
「上等やないけ。男、安浦真。真正面から相手になったるわ……!!」
「あの……何言うてはるか全然分からんけど、暇なんやったら会合出てくださいよ」
「…………はあ、おどれもしつこいやっちゃのう」
「いやでも! 今回はかなり
「おどれ、毎回似たようなこと言うとるやろ」
「いやいや! 今回はマジなんですって! 東との戦争になるかもしれへんのですよ!?」
「ハッ」
真は鼻で笑った。
若獅子会に入ってまだ三年ほどだが、それまでも噂話ぐらいは何度か耳に入ってきた。
東との戦争、これもそうだ。
何年かに一回、西の化け物が東でやらかしその度に戦争になるかもと言われて来たが……。
「これまで一回でも戦争になったか? なってへんやろ」
大規模な抗争になるのを恐れたのだろう。
大概、一度少し大きくぶつかってそれで手打ちと言うのがお決まりのパターンだ。
「う゛……いやでも、今回もそうなるとは限らへんし……」
「なるやろ。若獅子会も若手組も。仕切っとる奴らが骨なしチキンなんやし」
と言ったところで真はある人物を思い出した。
面識はないが、何かと噂が聞こえてくる超新星――狗藤威吹。
伝え聞く話だけでも、かなり好みな男だ。
性格上、若手組なんかに属してはいないだろう。
だが何かの切っ掛けで若手組や西と東のいざこざに関わる機会があったのなら……。
(――――おもろいことになるかもなあ)
もし、狗藤威吹が動くのであれば西の若大将と言うくだらない役を演じるのも吝かではない。
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