ある師弟の一幕
鞍馬修験場と銘打たれた鳥の巣内部に存在する修練場では僧正坊とリタが剣戟を繰り広げていた。
一瞬たりとて一所に止まらぬ、高速戦闘。
しかし、如何な怪異殺しとは言え相手は大妖怪、大天狗。
実力をリタより少し上程度に抑えていたとしても、中々に攻め切れない。
それどころか、彼女は少しずつ押され始めていた。
「そらそら、少しずつ対処が遅れとるぞい」
唐竹と見せ掛けて逆袈裟――でもなく刺突。
殺気を用いてのフェイントに惑わされたリタは対処が遅れ右肩を穿たれてしまう。
「くっ……!!」
化け物と違い、人間は何もせずとも直ぐに傷が塞がるようなことはない。
僧正坊はリタに癒しの術を使う暇を与えず、苛烈に攻め続ける。
利き手が使い物にならなくなり片手で刃を振るうリタでは、その猛攻を凌ぎ切れない。
「うーむ」
そろそろ潮時か。
そう判断した僧正坊は少し強めの斬撃を放ち、敢えてそれをリタに受けさせた。
両手でならともかく、片手で受け止めるには威力が強過ぎた。
たたらを踏み、仰け反ったリタの手から刀を弾き飛ばし返す刀でその切っ先を彼女の喉下に突き付ける。
「…………参りました」
「うむ、お疲れさん」
そう笑顔で告げると、リタは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
ぜえぜえと息を荒げる彼女にスポドリを投げ渡し、僧正坊は講評を始める。
「リタちゃんはちょいと、感度が良過ぎるのう」
「……セクハラ?」
「違うから」
「冗談、続けて」
無表情のままそう言われても反応に困る。
が、出会った当初より感情が豊かになったのは良いことだ。
「儂が殺気を使った小細工を仕掛けた時、リタちゃん。どれが虚でどれが実かを見抜こうとしたじゃろ」
「当然。でなければ、攻撃を喰らう」
まあ、その通りだ。
間違ってはいない。
「何か問題が?」
「いんや? “常識の範疇におる”奴とやり合うならそれが正しい」
常人よりも硬く強い上に、数多くの技も収めているとはいえリタは人間だ。
人外と戦うのであればなるべく攻撃を避けようとするのは間違いではない。
間違いではないが、そのやり方が些かよろしくない。
「大概の相手はそのやり方でも問題はなかろうよ。
いや、リタちゃんなら向こうが何かするよりも早く相手を討てるじゃろう。
が、リタちゃんと伯仲するような手合いじゃとのう。そのやり方は拙い」
リタと同格の相手、これが人間ならば問題はない。
しかし、リタと同格の化け物であれば話は変わってくる。
「実力に差がなくとも、生物としては厳然たる性能差があるからのう」
「性能差……」
「ザックリ言えば持久力や耐久力じゃな」
リタと五分の化け物ならば、その再生能力も並大抵ではないはずだ。
ゆえに攻撃に対してそこまで過敏に反応する必要はなくなる。
「対してリタちゃんはどうじゃ? 基本、攻撃を喰らうわけにはいかんからのう。
だからリタちゃんは防御や回避に細心の注意を払っとるが……こりゃあいかん。
分かり易く言うとじゃ。序盤からずーっと虚実織り交ぜながら攻められればあっちゅー間に息切れするぞい」
先ほどリタが肩を穿たれたのはそのせいだ。
最初の体力と精神力が満ち満ちた状態ならば突きにも対処が出来ていただろう。
肩を穿たれたのはそれ以前の攻防で集中力を削られたからだ。
「ただでさえリタちゃんは天性の集中力を持っとるわけじゃしなあ」
フェイントを仕掛けられたら、即座に対応に移ってしまう。
それこそ反射の領域に近しいほどのレベルだ。
しかし、フェイントを見極めるため即座にギアをトップまで上げていたら消耗も大きくなる。
「ペース配分?」
「不正解。全力で対処せにゃ捌き切れんようなフェイントを幾度も繰り返されたら意味ないじゃろ」
つまりは、根本からやり方を間違えているのだ。
「虚実なんぞ無視してしまえ。当たる攻撃だけを防ぐなり避けるなりせい」
「いやだから、そのために……」
感情は以前よりも豊かになった。
しかし、生来のものか今は亡き大西なる老人の束縛ゆえか。
リタはどうにも頭が固い。
自分で気付くのが一番だが、今しばらくは直接言った方が良さそうだ。
そう判断した僧正坊はリタの抗議を手で制し、語り始める。
「儂が己と同格の相手と真面目に戦うのであれば、じゃ。こうする」
場内の空気を自らの妖気を以って掌握すると、リタも言いたいことが分かったらしい。
「センサー?」
「のようなもんじゃな」
フェイントは所詮、フェイントだ。
リアルな殺気のせいでそうと錯覚するだけで実際に攻撃が来ることはない。
だから放置して、実際にやって来る実のみに対応すれば良い。
そのための風の結界だ。
「空気を乱さずに動くことは出来んからのう。
自分へと向かうそれにのみ気を払う……いや、気を払う必要さえない。
そこへ来ると分かっている攻撃なら反射で対応出来るじゃろうて」
そしてその分、浮いた集中力を攻める――いや、相手を殺すことに注げば良い。
「……しかし、これはこれでリソースの消費が……」
「何も儂と同じことをしろとは言うとらんよ」
分かり易く説明するためにこうしただけで、節約しようと思えばもっと切り詰められる。
僧正坊は風を可視化し、リタにもよく見えるように腕を突き出す。
「こうして薄皮一枚にまで絞り込んでやりゃあ問題はなかろう」
「確かに……でも、同じことは……いや、多分出来るけど私の場合は……」
「うむ、風を使ったのはあくまで儂が天狗だからよ。リタちゃんにはリタちゃんのやり方がある」
人間なのだし霊力あたりを使うのが一番だろう。
何なら、専用に新たな術を開発するのも悪くない。
「っと、聞いておらんのう」
着想を得たからか、その思索に耽っているらしい。
ブツブツと独り言を呟きながらああでもないこうでもないと顔を顰めている。
(さてはて、どうなるもんか)
威吹と決着をつけるのはまだまだ先のことになるだろう。
加速度的に成長していく二人だ。
その時が訪れたのならば、どれほどのものになっているのか。
僧正坊の顔には自然と、笑みが浮かんでいた。
「そう言えば」
「ん? どうしたい」
「先生は……」
「違う。先生じゃない。“せんせぇ”じゃ。発音に気をつけて? 儂のモチベに関わるから」
「…………せんせぇは、威吹のこと、そこまで好きじゃない?」
「いきなり何て酷いことを言うの?」
まさか孫への愛情を疑われるとは思わなかった。
割と――いや、かなりショックだった。
それこそ、この後の仕事を放り出して飲みに行きたいぐらいに。
まあ、そんなことをすれば梓が黙っていないので僧正坊としても本気でやるつもりはないが。
「だって、目が違う」
「目?」
「一度しか見てないけど酒呑童子と九尾の狐が威吹を見る視線は……何て言うか……」
「ああ、そういうことか」
得心が言った。
確かに、あれらがデフォの愛情だとするなら好きではないと言われるのも已む無しか。
しかしそれは酷い誤解だ。
「あ奴らは……健全じゃねえからのう」
威吹の血に連なる三匹の大妖怪。
その中で真っ当に、健全に、威吹を愛しているのは自分だけだろう。
だが同時に、威吹からの好感度が最も低いのも自分だ。
“普通”に好かれてはいるだろうが、それだけだ。
「健全?」
「化け物の愛情ってのはな、基本的に毒なんじゃよ」
対象に何かを求め執着し始めると、途端に毒が猛威を振るう。
健全な愛情だけを、と言うのならば一定の距離を置くしかない。
「儂もブッキーに期待はしとるが、あくまで受身。
そうなれば面白いだろうなー程度のとこで留めておる」
だからこそ健全に愛せる。
いやまあ、健全と言っても人間の尺度から見ればそう思えない点も多々あるだろうが。
あくまで化け物としては健全、ということで一つ。
「が、酒呑童子と九尾の狐――あ奴らはそうじゃない。
深く、重く、苛烈なまでにブッキーに期待をかけ、求め、執着しておる」
酒呑童子との交わりが命の削り合いならば。
九尾の狐との交わりが心の奪い合いならば。
ならば、ならば、鞍馬の大天狗。僧正坊との正しい交わりとは何か。
答えは――――何もない、だ。
毒を隠し切れないほどの熱量を向けていないのだ、深い交わりなどあろうはずがない。
「じゃからまあ、想いの熱量って点で儂はあの二人に劣っておると言って良いじゃろ」
「…………威吹には、強い執着を見せられるほどの何かを見出せない?」
「いんや、そうでもないぞ?」
ただ、それを示すことを良しとしなかっただけ。
この距離感を是としただけの話だ。
「儂はアイツらと違って“大人”じゃからのう」
「……見た目だけの話では?」
「いやいや、見た目っちゅーんも馬鹿に出来んぞ? リタちゃんは人化の術を知っているかね?」
「それは、まあ」
人化の術、読んで字の如く人に化ける術だ。
一応は変化の部類に入るが、人化の術は容姿の設定は出来ない。
あくまでその化け物が人であったならという可能性を反映し姿を変えるだけ。
「今の儂は人化の術で人の姿を取っとる。後付で細かく弄ったりとかはしとらん――なあ、おかしくねえか?」
「???」
「何で儂は爺の姿になってるんだよって話さ」
「それは、永き時を生きる化け物だから……」
「儂より長生きしとる連中が人化しても若々しい姿の奴は幾らでもおるぞい?」
それこそ、中には子供のような姿になる者も居る。
「儂よりゃ若いが、それでも結構長生きしとる酒呑童子はどうじゃ?
二十代半ばから三十前半って感じの見た目じゃぜ?
九尾の奴は変化で人の姿になっとるがな。
仮に人化の術を使っても二十から二十後半ぐらいまでに収まるじゃろうぜ」
僧正坊より遥かに永き時を生きているのにも関わらず、だ。
何故、同じ人化の術を使っても見た目の年齢にバラつきが出てしまうのか。
「定命の者ならば時を重ねれば老いもしよう。
しかし、儂らほどになるとそういうのとは、とんと縁がなくなる。
好き好んで爺婆の姿になるならともかく、自動でこうなるってのはおかしいじゃろ?」
「…………中身?」
ようやっと話の流れを掴んだらしい――正解だ。
あるラインを超えると肉体ではなく心の在り方が人化の術を使用した際、年齢という形で反映されるのだ。
「じゃからまあ、人化の術でジジババになっとる奴は比較的話が通じると思ってええぞ。
無論、油断は禁物じゃが何か話しを持ちかけるならジジババのがええわい。
態度はぶっきらぼうだったりしても存外、しっかり聞いてくれたりする――儂もそうじゃったろ?」
「言われてみれば……」
リタが僧正坊の下を訪れた際のやり取りを思い出して欲しい。
彼女は取引材料を提示し、その上で願い出たがあれは正直微妙なやり方だ。
損得や利害が行動の根底にある人間ならば正しいが、化け物に対しては首を傾げざるを得ない。
それでも僧正坊が引き受けたのは、その寛容さゆえだ。
「逆にどれだけ柔らかく好意的な態度を見せる奴でもな。
力があって若い姿をしとる奴は油断ならん――具体例は九尾じゃな。
何時じゃったかのう。あれに絡みに行った無謀な人間の女が居たのよ。
美しく、気高く、だからこそ九尾に対してライバル心を抱いてしもうたんじゃろうなあ」
周りが顔を青褪めさせるような言動も平気でしていた。
九尾は表面上、温和にそれを受け止めていた。
だが、その末路は悲惨なものだったと記憶している。
「一つ一つ、自らの拠り所となるものを奪われていった。
九尾が関与した証拠は何もないが、周囲の者からすれば一目瞭然よ」
知らぬは当人だけ。
女は次第に優しい優しい九尾の狐に縋るようになっていった。
具体的に最後、何があったかは分からない。
だが、予定していた何某かのトドメを九尾が刺したのだろう。
「どうなったと思う?」
「……分からない」
「女は何もかもが分からなくなった。理解出来なくなった。欠損してしまった」
白痴と呼ぶにはあまりにも無惨で、廃人と呼ぶには苛烈が過ぎる。
そうして女は輝かしいはずの未来を閉ざされてしまった。
「あの人間は最後の最後まで九尾を味方だと思っておったんじゃろうなあ」
「…………怖い」
「じゃろ? つーか改めて思ったけど儂の安全度半端ねえわ」
それはさておき、休憩も十分だろう。
そろそろ再開――と言おうとしたところで、鍛錬場に梓がやって来た。
「僧正坊様、例の通り魔事件についてお話が」
「通り魔事件……? ああ、アレか」
少し前から人間、人外問わず若い者が何者かに襲われているらしい。
犯人の目的は恐らく腕試しだろうと、天狗ポリスではあたりをつけている。
と言うのも襲われた者らは大なり小なり“出来る”と評判の者らばかりなのだ。
ただまあ僧正坊としては至極どうでも良いことだった。
ゆえに一言。
「知らん、儂の管轄外じゃ」
瞬間、僧正坊の額に深々と万年筆が突き刺さった。
「あの……無言の万年筆は止めてくれない? 身体より心に刺さるから」
「知りません。それより、話を続けますよ」
「そいで? 何か進展でもあったんかい?」
襲われた者らの傾向が傾向だ。
皆、恥と思っているのか頑として口を割ろうとしない。
僧正坊としては別に放置でも問題なくね? と思っているのだがそうもいかない。
襲われた者らを発見した一般人の口から事件は広まり、不安だとの声が上がっているのだ。
当然と言えば当然だ。
今まではそういう傾向にあったとしても、犯人の口から聞くまで推測は推測でしかないのだから。
「そうとも言えるしそうとも言えません」
「???」
「犯人について心当たりがあると言う“東国若手組”の代表者が僧正坊様に面会を希望しているのです」
「と、東国若手組? 何それ?」
「二百歳以下の実力者で構成された若い化け物の寄り合いですよ――知らないんですか?」
「ぜーんぜん」
かなり初耳だった。
「つーか説明を聞いただけでもかなり香ばしい臭いが漂っとるんじゃが……」
具体的に言うなら洗っていないかませ犬の臭いだ。
確かに名の通り、若い者らの中では相応に強い奴らが集まってはいるのだろう。
しかしもう、それ自体が負けフラグ臭い。
「何かこう、漫画脳で考えるならさ。
輪の外に居るヤバイのにあっさり潰されそう。
そいつの実力を証明するためだけに用意されたようなアトモスフィアが尋常じゃない。
あ、いや待てよ。だとしても中には数人、本物が居る方が展開的に美味し――――」
ザクー! と二本目の万年筆が僧正坊の額に突き刺さった。
「どうしてそんな酷いことが出来るの? 儂さっき言ったよね? 心にクるって」
「それで、どうされます?」
「無視かい……ちゅーか、その東国何ちゃらは儂に何の用なの?」
「此度の件はこちらでカタをつけるから手出し無用――というところでしょうね」
「いかん、ますます濃厚な負け犬フラグが……」
僧正坊の額に冷や汗が浮かぶ。
「良識ある大人としては忠告せにゃならんのう――――梓くん、会おう」
「そんなアホな理由で……」
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