ナインテイル⑥

 文化会館屋上では威吹と詩乃が柵に腰をかけて並んでいた。


「ンフフフ、狐狩りだって。怖い怖い」

「意気軒昂で何よりじゃないか。こっちとしても心を鬼にして悪者ぶった甲斐があるってものさ」

「あ、嘘吐きはっけーん」

「母さんにゃ負けるよ」


 叱咤激励のために参戦したというのも、間違いではない。

 だが同時に面白そうだからという理由も真実だ。

 ようはいつも通り気分で行動した結果がこれである。


「まあでも実際問題、こっちでアイドルという文化が根付いて発展してくなら……」

「ちょっと強い程度のメンタルじゃやってけないだろうね」

「それな」


 この世界で黎明に立つ。

 その意味を三人は理解していない。それが威吹と詩乃の共通見解であった。


「現実世界でも、そりゃ芸能界なんてものは魔窟かもしれない。

でもこっちは比喩でも何でもなく魑魅魍魎の住まう世界だって認識が薄いんだよねえ」


 事務所の圧力や嫌がらせ。賄賂や枕営業。

 そんな可愛い悪意だけで済むわけがない。


「そりゃ真っ当な人間や、温い化け物も入ってくるかもしれないけどさ」


 問題はそこじゃない、そこではないのだ。

 ちらりと隣に視線をやると、詩乃は大きく頷き言葉を引き継いだ。


「目立ちたがりで性格の悪い女妖なんて掃いて捨てるほど居るもんね。

人間にしてもこっちの世界に馴染んでるのが入って来て邪魔だと思われたのなら……ンフフフ」


「力には力を悪意にはより大きな悪意を――それが出来るようにならないと喰われるのがオチだよ」


 今の三人が糞雑魚ナメクジだなどとは言うつもりはないが、

 安心して見ていられるかと言われれば些か以上に不足が目立つ。

 一時とは言え、師として教え導いた可愛い生徒たちだ。

 くだらぬ悪意で潰えてしまうのは面白くない。


「それでどうなの威吹先生? あの子たちは合格?」

「折れずに吼えはしたけど、まだまださ。試されるのはこれからだ」


 現時点での評価は試練を受ける資格を得た程度のもの。

 本番はこれからだ。


「俺たちのステージを見て、それでも尚、意地を貫けるかどうか」


 見るべきはそこだ。

 怖じず、かと言って自棄になるでもない。

 在るがままを受け止め今日まで培った自負を胸に戦いの場に立てるのならば――ああ、及第点だろう。

 心に関しては、少しは安心出来る。


「母さんには感謝してるよ。母さんのお陰で一番槍を飾れるんだからね」

「ま、私も委員会のメンバーだしそれぐらいはね」


 ナインテイルの出番が三人より後なら、精神的余裕が生まれてしまう。

 そんな状態で十全にパフォーマンスを発揮したところで意味はない。

 やるなら最初だ。初っ端から見せ付けるのが一番良い試練になる。

 ハードルを上げに上げた状態で、萎縮せず跳ぶ勇気と根性があるのか。

 威吹はそこが知りたいのだ。


「ちなみにさ。あの子たちがお眼鏡に適ったらどうするの? 鍛えてあげたりするのかな?」


「俺に教師なんてものが出来るとでも?

今回だって母さんという教科書があったから教師の真似事が出来ただけだよ」


 強くなるための指導など出来るわけがない。


「じゃあ、ご褒美はなし?」

「まさか! そこまで薄情でもないさ――――だから、これを使う」


 威吹は会館付近の花壇から一輪の花を根ごと、手元に呼び寄せた。

 するとどうだ?

 引き寄せられた花は蕾に変わり、蕾は芽になり、やがては一粒の種子へと回帰したではないか。


「……驚いた。使えるようになったの?」

「ま、限定的にだけどね」


 時間への干渉。

 あの暴走事件以降、身に着けたものだ。

 とは言え暴走状態の時とは違い、その力には大きな制限がかかっている。

 例えば巻き戻しや加速を行うのであれば、その範囲は精々二百年程度。

 齢を重ねた化け物相手ならば誤差にしかならない。


「コイツで三人の能力だけを加速し“成長”させてやれば出力は上がるだろう」


 既に実験は済ませてあるので問題なく行えるはずだ。

 最初は結構失敗してしまったが、別に尊くもない犠牲のお陰でやり方は完全に覚えた。

 あの三人ぐらいならほぼ確実に成長させられる自信がある。


「またぞろ器用なことを……」

「器用さで言えば母さんも大概でしょ。まさか作詞作曲まで出来るとは……」

「ンフフフ、こう見えても才女ですから」


 えへん! と胸を張る詩乃は大変可愛らしいが、才女で済ませられるレベルなのだろうか?


「おっと……お姉ちゃん。そろそろ時間だよ」

「みたいだね。行こっか」


 控え室に戻ると、丁度係の者が応募者を連れて部屋を出るところであった。

 威吹と詩乃は何食わぬ顔でその集団に混ざり、舞台袖へと向かう。

 道中、一葉たちからかなり刺々しい視線を注がれるが威吹はどこ吹く風。

 むしろ、どこか楽しげだ。


「ただいまより、第一回帝都アイドルコンテストを開催します」


 壇上では司会の女性がオーディションが開かれた経緯や、ルールの説明などを行っている。

 だが、威吹としてはそちらよりも気になっているものがあった。

 その視線が注がれるのは審査員席で――――


「う、うわぁ」


 威吹は引いていた。珍しく本気で引いていた。


「これは酷い」


 ハッピを着込み、頭に鉢巻を巻いてペンライトを握る老人。

 誰あろう塵塚怪王である。

 素の容姿が燻し銀な老紳士風だけに、ドルオタファッションの不釣合い度が尋常ではない。

 正確な齢は知らないが千年二千年は確実に生きているであろう爺が、

 澄んだ瞳でドルオタファッションに身を包んでいるというのはかなり酷い。


「怪王のファッションも酷いけど可哀想なのは他の審査員だよ」


 詩乃が憐れみの視線を向けるのは怪王以外の九人の審査員。

 四人の力持つ妖怪と、現世から派遣されている政府のお役人が五人。

 彼らは皆、一様に死んだ目でドルオタファッションに身を包んでいた。


「……あれ、やっぱ怪王に着させられたのかな」

「それ以外にあり得ないでしょ。あのお爺ちゃんはそういうとこある」


 などと語るお婆ちゃんだが、酒呑への対応と比べると随分柔らかい。

 どうやら塵塚怪王自体はそこまで嫌いではないらしい。


「仲良いの?」

「特別仲が良いわけでもないけど特別嫌う理由もない普通の知人だね。向こうもそう思ってるんじゃない?」

「ふぅん」


 などと二人で話していると、ようやく説明が終わったらしい。

 ナインテイルの名が呼ばれ威吹と詩乃は恋人繋ぎで指を絡め、舞台中央へ向かって歩き出す。


「おぉ、これはまた初っ端からレベルの高い……ごほん! それでは、自己紹介をお願いします!!」

「尾上三月です。出身は現世の札幌で、年齢は十五歳。見ての通り双子で、私は妹になります」

「尾上陸月です。困ったな、何を言えば良いのか……少し、戸惑ってます」


 自己紹介の最中も手は離さない。

 むしろ、肩が触れ合うぐらいまで二人の距離を縮める。


「三月さんに陸月さんですね。よろしくお願いします。

しかし、少し変わったお名前ですよね? 名前に数字を入れるなら上が若い数字になると思うのですが」


 当然、そこらの設定も考えてある。

 化けるのだからそれぐらいは当然だ。言うなれば妖狐の嗜み。


「アハハ、よく言われます。ね、お姉ちゃん?」

「うん。これは生まれた順番や生まれた月とは無関係でパパとママの名前から一字ずつ取ってるんです」

「最初はお姉ちゃんが三月になるかもだったんですけど」

「パパが自分と目元がそっくりな私に陸の字をって言ってきかなかったみたいなんです」

「私たち、双子なのにね」

「ねー?」


 どちらも呼吸をするように嘘を吐くものだから、看破は至難の業だ。

 それこそ初めから正体を知っていなければ塵塚怪王ですら騙されていたかもしれない。


「それではナインテイルの御二人、準備はよろしいでしょうか?」

「「はい!!」」


 自己紹介を終え、いよいよ本番が始まる。

 未だ手を繋いだままで、空の手でマイクを受け取り二人は微笑み合う。

 前奏が流れ始めると同時に、ゆっくりと距離を取り始める。

 そして繋がれた腕が肩と水平になったところで、二人は観客席になど目もくれず見つめ合う。


「――――どうして一つでは居られなかったの?」


 今回、ステージに上がるにあたって二人は一つ、テーマを掲げた。

 それは“清らかなる背徳”。

 字面からは王道を外れた邪道と言った印象を受けるかもしれないが、それは違う。

 王が歩く道、それそのものが王道なのだ。

 ならばこの二人が歩くそれが、王道でないはずがない。


「寒いよ」


 さて、清らかなる背徳とは言うものの具体的には何をするつもりなのか。

 それについても触れていこう。


「分かたれた心と体が」


 アイドルに恋愛は御法度――それは暗黙の了解だ。

 アイドルの、偶像の役目は夢を見させることだから当然である。

 やるのなら隠れて。決してバレてはいけない。

 バレてしまえばその瞬間に、夢は濁り、偶像としての純度が損なわれてしまう。


「泣かないで」


 では恋愛は完全な足枷にしかならないのか?

 それは違う。使い方によっては立派な武器となるのだ。


「悲しいけれど、素敵なこともあるんだよ?」


 何故、ファンはアイドルの恋愛を嫌うのか。

 簡単だ。花に集る蟲を見て愉快な気分になる者など居ないだろう?

 ならばどうする? これまた簡単だ。花と花を、夢と夢を、偶像と偶像を寄り添わせてしまえば良い。

 つまりはまあ、


「二人が一つじゃなくなったから私たちは見つめ合える」


 ――――百合の花を咲かせてしまえば良いのだ。


「語り合える」


 言葉を飾らずハッキリ告げよう、同性愛は背徳である。

 考えが古臭い。今は社会的にも認められている。

 幾らでもおためごかしは出来るし威吹自身も否定する気は更々ない。

 それでも未だ背徳の色は拭えていない。

 普遍的な概念となるには今少し、時間が足りないのが現実だ。

 威吹は何故、そんな危ういところに突っ込んだのか――武器としての有用性を見出したからに決まっている。


「触れ合える」


 近親愛に加えて同性愛――役満クラスの背徳である。

 インモラルで退廃漂うそれはアイドルなのか?

 そう疑問に思うかもしれない。

 しかし、しかしだ。忘れてはいないか? 背徳の紡ぎ手を。

 九尾の狐と、その継嗣たる威吹の存在を。

 真なる偶像が綴れ織るのであれば、その背徳は侵し難い神聖な美へと昇華するのだ。


「感じる鼓動、温もり――――」


 威吹も詩乃もまだ一度たりとて観客席に目を向けていない。

 この先、一度たりとて向けられることはないだろう。

 見つめるべきは互いだけ。

 視線一つ寄越さぬままに衆愚の心を掻き乱し、誑かし、掌握してみせよう。


「何て素敵な奇跡なのかしら」


 名残惜しげに指を離す。

 だが、視線は外さない。見つめ合ったまま歌う、踊る。

 第三者の目には幻想的な光景が広がっているのだろうが、当事者である威吹は違った。


(……流石に……年季が違うな……ッ)


 威吹は見る者全てを全霊で虚構で編まれた美しき背徳の世界にを引き摺り込もうとしている。

 が、詩乃は違う。

 片手間で観衆を誑かしながら、本命である威吹を蕩け溶かそうとしている。


(少しでも気を抜けば、俺自身も偽りの世界に堕ちていきそうだよ“お姉ちゃん”……!!)


 許されざる愛に身を焦がす双子の姉妹。

 それは観衆の心を溶かし尽くして堕とすための設定でしかない。

 なのに嗚呼、詩乃が紡ぐ真実さえも霞む眩い嘘に心がどうにかなってしまいそうだ。


「――、――――♪」


 蒼の瞳が告げている。

 このまま堕ちてしまえ/もっと頑張れるでしょう? と。

 魂が震える。

 恐怖か? 嫌悪か? 違う、悦びだ。


(嗚呼……俺は今、初めてあんたに触れた気がするよ)


 酒呑童子との交わりが命の削り合いならば、

 九尾の狐との正しい交わりはこれ――心の奪い合いなのだと理解した。

 幻想世界を訪れて三ヶ月。

 肉体的な接触は数あれど本当の意味で触れ合えたことはなかったが、今、ようやくだ。

 充足感と高揚感に満たされた胸がこれでもかと熱を放っている。


(そこまで熱く求められたのなら――――答えなきゃ、嘘だよな?)


 意識を切り替える。

 全霊で観衆を誑かすのはそのまま、同時に威吹は詩乃に向けての誘惑を始めた。


(アンタのラブコールに比べれば随分と拙いだろうけど)


 巧い下手は関係ない。応えたいと思ったから応えているのだ。

 威吹は気付いていない。

 今、自分が妖狐として新たなステージへと踏み込んだことに。

 人々を誑かす魔性がより色濃くなったことに。


 誰にも侵せず、誰にも届かぬ領域で繰り広げられる愛の応酬。

 四分四十五秒。

 狐の親子が繰り広げた二人舞台が終わる頃、誰もが彼らの虜になっていた。


(――――ああ)


 祈るように互いの両手指を絡め、コツンと額を合わせ瞳を閉じる――これで終わりだ。

 目的など一切合財忘れ、無我夢中で心の奪い合いに耽溺した。

 楽しかった。満たされた。でも嗚呼、まだ足りない。

 だけど今日はこれで良い。時間は無限にあるのだ。

 また何時でも交われる。


(そうだろう? 母さん)


 言葉にしなくても分かる。詩乃も同じ気持ちであると。

 柔らかな静寂の中、余韻に浸る威吹であったが……。


(ん?)


 静寂をぶち壊すような汚い嗚咽が場内に響く。

 何だ何だと薄目を開ける。


「……あ゛がん゛……めっちゃ……めっちゃ尊い……」


 汚い嗚咽の主は涙と鼻水で顔をグチャグチャにした塵塚怪王だった。

 そして怪王を皮切りに他の審査員や観客、

 舞台袖で待機している者らも熱に浮かされたように嗚咽を漏らし始める。


「決めた……わ、わし……決めた……預金、全部、みーたんとむったんに捧げます……」


 汚ねえ面で怪王はそう宣言した。

 脱力しそうになる威吹であったが、何とか踏み堪える。

 最後の最後で水を差された感はあるが、やりたいこともやるべきこともやり終えたのは事実だ。


(なら、一先ずは良しとしておくか)

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