ナインテイル⑤

「ん……」


 目覚ましのベルが夢の世界を破壊するよりも先に佐藤一葉は目を覚ました。

 時間が時間だからか、部屋の中はまだ少し薄暗い。


「――――っし!!」


 気合を入れるように両手で頬を叩く。

 些か力を込めすぎて痛かったが、眠気覚ましには丁度良い。


「……いよいよね」


 六月第二週日曜日、今日はオーディション本番の日だ。

 これまでの努力が試される、勝負の日。


「狗藤くんなら平然と寝てたんだろうけど、私は普通人だしね」


 否が応にも緊張が高まる日。

 何なら前日の夜も、緊張で直ぐに寝付くことが出来なかった。

 早めにベッドに入ったと言うのに寝たのは結局数時間後。

 その癖、目覚めるのは早い。

 威吹ならばこうはならなかっただろうと自分を指導してくれたコーチの一人を思い出し、一葉は苦笑を漏らす。


「時間はまだまだあるけど、二度寝出来そうもないし――――」


 少し、走ろう。

 ジャージに着替えた一葉はその足でアパートを飛び出した。

 夏が近付いているからか、最近は少し暑くなってきたが今は早朝。

 心地良い風を身体で感じながら走るのは中々に気持ちが良かった。


「……よし」


 思考を手放し、心に身体を任せる。

 この方がずっと風を感じられるだろうから。

 そうして心の赴くままに走り続けてしばし、辿り着いたのはレッスンに使っている河川敷だった。


「な、何だかなあ」


 無性に恥ずかしくなった。

 羞恥を追い払うように頭を振り、息を吐くと短い――それでも濃厚な思い出が脳裏を駆け巡り始めた。


「やっぱり麻宮くんって、優しいよね」


 アイドル募集の話を聞き、浅ましい欲望が沸いたのは事実だ。

 だが、それだけじゃない。正直に告白するなら特訓にかこつけて無音と親しくなれるかもという下心があった。

 気付いているのかいないのか、彼は快く付き合ってくれた。

 まあ、そんな感じでむしろ最初は下心の方が大きかった。

 本気でアイドルを目指していたかと言うと言葉を濁さざるを得ない。

 それはきっと親友二人も同じだ。


「――――でも、今は違う」


 アイドルに夢や幻想を抱いてはいない。

 今も変わらず浅ましい欲望のまま、アイドルになりたいと思っている。

 でも、本気だ。

 本気でアイドルになりたいと思っている。


 無音の熱心な指導を受け、歌と踊りを磨いている内に。

 威吹の悪辣な指導を受け、嘘の化粧を覚え自らを飾っている内に。

 ステージの上に立って、一番綺麗に飾り立てた自分を見せ付けたいという気持ちが芽生えたのだ。

 自己顕示欲、承認欲求、偶像としては失格かもしれない。

 だがそれすらも肯定してあの光輝くステージに立てたのなら――嗚呼、それは何て気持ちの良いことだろうか。

 一葉はフッ、と笑みを浮かべた。


「大丈夫、私なら――ううん、私たちならやれる!!」


 そう叫んだ瞬間、背中に視線を感じた。

 ハッとして振り返ると体育座りで自分を見つめる親友の姿が!


「…………一葉って、何? ああいう性格だったっけ?」

「…………酔ってるのか、存外主人公気質だったのか。どっちでしょうねえ」


 ひそひそと話しているが丸聞こえである。

 熱を帯びていた心がドンドン冷めていくのを感じる一葉なのであった。


「はあ……つーか、あんたら何してんのさ」

「多分一葉と同じですよ」

「言うて、私らも小心者だからね」


 三人、顔を見合わせ思わず笑ってしまう。


「実際のとこ、私たちの勝算ってどうなのかしら」

「……プロと悪魔に指導をしてもらったし……高いと思うんだけど……」

「麻宮くんは大丈夫だと思うって言ってくれてましたが……」


 それは無音の優しさか。

 でも、彼はアイドルという職業についての意識は高いしレッスン中もバンバン厳しいことを言っていた。

 ならば正しい見立てなのか。

 いやだが、本番を目前にして緊張しているであろう自分たちへの気遣いかもしれない。

 うんうんと唸りながらしばらく悩んでいたが……。


「やめやめ」

「一葉?」

「いやほら、どう足掻いたところで今更何が出来るわけでもないでしょ?」


 今日までに積み上げたもので勝負するしかないのだ。

 考えるべきことがあるなら、全ての力を出し切れるかどうかだけ。

 一葉がそう言うと、二人も苦笑気味にそりゃそうだと頷いた。


「麻宮さんと狗藤さんには随分と骨を折ってもらいましたからね。

結果はどうあれ、御二人に恥じないステージになるよう頑張りましょう」


 言って三葉は首下から提げている水晶の首飾りを撫でつけた。

 これは威吹から渡されたもので、水晶には九尾の狐――つまりは詩乃の力が宿っている。

 簡単に説明するなら変身アイテムのようなもので、

 三人が考案した衣装が記憶されており九尾クオリティで出来上がるそれを纏うことが出来るのだ。

 ちなみに衣装やアクセサリーだが、厳密に言うなら三人が考案したものがそのままというわけではない。

 詩乃が三人に似合うよう、より輝けるようブラッシュアップされたものになっている。


「狗藤くんってさ。怖いけど、存外優しいよね」


 衣装の調達は任せろと言った時は、テッキリ威吹が変化の術で何とかするものだと思っていた。

 しかし、


『晴れの舞台にとっておきを着ないのは勿体ないだろ?』


 そう言って彼は九尾の狐の助力を取り付けてくれたのだ。


「…………私からすればプレッシャー半端ないけどね」

「ああまあ、二葉は妖狐ですからね」

「妖狐界隈では九尾の狐ってやっぱ別格なわけ?」

「当たり前でしょ。言い方は変だけど神様みたいなものなんだから」


 ぶるる! と身体を震わせる二葉だが、まあ大丈夫だろう。

 それほどの存在なのだ。

 二葉程度は歯牙にもかけていないはずだ。

 頑張ろうが頑張るまいが結果は変わらないと一葉は笑う。


「……実際その通りだけど、他人に言われると腹立つわね」

「アハハ! それより、何かお腹減らない? 誰かの家行って朝御飯食べようよ」

「それなら私か一葉の家ですね。二葉にはご家族が居ますし」

「ああうん。父さんも母さんもさっき寝入ったばかりだから家は勘弁して欲しいわ」

「じゃ、三葉の家にしよ。私ん家、冷蔵庫の中からっぽだもん」


 三人並んで河川敷を後にする。

 行きとは違い、今度はゆったりと歩いて行く。

 二葉の家はそこそこ離れていたが、時間にはまだまだ余裕がある。

 オーディションは十時からで、今はまだ五時半を少し過ぎたばかりなのだから。


「お、豚ロースある。こんなん豚カツ作るっきゃないじゃん」


 三葉のアパートに着くや否や一葉は冷蔵庫を物色。

 厚切りの豚ロースを見つけた瞬間、彼女の中で朝食のメニューは決まった。


「朝から油物ですか……」

「験担ぎ験担ぎ。時間もあるし、後には引かないっしょ? それならカツを食べてこーよカツを」

「ちょっと待って一葉。カツとご飯だけじゃ物足りないわ。カレーも作りましょうカレーも」

「お、良いじゃん」

「更に重い……まあ良いですけど。それなら私と二葉がお米とカレーの用意するので」

「おけ、私が豚カツ作るよ」


 役割が決まるや三人は手早く行動を開始。

 一葉も三葉も今時の現代っ子だが料理ぐらいは出来る。

 淀みなく作業を進め、一時間半ほどで朝食の用意を終えた。


「そーいやさ、オーディションって何組ぐらい出るんだっけ?」


 食事の最中も話題は変わらず。

 それだけ彼女が真剣なのだろうが……さて、どうなることか。


「私たちを含め二十三組だったかしら? これは多いのか少ないのか……」

「現世基準で見れば少ないですね。全員、グループだったとしても千人は絶対超えないわけですし」

「私や三葉と同じような人間も居たりすんのかな?」

「多少は居るんじゃないですか? でも、有利なのはこっちです」


 よほどの天才でない限り二人から指導を受けた自分たちのアドバンテージは揺るがない。

 二葉はそう断言するが続けてこうも言った。


「とは言え、油断は出来ません。

私たちもそうであるように術や能力を用いての演出も許可されていますからね。

それが特別目を引くようなものであれば……ちょっとどうなるかは分からないです」


「……私らのはぶっちゃけ、そこまで大したものじゃないしね」


 威吹から習った女の武器。

 それを活用するために影を作ったり光の加減を調節したりと、演出としては正直小粒だ。

 奇を衒わず自分たちの強みを。

 最終的にそう決めたのは自分たちだが、派手さで攻めるような手合いと比較した場合は……。


「塵塚怪王以外の審査員が分かってないのは痛いわね。

せめて現世の人間かこっちの人外連中なのかだけでも分かってたら対策も練られたんだけど」


「そうね――ってちょっと、カレーが冷めるじゃん。話してないで食べるわよ」

「最初に話を振ったのは一葉でしょうに……」


 一先ずは食事を済ませることに決め、黙々としっかり味わいながらカツカレーを平らげた。


「はふぅ……美味しかったぁ」


 さすさすとお腹を撫でる。

 現世ではカロリーだの何だの年頃の娘らしいことを気にしていたが今は違う。

 超能力に目覚めたことで太る心配はなくなったのだ。

 具体的に言うと力の行使にはすっごいカロリーを消費するのだ。

 一葉は改めて超能力に目覚めたことを感謝した。


「のんびりするのも悪くありませんが」

「ん、分かってるよ」


 食後はオーディションに向けての話し合いやリハを行いながら時間を消費。

 一旦自宅に荷物を取りに戻った後で再集合し三人揃ってオーディション会場へと向かった。


「や、おはよう」


 オーディション会場である帝都文化会館前で無音が三人を迎えてくれた。


「おはよう、麻宮くん」

「おはようございます」

「おはよう……ところで、あなただけなの?」

「うん。出掛けに威吹のとこにも寄ったんだけど留守でさ」


 また何かやらかしてるのかな? と首を傾げる無音の言葉に三人の顔が盛大に引き攣った。

 無音は基本的にタフだし威吹との付き合いも深いので耐性がついているが三人はそうではない。

 感謝もしてるし、ある程度親しみを覚えてもいるが怖いものは怖いのだ。


「あ、あの……突然帝都が火の海に包まれてオーディション中止になったりとかしない……?」


「ははは、佐藤さんは心配性だなあ。大丈夫だよ。

威吹もオーディションは楽しみにしてたからね。暴れてるとしても、そこは弁えているはずさ」


 一葉は聞き逃さなかった。

 無音が多分、と最後に付け加えたことを不幸にも聞いてしまった。


「多分、観客席から様子を見守ると思うよ。だからさあ、僕らも行こう」


 頷き、一葉たちも無音の背中を追って会場に入った。

 ちなみに無音だが今日限定のマネージャーということで同行の許可は既に取ってあったりする。


「うっわ、凄い熱気……ってか、おかしくないこれ?」


 控え室の中に入ると八十人近い参加者が瞑想だったり最後の調整だったりと各々の行動を取っていた。

 だが、どう考えてもおかしい。

 外観と内容量がどう贔屓目に見ても釣り合っていない。


「術か何かで空間を弄ってるんでしょう。それより一葉、私たちも準備を」

「う、うん!」


 開いていた鏡台の前に向かい、三人並んでメイクを始める。

 ちなみにメイクの技術だが、これは詩乃に習ったものだ。

 一葉らも普通の化粧は出来るが、舞台映えするプロのやり方は知らない。

 無音も男のメイクならともかく女性用についての知識はなかったので、威吹を通して教えてもらったのだ。

 ついでに言うと、化粧道具も融通してもらっていたりする。


(何から何まで至れり尽くせりよね……うん、ホント頑張らなきゃ)


 頑張ってアイドルになる。

 それが無音や威吹、詩乃に対する何よりもの恩返しだ。

 気合を入れてメイクをする一葉であったが……。


「?」


 ふと、騒がしかった室内が水を打ったように静まり返った。

 何ごとかと振り返り――――言葉を失う。


「わ、もう人いっぱい……もう、お姉ちゃんが暢気に新聞なんか読んでるからだよ」

「ごめんごめん。でも、三月みつきだって起きるの遅かったしお相子じゃない?」


 控え室に入ってきた少女二人。

 お姉ちゃんと呼ばれたのは金糸の如き眩い髪を首筋あたりで切り揃えた蒼い瞳の少女。

 その妹で三月と呼ばれた少女は姉と瓜二つだが微妙にカラーリングが違った。

 髪は銀で瞳は翠……ぶっちゃけ、姉の2Pカラーと言った感じだ。


 さて、そんな息を呑むような美少女二人だが静寂の理由は美しさによるものではない。

 では何か? オーラだ。纏う空気が、あまりにも隔絶し過ぎていた。

 それゆえ、皆、気後れしまっているのだ。


「あ、ごめんなさい。お隣良いかしら?」


 銀髪の少女が一葉に語り掛けるが、


「………………あの、狗藤さん? 何してんの?」


 それはどこからどう見ても九尾に化けた威吹だった。

 で、隣の金髪は九尾の狐だった。

 左隣の二葉が泡を吹いている。


「狗藤? 私は三月だよ? 尾上三月おのえみつき。よろしくね!」

「もう三月ったら……あ、私は尾上陸月むつきです。よろしくお願いします」


 そう名乗るや自称三月と自称睦月は一葉の右横に並びメイクを始めた。


「ああそうだ、何してるかだっけ? そりゃ勿論、オーディションを受けにきたんだよ。ね、お姉ちゃん?」

「ええ。ユニット名は“ナインテイル”」


 三と陸(六)で九=ナイン。そこに苗字の尾=テイルを足してナインテイル。

 良い名前でしょ? と微笑む姉妹(親子)に三人はおろか無音すら沈黙していた。

 が、流石にマネージャーとして、指導者としてこのままではいけないと思ったのだろう。

 意を決したように無音が口を開く。


「……そういう茶番は良いから。威吹、威吹。それにおば……詩乃さん。何してんです?」

「ったくノリが悪いなあ」


 馴れた手つきでメイクを施しながら威吹が唇を尖らせる。


「いや別に深い理由はないよ?

アイドルの話聞いた時から面白そうだなーって思ってたからエントリーしただけ」


「私はその付き添いかな。威吹が一人では寂しいって言うものだから年甲斐もなく……ンフフフ♪」


 最悪の動機だった。

 最悪の動機で極限毒婦トップアイドル二人が参加してきやがった。


「いやあ、無音の指導はタメになったよ。

密かに深夜母さんと練習してたんだけど今の俺たち、かなりのものだと思うよ」


 ニヤニヤと笑う威吹は愛らしい容姿とは裏腹に酷く邪悪に見えた。


「あと、俺自身も教えることで改めて巧くなった気がする」

「私も普通に色々教えてあげたしね?」

「ああ、感謝してるよ。実際に言葉にしてもらえると理解が深まると改めて実感したね」


 一つ、また一つと絶望が積み重なっていく。

 今、自分の目の前には山がある。雲を突きぬけ天に聳える巨大な山が。


「――っと、メイク終了。お姉ちゃん、まだ時間はあるし会場の見学行こ?」

「んもう、三月は落ち着きがないんだから……はいはい、じゃあ行こっか」


 自称姉妹は手を繋ぎ軽やかな足取りで控え室を出て行った。

 残るのは耳に痛いほどの沈黙。

 が、それを打ち破るように二葉が口を開く。


「もう駄目だ……おしまいだぁ……」


 その言葉が萎えかけていた一葉の心に火を点けた!


「しっかりしろべジータ!!!!」

「痛い!? って言うか誰がべジータよ!!」


 全身全霊で放たれた右ビンタ。

 綺麗に振り抜かれた一撃は、ある種の芸術性を感じさせるほど美しかった。


「ひ、一葉……?」

「三葉も! アンタら、悔しくないの!?」


 悔しい、自分は悔しい。

 自分たちが百の努力をして十得るところを、一の努力で百を得てしまうような威吹が妬ましい。

 そりゃねえだろ、反則にもほどがあんだろ。


「そりゃ私たちだって褒められた動機じゃないわよ。でも、でもよ!?」


 面白そうだから。

 そんな理由で頑張ってきた自分たちの前に立ちはだかり、あっさりと勝利をもぎ取られるなんてふざけてる。

 今日の今日までそれを告げず、平然と味方面してたのも腹が立つ。


「私ら、頑張ったじゃんよ。これでもかってぐらい本気で、女磨いたじゃん」


 悔しい、悔しいだろう。

 その努力をなかったことのようにされるのは。


「「一葉……」」

「第一! 九尾はともかく狗藤は男よ!? 男に負けるとか嫌! こんなん女廃業案件じゃん!!」


 沸々と湧き上がる闘志。

 今の今まで自覚したことはなかったが、どうやら自分は逆境に強いタイプらしい。


「一寸の虫にも五分の魂があるって言葉をアイツに教えてやる!

だから精々見下してろ! 最後の最後に笑えなくしてやっからさあ……!!!!」


 そんな一葉の燃える闘魂は二人にも届いたようで……。


「……そうですね。一度ぐらい、あのスカした面をグチャグチャにしてやらないと」

「私たちのことを敵として認識すらしていないあの親子に目にもの見せる――悪くないわね」


 三人が気炎を燃やす光景を一歩離れて微笑ましげに見守っていた無音だが、


「…………そういうことか」


 何らかの気付きを得たのかポツリとそう呟いた。


「まったく意地の悪い叱咤激励だよ。でも、うん。君らしいな」


 フッと微笑む無音。

 三人はそれに気付くことなく、更に闘志を燃やしていた。


「「「殺せ! 殺せ! 殺せ! 狐狩りだぁああああああああああああああああああ!!!!」」」


 YAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!

 と雄叫びを上げる女子三人に無音の笑顔が盛大に引き攣る。


「……いや、君らの中にも一人狐居ると思うんだけど…………って言うかアイドルが殺すとか言わない」

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