そうだ、京都で殺ろう⑤
「おー、やっぱ色々変わってんなあ」
大江山に入山してから誰が一番楽しんでいるかと言うと、それはやはり酒呑だろう。
楽しげにキョロキョロと視線を彷徨わせながら、楽しそうに笑っている。
「人の手が入って整備もされてるし、やっぱ当時とは別物?」
「おう……でも、何だかんだ懐かしさを感じるからな。
変わってねえものもあるんだと思う。それが何かって言われたら返答に困るけどよ」
言いつつ、酒呑は袋から取り出した500mlのビール缶を呷る。
ますます機嫌が良くなったように見える。
やはり第二の故郷と言っても過言ではない場所に戻って来たからだろうか。
(……楽しそうだな)
紅覇は人知れず胸を撫で下ろした。
酒呑の同行が決まった時から、ずっと緊張していたのだ。
コッソリ威吹に酒呑の不興を買った自分はここで抜けた方が良いのでは? と言ったのだが、
『紅覇が嫌だってんなら抜けても良いけど、あのアル中は気にしてないよ』
実際、その通りだった。
道中、何度か話しかけられもしたが自分を見る酒呑の瞳に嫌悪の色はなかった。
(酒呑様の中ではもう、終わったことなのだろうな)
寂しさを感じないと言えば嘘になる。
だが、今は酒呑よりも大事なものがあるからだろう。
思っていたよりもショックは少なかった。
「クワァ?」
「ああ、大丈夫ですよ先輩。お気遣い、感謝致します」
気遣わしげな視線を向けてきたロックに軽く、頭を下げる。
以前までならペンギン如きに! となっていただろうが、
(肩の力を抜くと……本当に楽だな)
かつては息苦しいとさえ気付くことが出来なかった。
しかし、今ならば分かる。
以前の自分は呼吸をすることさえ、いっぱいいっぱいであったのだと。
(全て、我が君のお陰だな)
眼帯の上からそっと、欠損した右眼を撫ぜる。
屍の森で一騎討ちを行った際の傷はもう完全に癒えた。
傷一つさえ残っていない。
しかし、この右眼だけは何をしても再生することは出来なかった。
あの日家まで送ってくれた九尾曰く、
『あの子の無意識下で放たれた、
手心も何も加えられてない剥き出しの妖気に中てられたらそりゃねえ。
それこそ私やあの酔っ払いが妖気をぶつけて“疵”を押し流さなきゃ再生もままならないよ』
やってあげようか? などと言って来たが固く辞退した。
そしてそれは正解だったと今になって思う。
隻眼になったことなどまるで気にもならない。
この欠けた右眼が自分と主の繋がりなのだと思うと、むしろ嬉しいぐらいだ。
などと紅覇が軽く忠誠心を滾らせていると、突如、酒呑が立ち止まった。
「っと……見覚えがあるな。確かこっち……だったか?」
言いつつ登山道を外れ整備されていない獣道へと分け入って行く。
威吹も着いて行く気満々らしく、紅覇としては従わない理由はなかった。
そうしてしばらく歩き続け、ぴたりと酒呑が足を止めた。
「ここだ。俺らが根城にしてたのはこの場所だ。
今じゃもう何も残ってねえが……そうだ、ここだ。ここだよ。
ここになあ、デケエ屋敷を茨木に建てさせて馬鹿どもと馬鹿やってたんだ」
「茨木多才過ぎんだろ」
「化け物界隈のマルチタレントとはアイツのことだぜ」
呆れたような威吹と、自慢げな酒呑。
紅覇は思った。
何時か威吹も酒呑のように自分をあんな顔で語ってくれるだろうか、と。
「……」
「何だ女狐、その顔は」
ふと、九尾が自分を見つめていることに気付く。
嘲るような、舐るような、イヤらしい顔でだ。
「いや、紅覇くんって何か乙女っぽい思考してそうだなって」
クスクスと笑い、九尾はパンと手を叩いた。
全員の注目が集まったところで九尾はイヤらしい笑みを浮かべ、こう告げた。
「それじゃあ威吹のために酔っ払いの間抜けな死に様を再現してあげないと!!」
「人間に化けてする必要もねえ命乞いをするテメェよりゃマシだよ」
「つーか母さん、酒呑らが討たれるところも見物してたの?」
威吹の疑問は尤もだ。
直接、見ていなければ当時の光景を再現することは出来まい。
「や、私は見てないよ? でも、記憶はある」
「???」
「ほら、酔っ払いが初めて家に来た時、四熊童子が私に喧嘩売って来たでしょ?
あの時、全員食い殺してあげたんだけどその時に記憶も一緒に平らげてあげたの」
さらりと言ってるが、とんでもないことである。
(というか、鬼の四天王が殺されたのか……?)
いずれも大妖怪に分類される者らが四対一でかかって?
それも九尾の口ぶりだと、大した労もなかったように聞こえる。
大妖怪と一口に言ってもピンキリだと分かっていたが、
(…………つくづく、底の知れない女だ)
ぞくりと肌を震わせる。
「というわけで今回はミュージカル風に――――ううん?」
「あ゛?」
「あん?」
「クワ?」
「む?」
全員が異変に気付く。
比喩でも何でもなく、突然“空気”が変わったのだ。
木々の隙間から空を見れば、雲一つない蒼天はおどろおどろしい色に変わっている。
「…………んー……何、これ?」
「知らん」
「クワッフ?」
威吹と酒呑、ロックが首を傾げている。
異変が起きたことは分かっても、何をされたかが分かっていないらしい。
この場でそれを理解しているのは自分と九尾だけだろう。
紅覇は威吹の疑問に答えるべく口を開く。
「恐らく、異界に引きずり込まれたのかと」
「異界?」
頷き、言葉を続けようとするが九尾がそれを遮る。
「山中異界、なんて言葉もあるようにね。
古くは山をある種の別天地だと捉える見方があったの。
そういう概念は今も残ってて、私たちはその概念を増幅させて創られた異界に引きずり込まれたみたい」
ほー、と感心したように頷く威吹――緊張感はまるで見えない。
というより、緊張していないのだろう。
(警戒しているのは私と先輩だけか……)
そう、自嘲しつつも紅覇は警戒を緩めない。
自身が担ぐ王たる威吹はドッシリと構えていても何ら問題はないが、臣下の自分は違う。
王には王の在り方が、臣には臣の在り方があるのだ。
「あらあら、まあまあ!」
少し離れた場所にある空間が裂け、二人の人間が姿を現した。
一人は軍服の威吹と同年代ほどの少女。もう一人は和装の険しい顔をした老人。
嬉しそうな声をあげる威吹を見るに、恐らくは顔見知りなのだろう。
「これはこれは大西さん。改めてご挨拶をば。狗藤威吹です、どうぞよろしく」
そして、と威吹は少女に語りかける。
「久しぶりじゃないかリタ、逢いたかったよ」
「……」
威吹の呼びかけに対し、リタと呼ばれた少女は無反応。
その代わりと言うように、大西が口を開く。
「狗藤威吹、貴様の首を貰いに来た」
「いやはや、こうも早く来てくれるとはね。嬉しいよ」
でも、と威吹が嬲るような笑みを浮かべる。
「見たところ以前とさして変わりはないようだけど?」
「フン……問題はない」
瞬間、夜の闇に鬼火が現れるように無数の影が出現した。
自分たちの周囲を完全に包囲するように現れたそれらは、
威吹がリタと呼んだ少女と瓜二つの顔をしていた。
外見上の差異は軍服が若干簡素なもので、外套を羽織っていないことぐらいか。
「ああ“そういう”運用なわけか。なるほどねえ」
クツクツと笑いながら威吹が前に出ようとするが、
「お待ちを」
紅覇がそれを押し留めた。
「やりたいの?」
「主に牙剥く愚か者を除くは臣の務めなれば」
「ふむ……なら、顔を立てるのが親分の器量ってものかな」
一先ずは大人しくしておこう。
威吹はそう言って近くの岩に腰掛けた。
「……」
「待て」
あちらでも、似たような光景が繰り広げられていた。
紅覇を討たんと一歩進み出たリタを押し留める大西。
「兵卒だけでは荷が勝ち過ぎるが、わざわざお前が出る必要はない」
零號を使う。
大西はそう言って懐から取り出した巻物を宙に放った。
ボン、と音を立てて出現したのはやはり、リタと瓜二つの少女。
しかし、リタや兵卒と呼ばれた者らとは異なり髪が白い。
「へえ、コスト度外視の先行試作型ってとこか。
彼女からコストを切り詰めていったのが、兵卒の子らなのかな?」
「貴様が知る必要はない――殺れ、零號」
「御意」
無機質な返答と共に零號は駆け出した。
彼女に少し遅れて右後方から五体、左後方から五体の兵卒が続く。
(……まずは、出方を伺うか)
腹部に手を突き刺し骨を引き抜き二対の刀剣に変化させ、零號らを迎え撃つ。
(連携が上手い――なんてレベルではないな、これは)
零號を中心とした連携は完璧と言っても過言ではない。
しかし、あまりにも無機質だ。
人というよりは蟲――蟻や蜂のそれに近い完璧さだ。
恐らく、いや間違いなく彼女らは死を恐れていない。
自分を倒すために必要とあらば一切の逡巡なく捨石となってみせるだろう。
四方八方から間断なく攻め続けられながらも、紅覇は冷静に敵を分析していた。
だが、分析していたのは何も紅覇だけではない。
戦いが始まってからキッカリ五分後、零號はこう呟いた。
「分析完了」
「ごっ……!?」
脇腹に兵卒の右拳が突き刺さり、口から息が漏れる。
決して油断をしていたわけではない。
敵がまだ本気を出しておらず、自分と同じで分析に務めていたことは察していた。
強いて言うなら、
(読み、違えたか……!!)
蟲のそれに近い。
そう評しておきながら、どこかでまだ期待していたのだ。
目の前の少女らが人間であると。
だからこそ、反応出来なかった。
まさかいきなり、自らの損壊を度外視した攻撃を放って来るとは思ってもみなかった。
「制圧開始」
兵卒の一人が右拳と引き換えに作った隙を零號は見逃さない。
このまま畳み掛けんと烈火の如き攻勢を仕掛ける。
「クッ……!」
近接戦闘をこのまま続けていれば押し切られる。
そう判断した紅覇は体勢術をばら撒きながら後退を図るが、
「相剋」
土気には木気を。
水気には土気を。
火気には水気を。
金気には火気を。
木気には金気を。
紅覇が放つ術は悉く、相剋の理により打ち消されていく。
が、零號らはただ紅覇の術を打ち消しているわけではない。
「ぐ、おぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおお!?!!!?」
木気は火気を生かす。
火気は土気を生かす。
土気は金気を生かす。
金気は水気を生かす。
水気は木気を生かす。
五人が相剋に用いた気を利用し、
別の五人が相生の理によってより強い気を生み出し攻撃に転じているのだ。
一糸乱れぬ完璧な連携の前に紅覇は完全に圧倒されていた。
(ぐ……大口を切っておきながら、何て無様……ッ)
あまりにも情けない。
だが、このまま終わるつもりは毛頭ない。
(私は、威吹様の忠実なる臣だぞ……!?)
我が身の不甲斐なさ。
主の前で無様を晒させた敵への怒り。
紅覇の中で憎悪にも似た闘志が燃え立つ。
(この程度の苦境、何するものか。我が君の臣として、一匹の鬼として真っ向から捻じ伏せ――――)
と、その時である。
「終わりだな。狗藤威吹、貴様がハナから出張っておれば、あ奴も死なずに済んだものを」
「何、紅覇はまだまだこれからさ」
「強がりを。最早、奴の底は知れた」
「底は知れた? ンフフフ……紅覇はまだ自分の“強み”を見せてもいないのに? 見る目がないな」
強み?
その言葉に沸き立っていた心が一瞬にして鎮まった。
「さあ――――ここからが本領発揮だ」
疑いなど微塵もない、確信に満ちた言葉。
紅覇は自らの愚を悟った。
(……度し難いな)
そうじゃない、そうじゃないだろう。
また、みっともない“半端”さを見せ付けるつもりだったのか?
我が君の臣として? 一匹の鬼として? ちゃんちゃらおかしい。
お前は何だ。何のために現実世界へやって来たのだ。
「貴様が何をほざこうと結末は変わらん」
地面から伸びた無数の鎖が紅覇の肉体を縛り付ける。
立ち回りの中で仕掛けていたであろう拘束の術式が起動したのだ。
「吶喊」
零號の号令と共に紅覇を取り囲んでいた十の兵卒が刺突を繰り出す。
瞬く間に針鼠となった紅覇だが、零號は決して手を緩めない。
最後の一押しとばかりに零號が繰り出した神速の居合いが紅覇の首を刎ね飛ばした。
「……」
宙を舞う首がドサリと地に落ちたのを見届け、零號は刀を鞘に納めた。
「見る目がないのはどちらか。結局、この有様ではないか」
「きみはじつにばかだな」
その時である。
零號の“右眼”からボゥ! と黒炎にも似た妖気が立ち上ったのは。
「ふむ……“身体が変わっても”魂に負った傷は別ということか。ありがたい」
零號の口からこれまでの機械的な言葉ではなく、感情の乗った言葉が紡ぎだされる。
大西は大きく目を見開き、唖然とし――叫ぶ。
「馬鹿な! 化け物が……それも鬼が……」
「化け物の中でも特別、自らの種族を誇りに思う鬼がこのようなことをするはずがないと?」
零號――否、紅覇は嘲るように言った。
「確かにその通りだ。こんな術を使うのも鬼ならばあり得んだろう」
借体形成の術。
平たく言って相手の身体に取り憑き内側から乗っ取る術だ。
鬼の正道に逸れたこのような術、誰も使いたがらないだろう。
術の性質もさることながら九尾の狐が得意とする術なのだから尚更である。
だが、
「生憎と私は“変わり者”でな」
主に勝利を捧げるためであれば何でもする。手段は選ばない。
それこそ――――人間のように。
「だってさ。おじいちゃん、今どんな気持ち? ねえねえどんな気持ち?」
ケタケタと笑う威吹。
主の愉しそうな顔が見られて、紅覇としても大満足だ。
「大西とか言ったな? お節介かもしれんが一つ忠告だ。
精神への干渉を弾く防護壁はもっと厚くするべきだと思うぞ」
自我がない、或いは希薄な人形など良いカモだ。
制御を奪ってしまえば後は煮るなり焼くなり好きに出来る。
向こうもそれを自覚して、対策は施していたようだが……甘い。
本気でやれば容易く貫くことが出来た。
「ぐっ……ぬぅ……ッッ」
大西が何某かの術を発動させようとするが、
「無駄だ。この肉体に仕掛けてあった術式は全て解体させてもらった」
傀儡の兵隊だ。外部から自爆させるぐらいの仕掛けはしていて当然。
その程度のことも読めぬほど愚かではない。
先ほど、零號の振りをして沈黙している間に不都合なものは全て取り払ってある。
「へえ、やるじゃんあの小僧――いやさ、小娘」
「だねえ。一皮剥けたって言うか……でもあれ? これって何かよろしくないような気も……」
酒呑と九尾からも賞賛の声が上がる。
皮肉なものだと苦笑しつつ、紅覇はリタを睨み付けた。
「次は貴様だ」
「まあ待ちなさいよ。全部一人で楽しむのはずるいだろ」
「我が君……」
「一度は顔を立ててやったんだ、次は俺にやらせてよ」
「むう」
そう言われてしまうと言葉もない。
臣としてはよろしくないが、
主が乗り気になっているのを邪魔するのも気が咎める。
紅覇は小さく溜め息を吐き、戦闘態勢を解除した。
「サンキュ――っと、そうだ忘れてた」
「我が君?」
軽い足取りでリタの下に向かおうとしていた威吹が踵を返し、紅覇に近寄ってくる。
そして、
「頑張った子分にはご褒美を。親分ならそこらはしっかりしなきゃね」
躊躇なく自らの右眼を抉り出した。
「わ、我が君……い、一体何を……」
「やるよ」
威吹は抉り出した自身の右眼を空洞となった紅覇の眼窩に嵌め込む。
すると、右眼を基点に先ほどとは比べ物にならない量と密度を備えた妖気が噴き出した。
「~~!~!!!?!!?!」
荒れ狂う嵐のような猛々しい妖気に心身を苛まれ、のたうち回る紅覇。
何をされたか、何が起こっているのか。
それさえも理解出来ていなかった。
しかし閉ざされていた右の視界が開けていく中で、
ようやく自らの身に起きた事象を理解し――――
(わ、我が君……)
心が、
身体が、
「――――嗚呼ッッ」
恍惚に震えた。
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