幕間 砂を噛んだ歯車

 微睡みの中、リタはもう何度目かに記憶を思い返していた。

 円形の闘技場の中心に立つ、自分と瓜二つの姿をした少女。

 特別、驚きはなかった。

 これまで殺した化け物の中にも変化の術を用いる者は何匹も居たから。

 ゆえに、自分に化けた狗藤威吹なる少年が何者かなど、どうでも良かった。

 やることは変わらない。

 殺すだけだ。自分を真似た威吹という少年を。

 師が討てと、そう命じたのだから疑う余地はない。


(だと言うのに――――)


 同じ構えを取ったことに困惑したが、睨み合っていても何も始まらない。

 まずはどれほどのものかを確かめるため七割の力で斬りかかった。

 無数の虚を織り交ぜてから下方から上方へ刃を振り切る。

 するとどうだ、威吹はこちらの一撃に合わせるかのように刃を振り下ろした。

 鳴り響く金属音、微かな拮抗、同時に距離を取った。


(驚いたのは攻撃を防がれたからではない)


 威吹が寸分違わず、自身の七割の力を再現してのけたからだ。

 五体を完全に制御することを徹底的に叩き込まれたから分かる。

 数値で表現するのならコンマの誤差もなかった。


(まるで、まるで意味が分からなかった)


 命を遂行せんがため、その後も攻め続けた。

 しかし、どんな攻撃も少年に届くことはなかった。

 刃には刃を、術には術を合わされ相殺され続けた。

 まったく、まったく同じだった。使う技も、込められた力も。

 僅かな狂いもなく自分のそれと同じだった。

 少年は姿だけではない、自分の実力を完全に再現しながら戦っていたのだ。


(でも……)


 それなら決着はつかないはずだ。

 膠着状態に陥り、体力が尽きるまで”ひとり遊び”に興じ続けるはずだ。

 だが、そうはならなかった。

 彼は制限から逸脱せぬまま、

 あくまでリタという兵器が可能な範疇から脱することなく勝負を制してみせた。


『俺は今のアンタの実力を寸分違わず再現して戦った』


 それは分かる。


『なのに、何故負けたと思う? 何故、出し抜かれたと思う?』


 カタログスペックは同じだった。

 ならば頭の出来か。彼の戦闘に関する頭脳が自分より優れていた。

 自分より上手く自分の力を使いこなせたから、だから負けたのか。

 そう考えたが――――


『“ココ”の問題だ』


 心の問題だと彼は言った。

 馬鹿馬鹿しいと思った。

 モチベーションが性能を左右する。知識としては理解している。

 だがそれにしたって下がる分にはともかく、上がる分には誤差の範疇を出ないはずだ。

 やる気がないから性能を十全に発揮出来ないのは分かる。

 しかし、やる気があるからと言って性能以上のパフォーマンスを発揮出来るものか。

 出来ても常識的な範囲で、劇的な変化は望めまい。

 自己というものが希薄なリタには心の強さというものがどうしたって理解出来ないのだ。

 合理のみを求める限りなく人形に近い人間。

 それがリタという少女だった。


『更に強さを求めるなら』


 しかし、威吹はそんな彼女の心に一石を投じてのけた。


『――――あの爺さん、殺しちゃいなよ』


 更に強さを求めるのであれば師を殺せ。

 合理性の欠片もない言葉。

 前後の繋がりさえ見出せない。

 意味が分からない。


 そう、分からないはずなのに――――


(…………彼の言葉が、耳にこびりついて離れない)


 リタという少女にとって威吹の存在は例外中の例外だった。

 殺した相手のことは必要な情報。

 例えば種族や、種族としての特徴に起因する弱点などを除き即座に忘却。

 以降はどんな顔や声をしていたかすら思い出すことはない。

 殺せなかった相手にしてもそう。

 次、勝利を得るために必要な情報以外は全て忘却していた。

 リソースの無駄だからだ。


 だが、威吹のことだけは忘れられない。

 どんな声をしていたのか。

 どんな表情をしていたのか。

 未だ克明に思い出すことが出来る。忘却しようと思っても、忘れられない。

 リタにとってはそれは初めての経験だった。


(何故、どうして)


 理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能。

 理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能。

 理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能。

 理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能。

 理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能。


 不可解極まる威吹の存在もそうだが、


(私は師にそれを報告しない)


 今、我が身を襲っている現象。これはエラーだ。

 何らかの異常をきたしているのは間違いない。

 師にそれを報告し、博士の調整を受けねばならない。

 なのに何故、自分はそうしないのだ。


 培養槽の中、幾つもの器具に繋がれたままリタは幾度も自問自答を繰り返す。

 しかし、明確な答えどころか仮定すら浮かんでこない。


「――――博士! 博士はおるか!!」


 思考の海に溺れていたリタの意識が浮上する。

 呼び戻したのは彼女の師――大西だった。


「はいはい、私はここに居ますよー」


 培養槽付近で端末を弄って冴えない中年男性、博士が気怠るげな声で答える。


「リタのが終わってからで構わん。全ての試作型退魔傀儡の実戦調整を済ませてくれ」

「試作型を実戦の場で使うのは要求水準に達してからじゃあなかったんですか?」


 博士の疑問は尤もだ。

 最低水準に達するまでは実戦で使わない。


(そう言ったのは他ならぬ師であったはず)


 一体何が起きたのか。

 リタは大西の言葉を聞き逃さぬよう、静かに意識を集中させる。


「事情が変わった。これより我らは狗藤威吹の討伐に乗り出す」

「彼には手を出さないんじゃ……」


「それは御堂新太郎の方針であって儂のそれではない。

あ奴が死んだ今、配慮の必要はない。なるたけ迅速に狗藤威吹を除く。

今しかないのだ。大妖怪に覚醒していない今だからこそ、奴を完全に殺せる」


 大西は額に汗を浮かべながら、キッパリと言い切った。


「総力戦になる。甚大な消耗を強いられるであろう、リタが殺されるという可能性も十分にある」

「それでも……やるんですか?」

「やる、やらねばならんのだ。最早、奴の存在は看過出来ん」


 何故そこまで、博士はそんな顔をしている。

 リタも同じ意見だった。

 何故そこまで威吹の討伐に執着するのか。

 コストを考えれば総力戦など以ての外だろうに。


 リタは自身の異常に気付いていない。

 大西の行動に疑問を抱くなど、以前の己ならばあり得なかったはずなのに。


「御堂先生らの殺害に加担したからですか?」

「違う」

「ならば何故……」

「奴が人間としての性質を備えたまま大妖怪に至ろうとしているからだ」


 答えになっていない。

 リタのみならず博士もそう思ったのだろう、腑に落ちないといった顔をしている。


「何故、そこまで人から化け物になった者、なろうとしている者を危険視するので?

前々から疑問だったんですよね。むしろ、普通の化け物の方が脅威ではないかと」


 人は保身に動きがちな生き物だ。

 力を手に入れたからとて軽挙に走るとは思えない。

 むしろ、力を手に入れたからこそ目をつけられないようにと慎むものではないのか。

 博士がそう指摘すると、


「そういう面もある。だが、お主は見えておらん」

「見えていない?」

「お主が語ったそれは人の弱さが齎すものであり、人の強さが招くものが見えておらん」


 弱さと強さ、両方を兼ね備えるのが人間だ。

 弱さだけを見て理解した気になるのは危険だと大西は博士を咎めた。


「人の強さはな、化け物の“弱味”を悉く補えてしまえるのだ」

「化け物の弱味……」


 うむ、と頷き大西は続ける。


「彼奴らは致命的なまでに“本気を出す”ことが苦手だ。

必死さに欠けていると言っても良いだろう。

例え命が懸かっている場面でも悪い癖を出してしまう」


 面白いな、このまま続けたらどうなる、コイツはどこまでやれるんだ?

 そんな好奇心を抑えられぬまま格下の人間に討たれることがままあると大西は言う。


「驕りというより、自制心が弱いのだろうな。

駄目だと分かっていてもやってしまう。そういう心理は儂ら人間にとっても身近なものよ。

しかし儂らはある一点を越えそうになると理性がブレーキをかけるが、化け物は違う。

極端に自制心が低いせいで致命的な事態になると分かっていても中々止まれんのだ」


 非合理にもほどがある。

 生命として根本的に欠陥品なのでは?

 大西の話を聞き、リタはそんな感想を抱いた。


「強い者ほどその傾向が顕著でな。

そこに強者ゆえの驕りも加わるから、人間は化け物相手に勝機を見出すことが出来るのだ」


 そこまで言い切ったところで大西の顔が苦虫を噛み潰したようなものに変わる。


「だが、人間の性質を取り入れた化け物はそうでなくなる。

今回の事件が良い例だ。

御堂新太郎や御堂修二を始めとした特権階級の人間が大勢一晩で拉致された。

しかし、誰一人として気付かなかった。警護を司る人間が完全な一般人ならば、まだ分かる」


 だが、そうではない。

 一部の者には神秘の側に立つ者らが侍っていた。

 特に御堂新太郎。

 大西の後ろ盾である彼の下には選りすぐった精鋭が警護の任に就いていた。

 にも関わらず、誰一人として気付けなかった。


「それは何故か。狗藤威吹が全力で偽装を施したからだ。

友がためという人間らしい理由で化け物の力を“本気”で行使したから気付けなかったのだ。

事実、露呈したのは奴が偽装を解除したからで仮に偽装が続いていたのならば……」


「最悪、何時までも成り代わられたままということもあり得たと」


 博士の言葉に大西は重々しく頷いた。


「人から化け物になる際、人の部分が塗り潰されるのであれば良い。

しかし、人らしさを備えたまま化け物になるのは見過ごせん。

今は致命的な事態に陥っていないが、仮にその時が来たのなら……」


「弱味を失った彼らに人間は勝機を見出せない」

「その通り」


 それゆえの護国兵団計画。

 それゆえの狗藤威吹討伐。


「低級、中級の化け物ですら弱味が消えれば人間にとってはかなりの脅威となる。

だが狗藤威吹は違う。大妖怪の道をOracleに約束されておる。

弱味の消えた大妖怪なぞ、悪夢以外の何ものでもない。

奴が自らの“力”に目覚め大妖怪に至ってしまえば最悪だ。

何せどれほどの犠牲を払い殺したとしても、いずれは蘇るのだからな」


 チャンスは今しかないのだ。

 殺せばちゃんと死んでくれる今しか。

 そう大西は力説するが、


「ちょっと質問を。弱味が消えた不滅の大妖怪の誕生。

それを危惧するのは分かりましたが……自らの“力”って?」


「ん? ああ……お主も気付いておらんのか。暢気な阿呆ばかりだな」


 大西は呆れたように溜め息を吐いた。

 一方さらりとディスられた博士だが、彼は不快感なぞ欠片もなく好奇心をその瞳に滾らせていた。


「詳しく、お聞かせ願えますか?」


「酒呑童子、九尾の狐、僧正坊。

莫大な妖気を備え大妖怪という領域に座すという共通項はあるがそれだけ。

当たり前だが他は何もかもが違う。好き嫌い、性格、スタンス――――そして、本領もな」


 酒呑童子であれば圧倒的なフィジカル。

 九尾の狐であれば明晰な頭脳や化かし騙しの技術、多彩な妖術。

 僧正坊であれば冴え渡る剣術、神通力、呪術などが挙がるだろう。


 九尾と僧正坊で割と被ってない? と思うかもしれないが、それは違う。

 確かに名称は違えど術によって同じ現象は起こせるので被っていると言えるかもしれない。

 が、互いに得手とするものが違う。

 どちらも大概なことは一流以上の領域でやれてしまうが、

 際立って得意なものを抜き出し比べてみるとその差は瞭然。

 僧正坊であれば風を筆頭とした気象制御、九尾ならば幻術や魅了などがそうだ。


「では、狗藤威吹の本領――化け物としての強みは何か」

「三匹の強みをそっくりそのまま使いこなせること……では、ないんですよね? 話の流れ的に」


 当たり前だと大西は頷く。


「確かに将来的に三者の力を完全に使いこなせるようにはなろう。

それも十分以上に脅威ではあるが、狗藤威吹の真価かと言われるとそれは否。

たまさか、三者の血を引いているからその力を使えるというだけでしかない」


 妖怪の血を引いていれば妖怪になれるのかと言うと、それは違う。

 妖怪になれるのは、それが天職だとOracleが太鼓判を押すのは、

 血などという物理的な要因ではなく種族の垣根も意味を成さぬもっと深い部分に原因がある。


「単に大妖怪の資質を持つ狗藤威吹という人間に大妖怪の血が流れていただけだ。

彼奴らの血を引いておらずとも、狗藤威吹は大妖怪になった。仮に純粋な人間であったとしてもな」


「純粋な人間であったとしても、ですか」


「そうだ。人間が魔に転ずるなぞ珍しい例ではあるまい。

奴が大妖怪へと至るのは奴個人が持つ何かが理由なのだ」


 ゆえに狗藤威吹の本領は別のところにある。


「奴は未だ“妖怪狗藤威吹”としての力を影すら見せておらん。

なまじっか大妖怪三匹の血を宿し力を使えてしまうせいで、それが枷となっておるのだろう。

そういう意味で、奴に大妖怪の血が流れていたのは幸運だったと言えるな」


 三匹の血が産道を塞ぎ本来の力が生まれいずるのを邪魔しているのだ。

 仮に純粋な人間、或いは木っ端の妖怪の血であったのなら、あっさり覚醒していた可能性が高い。

 大西は渋い顔でそう告げた。


「…………言いたいことは分かりました。で、何なんです? その力と言うのは!?」


 知的好奇心に抗えなかったのだろう。

 博士は、はあはあと息を荒げながら大西に詰め寄った。

 しかし返って来た答えは、


「確証がないので言及は避ける」

「こ、ここでそれはないでしょう!?」

「……ただ、仮に儂の予想通りであったのなら最悪が極まるだろうな」

「~~~!!!!!」


 梯子を外されたことで博士はジタバタとのたうち回り始めたが、

 やがて無駄だと悟ったのか深い溜め息と共に大人しくなる。


「はあ……まあ、大西さんの言いたいことは理解しましたよ。

しかし、彼の背後には名だたる大妖怪が居ますよ? それはどうするので?」


「考慮に値せんな」


 人の価値観で奴らを測るなと大西は博士を咎める。


「例え三匹が傍に居る状態で襲撃をかけても奴らは手を出さんよ。

酒呑童子などは死んだらそこまでの器だったと見切りをつけよう。

僧正坊と九尾も理由は違えど、死ぬまで手は出さんだろう」


 ならば死んだ後はどうなんだと博士が問いを投げる。


「危うい賭けになる。その場から逃げ果せれば儂らの勝ち」

「逃げられなければ……」

「そこで終わる。まあ、逃亡の算段は儂が立てておくから博士は急ぎ調整を済ませてくれ」

「分かりました。して、何時仕掛けるので?」

「調整が済み次第即座に。奴が現実世界の京都に居る内に片付けておきたいからな」


 リタには一つ、懸念があった。

 威吹と戦うことは既に決定事項のようで、それ自体は構わないと思っている。

 師の命令なのだ、否応もないと。

 しかし、退魔傀儡を率いて戦いを仕掛けたとして彼に勝てるのか。


「しかし大西さん、狗藤威吹に対する勝算はあるので?」

「……ある。決して高くはないが、勝率は現実的な数値であろうよ」

「以前狗藤威吹に敗北してからそこまで大きな成長はしていないと思いますが……」


 その通りだ。

 以前よりも性能は向上した。

 しかし、あの夜まるで底を見せていなかった彼に勝てるほどではないはずだ。


「リタ云々より、奴の側の問題だな。狗藤威吹が人間として戦えば勝機はなかろう。

だが、化け物として――弱味が露呈した状態で戦えばその命に刃を届かせられる」


「化け物として戦わせると言っても具体的には?」

「特別、何かをする必要はない」


 は? と博士が目を丸くする。


「リタが退魔傀儡を率いて襲撃すればそれで十分だ。

それだけで奴は“面白い”と乗って来るだろうよ。

後は必死で喰らい付き、白けさせぬようにすれば……必ず勝機は見えてくる」


 師がそう言うのであればそうなのだろう。

 自分はその通りにするだけだ。


(聞くべきことは聞けた)


 ならば今は来るべき戦いに備え休息を。

 自らの意識を沈めるリタ。

 しかし、


『――――あの爺さん、殺しちゃいなよ』


 脳内では未だ威吹の声が響き続けていた。

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