そうだ、京都で殺ろう③

 逢魔が時。

 一人の男が馬に跨り家路を急いでいた。

 男の実力を鑑みれば魔と逢うても何ら問題はない。

 大概の者は斬り捨てることが出来よう――が、彼は実に生真面目な人間だった。


 逢魔が時に出歩いてはなりませぬ。

 日が暮れる前に帰り、以降は出歩かず家で大人しくしていなさい。

 そんな養母の教えを大人になった今でも男は忘れていなかった。

 無論、止むを得ない事情がある場合は除くが原則教えを遵守する。


「それが渡辺綱という男なのであった――ってね」

「何と言うか、見た目通りの男なんだねえ」


 視線の先で馬を走らせる綱は外も中身も四角四面という言葉がよく似合う男だった。


「そうだね……っと、ほら。そろそろ橋に差し掛かるよ」


 勢い良く馬を走らせていた綱だが、何かを見つけるや減速。

 橋の半ばで馬を停め、飛び降りた。

 彼の視線の先では一人の美しい女が蹲っているのだが……。


「ざ、雑だなあ……いやまあ、鬼と考えれば器用な方なんだろうけど」

「まあそこはね。私たちは本職なわけだし。というか、あれでも人間化かすには十分だよ」


 女の正体が茨木童子であるのは直ぐに分かった。

 が、綱には分からなかったのだろう。

 一言、二言、言葉を交わすや壊れ物を扱うような繊細さで女を抱き上げ馬に乗せる。


「ね?」

「うん……でもまあ、今回上手くいったのは綱が生真面目な奴だからってのもあるよね」


 茨木童子を後ろに乗せた綱は、橋に侵入して来た時よりもゆっくりと走り出した。

 気を遣っているのだろうが、相手は鬼だ。

 全力で馬をかっ飛ばしても何ら問題はないだろう。


「お」


 ニヤリと綱に抱きついていた茨木童子が悪い笑みを浮かべた。

 そろそろ仕掛けるということだろうか。

 綱はまるで気付いていないようだが、どうする?

 などと考えていた威吹だが、


「………………は?」


 唖然とする。

 何の脈絡もなく綱が裏拳を放ち茨木童子を吹っ飛ばしたのだ。

 まず間違いなく、綱は正体に気付いていなかった。

 今もそう。

 何で自分はこんな真似を、と不思議そうな顔をしている。


「母さん、あれ……」

「ああいう人間なんだよ。肉体が思考を凌駕してるというか何というか」


 殴り飛ばされた茨木童子の変化が解除され、綱はようやく事態を把握したらしい。

 即座に太刀を抜き放つや問答無用で斬りかかった。


「ねえあれホントに人間?」


 茨木童子は全盛期も全盛期。

 闘争が今よりも身近にあり、心身共に充実した時期であるのは疑いようもない。

 が、その茨木童子を綱は圧倒していた。

 刃で、拳足で、術など一切使わず物理で大鬼を押している。


「源頼光とその四天王の中で一番強いのがあの男だからね。

いや、他も決して弱くはないんだけどさ。アイツ一人だけおかしいレベルで強いんだよ」


 防戦一方の茨木童子。

 そして遂に、その時がやって来る。

 見惚れるほどに美しく振り下ろされた白刃が茨木童子の腕を斬り落とす。

 茨木童子はもう無理だと判断したのだろう。

 落とされた腕を無視して、闇の中へと飛び去って行った。

 無論、綱とて黙って見逃したわけではない。

 茨木童子の逃げテクが凄過ぎたのだ。


「視線誘導やら何やら……よくもまあ、あそこまで器用なことが出来るね」


 時間にすれば一分もない。

 だが、その中で茨木童子は逃走のために幾つもの布石を打ってのけた。

 それら全てが実を結び、彼は無事逃げおおせることが出来たのだ。


「ね、だから言ったでしょ? 逃げの神だって」

「うん……確かに半端ない逃げテクだわ……」


 一方、逃げられた綱は苦々しい顔をしていたものの、

 直ぐに割り切ったらしく斬りおとした腕を抱え馬に飛び乗るや颯爽と去って行った。


「というわけで茨木童子主演”我が逃走”はこれにておしまい」


 パン! と詩乃が両手を叩くと景色が現実のそれへと切り替わった。

 魔都と呼ばれていた時代のそれから、平和な時代へ。

 かなりの温度差に一瞬、戸惑ったが……直ぐに威吹は満足げに息を吐いた。


「どうだった?」

「面白かった」


 詩乃の幻術はハッキリ言ってレベルが違う。

 当時の景色だけではなく、空気までもがリアルに伝わって来る。

 虚構だと理解していても尚、色褪せない現実感――正直、堪らない。


「ちなみにこの後、奪われた腕を取り戻すために茨木が四苦八苦するんだけど。

それがまた面白いんだよねえ。腕持って帰ったけどこれどうしよう?

って綱が清明に相談して結界を張ってもらうんだけど……ンッフ。

茨木ったら結界の前に手も足も出なくてねえ。

最終的に身内に化けて中に招き入れてもらって腕を取り返すんだけど、それがまた滑稽で」


 へえ、と相槌を打つ威吹だが、はたと気付く。


「ん? あれ? 腕を取り戻しに行ったの? 何で? 再生すれば良いじゃん」


 高位の化け物はデフォルトで反則染みた再生能力を持っている。

 威吹も同じで、だからこそ腕をもがれようと内臓をぐちゃぐちゃにされようとも復活出来たのだ。

 茨木童子も当然のことながら再生能力は備えているはずなのだが……。


「別に私たちの再生能力は万能ってわけじゃないんだよ?」


 妖気が尽きると再生能力は大幅に劣化して、掠り傷程度しか癒せなくなる。

 格上の相手につけられた傷は治りが遅い、または再生が不可能になる。

 傷をつけた相手に心が敗北を認めれば、その瞬間に再生は止まる。

 割と欠点だらけなのだと詩乃は言う。


「現に、それなりにやる紅覇くんの右眼だって今も欠損状態でしょ?」

「ああ……そういやずっと眼帯つけたままだね」


 というか紅覇は一体どこで右眼を失ったのか。

 初対面の際は両目が健在だったが、次に見た時にはもう片目を失っていた。


「ンフフフ、覗きの代償ってところかな。

ちょっと前ならともかく今はむしろ、誇りに思ってるだろうからね」


 あんまり気にしなくて良いよと詩乃は言うが、


(覗きの代償を誇りに……? やだ、あの子、変態……?)


 というかどんな女を覗いたのか。

 紅覇の右眼が再生不可能になるほどの女……相当、おっかない奴だろう。

 威吹はぶるると身体を震わせる。

 覗き程度で目を奪うとか、ちょっと理解出来ない。


「それはともかく茨木だけど、アイツの場合は斬られた刀――鬼切が問題なんだよね。

元は髭切っていう源氏の宝刀なんだけど酒呑討伐の折に綱に貸与されたの。

その時点ではただの名刀だったけど……威吹、神便鬼毒酒って知ってる?」


「あー……えーっと、酒呑を酔い潰した毒酒だっけ?」


 正解、と詩乃が頷く。


「神便鬼毒酒は八幡大菩薩から授かったものなんだけど、

その際に別の神仏が餞別がてら頼光と四天王の武器の位階を霊刀に引き上げたの。

その時点でもかなり強力だったんだけど、大江山の決戦で更に化けちゃったの」


 高位の化け物の血を多く啜った結果、霊刀の位階は更に引き上げられたのだと言う。


「そんな刀で斬られちゃったら……ねえ? 再生は難しいよ。

五体満足に戻りたいなら一回死ぬか、

斬られた腕を断面にくっつけてしばらく時を待つかしか選択肢はないもん」


「それで茨木は腕を取り戻そうとしたのか」


 得心がいったと威吹は何度も頷いた。


「さて、次はどこ行く? 近くには清明神社とかあるけど」

「お、良いね。でもその前にさ。ちょっと土産買おうかなって」

「お土産?」

「うん、道中ちらっと耳に入ったんだけど近くに美味い酒蔵があるんだって」


 酒呑へのお土産には丁度良い。

 逆に困るのは僧正坊だ。

 テキトーな京都名物を買って行っても大喜びしてくれるのだろうが、

 それはそれで手抜きをしているようで申し訳ない。


「えー……アイツにお土産ぇ? コンビニのストゼロで良いんじゃないかなぁ」

「流石にそれは……つーか、何でアンタら仲悪いの?」


 詩乃が僧正坊と話をしている場面を見たことはないし、

 僧正坊のことをチャラ天狗などと呼んではいるがそこに嫌悪感はない。

 しかし、酒呑の場合は別だ。

 自分を鎹にして同じ空間に居たりするのはちょくちょくあるし、

 普通に会話も交わすのだが根底にある嫌悪感が一時たりとも薄れたことがない。


「いや、最初は別にそうでもなかったんだけどね? アイツが突っかかって来るから鬱陶しくて……」


 詩乃が強いから喧嘩を売りに行ったとかそういうことだろうか?

 威吹の問いに詩乃は溜め息混じりに語り始める。


「強い癖に狡すっからいことばっかりやってる私が気に入らないんだって」

「あー……」


 言われてみれば納得だ。

 強さで我を通すことを至上とするのが酒呑だ。

 そんな彼からすれば詩乃の行動原理は意味不明だろう。


「そもそもからしてあの酔っ払いと私じゃ遊んでるゲームのジャンルが違うんだよ。

アイツはクライムアクションか無双系だけど私はシミュレーションゲームじゃん」


 三国時代や戦国時代を舞台にしたシミュレーションゲームをプレイしていたとしよう。

 プレイしていて一番つまらないタイミングはどこか。

 大概の人間は趨勢が殆ど決して消化ゲーになった終盤を挙げるのではなかろうか。

 シミュレーションゲームで大事なのは、歯応えだ。

 どちらにも勝ちの目がある状態で火花を散らすのが一番楽しいのだ。

 だからチートなんて以ての外。

 何でもかんでもごり押しで進めるシミュレーションゲームなどつまらないにもほどがある。


 詩乃の言葉にそりゃそうだと同意を示しつつ威吹は思った。

 人間からすれば傍迷惑極まるSLGだなと。


「だから私は最初に幾つも敗北条件を設定しておくわけ」


 正体を暴かれた途端に逃げの一手を討つのはそれが理由だ。

 分かり易く逃げ回ることで自身の敗北を喧伝しているのだ。

 出来るだけ惨めに、出来るだけ滑稽な姿を晒せば人は勝利を疑いはしないから。


「良い塩梅にバランスを調整するのは大変だけど、それもまた醍醐味って言うの?」


 簡単には勝利条件を満たせない。

 だが、決して届かない条件では意味がない。

 絶妙な按配で人間の勝利条件を設定するのが堪らなく楽しいのだと詩乃は力説する。


「玉藻やってた時は良かったねえ」


 詩乃はしみじみとした顔で昔を思い出している。

 十代前半の少女の見た目なのに、纏う雰囲気はおばあちゃんのそれだ


「討伐軍が結成されたりなんかしちゃってさ。望外の延長戦が始まったんだもん。

まずは対策出来る程度の妖術を使って軍を撃退してさ。

次に挑んで来る時、ハードルを越えられたなら私の負けって感じで……」


 威吹は思った。

 安倍泰成や討伐軍を率いた将らが可哀想だなと。

 あちらは本気でやっていたのに、詩乃は始終遊びのつもりなのだから。

 もしもバレていたのなら憤死していたのではなかろうか。


「私もさ? それぞれに好みってものがあるから最初は寛大に接してたんだよ?

でもあんまりしつこいとさあ……ねえ?

頭空っぽにして暴れ回る幼稚な餓鬼に偉そうなこと言われたくないっていうかー」


「まあ……事情は分かったよ」

「ちなみに母さんと酔っ払い、どっち派?」


 どっち派? そんなの決まってる。


「両方楽しむのが真のゲーマーでしょ」


 ジャンルがどうとかどうでも良い。

 どのジャンルでも楽しめるのが最強だ。

 しかし、詩乃はその答えがお気に召さなかったようで頬を膨らませている。


「母さん、そういうどっちつかずな日本人的返答好きじゃないな」

「いや、日本人的返答とはまた違うだろう」


 どっちも好きだとハッキリ断言しているのだから。


「そこはさー、普通さー、母さんの言う通りだって同意する場面だと思うなー」

「めんどくせえ……というか、本心からの言葉じゃなくてもええんかい」

「良いよ? 上手に騙してくれるのなら」

「すいません、九尾の狐を騙すってハードル高過ぎるんですけど」


 酒呑と肩を並べる強さになれと言われる方がよっぽど簡単だ。


「というか、酒呑に肩入れするわけじゃないけどさ」

「ん?」

「母さんが一回、本気で戦う場面は見てみたくはあるよね」


 人間の姿ではない。

 本性を表した九尾の狐の姿で大暴れして欲しい。

 巨大な九本の尾を炎や雷に変えて暴れる姿は、さぞや痛快だろう。


「京都とか帝都のど真ん中でさ。八俣遠呂智あたりと怪獣大決戦して欲しい」

「女の子に怪獣大決戦て……や、元の姿に戻ればそれぐらいの大きさはあるけどさあ」

「いやでも、絵的にすっごい映えると思うよ? 興行収入とかすんごいことになるよ?」

「えー……」


 威吹に甘い詩乃だが、今回ばかりは駄目らしい。

 威吹がこれだけ言っても渋い顔のままだ。

 齢を重ねれば重ねるほど違うジャンルを開拓するのに二の足を踏んでしまうのだろう……多分。


「というか? 私は今絶賛、別のゲームに夢中なわけでして」

「あん?」

「分からない? 恋愛シュミレーションゲーム★ 攻略対象は勿論、い・ぶ・き♥」

「……」


 威吹が無言でいると詩乃は底意地の悪い笑みを浮かべ、こう言った。


「あらら? どうしたの? どのジャンルでも楽しめるのが最強じゃなかったの?」

「……これでヒロイン気取ってんだから、すごいよなあ」

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