高校デビュー失敗③

 元の席に戻るのは気まずい。

 かと言って体育館を出て行くのも気まずい。

 ならばとガラガラの保護者席に腰掛け威吹は遠巻きに同級生らを見つめていた。


「どうした、諸君らも早く殺し合いを始めたまえよ」


 未だ混乱から立ち直れていない生徒らに壇上から声がかかる。

 だけど、動かない。いいや、動けない。

 中にはやらなければいけないのかと身体を強張らせつつも動こうとする生徒も居た。

 しかし、彼らも結局行動には移せず所在なさげに視線を彷徨わせるだけ。


(ま、普通の反応だわな)


 現実世界から来た者らは言わずもがな。

 幻想世界で生まれ育った者らもそうだろう。

 現実の人間社会を模倣しているのだから根幹を成す秩序も刷り込まれているはずだ。

 学校に通えるような境遇の者らは”お行儀が良い”分類に入るのでモラルも高いのだと思う。


(そういう意味で糸目くんは変り種……いや、違うな)


 あれも根っこの部分は戸惑い続けている生徒らと同じだ。

 適応していたように見えたのは事前にこういうイベントがあると知らされていたからだろう。


(誰が唆したのか知らんが、酷なことをする)


 大方、このイベントを利用し自分を害するように唆されたのだろう。

 その結果が早過ぎる死。不幸としか言いようがない。


(ま、どうでも良いか)


 微かに浮かんだ哀れみを霧散させ、壇上の黒猫先生を見つめる。

 黒猫先生はいつまでこの状況を続けるのだろうか。

 威吹がそう考えていると黒猫先生は露骨なまでに大きな溜め息を吐き出した。


「……分かった。結構だ、もう良いよ」


 着席し、静聴したまえと黒猫先生は言う。

 生徒らは困惑しつつもそれに従った。


「現実世界出身の子はまだしも、こっちで生まれ育った子らまでがこうだとはね。

いや、少し前からそんな傾向はあったが……今年は顕著だな」


 やれやれと首を振り、黒猫先生はこの時間の意図を語り始めた。


「私がいきなり殺し合いをしろと言ったのはね。

喰う側なのか喰われる側なのか。諸君らがどちらに属するかを見極めるためだ。

端的に結論を述べよう――――たった一人を除いて君らは喰われる側」


 踏み躙られる側だと黒猫先生は断言した。


「殺し合いをしろと言われて即座に隣に座る者を殴り付けることが出来るのが三流、四流。

いきなり舐めたことを抜かす私を殺しにかかれるのが……まあ、二流。二.五流ぐらいか。

一流とそれ以上は”ハナからモノが違う”ので除外するが、

最低でも三流、四流ぐらいにはなれないと何か起きれば君らは何も出来ぬまま死ぬだろう」


 そもそもからして現実世界と交流を持つまで幻想世界は文字通りの人外魔境だったのだ。

 偶に現実世界から神秘の力を操る人間がやって来ることもあった。

 だがそれは圧倒的な少数。

 人の法が、秩序の光が届かぬ険しい世界に好んで来るのだ。

 ハナからどこかがおかしい――言うなれば精神が人外のそれに近しい者らだ。

 そんな連中がこの世界に法や秩序を築こうとするわけがない。

 無法こそが法というこの世界に馴染むのが当然の帰結。


 そんな幻想世界が変わったのは現実世界と交流を持たざるを得なかったからだ。

 両方の世界を維持するために歩み寄った結果が人間社会の模倣。

 ある程度の秩序が築かれはしたが、

 その平和が薄氷の上に築かれた不安定なものであることを忘れてはいけない。

 何時崩れてもおかしくないものであると心得ねばならないのだと黒猫先生は語る。


「特別危険な連中もな、世界を維持するために秩序を受け入れはした。

だがそれを遵守し続けるなどという楽観はすべきではない。

優遇措置を取られ、何不自由なく生きていてもだ。

連中はあっさりと手の平を返すんだよ。それは何故か。損得じゃなく気分で生きてるからだ。

たまたまそういう気分ではないから暴れていないだけ。壊そうとしないだけ」


 他の生徒らはイマイチ現実感がないようだが威吹は違った。

 黒猫先生が言うところの特別危険な連中を知っているからだ。

 詩乃にしても酒呑童子にしても、ふとした拍子に今の社会を壊しかねない危うさがある。

 人間の姿を取っていて、話も通じはするが根本的な部分でアレらは違う存在なのだ。


「それは当たり前の、一々確認する必要もない常識だ。

現実世界から来た者らにはピンと来ないだろう。

それは良い。しょうがないことだ。だが、嘆かわしいことにな。

元よりこの世界の住人でありながらそんな常識を忘れている阿呆も居るのだ」


 かつての世界では恐怖し、コソコソと逃げ回ることしか出来なかった小物たち。

 彼らは過去を忘れたがっているのだ。

 今の安寧を得られる世界の在り方こそが真実なのだと思い込みたいのだ。


「そんな者らが子を成し親になるものだから君らのような”餌”が生まれるわけだ」


 餌という発言にどよめきが広がる。

 中には不満を露にする者も居たが、

 黒猫先生が放つ殺気に疎外感を覚えている威吹以外の全員が萎縮させられていた。


「先ほど話に出た現行の秩序を揺るがすような連中を除いても、だ。

表立ってそれを主張していないだけでこう考えているよ。

強い奴には従うが弱い奴に配慮する道理などありはしない……とね。

そういう考えを持つ者らはな。光差さぬ場所に弱者を引き摺り込むのだ。

そして自身の欲を満たさんと好き勝手に玩ぶ。泣こうが喚こうが意味はない」


 だって、弱いから。


「ですが先生! そんな話は……」


 たまらずと言った様子で一人の女生徒が声を上げる。

 恐らくはこの世界で生まれ育った者だろう。


「聞いたことがないと? 当たり前だ。少し考えれば分かるだろう?

お前は都市部に住まい、こうして学校にも通えるような立場に在るのだぞ。

安穏とした場所から一歩も出ていないのに世界の姿が分かるものかよ」


 この世界にテレビはない。一応、新聞はあるがそれにしたって一々報道はしない。

 それは何故か。

 市民を不安がらせないための配慮? いいや違う。

 そもそも誰それが死んだだのそういう報道をする意味を見出せないからだ。

 化け物たちからすれば不思議で不思議でならないはずだ。

 何故、現実世界の者は人が殺された程度で騒ぎ立てるのかと。


「”真っ当な”親であれば、それでも伝えはするだろうがな。

だがどうやら諸君らの父母は薄氷の安寧に縋る日和った馬鹿者か、

或いはそれに育てられたがゆえに何も知らぬ間抜けのどちらからしい」


 どちらであっても詩乃や酒呑童子よりはマシな親だろう。

 威吹はそう思ったが空気を読んでダンマリを貫いた。


「ああそうだ、現実世界から訪れた者らに言っておこう。

騙された、こんなはずじゃなかったなどというのはお門違いだ。

政府の人間ですら本当の意味で正しくこの世界を認識していないからな。

折に触れて説明してやっているが、本当の意味で理解はしておらんだろう」


 理解する時が来るとすれば自らが被害に遭った時だけ。

 だが、それは難しいだろう。

 政府から派遣された人間は生徒らと価値が違う。

 それを護ろうとする者が居るから被害には遭い難い。

 生徒らが犠牲になったのなら考え方も変わるのでは? それも難しい。

 精々、交通事故に遭った程度の認識しか抱けまい。


「……まあ、長々と語ったが本当の意味で理解は出来ていないだろうな。

学生の内は我々も君らを護る義務があるしな。実感は得辛いだろうよ」


 怖がってはいても、その恐怖はずっと続くものではない。

 薄れ、やがては消え去るのが目に見えている。


「だからまあ、これだけ覚えておけば良い。

私は、いや学院の教師は君らを餌にする気は毛頭ない。

この世界でもやっていけるように最低でも三流程度には鍛え上げるつもりだ。

時には酷な試練を課すこともあるだろう。だが、それは決して無駄にはならない」


 そう言い終えたところで黒猫先生は威吹に視線を向けた。


「狗藤、お前は免除だ。三年分、一部の授業に関しての単位はくれてやる」

「…………小物一匹を殺った程度で?」


「見るべきはそこではない、お前の精神性だ。

既に完成されているお前のそれは雛鳥どもには毒気が強過ぎる。

一緒に授業をやらせても薬にはならんだろう。端的に言って迷惑だ」


 それに、と黒猫先生は皮肉げに笑う。


「そもそも出るつもりもなかったんじゃないか? ならば問題はあるまいよ」


 内心を見透かしたような言葉。

 しかし、事実は事実なので否定は出来ない。

 威吹は貰えるものは貰っておくと答え、再度黙り込んだ。


「というわけで今日はもう解散だ。各自、好きにすると良い」


 教室に戻っての自己紹介や諸々の説明は?

 と疑問に思うかもしれないが、それは明日でも問題はない。

 今はそれよりも自分なりに考える時間を、ということだろう。


(鉄は熱い内にって言うからなあ)


 殺し合いをしてもらう発言から始まった一連の流れ。

 生徒たちも当然、思うところがあるはずだ。

 どう受け止めるのか、それを試されているのだろう。

 と、そこまで考えて威吹は気付く。


(…………俺、出汁にされた?)


 ちらりと黒猫先生を見る、先生は微かに笑っていた。

 どうやら当たっていたらしい。

 何だかなあと渋い顔で立ち上がった威吹、


「いぃぃいいいいぶぅうううきぃいいいいいいいい!!!!」

「グッフォ!?」


 の腹に馬鹿犬の突撃が突き刺さる。

 妖怪化を解除していたので、かなりの衝撃だった。

 威吹は涙目になりながら馬鹿犬無音を睨み付ける。


「何あれ!? 何あれ!? 威吹めっちゃ強いじゃん!

まだ自分の力で妖怪になれないんじゃなかったの!? 公園で言ってたよね!?」


 が、効果はないようだ。


「……今日、なれるようになったんだよ」

「そっか!」


 あっさりと納得するあたり、実に馬鹿犬だった。


「でもびっくりしたね! いきなり殺し合いしろとか言われてさ!!

けど、せんせぇの話を聞いたら納得したよ! 危ないもんね! この世界!!」


「…………無音、俺は同級生を一人殺したわけだが思うところはないのか?」


 目の前で舌を出している柴犬の表情……表情? に恐怖の色はない。

 媚を売っているという可能性もあるが、

 この状態ではそんな打算的なことは考えられないだろうし、その可能性は低いだろう。


「最初は怖かったよ! でもよくよく考えたら喧嘩売ったのあっちだしね!

それにおれたち妖怪だもん! この程度は日常……日常……お茶だよ!!」


「日常茶飯事と言いたいのか?」

「それ!!」


 無音の馬鹿っぷりはさておき、だ。

 よくよく考えれば無音のこの反応も当然なのかもしれない。


(話を聞くに直ぐ、妖怪変化が出来るようになったみたいだからな)


 無音は妖怪が天職だと判断された人間だ。

 妖怪の姿を取っている方が自然だと言っていることからも、

 その精神性は既に人のそれを離れて人外寄りになっているのかもしれない。

 それゆえ人死に程度では心揺れることもないのだろう。


「まあ、お前が気にしてないなら良いけどさ」

「ふぁふ?」


 ぶよぶよと無音の顔を引っ張りながら威吹は笑う。


「あ、あの……」


 ん? と顔を上げると百望が居た。

 視線も合わせずキョドっているところを見るに、こちらは自分が怖いらしい。

 だがまあ、こればっかりはしょうがない。

 彼女の性格上、いきなり同級生を殺した男に恐怖を抱かないわけがない。


「こ、これ」


 渡されたのは預けていた上着や外套だった。

 威吹はありがとうと言ってそれを受け取り、身に着ける。

 その様子をじっと見つめていた百望がポツリとこう告げた。


「べ、別に怖くなんてないんだから……」

「いや、それは無理があると思う」

「こ、こここ怖くない! どうやって私が威吹を怖がってるって証拠よ!?」

「君、教室でも似たようなこと言ってたよ」


 ツッコミを入れつつ威吹は百望の表情を観察していた。

 どうやらこちらも有益な相手だから、というわけではないらしい。


「わ、私のログには何もないわね! だ、だから……そ、その……これからも友達で居て……良いんだから」


 何時、友達になったの?

 と言いたくなったが我慢我慢。

 ここでそんなことを言えば面倒なことになるのは目に見えている。


(多分、初めての友達(本人主観)が離れていくのが怖いし嫌なんだな)


 だから恐怖を押し殺して言葉をかけに来たのだ。

 そのボッチっぷりに軽く目頭が熱くなるものの、


(まあ良いか)


 親目当て、或いは将来性を買って擦り寄って来るよりはよっぽど良い。


「ありがとう。そういうことならまあ、よろしく頼むよ」

「! え、ええ……よろしくしてあげても良いんだから!!」


 差し出された手を嬉しそうに握り締める百望。

 よほど寂しい人生を送って来たのだろう。

 またしても目頭が熱くなる威吹なのであった。


(高校デビューには失敗したが……)


 馬鹿犬と陰キャ、友達二人が出来たのだ。

 一先ずはこれで良しとしよう。

 誰が糸目くんを唆したのかとか、気になることもあるが……。


(別に良いか)


 またちょっかいをかけてきても、その時にまた踏み砕けば良いだけなのだから。

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