舞台裏の敗北者―人生空虚じゃありゃせんか?―

「ハハ! 何だこのザマは!!」


 学院の屋上で一人の少年が遠見の術で体育館の様子を窺っていた。

 彼の名は伊吹紅覇。

 相馬高等学院の三年生にして学年筆頭の肩書きを持つ優秀な生徒だ。

 紅覇は人っ子一人居ない屋上で、右眼を抑えながら仄暗い喜びに身体を震わせていた。


「ああ、やはり私は間違っていなかった」


 塞がれた片目に映るもの、それはカマイタチの刃で切り裂かれ血塗れになった威吹の姿であった。

 自身の配下であるカマイタチの妖怪”礫”は新入生の中では一番の実力を持つであろう妖怪だ。

 他の配下と比較しても中の下程度には位置するだろう。

 しかし紅覇からすれば礫も有象無象の雑魚とは変わらない。

 だが威吹はそんな雑魚に、その程度の雑魚に切り刻まれている。


「防げもしない、躱せもしない。あの程度の攻撃に反応すら出来んとは」


 ニマァ、と紅覇が哂う。


「剥いでやった、剥いでやった。化けの皮を剥いでやったぞ」


 学院長に追い出されてしまい、酒呑童子があの場に居ないのは残念だ。

 しかし、この話はあっという間に広がるはず。

 話題性は十分だし、自分も配下に命令し広めさせるつもりだからだ。

 だからきっと、酒呑童子の耳にも届く。

 そして、その間違いに気付いてくれる。


「良いぞ良いぞ。礫、言ってやれ」


 体育館の中では礫が侮蔑も露に、先ほどの紅覇と似たようなことを口にしていた。

 機嫌良く流れを見守っていた紅覇だが……。


[――――阿呆かお前]


 心底呆れているといった様子の威吹。

 何を言っているのか紅覇は理解ができなかった、恐らくは礫もだろう。


[お前、見たいのか?]


 小物の攻撃に一々過剰反応する大妖怪など見たくはないだろう。

 そう指摘する威吹に紅覇は虚勢を! と叫ぶ。


「自らに宿る貴き血の力を引き出すことも出来ぬ人間風情……が……」


 徐々に紅覇の言葉が弱っていき、信じられないといった表情に変わる。

 それも当然。

 視線の先で、何の前触れもなく威吹が力に目覚めたのだから。

 いや、前触れもないだとかそういうことを考えるのは第三者だけだろう。

 本人や、分かる者にとっては当然のこと。驚きにも値しない事象だ。


[あちゃあ……”運が悪かった”みたいだな]


 愕然とする紅覇を他所に決着は直ぐについた。

 攻撃とも呼べぬ一撫でによって四散した礫。

 運が悪いというのは皮肉った台詞にも聞こえるが、威吹本人には殺すつもりなどまったくなかったのだろう。

 まさかこの程度で死ぬとは……と軽く引いているようにすら見える。


「こんな……こんなことが……」


 今の奴に勝てるか? いや、勝てなくはないはずだ。

 恐らくは互角程度。これならば問題はない。

 戦闘の心得も知らない。ロクに努力もしていない。

 ただただ偉大な血に縋るだけの人間如きに負けはしない。

 そう自らに言い聞かせる紅覇に、更なる衝撃が襲い掛かる。


[あーらら。息子が弱い者イジメしてる。母親としては叱るべきなのかな?]


 忌々しい女狐の声、これはどうでも良い。


[いや、悪いのはあっちだろ。あんな態度取っといてあそこまで弱いとは思わんだろ、普通]


 問題は酒呑童子だ。


「み、見て……いたのですか……」


 狐の幻を利用したのか。

 いや、それはどうでも良い。重要なのは酒呑童子が一連の流れを見ていたということ。

 焦燥感に駆られる紅覇を他所に事態は新たな展開を迎える。


[しかしまあ……ククク、嬉しくなるねえ]


 機嫌良さそうに酒を呷りながら歩み寄った酒呑童子が弾む声で威吹の名を呼ぶ。


[”好きにしろ”]


 何が何だか分からぬままにそれは始まった。

 本気ではないだろう。

 だが、それなりの力が込められた拳を真っ向から受け止める威吹。

 爆ぜたように鮮血が噴き出す威吹を見つめる酒呑童子の慈愛に満ちた瞳。


[何故防がなかった? 何故避けなかった? 俺は小物か?]

[な、わけねえだろ……このザマ見てから……ほざけや……ごふッッ!!]

[なら何故、無防備に受けた]


 嬉しそうに、嬉しそうに言葉を重ねている。

 一度も、一度も見たことがない顔だ。

 自分には一度だって向けてくれなかった。


[あん……たが……誘ったんだろ……比べっこしようぜってな……]

[へえ!]


 誘い? 比べっこ? 何時、どこでそんなやり取りがあった?

 なかった、なかったじゃないかそんなもの。

 言葉は当然として行動もそう。

 酒呑童子が一言二言、よく分からないことを言っていきなり殴り付けただけ。


「通じ合っている……とでも言うつもりか……ッッ!!」


 噛み締めた奥歯が砕け散る。

 口の端から血が零れだすのも構わず紅覇は威吹を睨み付けた。


「!? ハハ! ざまぁみろ!!」


 威吹が恐れ多くも酒呑童子に殴り掛かった。

 抉り込むようなアッパー。

 並みの人間や妖怪であれば礫と同じ末路を辿っていただろう。

 だが、殴り付けたのは大江の大鬼、偉大なる大妖怪酒呑童子だ。

 逆に殴った側の拳が破壊されてしまった。


「調子に乗るから報いがくるんだ。お前如きでは酒呑童子様の影を踏むことすら出来ん」


 掠り傷一つも負わせられず無様に自らを破壊した。

 せせら哂っていた紅覇の顔が瞬く間に凍り付く。


「――――」


 たらりと酒呑童子の口の端から血が流れ出した。

 ぷっ、と吐き出されたのは数本の歯。


「う、嘘だ……い……ない……ありえない……」


 比べっこの結果だけを見つめるのなら酒呑童子の圧勝、威吹の完全敗北だ。

 しかし、しかし酒呑童子の顔を見ろ。


[ククク……良い……良いねえ、良いじゃあねえか!!]


 輪をかけて上機嫌になっている。


[やっぱりお前は俺の”息子”だ。俺の息子は”お前だけ”だよ]


 その言葉が、その笑顔が、どうしようもなく紅覇の胸を抉った。

 ガクン、と膝から崩れ落ちた紅覇はダンゴムシのように身体を丸め――――


「~~~~~~~!!!!!!!」


 叫んだ。

 腹の中に溜まった、どう足掻いても消化し切れない感情を少しでも軽くするように。

 恥も外聞もなく喚き、転がり、狂おしいまでの激情を鎮めようとした。


「糞糞糞糞糞ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 何故だ。

 何故だ。

 何故だ。

 何故だ。


「父上! 父上ェ!! 何故、何故私を認めてくれないのです!?」


 同じ酒呑童子の血を引くにしても、だ。

 あちらは混ざり物。人間だけならまだしも、薄汚い狐や天狗の血まで混ざりこんでいる。

 対して自分はどうだ? 純血だ。純血の鬼だ。

 母も女鬼としてそれなりに名を馳せている大鬼だし、父に関しては言わずもがな。

 正統というのなら自分だろう。自分以外にはあり得ないだろう。


「あんな、あんな混ざり物なんか……!!」


 何故、何故目をかける。

 酒呑童子だけではない。他の者らもそうだ。

 見ていて分かった。

 学院長である相馬小次郎や化け猫教師らは明らかに威吹に一目置いていた。


「私の方が……私の方が相応しい……!!」


 幼き日の光景が脳裏をよぎる。

 母から聞かされた偉大な父の存在。

 会いに行った。

 弾む気持ちを隠しもせず、会いに行った。

 そして告げた。自分はあなたの息子ですと。


『――――笑えねえ冗談だ』


 酷く、酷く冷たい瞳だった。

 路傍の石を眺める視線の方が、まだ温かみがあるのではないかというほどに。


『ぁ』


 急激に遠退く意識。

 それから七日七晩、生死の境を彷徨い続けた。

 後から聞いた話では視線一つ、視線一つで自分は死にかけたのだという。

 茨木童子が助けに入ってくれなければまず死んでいただろうと母は言っていた。

 恐ろしいと思った、だがそれ以上に憧憬が大きくなった。

 何時か、何時か偉大な父に認めてもらえるよう頑張ろうと決意を新たにした。


 何とか体調を回復させた紅覇は茨木童子の下へ赴いた。

 無論、感謝の言葉を告げるためだ。


『良いよ良いよ。流石に酒の席でいきなり同族のガキが殺されるのは寝覚めが悪かったしな』


 茨木童子は笑って感謝を受け入れてくれた。

 だが、その時だ。

 突然、酒呑童子が茨木童子の下を訪れた。


『なあ聞いてくれ茨木! こないだ金熊のケツに酒瓶突き刺したんだがやべえぞあれ!!』

『大将大将、そんな糞みてえな話するために俺んとこ来たの?』

『うん』

『あの、俺も暇じゃないんだけど……』

『知ってる。でも聞け』


 紅覇は突然の事態にただただ呆然としていた。

 どうしよう、どうするべきか。

 先だっての無礼を詫びるべきじゃないのか?

 だが、どんな言葉で謝ろう。

 ぐるぐるとまとまらない思考。それを吹き飛ばしたのは酒呑童子だった。


『誰だコイツ? 新しい小間使いか何かか?』


 嫌悪に起因する厭味ではないと直ぐに分かった。

 父は、自分の存在を既に忘れ去っていたのだ。

 傷付いた、この上なく傷付いた。

 それでも、何時かはとグッと涙を堪えて頑張り続けた。

 なのに、


「何で……アイツだけ!!!!」


 遠見の先では化け犬と人間の女にじゃれつかれている威吹の姿。

 こんな、こんな奴に自分は負けたのか? そんなわけがない。何かの間違いだ。

 威吹への呪詛を滾らせる紅覇だったが、


「!?」


 声、いや念のようなものを感じた。

 それは間違いなく威吹のものだ。


 誰が礫を唆したのかという疑問。

 まあ良いやという楽観。

 そして、ちょっかいをかけてきてもまた踏み砕けば良いだけだという結論。


 その結論を感じた瞬間、


「ぐわぁ!?」


 紅覇の右眼が破裂した。

 一体何が起きたのか、紅覇は突然の痛みに心底混乱していた。

 分かる者が見ていたのならこう言っていただろう。

 威吹の念が下手人である紅覇を刺したのだと。

 認識しておらずとも、想うだけでこの程度のことはやってのけるのだ。

 それが大妖怪というもの。

 しかし”ハナからモノが違う”ということを理解出来ない紅覇にはそれが分からない。


「くぅ……あの女狐か? いやだが、そんな様子は……糞、何故、治らない!?」


 片目を抑えながら息を荒げる紅覇の耳に反吐が出るほど甘ったるい声が響く。


「”悪い子”みーつけた♪」


 弾かれたように顔を上げ、貯水槽に腰掛けるそいつを見つける。

 九尾の狐だ。九尾の狐がクスクスと笑っている。


「覗きなんて破廉恥なんだぁ」


 両手で指鉄砲を作り紅覇に向ける九尾だが、


「って、あらら、泣いてるの?」


 涙を流していることに気付くや嘲りと哀れみを滲ませた表情に変わる。


「可哀想に、可哀想に……でも、男の子のそういう顔、私、好きなんだよね」

「黙れ毒婦ゥ!!」


「ンフフフ、慰めてあげようか? ああでも、頭を撫でるぐらいだけどね?

キスや、そこから先はもう他の男に許すつもりはないから。

まあ、焼き餅を妬く威吹を見てみたくもあるけど……うん。

やっぱり、他の男を利用して気を引くなんてみっともない真似はね、出来ないや」


 聞いてもいない戯言をべらべらと並び立てる女狐。

 紅覇は九尾の狐が嫌いだった。

 大層な力を持っているのに小賢しい真似ばかりをする女が、

 酒呑童子と並び称されているのがどうしても許せないのだ。


「にしても……この結界……遮音、人払い……他の術も色々使えそうだね。

君? ホントに純血の鬼? 随分とまあ、”器用”じゃない」


 せせら笑いが、これまた癪に障る。


「厭味か。貴様からすれば俺の術なぞお粗末な代物だろうに」

「ああ”そう”受け止めちゃうか」


 だから駄目なんだよね、などと意味不明なことをほざく九尾の狐。

 紅覇はいい加減、苛立ちが限界に達しようとしていた。


「心情的にはね、君の味方なんだよ私?

可愛い可愛い私の威吹にちょっかいをかけてくるあの腐れアル中。

あれの視線が威吹から別の子に移るなら願ってもないことだしね。

物理的に排除って手もあるけど、それはそれでね。

何故か静観の構えを取ってる天狗の爺が気になるし、漁夫の利なんて笑えないもの」


「……結局、何が言いたい?」


 この女は一体何の目的で自分の前に姿を現したのか。

 紅覇にはそれがどうしても分からなかった。

 酒呑童子の視線を威吹から奪う? そんなものこの女に言われるまでもないことだ。

 それぐらいは分かっているだろうに……まさか発破をかけに来たとでも?

 反吐が出る、紅覇は唾を吐き捨てた。


「そもそもさ、君、根本的に”ズレ”てるんだよ」

「何だと?」

「威吹に突っかかる前にやることがあるでしょうって言ってるの」

「もっと己を磨けと言いたいのか?」


 愚問だ。それぐらいは当然、弁えている。

 だが自分は鬼だ。邪魔者の排除も並行してするのは当然だろう。


「我が子可愛さゆえか。それなら貴様が直接、私を殺せば良いだろうに」

「…………はぁ」


 大きな大きな溜め息だった。


「君さ。そんなだから”父親に”相手してもらえないんだよ。

長じても良いとこ、茨木童子の大幅な劣化品ってとこかな?

君じゃ無理だ。どう足掻いても、届かない。至らない。

何千何万の努力を積み重ねても振り向かせられない。

いや、努力なんて発想がもうね……無理だよ。あのアル中は一生、君を見ない」


「貴様ァ!!」


 激情そのままに拳を振るう。

 が、この場に居る九尾の狐は幻影だったらしい。

 紅覇の拳が触れた瞬間、陽炎のように像が揺らめいた。


「どうしてもって言うならさ……ンフフフ、ワンチャンダイブでもして来世に賭けてみれば?」


 耳にこびり付く甘ったるい笑い声と共に、九尾は消え去った。

 残された紅覇は屈辱に打ち震えながら、叫んだ。


「――――!!!!」


 きっと何時か。何時かきっと。

 だが悲しいかな、叫びも願いも届くことはないのだから。

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