「理由(ワケ)あって、妖怪!」

「母さん、ロックの散歩に付き合ってくるー」

「はいはーい。大丈夫だろうけど夕飯までには帰ってくるんだよ?」

「うぃ」


 酒呑童子の来訪以降、威吹は特別語るべきこともない平坦な日常を送っていた。

 ちょこちょこ酒呑童子が顔を出すようになったことが変化と言えば変化だが、

 それにしたって二度、三度と訪れていれば新鮮なものではなくなる。

 そんな威吹だから入学を明日に控えた今日も、変わらぬ生活を送っていた。


「ほいじゃあ行くかね」

「クワーッ!」


 サンダルを引っ掛け甚平姿で外に繰り出す威吹とロック。

 人間とペンギンが並んで歩く姿は現実世界ではかなりレアな光景だが、ここは幻想世界。

 人間とペンギンが連れ立って歩いている程度では視線を集めることもできない。


「……向こうもそろそろ入学式のシーズンだよなあ」

「クワゥ?」

「ああ、ちょっと向こうの友達のこと思い出してさ」


 人付き合いに積極的ではなかったが、仲の良かった友達はそれなりに居る。

 そんな友人たちの近況がふと気になったのだ。


「クックァ?」


「ん? 友達には何て言ってこっちに来たのかって? 留学ってことになってる。

俺に限らずこっちに進学する奴らは大概、

政府の配慮で他所の国の架空の学校に在籍ってことになってるみたいだぞ」


 仮に幻想世界での暮らしに馴染めなかった際の救済措置だろう。

 まあ、その代わり留学したことになっている国についての勉強を義務付けられているのだが。


「怪しまれなかったのかって? まあうん、ちょっと勘繰られた。

ただ俺が兎に角遠くへ行きたがってたのは皆も知ってたしな。

それ絡みだろうってことで深くは突っ込んで来なかったよ」


「クゥ」

「ああ、良い友達だよ」


 次に会えるのはゴールデンウィーク……は厳しいので夏だろう。

 夏季休暇でなら落ち着いて現実世界に行くことも出来るはずだ。


「まさかなー、アイツらも思わんだろうなあ。こんな世界があるなんてさ」

「クー……」

「え、自分も知らなかったって? いや、そりゃそうだろ。知ってたら怖いわ」


 ロック、南極出身のイワトビペンギンである。


「つーか俺の話よりロックの話も聞かせてくれよ」

「クワ?」

「ペンギン社会がどうなってるかとか超気になるんだが」


 などと話していると、


「うわくっっさっ!!!」


 突然、後ろから誰かの叫び声が聞こえた。

 何だ何だと振り向き――威吹は言葉を失った。


「何これくっさっ! え、何これ何これ?! すんごい臭い!!」


 数メートルほど離れた場所でフンフンと鼻を鳴らすそれは、


「え……犬?」


 服を着た(書生ルック)二足歩行の柴犬だった。

 柴犬のつぶらな瞳は疑いようもなく威吹に注がれている。


「え、え、え」


 困惑する威吹を他所に謎の柴犬はテコテコと彼に近付き、

 その身体に顔を寄せ更にフンフンと鼻をひくつかせている。


「君凄いね! えげつないぐらいに雌の臭いがする!! 所有権を主張してるのかな!?

種類は一つだから一人だけなんだろうけど……やばいやばい、これガチでやばい!

執着という言葉が生温く思えちゃうぐらいの妄執を越えた怨念レベルの情愛を感じるよ!!」


 ははーん、さては詩乃だなそれ? 威吹は確信した。


「おれが同じことやろうと思ったら百年分のおしっこがあっても足りないなあ」

「マーキングじゃねえか!!!!」

「うん! 君、マーキングされてるよ!!!!」


 笑顔(?)で断言する謎の柴犬は……こう、何と言えば良いのか。

 今、威吹は言語化できない妙な感覚を味わっていた。


「っていうか君! 君!

雌の臭いはさておき、あんまこの世界に馴染んでないところを見るに最近、外から来たの!?」


「え、あ……ああ。そうだな。まだ一ヶ月も経ってないよ」

「やっぱり! おれもそうなんだ! ねえねえ、名前教えてよ!!」


 ハッハッハッ、と舌を突き出し息を荒げながら詰め寄る柴犬。

 話を聞くに自分と似たような境遇なのだろうが犬化が酷い。

 文明人としてこれはありなのか? と若干引きつつ威吹は自らの名を名乗った。


「狗藤威吹……わぁ! 狗って文字が入ってる! 何か親近感だね! ね!」

「そ、そうだな……そうなのか?」


「そうだよ! あ、ごめんよ。まだ名乗ってなかったね。

おれは”みゅーと”! 無音って書いてみゅーとだよ! よろしくね!!」


 差し出された前足を握り返す威吹の顔は引き攣っていた。

 いや、知識の上では知っているのだ。

 世の中にはそういう……キラキラした名前をつける親が居ることも。

 しかし身近にそういう人間は居なかった。

 だからまあ、遠い世界の出来事でしかなかったのだ。

 それゆえ威吹は初めて見る輝ける名を持つ者の存在に軽くショックを受けていた。


「あ、そうだ! 立ち話も何だしさ! 公園! 公園行こうよ公園! ね! ね!」

「え、あ、ちょ……」


 戸惑う威吹の手を引き歩き出す無音。

 馬鹿犬に振り回される飼い主のような有様を見てすれ違う人々が笑っている。

 それに羞恥を覚え抵抗しようとする威吹だが、

 見かけ普通の柴犬なのだが伊達に妖怪ではないということだろう。

 何の抵抗も出来ぬまま公園まで連行されてしまった。


「公園良いよね! 良い、うん、良い!

こうなってからは無性に公園に愛着を感じるようになったんだよね! 不思議!」


 それより! と更に言葉を重ねようとする無音を手で制する。

 いい加減、一方的に喋り続けられるのには辟易していたのだ。

 だが言葉では通じそうにない。

 というか、あちらの勢いが強過ぎてそもそも聞こえるかどうかが分からない。

 ならばと待て! のポーズを取ってみた威吹だが、これが効果覿面。


「わう!」


 と無音はその場に座り込んだ。


「その、何だ。同郷の人間、それも同い年ぐらいのと会えて嬉しいのは俺も同じだ。

だが、ちょっと会話のテンポが早過ぎて着いて行けそうにない。

だから……あー……そう、もうちょっとゆっくり。

ワンテンポかツーテンポ挟むような感じで会話してくれるとありがたいんだが……」


「んーんー、あー、うー……そうだね、そうかもね。ごめん、ごめんよぅ」


 ペタン、と三角耳をへたらせ謝罪の言葉を口にする無音。

 見掛けが完全に柴犬だからか、悲しそうな顔がどうにも……堪える。

 ズキズキと痛む胸を抑えながら威吹はそこまで気にしなくて良いと告げた。


「ありがと……どうも、この姿になると理性が鈍くなっちゃうんだよね。

おれも威吹とお喋りしたいし、うん、一旦元の姿に戻るよ」


 無音はポンと前足を合掌するように合わせた。

 するとボフン! と間抜けな効果音が聞こえそうな煙に包まれた。


「――――ふぅ、やっぱりあっちの方がしっくり来るなあ」


 少しアンニュイな色を感じさせる声が煙の向こうから聞こえる。

 素の? 無音はこんな感じなのかなんて暢気なことを考えていた威吹だが、


「――――」


 煙の向こうから現れた少年を見て絶句。

 面識があるわけではない。ただ、こちらが一方的に知っているだけ。

 いや、現実世界に居た者ならば大抵は知っているはずだ。


「あ、麻宮静……?」


 麻宮静。

 つい最近――幻想世界を訪れる少し前に休業を発表した大人気アイドルの名だ。

 芸能にさして興味がない威吹でも知っているような超有名人。

 他人の空似……ではないだろう。

 目の前でお座りをしている彼は間違いなく麻宮静その人だ。


「ああうん……まあ、知ってるよね。お爺ちゃんお婆ちゃんならともかく威吹くんは若いし」


 少し困ったような顔をする無音。


「え、え、え、え? 何か、ニュースとかで学業に専念するため……え、え、え?」

「まあまあ、落ち着いてよ威吹。ここに居る以上、アイドルとかそういうのは関係ないでしょ」


 むしろ、と言って無音は興味深げな視線を威吹に注ぐ。


「こっちでは君の方がよっぽど特別な気がするけどね。

ああ、別に何かを知っているわけじゃないよ? ただ、匂いがね。特別だったんだ」


「それは……」


 ひけらからすつもりはないし、特別それを誇っているわけでもない。

 だが客観的に見れば自分は相当なサラブレッドだ。

 その辺りのことを嗅ぎ付けられたのだろう。


「話し難いこと?」

「ああいや、そうでもないけど……」

「じゃあ、僕の事情も話すからさ。それと交換で聞かせてくれないかな?」

「別に、良いけど」

「決まりだね――って言っても、大した理由じゃないんだけどね」


 コホン、と咳払いをして無音は語り始めた。


「歌うのも踊るのも好きだし、アイドルって仕事はそれなりに楽しくやってたんだ。

でもさ、ふと思ったんだよね。このままで良いのかなって。他にも何かあるんじゃないかなって」


「……」


 言葉に詰まる。

 自分を含む視聴者が見ているアイドルは水面の白鳥と同じだ。

 綺麗な部分だけしか見えていない。

 そこだけを見せるのがアイドルの仕事とはいえ、苦労を察せないほど純粋でもない。

 無音にもあるのだろう。余人には計り知れぬ”しんどい部分”が。

 例えば偶像として振舞うためにプライベートも犠牲にしなければいけないとか、

 自らを殺して大衆が望む”麻宮静”を演ずるとか。

 多感な時期の少年にとってそれらは耐え難い苦痛なのではなかろうか。


「そうやって色々考えてる内に思いついたんだ。Oracleを受けてみようって。

もしも他に天職があって、そっちに心惹かれるようなら生きる世界を変えてみるのも良いかなって。

それでまあ役所のOracleを使わせてもらったんだ。

や、学校にもあったんだけどそっちだと僕がOracleを受けた情報が漏れたりしそうじゃない?

それで変に勘繰られて騒ぎ立てられるのも面倒だからね」


 ふぅ、と溜め息をつく無音を見て威吹は改めてこう思った。

 柴犬状態とのギャップが半端ねえ、と。


「で、Oracleを受けてみたは良いんだけど……」

「出た結果が妖怪だった、と」


「うん、最初は故障を疑ったよ。でも何回繰り返しても同じ結果しか出なくてさ。

何か萎えちゃってその日はもう家に帰ったんだ。

そしたら政府の人が家の前で待ち構えててさあ。正直、変な声出たね」


 どうやら大まかな経緯は同じらしい。

 いや、無音に限らずこっち関係の人間は皆同じような感じなのだろう。


「説明義務があるとかで色々話をしてくれてさ。

それ聞いてる内に思ったんだ。ああ、こういうのも悪くないかなって」


「……妖怪になるのが?」


「うん。何て言うのかな。最初はモノは試しでってつもりだったんだよ。

だから引退じゃなくて休業なわけで。でも今は違う。

何て言うのかな、妖怪やってる時の僕は…………そう、自由なんだ」


 何かを掴み取るように無音の手が空に伸びる。


「正直、もうアイドルに戻るつもりはない。

不義理だとは思うけど……三年も休んでれば賞味期限は切れるだろうし。

その頃を見計らって僕は引退の意思を告げるつもりだよ」


「そっか」


 威吹は自分の中に小さな寂しさが芽生えていることに気付いた。

 特別、麻宮静のファンというわけではなかった。

 それでも何となしにテレビをつけていれば一日に数回は見た顔だ。

 その顔が――ある種、日常の象徴。その一つと言っても良いものが消えるのは寂しいものだった。


「じゃ、次は威吹の番だね。話せないことは無理して話さなくて良いからさ」


「や、隠し立てするようなことは特に何もないよ。

ただ……無音に比べると、ちょっと情けないかもだけどな」


 Oracle任せで進路を選ぼうとしていたら大妖怪という結果が出たこと。

 政府の人間から是非、大妖怪になって欲しいと乞われ、

 そのためなら可能な限りの便宜を図る用意があると言われたこと。

 それに釣られて人を捨てることに決めたこと。

 威吹は包み隠さず無音に打ち明けた。


「そっかあ……月並みだけど……色々あったんだね」

「いや、色々ってほどでもないさ。突き詰めると嫌なことから逃げただけだし」

「それを言うなら僕もじゃない?」

「アイドルの仕事は楽しかったって言ってたじゃないか。なら、俺とは違うよ」


 無音は何かを求めて前に進み、ここへ辿り着いた。

 だが威吹は逃れるために流され、ここに来たのだ。

 その違いは歴然だろう。


「僕のことを持ち上げ過ぎだと思うけど……まあ良いや。

でも、威吹も相馬に通うんだね。うん、知ってる顔が居るのはちょっと心強いよ」


「俺以外にこっちで知り合ったタメの子とか居ないのか?」

「今のところ、居ないねえ。一応、散歩であちこち歩き回ってるんだけど」

「散歩、ねえ……犬の姿見た後だと何か……」

「まあ否定はしないよ。実際、化け犬の姿になると散歩が最高のアクティビティになるからね」


 威吹はそういうのないのかい? と無音が問う。


「どうなんだろ……一応、外部の刺激で妖怪の姿になったことはあるけど……」


 昂ぶりを覚えたりとかそういうことはなかった。

 人間の時と地続きの精神状態だったように思う。


「三つの種族が入り混じってるから固有の欲求みたいなのが相殺されてるのかもね」

「ああ、そういう可能性もあるな」

「でもさ、狐になれるってことは変化の術的なものも使えるんでしょ?」

「ん? まあ、そうだな。母さんはそう言ってたよ」

「なら、一度犬に化けて一緒に散歩に行こうよ。そうすればきっと犬の楽しさが分かるからさ」


 別に知りたいとは思わないが、折角の誘いだ。

 力を身に着けたのなら一回ぐらいは付き合っても良いかな?

 などと考えていた威吹だが、


「犬は良いよ! 何たって四足歩行してたら全裸でも誰に咎められることもないしね!!」

「休業中でもアイドルなんだからその姿でそういう発言は止めろ!!」

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