「ママは淫乱♥」「パパは酒乱★」「家庭崩壊かな?」①

 三月十七日。

 威吹が幻想世界を訪れて早、一週間。

 こちらの世界の常識を勉強したり生活必需品の買出しがてら周辺の探索をしたり、

 学院の見学などに赴いたりと当初は慌しい日々を送っていたがようやく落ち着いて来た。

 だから、だろう。


「――――ムラムラして来た」


 自室の中央に寝転がり天井を見つめながら、威吹は決め顔でそう言った。


「今、俺、すっごく、ムラムラしてる」


 念を押すように再度、宣言。


「分かってるよ。アホなこと言ってるのは。

でも俺だって男なんだよ。十五歳の健全な男子ィ! なんだよ。

母さんみたいな超絶美人で超絶可愛い傾国ガールと四六時中一緒に居るんだ。

そりゃムラムラする。ムラムラしない方が失礼だ。ムラムラするのが礼儀だろう。

狭い湯船に二人で入って小振りな胸を押し付けて来たり、

えげつない下着姿で布団に入って来きたりとか母さん最高かよ。最高だわ。女神かよ、女神だわ」


 威吹のお目目はグルグルしていた。

 明らかに正気を逸している。明らかに何らかの毒気にやられている。

 しかし、それを指摘する者は居らず威吹のパッションはドンドン加速していく。


「何故俺は手を出さないんだ? 母さんが可哀想だろう。

ああも健気に尽くしてくれているのに手を出さないとか死刑レベルの罪悪ですよこれは。

よし、そうと決まれば今直ぐ母さんに会いに行かねば。

会いに行ってそのまま合た……いや、オカズになってもらおう。それぐらいならセーフだよね」


 支離滅裂な言動になっているのは威吹のせめてもの抵抗だろうか?

 ともあれ、謎の結論に達した威吹は実にイイ笑顔のまま部屋を出てリビングに向かった。


「あら、おはよう威吹。今日はちょっとお寝坊さんだったね」


 机の上で何やら帳簿をつけていた詩乃が威吹に向けて微笑む。

 だが当の威吹は生返事すらせずに直立したまま。


(和装……だと……?)


 この一週間、詩乃の私服は全て洋装だった。

 それも男が好む清楚さを前面に押し出したもの。

 でも、今日は違った。和装、着物。

 だが着物と言っても華美なそれではなく地味な色合いの普段着使いの着物でその上に割烹着を纏っている。


(地味、芋い。日曜六時半の臭いがする……するのに……)


 ふるふると震える威吹。

 やがて感極まったのか、叫ぶように詩乃に語りかける。


「金髪碧眼の美少女が和装ってだけでもエェクセレントなのに敢えて地味な方向性で纏めるなんて……!

最高だよ母さん! 母さんのコーディネート力は五十三万だよ!

あと何回変身残してんだあぁん!?

つーかアンタ、ホントに自分の売り出し方を理解してるよなあ!

テメェ、昨日までのわざとらしい男受けするコーデは布石だったな畜生!?

怖ッ! マジこっわ! まんまと引っ掛かったよ! 完全な奇襲だったわ!!

桶狭間……いや、厳島だな! 信長より元就だわ、腹の黒さ的に!!」


「うーん、色々せめぎ合って愉快な感じになっちゃってるなあ」


 ケタケタ笑いながら自分の周囲で踊り狂う威吹を見ても詩乃は冷静だった。

 ちなみに威吹の発言。

 褒めてるんだか貶してるんだか分からないもののように思えるが、これは純粋な賛辞である。

 発言の内容が飛んでいるのは色々せめぎ合った結果だが、少なくとも本人は本気で詩乃を褒めているつもりだ。


「ところで威吹、ご飯は?」

「ご飯の前にお願いがあるんだ!!」

「なぁに? お母さんに出来ることなら何でも言ってくれて良いよ」


 何て優しい母親なのか! 何て恐ろしい母親なのか!

 すっとぼけた顔でなぁに? とか言ってるが全部計算づくじゃねえか!

 恐ろしいな! 最高だ! 愛してる! 大丈夫か!?

 胸の中で幾つもの感想が飛び交うが、威吹はそれらを無視しシンプルに一言、こう告げた。


「母さん! 見抜きさせてよ!!」


 シンプルに最低な発言だが威吹の名誉のために弁護すると、だ。

 これは本心だが本心ではない。

 あくまでバステ魅了の影響によりおかしくなっているだけなのだ。

 まあ、魅了した張本人もこの状態はちょっと予想外のようだが。


「んー、本番はしなくて良いの?」

「それヤっちゃうとマジで何かもやべーって本能が警鐘鳴らしてるからね母さん大好きィ!!」

「それならお手手やお口で、っていうのはどう?」

「母さんの阿婆擦れテクニックならそれだけでも実質本番じゃん! どう考えてもやべー母さん可愛い!!」

「粘るなあ……まあ、それはそれで面白いから良いけどさ」


 思い通りにいかずともそれはそれで楽しみ方がある、ということだろう。

 妙な部分で寛容なのが化け物という存在なのだ。


「それより母さん、駄目かな見抜き!?」

「ううん。私の可愛い坊やお願いだもん。お母さんには断るなんて選択肢はないかなあ」


 ちょっと待ってね、そう言って詩乃はまず割烹着を外した。

 次いで帯に手をかけするりとそれを解く。

 そして一枚一枚、丁寧に、見せ付けるように衣服を剥ぎ取っていく。

 数分ほどかけて全裸になると詩乃は妖艶な笑みを湛え、両手を広げた。


「さ、どうぞ♥」

「わーい」


 惜しげもなく裸身を晒し、欲望をすべて受け止める姿勢を示す詩乃。

 これに喜ばない男が居るだろうか? いや居ない(確信)。

 威吹は童のように無垢な笑顔を浮かべたままズボンに手をかけ――――


「…………いや、おかしいだろ」


 正気に戻る。


「んもう、折角良いところだったのにぃ」


 唇を尖らせる詩乃、それがまた酷く愛らしいのが癪に障る。


「あーあ、一回出しちゃえばそこから転がせそうだったのになあ」


 家というのは本来、安らげる場所であるべきだ。

 その家が一番、気を抜けないなんてあってはならない。

 自宅はラスダンではないのだ。いや、ラスボスになりそうな女が目の前に一人居るけれど。


「こ、こ、こここここのアマ……!!」


 言いたいことは沢山ある。

 あるのだが怒りのあまり何を言えば良いか分からなかった。


「ねえ、やっぱり手か口でシてあげようか? 出すもの出さないと……ンフフフ、身体に悪いよ?」

「一人で出来るもん!!」


 そう反論し部屋に戻ろうとしたところで家の呼び鈴が鳴る。


「誰だろ? あ、ひょっとして外務省の人かな?」


 結局、こちらでは政府の人間と一度も顔を合わせていない。

 詩乃は話を通したと言っているが、流石にこのままというわけにもいかないだろう。

 あちらさんもそう思ってわざわざ訪ねて来てくれたのかもしれない。

 だとすれば詩乃に構っている暇はないと威吹は気持ちを切り替える。


「俺が出るからアンタはさっさと服を着ろ」

「あ、ちょ、ま」


 詩乃の声を振りきり慌しくリビングを後にする。


「はいはい、今出ますよー」


 そう言って玄関の戸を開け外に出た瞬間、


「う゛」


 刺すような刺激が視覚と嗅覚を襲う。

 堪らず目を閉じ鼻を摘まんだがそれでも痛い。それでも臭い。

 容赦なく防護をすり抜けて来る刺激に呻く威吹。


(何だこれ……あ、酒? 酒の臭いかこれ!?)


 だとすればマズイ。

 今、自分は高濃度のアルコールが揮発したミストの中に居るようなもの。

 このままここに留まり続ければアルコールにやられてしまう。

 転進し家の中へ戻ろうとする威吹だったが、


「ぁ」


 時既に遅し。

 判断は間違っていなかったが早さが足りなかった。

 酷い酩酊状態に陥った威吹は膝を折り、その場に崩れ落ちてしまう。


「っと、悪い悪い。そうだよな、まだ人間だもんなあ」


 陽気な男の声が耳に響いた。

 一体誰だろうとぼんやり考えていると急激に頭の中が冴え渡っていく。


「よう、立てるかい?」

「だ、大丈夫です……」


 少しフラつきながらも立ち上がり、顔を上げると――――


「あ(察し)」


 初日に見かけた赤毛の男が目の前に立っていた。

 どこかに吹っ飛ばされて以来、接触がなかったのでもう興味がなくなったのかな?

 と考えていたが、どうやらそれは思い違いだったらしい。


「はじめましてだなあ、威吹。俺がお前の親父だ」


 笑顔と共に差し出された手を取ると、人のそれとは思えない力で握り締められた。

 痛みに呻く威吹だが、酒呑童子はそれを気にかけることもなく上機嫌そうに笑っている。


「クックック……千年以上生きてて初めてガキを持ったが……成るほど成るほど」


 初めてという言葉に威吹が首を傾げる。

 悪名高き大江の大鬼、酒呑童子。

 女を攫って犯すぐらいは何度も何度もしているはずだ。

 中には当然、酒呑童子の子を身籠った女も居ただろう。

 だというのに初めてだと口にしたのは何故か。


(純血以外は認めてない……ってことはないだろうし)


 人の血が混ざっているから子供でないと言うのならば威吹もそうだ。

 が、威吹を自らの息子と認定している以上その線はないだろう。


「ああ、確かにお前は俺の”息子”だ。

良いね、良いね、お前ならきっと俺の夢を叶えてくれる」


「…………夢?」


 思わず聞き返す。化け物にはあまりに似つかわしくない言葉だ。

 目を丸くする威吹に向け酒呑童子は愉快げにそうだと頷く。


「昔々のお話さ。酔わされて首を斬られる少し前だったかな?

俺は自分が最強だと思っていた。いや、今も思ってる。

結局、真っ向勝負で俺を殺した奴は誰も居ないわけだからな」


 酔わされて首を斬られた奴が最強を名乗って良いのか? 威吹は訝しんだ。


「正直、飽いていた。どこかで、焦がれていた。

自分が手も足も出ぬまま無惨に殺される未来を。

そしてどうせ殺されるのならば、自分の息子に殺されたいとも思っていた。

何故かって? 息子が父親を越えるのが人間の常識なんだろ? それに興味があったのさ」


 常識と言われるほど普遍的になったことは一度もない。

 そう口に出しそうになったが空気を読んで言葉を呑み込む。


「だからなあ。お前にゃ期待してるんだぜ威吹ィ?

お前ならきっと、孝行してくれるってな……ククク。

あ、そうだ。気になったんだが威吹って名前はやっぱ俺を意識して? いやあ、照れるぜ」


「何勝手に自己完結してんだこの酔っ払い」


 酒呑童子は威吹の名が自身の幼名である伊吹童子から取られたと思っているのだろう。

 だが、これは単なる偶然の一致で威吹の名前の由来は別にある。


「つーかアンタ、俺を買い被り過ぎだよ。

そりゃ確かに将来的には大妖怪になれるかもしれない。

ああ、Oracleも太鼓判を押してくれたしな。だが絶対にそうなれるとは限らんだろうよ」


 さっきだって酒気にあてられて無様を晒したし今はまだ普通の人間だ。

 それなりに運動神経は良いと自負しているが人間の範疇を逸脱するほどではない。

 そんな子供に何を期待しているのか。


「そういうのはあれだ。他の子供とやってくれ。

どうせなら俺みたいな混血とじゃなくてだな。居るんだろ? アンタの血を引く純血の化け物が」


 酒呑童子の夢を考えれば同じ鬼との間に子を設けているのが自然だろう。

 傍迷惑極まりない夢はそいつとやってくれ。

 威吹は白けた顔でそう言うが……。


「居るか居ないかで言えば確かに居るぜ。だが、そいつは俺のガキじゃない」

「は?」

「何てたって”血が薄い”からなァ」


 クツクツと喉を鳴らす酒呑童子の顔には、

 これまでの陽気なそれとは違う酷薄な――化け物の笑みが浮かんでいた。


「一目見れば分かる。お前には感じるものがあったが、他の奴らにはそれがねえ」


 そんな存在を子供と認めるつもりはないし、気にかけようとも思わない。

 排除したいと思うほど嫌ってはいないが所詮は路傍の石ころだと酒呑童子は嗤う。


「俺の息子はお前だけだ……なあ、威吹ィ」


 化け物らしい身勝手な主張に威吹は眩暈を禁じ得なかった。

 自分の与り知らぬところでやる分にはどうぞご自由にとしか思わないが、

 当事者になってしまうと流石に看過出来るものではない。

 どうしたものかと威吹が頭を悩ませていると……。


「――――私の息子に妙なちょっかいをかけないでくれるかなあ?」


 底冷えするような声が背後から聞こえた。

 恐る恐る振り向くと、そこには当然の如く詩乃が居た。


「よう、阿婆擦れェ。こないだは随分世話になったなあ。

まさか吹っ飛んでった先にゲートがあるとは思いもしなかったぜ。

お陰で帰って来るのに時間がかかっちまったよ。まさか表の世界の南極に飛ばされるとは……なあ?」


「あの馬鹿どもを嗾けたのはその報復? だとしたらガッカリ。

名高き大江の山の四天王もあの程度なんだ。ああ、これじゃ頭目の底も見えちゃうねえ」


 酒呑童子と九尾の狐、一歩も退かず睨み合う二匹の大妖。

 当事者でなければドリームマッチだと囃し立てていたかもしれない。


「討伐は無理でも封印はいけると思ったんだが……アイツらはどうした?」

「茨木以外は殺した。茨木には逃げられたよ」

「そうかい。ま、アイツの逃げテクは神懸かってるからなあ」


 言葉を交わしつつ、二人は更に距離を詰めた。


「君も逃げて良いんだよ? 自称最強さん♪」


 詩乃の背後にチラつく半透明の尾。


「抜かせや阿婆擦れ」


 酒呑童子の屈強な肉体が更に膨れ上がる。


 一触即発、些細な切っ掛け一つで戦端が開かれるのは誰の目にも明らかだ。

 この状況で自分に一体何が出来るのだろう?

 威吹は自問を繰り返し、やがて一つの答えを得る。


(――――うん)


 決意に満ちた表情と共に、


(俺、しーらね)


 威吹はそっと家の中へと引っ込んだ。

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