「やーい、お前のかーちゃん毒婦ぅ!」「何も言えねえ」③

「へえ、良い感じじゃん」


 新しい自宅となる洋風建築の家屋を見上げ頬を綻ばせる。

 現代人の目から見れば古めかしい造りだが、日本の大正時代を基準に考えればこれが最新だ。


「何つーか、味があるよ」

「ンフフフ、そこはモダンって言うべきじゃないかな?」

「確かに」


 そうしてひとしきり家の外観を眺めた後、

 家の中に入ろうとする威吹だったが詩乃がそれを押し留めた。


「ちょっと待ってて」


 パタパタと家の中に駆け込んで行く詩乃。

 何をするつもりなのかと首を傾げていると、


’良いよ、中に入って’

「コイツ、直接脳内に……!」


 テレパシーという非現実的な現象。

 だが、既にその程度のことで驚くような”初心”さは消え失せていた。

 詩乃という毒婦の言動行動と比べれば大概のことはへー、で片付けられるのだ。


 それが良いことか悪いことなのかは威吹にも判別がつかなかった。


「そいじゃ、入りますよー」


 気の抜けた声と共に玄関の扉を開く。


「――――”おかえりなさい”」


 満面の笑みと共にかけられた言葉は、威吹にとっては生まれて初めてのものだった。

 狙ってやったのだろう。まず間違いない。


(……詩乃のことも知ってたしな)


 家庭環境についてだけ知らないというのは不自然だろう。

 溜め息一つ、威吹は呆れながらも言葉を返す。


「”ただいま”母さん」


 意外に思うかもしれないが既に威吹は詩乃を家族として受け入れている。

 その性根や精神構造は問答無用で糞だが、

 家族という一面にのみ焦点を当てるのならばそう悪くないと思っているからだ。


(……コイツは俺を本気で息子だと思っていて家族であろうと努力してるからな)


 既に破綻した関係を世間体のためだけに無理矢理取り繕っていた元家族。

 それと比べれば詩乃のスタンスは大分大分マシだ。

 まあ、息子と認識している相手に”男”を見ているのはどうかと思うが。


「威吹のお部屋は二階にあるから、先に荷物を置いて来たらどうかな?」

「ん」


 詩乃に返事をかえして二階へ上がる。

 幾つか部屋はあるようだが、直ぐに自分の部屋が分かった。

 ”威吹のお部屋♥”と刻印されたネームプレートがかかっていたからだ。


「和室か……見た目洋風建築なのに……や、こだわりはないから別に良いけどさ」


 広くも狭くもない部屋の片隅にスポーツバッグを下ろし畳の上に寝転がる。


「ふぅ」


 時刻はそろそろ夕方。

 窓の外に見える空も若干、朱色がかってきている。


「…………もうこのまま寝ちゃいたいな」


 五時間近い列車での移動。

 それを終えたと思ったらフォックスマザーとの邂逅。

 今日はもう、お腹いっぱいだ。これ以上は入らない。


「でも、そうはさせてくれねえよなあ」


 あの女狐が大人しくしているとはどうしても思えない。

 とは言え、警戒したところでどうにかなるとも思えない。


「しちゃうのかな、卒業」


 昨日卒業式を迎えたばかりだというのに、今日もまた卒業してしまうのだろうか。

 そういうことに興味がないわけではないが相手がヤバ過ぎる。

 詩乃とそういう関係になれば、まず間違いなく他の女では満足出来なくなるだろう。

 それだけでも酷いが、もっと酷いのはそのまま深みに嵌ってしまうこと。


「容易に想像できるな、最悪の未来が」


 詩乃に溺れ詩乃なしでは生きていけない。

 そんなザマになった自分を抱き締め頭を撫でる慈愛に満ちた詩乃の姿が目蓋の裏に浮かび上がる。


「ストレスで禿げ上がりそうだ」


 そう吐き捨て、威吹は勢い良く起き上がり階下へ向かう。

 リビングに入るとテーブルの上には紅茶が用意されていた。


「疲れたでしょ? さ、どうぞ」

「…………どうも」


 威吹が腰掛けると詩乃も椅子に座る。

 隣じゃなくて対面に座れよと思う威吹だが、言っても無駄だろうと即座に諦めた。


「あら、躊躇なく口をつけるんだね」

「……お前なら薬なんぞ使わんでも篭絡はお手の物だろ」

「ンフフフ、でも薬を使った楽しみ方もあるんだよ?」


 無視して紅茶を啜る。

 これまで飲んだどの紅茶よりも美味しいのが癪に障った。


「……一つ、疑問があるんだが」

「なぁに?」

「隈なくってわけじゃないが、俺なりに自分のルーツについては調べてみたんだ」


 僧正坊、九尾の狐、酒呑童子。

 大妖三匹の血を宿しているのだ。

 少しぐらいは知識を得ておくべきかと図書館で本を読み漁った。

 だからこそ解せない。


「僧正坊はさておき、酒呑童子と九尾の狐は死んだはずだろ」


 酒呑童子は源頼光とその四天王によって。

 九尾の狐は安倍泰成ら討伐軍らによって。

 時期は異なれど命を散らしたはずの化け物二匹が何故、存在しているのか。

 無視出来る疑問ではないだろう。


「ンフフフ、答えは簡単。死んだけど死ななかっただけ」

「……そうか」

「あら、心外。その顔、真面目に受け取ってないでしょ」


 真面目に答えるつもりがなさそうだったからなと返す威吹に詩乃は否をつきつけた。


「これは事実だよ。木っ端の連中と違って高位の化け物は基本的に不滅なの」

「ふ、不滅……?」


「そう、一度殺されてもいずれ蘇るんだよ。

一説には私たちが罪を象徴する存在だからとも言われてるけど真実は不明」


 罪を象徴する存在?

 オウム返しにそう口にすると詩乃は愉快そうに喉を鳴らし笑った。


「知性体が有する逃れ得ぬ罪。

高位の化け物ほどそれが顕著だって言った誰かが居たの。私の場合だと……」


「ああうん、言わなくても分かる。色欲だろ」


 それが際立っているというだけで他にも色々あるが。

 何なら七つの大罪を軒並みコンプリートしていると言っても過言ではない。

 九尾の狐の行状を思い返し、威吹が苦い顔をする。


「でも、それとおたくらが不滅だってのに因果関係があるのか?」

「ある、と思ったみたいだね。その説を唱えた誰かさんは」


 その誰かさんを小馬鹿にしているのは表情を見れば一目瞭然だった。


「曰く、我々に存在意義がないのであればあまりにも救われない――だって」


 生と死の両輪があって初めて命は命と言える。

 だというのに大妖怪のような高位の化け物にはその片輪が欠けている。

 摂理というものに真っ向から反しているとしか言い様がない。


「それだけでも酷く罪深いのに、我々は生まれながらに悪性を有している。

残酷で残忍で残虐な性を、誰に教えられるでもなく初めから宿している。

そして誰に言われるでもなく胸に燃ゆる黒い情動のまま悪を成す。

こんな命があって良いはずがない。我々は生まれきてはならぬ命なのだ。

だが我らは存在する。ならば何か意味があるはずだ。理由があるはずだ。この世に居て良い理由が」


 芝居がかった物言いの裏に潜む隠し切れない嘲り。

 生粋の化け物である詩乃からすればおかしくておかしくてしょうがないのだろう。


「――――なんて自問自答し続けた末に見つけた答えが反面教師」


 心底くだらないと言った様子で詩乃は続ける。


「人間を含む高度な知性を有する生命体に自分たちの醜さを示す。

そうすることで誤った道へ進ませないようにする。

それこそが我々の存在意義なのではないか? ああ、きっとそうだ。

何時か彼らが真の意味で悪徳の鎖から解き放たれ、

我々の存在が不要になったその時――我らはようやく役目を終えるのだ」


 語り終え、詩乃が威吹を見る。そしてこう問いを投げた。


「どう思う?」


 抽象的な問いかけ。

 人生を左右するような重大な問いでもないからと威吹は思ったことをそのまま口にする。


「随分、人間臭い化け物が居るんだな」


 そして、


「化け物としては落第も良いとこだ」


 自身の存在意義を問う生命体なんて人間ぐらいだ。

 野山を駆け巡る獣は一々そんなことは考えないし、化け物ならば尚更である。


「利己的で自分の立ち位置なんか気にもしないのが化け物だろうに」


 ゆえに思う。


「そいつは人間に生まれるべきだった」


 自らの悪性に苦しみ、その存在意義に思い悩む。

 永遠を強いられた化け物にとってそれはどれほどの苦痛か。

 人間に生まれていれば多少の葛藤はあれども、

 どこかで妥協してそれなりに生きて死ぬことも出来ただろうに。


「哀れだよ」


 反面教師になるため生まれて来た。

 そんな救いのない後ろ向きな妄想に縋りながら生き続けねばならない。

 それを哀れと言わずして何と言うのか。


「ンフフフ♪」


 詩乃は笑っていた。嬉しそうに、愉快そうに。

 先ほどまでの呆れ顔が嘘か幻であるかのように笑っていた。


「そりゃ、Oracleも大妖怪を天職だと推すわけだ」

「はあ?」


「人の身でありながら極自然に化け物の在り方を語る。

誰に教えられたわけでもないのに……ねえ?

その癖、人のように哀れみを抱きもする、ンフフフ――嗚呼、面白い」


 纏わり付く詩乃を手で追い払いながら威吹は反論する。


「誰に教えられたわけでもないって言うが……血じゃないのか?

俺の中にはロクデナシ二匹の血が流れてるみたいだしな」


「まさか! 血は血でしかない。心の在り方にまで影響するようなものじゃないよ。

でなきゃ化け物の血を宿す人間は皆、化け物寄りの考え方をするようになっちゃうでしょ?」


 そんな危険な人間を政府が野放しにするわけがない。

 詩乃の言葉は正論だった。


「現に、威吹のご先祖様。私が直接人との間に仕込んだ子供。

ああ、名前は何だったかな? 威吹へと至るまでの踏み台でしかないから忘れちゃった。

ともかく、その子は人間として普通に生きて普通に死んだよ?

化け物らしい考え方なんてまるでなかった。本当に、極々普通の人間だった」


 だから威吹のそれは血に因らぬものだと詩乃は指摘する。


「流れてる血こそ私を含め大妖怪なんて言われる高位の化け物のものだけど、

仮に名も無い木っ端の血を引いていたとしても威吹は大妖怪が天職だって言われたと思うよ」


 否定の言葉を頭の中で考え……何も思い浮かばなかった。

 他ならぬ大妖怪の言葉だからか、説得力が違う。

 今、その言葉を否定するだけの根拠を示せそうにはない。


「…………そう言えば、ふと疑問に思ったんだけど」

「あ、誤魔化した」


 無視して威吹は続ける。


「不滅の存在だっつーなら、アンタらが居る限り世界は滅びないのか?」


 かつて幻想世界が滅びかけて現実世界もヤバイことになったと聞かされた。

 しかし不滅の存在が居るのならば、最後の一線を越えることはないのでは?

 威吹の指摘に詩乃はハッキリ否と答えた。


「確かに私たちは死んでもまた生き返る。

でも、生き返るまでは死んでる。つまりは世界から失われてる状態にあるわけだね。

だから一度に大妖怪が大量にくたばるような事態があれば……ねえ?

その時、私たちはどうなるのか。

もう蘇ることが出来ないのか、破滅の後に芽吹く新世界があってそこで再度生を受けるのか」


 誰にもその答えは分からない。

 だから幻想世界の住人は人に歩み寄ったのだと詩乃は言う。


「好き勝手に振舞うと言っても、流石に振舞える場所そのものが消えるのはね」

「化け物としても困るわけだ」

「ま、そういうこと」


 ずずず、とすっかり冷めてしまった紅茶を一気に啜る。


「ああそうだ、他にも――――むきゅ?」


 思いついた次の疑問を口に出そうとしたところで、

 威吹の唇に詩乃の人差し指が押し付けられた。


「お喋りも良いけど……ね? もう、良い時間だしそろそろおゆはんの準備をしましょう?」


 そう言われ威吹は初めて自身の空腹を自覚した。

 自覚したからなのか、腹まで鳴り出した。


(そういや、朝飯食ったきり何も食べてなかったな)


 夕飯にしようという詩乃の提案を断る理由はどこにもなかった。


「手伝ってくれるとお母さん嬉しいんだけど……駄目かな?」

「……いや、別に良いけど」

「! 良かった。ンフフフ、孝行息子を持ってお母さん嬉しいわ」


 チュ、と頬に口付けを一つ。

 この場面だけを切り取れば微笑ましいやり取りに思えるだろう。

 だが、威吹は忘れていない。


(母親面してるけど、自分が産んだ子供の名前すら覚えてないんだよなあ)


 それに加えての踏み台発言。

 言い訳無用、詩乃は紛うことなき糞親である。


「それで、手伝いって言っても何すりゃ良いんだい?」

「ンフフフ、大丈夫。そんなに難しいことはさせないから。とりあえずは……」


 詩乃の指示を受けて野菜を洗ったり皮を剥いたりなどの作業をこなしていく。

 親子で並び立ち、一緒に料理を作る。

 威吹にとっては初めての経験だった。


(…………良いもんだな、こういうのも)


 血の繋がりのあった家族を疎んではいた。

 だが、世間一般で語られる家族像に対して羨ましいという気持ちがなかったわけではない。

 それゆえこの時間を心地良く感じてしまう。


(コイツの計算通りだってのに)


 これから口にするであろう家族が作ってくれた料理、共に囲む食卓。

 初めて経験するそれらはきっと自分の心に深く刻み込まれることになるだろう。

 例えそれが計算づくの行動だと分かっていても。


「…………悪女め」


 そう吐き捨てる威吹の口元には微かだが笑みが浮かんでいた。

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