第1話 Flower Language of Mimosa後編①

 エニフとギエナが、そうして聖母子大聖堂を訪れる日々を繰り返して、何週間か過ぎたある日。

 エニフは一人書類の整理をしようと、大聖堂のとある場所へと向かっていた。その途中晴れた天気を見たエニフは、孤児院の外で太陽を浴びて遊ぶ子供たちを発見する。急ぐ仕事ではなく少し暇があったので、エニフは少し庭へ行きベンチへ座った。

 そこへ、誰かの足音がテクテクと近づいて来る音がし、エニフは顔を向ける。

「ああ、君か」

 音の正体はミモザだった。

 エニフは、すれ違いざまに色々な人と挨拶をしているので、ミモザの事も見知っていた。

 エニフはミモザを見ると、こんにちは、と挨拶をし、にこりと微笑む。ミモザも、こんにちは、と返す。

「なあ、お兄さん、こんな街だよ。何で調査をしているの?」

 ミモザが、エニフに唐突に質問を投げかけた。エニフはミモザの方を見ると、それに笑って答える。

「まあ、一つ一つの場所を見ていかないといけないからね」

「ふーん」

 そう言ってミモザは、まるで一緒にいるかのように、エニフの隣にストンと座り込んだ。

 もっと話がしたいのだろうか。

 エニフはおや、と笑う。

 ミモザは、投げやりに問うた。

「楽しい?」

 エニフは返す。

「楽しい、楽しくないじゃないんだよ。仕事だからね」

「もっと楽しい仕事はしないの?」

「いや、まあ、言ってもね、俺はこの仕事が結構好きなんだ。だから、私はこれでいいんだよ。……えーっと、君、名前は?」

「ミモザ」

「そうか。じゃあミモザは、このいる場所が楽しくないのか?」

「楽しくなんかねぇよ。バカみたいだ」

 ぶっきらぼうにミモザは返す。ただただ時が過ぎるような気持ちの中で、誰とも話せず終わる。そんなだから、大嫌いだった。

「俺は自分の事も嫌いだし、皆の事も嫌いだ。みんなバカにするんだよ。人工人間だし。だから俺は強くなりたいと思ってるし、男とも女とも思ってないんだ。――ただ、強くなりたいって思ってる。強くなりたいんだ。一人で生きていけるように」

「なるほどね」

「だから、ミモザって名前は嫌いだ」

「君の名前がかい?」

「うん」

「そんなこと言うなよ。いい名前だと思うのにな」

「嫌だ。ミモザって名前は嫌だ」

「なんでさ」

「だって何か弱っちいだろ?」

「そうか?」

「うん」

エニフは、そこまで頑なに言ってしまうミモザを見て苦笑した。

「いい名前だと思うけどな。星の名前だろ?南十字星の」

その質問に、ミモザははてなマークを浮かべる

「いや、ミモザって花の“アカシア”の事だよ。何それ“ミナミジュウジセイ”って」

 そこでエニフは勘違いしていたと分かった。少女、もとい少年の名前の由来になったミモザとは、冬から春になるとその泡のような黄色の色彩でイギリスに春を告げる、アカシアの花の事だったのである。

 エニフはそのアカシアではなく、南十字星の、とある星の一つの事だと思い込んでいたのだ。

「ああ、済まない。そっちの、アカシアのミモザだったのか。いや、ミモザは星の名前の一つにもなっていてね。ある星座の“β《ベータ》”という順の星の名前なんだ。その星座の名前が、“南十字星”だ。正しくは“南十字座”なんだが」

 その時、ふとエニフは閃いた。ミモザの言う“強い名前”が一つ思い当たり、頭の中を過ったのである。

 しかしミモザはそんなエニフをよそに、まるで分からないという顔をしている。小さなミモザにはエニフの説明はちんぷんかんぷんだった。

「よくわかんない」

「フフ、そうか」

素直にそう言うミモザを見て笑いながら、エニフは何か思い立った。

「そうだ。今時間はあるかい?」

「学校終ったから夕食まであるよ」

「そうか」

 そう言って、エニフはミモザに問いかける。

 どうして自分がここまでしているのかは分からないが、まあ、これも何かの巡り合わせだ。

「ミモザ、もし良かったら、今日私の家に食事でもしに来ないかい?」

「え?」

「孤児院には私から言っておく。何、なにも変な事する訳ないし、してしまったらこの仕事も追われてしまう」

「行ってもいいけど」

「それは良かった」

 突然の提案にミモザは不思議がる。

「でもどうして?」

 エニフは、少し悪い顔をしたような、面白いといった笑みをうかべて言った。

「何、少し君に見て欲しいと思った物が出来たんだ」






 まるで宇宙だった。

 そこには、ミモザが目にした事の無い光景が広がっていた。

 エニフが駐在して泊まる家の前。

 家の外で少し待たされた後、ミモザは中のエニフに「入りなさい」と言われたので、扉を開けた。

「すげぇ……何これ」

 すると、ミモザとエニフを包んだのは、家の中に広がる、辺り一面の星空の輝き。

「初めて見るだろう。プラネタリウムと言うんだ。光で星を表現出来る機械だよ」

「これ全部星空にある星?」

「そうだ」

「すげぇ」

 エニフは笑う。

「よし、ではまず、初めに君の新しい名前を発表しよう」

「え?」

 少し意味を考え、ミモザは目に輝きを増した。

「え、え、考えてくれてたの?」

「一応な」

「あったの良い名前!」

「あったよ」

「えっ、どんな?」

「君にピッタリの名前だ」

 そう言うと、エニフはミモザの目を見た。

「君の新しい名前は、“Acrux《アクルックス》”だ」

「アクルックス?」

「南十字星の“α《アルファ》”星。その星の名前だよ。さっきのミモザはβ星だと言ったろう。アクルックスは、それよりも輝きの強い星だ」

「ミモザよりも良いの?」

「……まぁそんなところだな。ちょっと待ちなさい」

 そう言って笑い、エニフは少し歩いた。

 エニフが向かったのは、プラネタリウムで南の方の星が映されている、本棚のある壁だった。そしてエニフは、プラネタリウムの中の、とある星を指さした。

「アクルックス、これが南十字星だ。そしてこれがアクルックス」

 ミモザは、エニフの指差した星座を見た。

 胸が高鳴る。

 どんな大きな、強そうな星座だろう!

 しかし、エニフが指さしていたのはたった四つ、いや五つで構成された、小さな小さな星座だった。

 十字の形をしたその集団が、“南十字星”なのだと言う。

 ミモザはそのまま不満を口にする

「小さいじゃねえか」

「君ならそう言うと思ったよ」

 エニフは笑う。

 それでも、とエニフは思う。

 “アクルックス”。君には“アクルックス”が一番似合っているのだ。


 そしてエニフは、近くの書棚から本を取り出し、とあるページを探した。その本は少し古く、とても厚い。紙は少し黄ばんでいる。エニフは小さなライトをつけて、そのページをミモザに見せた。そこには、プラネタリウムに映されている十字と同じ模様の星座が描かれていた。

「ここに、南十字座の説明が載っている」

 そしてエニフはミモザに話し出す。

「確かに、南十字星は全天88の星座の中で一番小さい。でもねアクルックス。南十字星は、この世界に住む、皆が頼りにしている、そんな星なんだ。特別な役割を持っているんだ」

「え?」

「昔海を渡る人は、今の船のように便利な機械を持たなかった。どの方向へ進むのかも、昼は太陽が出ていたから、太陽の動く位置を考えて測り先に進んでいたんだ。しかし夜では、水平線しか見えない海の中で、行く先も分からなくなる」

「どうするの?」

「夜になると、地球はコマのように回るから、星が動くだろう。でも、コマの軸に近い星はあまり回らない。そこが真南か、真北だ」

「なるほどね」

「だから、一番動かない星を南や北にしたいんだけど、実は真南には星がなくてね。その周りの星が目印になったんだ。いいかい?」

「うん」

 そこまで言って、エニフはこう話した。

「南十字星は、夜の不安な航海の、一番の目印になっていたんだよ」


 そう聞いて、ミモザは驚いた。

 こんな小さな、十字の形の星が、夜の航海の目印になっていたんだ。

「すごいね」

そして、ミモザはプラネタリウムを見上げ、南十字星を探した。数ある星の中に南十字星を見つけ、それを目印に出来た時の、心の希望――。

 そして、こんなちっぽけな地球からは想像もつかない、それを超える程の大きな宇宙の中に、いくつもの大きな星があって、それが今も輝いている。

 それはミモザが初めて目にする、宇宙の煌めきだった。

「確かに、南十字星は小さい。でも、いつも、どんな時も、皆の目印になっていた」


 幾千もの輝きを抱える宇宙――。

 幾千もの輝きを放つ星――。


「分かるかい、アクルックス」

「この世界に生きる人々、一人一人が、一生を燃やし尽くす、輝く星なんだ」


そしてエニフは笑って、こう、目の前の少女、いや少年に問いかけた。

「アクルックス、南十字星は、全天で一番頼りない星だと思うか?」


そして語る。


「“Acrux《アクルックス》”。お前は皆の、南十字星だ」

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