最終話 大切なもの

 香苗の家を後にした俺は、一人で河川敷へとやってきていた。

 少し前にみんなで缶蹴りをした、あの場所だ。


「めでたいことがあった日には肉を焼くもんだ。みんなでバーベキューをやろうぜ!」と新一が発案したのが発端だった。



 新一は食材などを用意するついでに優も誘ってくると言って一度自宅へと戻り、それから香苗も風呂に入ってから向かうとのことで一時解散となった。そして省吾と楓の二人は、妹たちを連れてくると言っていた。


 俺も姉さんを呼ぼうかと考えた。だが、あいにく仕事中のため叶わなかった。なので、こうしてまた一番乗りで着いてしまったというわけだ。


 俺は、いつかと同じように河川敷へと下る階段に座り込む。そして流れる川をボーッと眺めていると、空缶ゴミが流されていくのが見えた。


 ――――俺が歩んできた人生は、あの空缶みたいに流れ流され続けるだけのものだった。


 誰かに虐げられたこともあれば、助けられたこともある。

 誰かとの絆を得て、それを失ったこともある。


 それでも自分からは何もしようとせず、ただ目の前で起きたことに流されているばかりだった。


 他者と関係を持つ以上、いつかそれを失うことは仕方のないことなのだ。人でなしの自分であれば、尚のこと他者との関係を維持することなんてできやしない。


 この不登校部だって、いつかは消えてなくなるだろうと。


 俺は、そう思っていた。

 諦めていた――――否、そう思うことで、自分を守っていたんだ。

 大切なものを失ったときに自分の心が傷つかないようにと、俺は予防線を張っていた。


 だけど、実際に大切なものを――――優を失いかけたとき。その事実を、どうしても俺は受け入れられなかった。


 俺は、そのとき生まれて初めて流れに逆らった。

 そして、死に物狂いで優を取り戻した。


 それから、世界が変わって見えた気がしたんだ。

 ……違う。変わったのは、世界じゃなくて自分だ。


 大切なものが、いつか失われるのは仕方のないことなんだと諦めたくない。

 自分は人でなしだから、誰かに手を伸ばす資格がないんだなんて思いたくない。

 強く、そう願うようになった。




 だから、俺は不登校部たいせつなものを――――


 ――――取り戻すことが、できたのだ。




 俺は、ようやく――――


 ――――人間に、なれた気がした。




 そんなことを考えていると、何故だか瞳から涙が流れていた。


「なんだ、これ……」


 悲しいわけでもないのに。

 それは、嗚咽とともに溢れ出て止まらなかった。


「暁……? どうしたの……?」


 不意に背後から声をかけられる。

 それは、この世で一番愛しい人の声だった。

 声の主――優が、俺の隣に腰をかける。そして、心配そうにこちらを覗き込んできていた。


「何でもない。……それより、意外と早かったな。新一は?」


「お兄ちゃん、色々準備するものがあるから先に行ってろって。……そんなことより、何でもなくないでしょ」


 優が俺の顔に手を伸ばしてきて、細い指で目元の涙をすくった。


「ああ、これは……本当に何でもないんだ。ただ――」


「……ただ?」


「まだまだ俺は、普通の人とか、真人間っていうのには、遠いけどさ。……それでも、ようやく人並みってやつに近づけた気がしたんだ」


 そんな俺の言葉を聞くと、優は優しく微笑んでくれた。


「ちょっとだけ、分かるかも。わたしもね、自分にはまだ自信がないままだけど……それでも少しは前よりマシになったかなって思うから。……暁のおかげね」


「俺は……俺だって優のおかげで、ここまで来ることができたんだ」


「うん。そう言ってもらえると……その、なんか、嬉しい、ね」


「「ありがとう」」


 二人の気持ちと、声が重なった。

 互いに微笑み合って、どちらからともなく手を握った。


「暁……わたしね、学校に行ってみようと思う」


「……大丈夫なのか?」


「本当は、すごく怖い。……でも、わたしがいつまでもこのままだと、お兄ちゃんやお父さんに……そしてお母さんにも心配かけちゃうだろうから」


 優の手は震えている。

 イジメにあったトラウマは、そう簡単に癒えるものではない。彼女にとって学校というのは、本当に怖いところなのだろう。


 ……それでも行くと、優は言ったのだ。


「優は強いな」


「ううん。わたしがこんなこと言えるのは、あの日……暁がわたしのことを守ってくれるって、そう言ってくれたから。だから、どんなに怖くっても……わたしは前に進むんだって、そう思えたの」


「そうか。……俺も優を見習って、そろそろ学校に行ってみようかな」


 以前は考えもしなかったことだが、それも今なら悪くないと思える自分がいた。もしかしたら、優に感化されたのかもしれない。


「……暁はダメ。このまま留年し続けて、わたしと同級生になって」


「そんな殺生な!?」


「だって、わたしと同じクラスになれたら嬉しくない?」


「……メチャクチャ嬉しい」


 俺ってチョロいなぁと思ったが、けっしてソレだけではない。もしも優と同じクラスになれたら、彼女に危害を加える奴らから直ぐ守ってやることもできる。

 ……あれ? そう考えれば、意外と有りなのかもしれないぞ?


 真面目に考え込む俺を見て、優が可笑しそうにに吹き出した。


「ふふ、冗談。わたしのために留年なんてしたらダメ」


「……そりゃそうだよな」


「今から暁が順調に進級して三年生になるころには、わたしも高校に入学する。……そのときは、一緒にお弁当食べたりしようね。作ってあげるから」


「……ああ」


 それはまた、何とも魅力的な話だ。

 そんな幸せな未来が待っていると考えるだけで、高校生活でさえ頑張れそうな気さえしてくる。

 あるいは、そのために俺は留年したのではないかとすら思った。普通に高校へ行き卒業していたら、優と同じ学校に通うことなど叶わなかったのだから。


 優と話していると、仲間たちが一人また一人と集まり始める。


「何だぁ、テメェらイチャついてやがったのか?」


 省吾が妹の理沙と、その友達の六花を連れてやってくる。そして俺たちを見ると、ニヤニヤと冷やかしてきた。


「六花ちゃん。暁さんの彼女って……小学生、だよね?」


「……やっぱりロリコンだったんだ、あいつ」


 そんなことを女子小学生どもはコソコソ話をしているが、全部丸聞こえだった。そして小学生扱いされてムカついたのだろう、優の眉が少し下がったのが見えた。



 ――――省吾。

 おまえはパッと見ただのヤンキーで、仲間内では一番のバカかもしれない。だけど、誰よりも友達想いな奴だよな。おまえがいなかったら、俺は香苗を救うことはできなかった。

 ……おまえには、本当に感謝している。ありがとな。



 次に楓が妹の鈴と、その友達の涼華を連れてやってきた。俺の隣にいる優を見て、何故だか楓はショックを受けていた。


「暁くんの新しい彼女って、小学生だったのね……。暁くん、あなたってそういう趣味だったのね……」


 度重なる小学生扱いに、ついに優がキレた。


「わたし、中学生なんですけど」


 優が楓に抗議する。


「そ、そうだったのね、ごめんなさい。いや、それでもアウトな気もするけど……」



 ――――楓。

 俺は、おまえから優しさを教わった。あの日、おまえが俺に声をかけてくれなかったら……。きっと、俺は今でも他人を遠ざけ続けていたと思う。

 おまえは俺が知り得る中で、誰よりも優しい人間だよ。

 ……なんてことを口に出して言ったら、おまえはきっと否定するだろうけどな。



 人が集まってきて、賑やかになり始める。

 小学生四人組が優の手を引いていき河川敷へと下り、楽しそうに五人で遊んでいた。


 ……小学生に混じっても全く違和感ないな、優のやつ。

 この心の声が聞かれたら怒られるだろうなと思い、俺はひとり苦笑した。


 そんなことを考えていると、今度は香苗がやってきた。


「……暁、ごめんなさい。暁に、あんなことして……。あたしって、本当に最低で……」


 香苗は到着して早々に、謝罪の言葉を口にする。


「それは違うぞ、香苗。最低なのは、俺の方だ。俺は、おまえの気持ちを知っていたのに……」


「ううん。……あたしが、悪いの。それなのに暁は……みんなは、あたしに手を差し伸べてくれて……嬉しかったっ……」


 香苗が涙ぐむ。


「おいバカガキ。祝いの席だっつーのに、いつまでもウジウジしてんじゃねぇよ」


 省吾が香苗の頭に手を置き、わしゃわしゃと乱暴に撫で回した。


「う、うるさいっ! バカ省吾っ! やめてよっ、髪が乱れるでしょ!?」


 そんな二人の様子を見て、楓がクスクスと笑っていた。


「あなたたち、仲が良いのね。付き合ってみたら?」


「こいつとはありえねぇ!」

「こいつとは絶対やだよ!」


 二人揃って思いっきり否定する。面白いほどに息がピッタリだ。でも照れ隠しとかではなく、本気で嫌がっている様子だ。

 ……まったくこいつらは、仲が良いんだか悪いんだか。



 ――――香苗。

 おまえのおかげで俺は不登校部に入り、こうして大切な仲間を作ることができたんだ。

 でも俺は、おまえには本当に悪いことをした。最初から最後まで、傷つけることしかできなかった。もっと俺が真っ当な人間だったら、そんなことにはならかったのに。

 ……ごめんな。



 いつも通りに香苗と省吾が喧嘩をして、そして追いかけっこが始まる。


 ひとり残された楓が、俺の隣に座った。


「ねえ、暁くん」


「うん?」


「暁くんは、変わったね。……昔の暁くんとは別の人みたい」


「……そうか?」


「うん。人を見る目が、すごく優しくなった。昔のあなたは、そんな目をしていなかった。誰も……そうね。わたしのことだって心の底からは信用をしていない、そんな目をしていたわ」


「……そう、だったかもな」


 優しくなった、か。


 ――――人に優しく。


 そんな言葉を、きっと誰もが一度は聞いたことがあるだろう。


 ――――優しさ。


 その言葉を誰もが知っているはずなのに、それに反して世界は悪意と害意、それに敵意に満ちている。

 優しさなんてものは、この世界にはほんの僅かしかないように思えた。


 俺は、俺たちは。

 ともすれば、すぐに誰かといがみあったり。そして憎しみあったり、傷つけあったりしてしまう。


 ――――だとしても。

 いや、だからこそ――――


 ――――この世界に僅かしかない優しさを、大事にしなければならないのだ。


 人に優しくするのは、難しいことだと思って俺は生きてきた。

 自分のために、誰かに優しくする。そんな人間じぶんは優しくないと、楓は言っていた。


 ……でも、そうじゃなかった。

 受け手が相手の行いに優しさを感じれば、それは紛れもなく優しさそのものなのだ。


 それでいい。

 人のためを想って人に優しくできない俺たちは、自分のためを想って人に優しくすればいいんだ。


 たったそれだけのことに気がつくのに、随分と時間がかかったように思える。


 ――――やがて、最後の一人。

 ……いや、二人だった。

 新一が、何故か姉さんの車に乗ってやってきた。


「待たせたな」


「ああ……って、それよりも姉さん。仕事は?」


「新一くんが大荷物持って歩いてるのを見かけたから拾ってあげたのよ。話を聞いたら、暁も含めてみんなでバーベキューするって言うじゃない? そんな楽しそうなこと、当然混ざりたいじゃない? えっ、仕事? もちろん仮病で早退したわよ!」


 ダメな大人がいた。

 俺も人としてダメな部分が多々あるのは自覚しているが、もしかすると血のせいなのかもしれない。


「……たった四人だったのが、いつの間にやら随分と大所帯になったもんだ」


 新一が辺りを見渡し、そう呟いた。


「ああ、そうだな」


「だがな、暁。ここにいる人間は、皆おまえを中心として集まっているんだぞ」


 そんなことをいきなり言われたものだから、呆気に取られてしまった。そんな俺の顔を見て、新一が可笑しそうに笑う。


「その様子だと、気がついていなかったみたいだな」


「いやいやいや、グループの中心はどう考えたっておまえだろ、新一」


「たしかに最初は、そうだったかもしれないな。だが、今は違う。俺の力では、この光景は作れなかっただろう。これは、おまえの頑張りの成果だ。……だから胸を張れ、暁」



 ――――新一。

 俺は、ずっと心のどこかでおまえに頼っていた。

 周りのことをよく見ていて、いつも的確な判断ができるおまえに憧れていたのかもしれない。

 まだまだ俺は、おまえみたいに何でも上手くやってみせることはできないけど。

 ……でも。きっといつか、おまえに並んでみせるよ。

 だから、これからもずっと……よろしくな。



「……これで全部、終わったんだな。俺は、やり遂げたんだよな」


 新一の言葉を受けて、ようやく全てが終わったんだ。という実感が今更になって湧いてきた。

 その過程で一度失ったものや失いかけたものもあったが、それを俺は取り戻すことができたんだ。


「暁。何を言っている」


「新一……?」


 新一が、いつもの調子でフッと不敵に笑った。


「終わりじゃないさ。むしろ楽しいことは――――これから始まるんだぜ!」


 ああ、たしかにその通りだ。


 これから先の人生、きっと俺たちには辛いことや苦しいこと……そして悲しいことが起こるだろう。それを完全に避けることなんて、できやしない。


 だけど、それでも。


 こいつらと一緒なら、それと同じくらい。……いや。それ以上に楽しいことや、幸せなことだって待っているだろう。


 だから、俺は前を向いて進むことができる。

 俺の、そんな人生は――――これから始まっていくのだ。

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不登校部員は人に優しくできない なかうちゃん @nakauchan

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