第三十八話 不登校部Ⅲ

 翌日の朝。香苗の自宅前で俺と新一、そして楓が集合した。


「はじめまして……ではないな。俺は神谷新一かみやしんいちだ、よろしく楽しむ」


林楓はやしかえでです。よろしくお願いします」


 二人が簡単に挨拶を済ませる。


「よし。……それじゃ二人とも、準備はいいか?」


 俺は二人に目配せをする。そして二人が頷くのを確認してから家の呼び鈴を鳴らした。

 そして響くチャイムの音。誰かが出てくる気配はない。それから少しだけ待ってみたが、やはり応答はない。更に二度、三度と鳴らしてみるが、それでも香苗が出てくる気配はなかった。

 ダメ元でドアノブを回してみるが、当然のように鍵が掛かっている。……何となく予想はしていたが、これは中々に手強いな。


「……さて、どうしたもんかな」


「暁、天の岩戸の話を知っているか」


 唐突に新一が、よく分からないことを言い出した。


「天の岩戸? ……なんだっけ。たしか岩戸に引きこもった神様をおびき寄せるために、外で楽しそうに騒ぐ話……だっけ?」


「その通りだ! つまり、ここで三人で宴会をして香苗をおびき出そうぜ!!」


 新一が背負っていたリュックサックからレジャーシートを取り出して、その場に敷こうとする。


「そうか……! そうすれば香苗も気になって出てきてくれるかもな!」


 それは妙案だと思いノリノリでレジャーシートを敷くのを手伝っていると、楓が冷たい目で俺たち二人を見ていることに気がついた。


「……あなたたち、さてはアホなのね?」


 目が合うなり、冷静に罵倒された。


「アホとは何だよ!? これ以上の案はないぜ、なあ新一!」


「……暁。そんなキラキラとした目で俺を見てくれているところ悪いが、これは冗談だ。そんなことをしたら、ご近所さんに通報されてしまうのがオチだろう」


 ……どうやら、アホは俺一人のようだった。


「わたしは……こんなアホのことが好きだったの……? これじゃ、まるでわたしもアホみたいじゃない……」


 楓は絶望した様子でうつむき、そんなことを小声でぶつぶつと言っていた。……おい聞こえてるぞ、この野郎。


「……じゃあ、他に案はあるのかよ? 二人とも」


「フッ……どうやら早速、俺の出番のようだな」


 新一は不敵に笑うと、ポケットから針金のようなものを二本取り出した。


「おまえ、まさか……!」


「そう、ピッキングするのさ!」


 新一は満面の笑みを浮かべ、グッと親指を立てた。


「……不登校部って、危ない人の集まりだったのね」


 楓はドン引きしていた。


「……いや、正直俺も引いてる。てか、おまえどこでそんな技術を身につけたんだよ……」


「俺はガキの頃に悪さをして、親父から家を閉め出されることが多かったのさ。……そう、あれは雪の降る寒い真冬の日だった。マジで死ぬと思った、その時さ。俺がこいつと出会ったのはよ……」


 新一が愛おしそうに針金を撫でる。


「いい話っぽく語り出すな」


「という話は置いといて、だ。手段を選んでいられる状況じゃないだろ。暁、おまえが香苗に最後に会ったのはいつだ?」


「えっと、二日前……かな」


「暁、知ってるか。人間が飲まず食わずで生きていられるのは、三日が限界だそうだ。もしも、香苗がおまえと別れてから何も口にしていなかったらどうする?」


「……まさか、そんな」


 いや、あり得ない話ではない。

 あのとき見た香苗の状態を考えると、その可能性の方が寧ろ高いとまで言える。


「……状況はそれだけ切迫しているんだ。今日中には俺が一人でも香苗の様子を見に行こうとは考えていた」


 そう言いながら、新一は解錠の作業に入った。


「……そんなに差し迫っている状況なら、もっと早くに警察を呼べばよかったじゃない」


「……」


 楓の言っていることは、もっともな正論だった。

 本気で香苗の身を案じてるならば。昨日の時点で、そうしておくべきだったのだろう。


 ……でも。それをしたら、きっと香苗は二度と俺たちの元には帰ってこないだろう……という予感もあった。


 ……いや。そんなことよりも、まずは香苗の安否確認を優先すべきだったのか。


 ひょっとして俺は、もうとっくに選択を誤っていたのだろうか……?


 そして、苦悩しながら待つこと数分。


「……よし、開いたぞ。さて、行くとするか」


 新一がドアを開ける。


「……暁、何を突っ立っている。おまえが先頭に立たないでどうする」


「あ、ああ。悪い……」


 できるだけ物音を立てないように、俺たち三人は家の中へと入っていく。

 ……こうしていると何だか、まるでコソ泥みたいだな。


 そろそろと室内を歩き、俺たちは二階にある香苗の部屋を目指した。


 そして部屋の前へと辿り着き、ドアノブに手をかける。

 ……香苗、どうか無事でいてくれよ。

 そう願いを込めながら、ドアを開けた。


 ――部屋の中はカーテンが締め切られていて、昼間だというのに薄暗い。


 そんな中で、香苗はベッドに横たわって眠っていた。

 テーブルの上には、あの日なかった飲みかけのペットボトルが置かれていた。それを確認した俺は、ひとまず安堵する。どうやら、完全に何も口にしていないわけではなさそうだった。


「誰……?」


 香苗が俺たちの気配に気がついて、うっすらと目を開けた。


「約束通り、また来たぞ。……香苗」


「暁……?」


 香苗の目に光が宿る。だがそれは一瞬のことで、その表情はすぐさま絶望へと上塗りされていった。


「ううん……暁が、来るわけない……。あたし、あんなひどいことして……来てくれるわけないもん……」


 香苗は両腕で顔を覆って、嗚咽を漏らす。


「そっか……これ、夢なんだ……。あんなことしといて、こんな夢見るなんて……。あたしって、なんなのっ……もうやだよぉっ……!」


「香苗、これは夢なんかじゃない。現実だ。俺は、おまえに会いに来たんだよ」


「じゃあ、幻覚だ。きっと、昨日お薬飲み過ぎたからだね……。あはは……」


 香苗はどうあっても、これを現実として受け止められないようだった。


「違う、幻覚でもない。……香苗、どうしてもおまえに会いたいって、放っておけないって奴がいてな。連れてきたんだよ」


 その言葉を聞いて、香苗は恐る恐るといった様子で俺の方を見た。

 そして、後ろにいる二人の存在にもようやく気がついたようだった。


「部長と、誰……?」


 服用してる薬のせいだろうか。香苗は朦朧とした様子で、二人を見ながら口を開いた。


「はじめまして……ではないかな? 林楓です。一度会ってるよね、平原香苗さん」


 楓が香苗にお辞儀をして、自己紹介をした。


「……だれだっけ」


「暁くんの、昔の恋人です」


「あぁ。……それで、なに?」


 そこまで言われて、ようやく香苗は楓のことを思い出したようだ。だが直ぐに興味を失うと寝返りを打ち、そっぽを向いた。


「わたし、あなたとお話ししてみたくって」


「……あたしは話したくない。帰って」


「そう。じゃあ、これはわたしの独り言ね。――あなた、暁くんのことなんか別に好きじゃなかったでしょ?」


 取りつく島もない様子の香苗に対して楓は、そんなことを挑発するかのように言った。


「……違う」


「ただそこに都合よくいたのが、自分と同じにおいがした暁くんだっただけ」


「違うっ……! あんたに何がわかるのよっ!? あたしは、本当に暁のことを――」


 一方的に言われ続け、流石に頭に来たらしい。香苗はガバッと身を起こして楓に向き直り、反論をする。その様子は、今にも掴みかかろうかという勢いだった。


「好きだったって言える? 暁くんの目を見て、そう言えるの?」


 楓の言葉を受けて、香苗が俺の顔を見る。

 ……しかし、その目は明らかに泳いでいた。


「う、ぁ……ち、違うっ……! 違う違う違う違うっ……! 好きだったもん! 暁だけが、あたしの拠り所だったんだもんっ!!」


「そう、拠り所なだけ。……わたしもね、そうだった。暁くんに可哀想な自分の姿を重ねて、心のどこかで安息を得ていた」


「あたしは……! あたしは、違うっ……!」


「じゃあ聞くよ。あなたは、暁くんの……どこが好きだったの?」


 その問いかけに、香苗は愕然としていた。

 思考が停止しているのか、しばらくポカンと口を開けたままだった。


「……や、優しい……ところ、とか……」


 それから香苗は絞り出すような声で、そう言った。

 しかし、その目は依然として泳いでいる。


「……なあ、香苗。――俺がおまえに優しくしたことって、あったか?」


 おまえに楓の姿を重ねて、抱いて。

 その後は、いつも突き放したような態度ばかり取って。

 ちっとも優しくなんか、なかったじゃないか……。


「……ち、違うもん。暁は、優しかったよ? いつだって……優しかったもん……!」


「現実を見て、香苗さん。暁くんは、あなたに優しくなんてなかったはずよ。……だって、恋人だったわたしにも優しくなかったもの」


 いや待て。おまえと付き合ってたときは優しくしていたつもりだぞ……と思わず抗議しそうになるが、楓が俺の方をジッと見ていることに気づく。

 ……もしかしたら、楓なりに何か考えがあるということだろうか。


「ち、違う……違う……。あたしには……暁は、あたしには優しかったよ……」


「それは違うの。本当に優しい人は、付き合ってもいない女の子に手を出したりしないわ」


 ……それに関しては事実なので、何も言えない。


「それは、だって……。誘ったのは、あたしの方……だったから……」


「仮に、そうだとしても。本当にあなたのことを想ってくれている人なら、そんなあなたを止めたはずよ?」


 ……はい、その通りです。


「香苗さん、だからね? 暁くんじゃなくっても、もっとあなたを大切にしてくれる人が……きっとどこかにいるはずよ?」


「……そんな人、いないもん」


「じゃあ、まずはわたしと友達にならない? わたしたちって、結構似てると思うから仲良くなれると思うの」


「あたしと、友達に……?」


「そうよ。一緒にどこかへ遊びに行ったり、お勉強したり。あとは……そうね。暁くんに捨てられた者同士、新しい彼氏を探すのも面白いかもしれないわ」


 俺は楓を捨てたわけじゃないっていうか、むしろ俺の方が楓にフラれたんだが……。でも香苗が立ち直るきっかけになるなら、そんな些細なことはどうでもいい……のか?


「そんなの嘘だよ……。だって暁は、あなたに捨てられたんだって……言ってたもん……」


「それは嘘よ。本当は、わたしの方が一方的にフラれたんだもの」


「暁……? ほんとうに、そうなの……?」


 香苗が、すがるような目で俺を見てくる。


 楓は、嘘をついている。

 ……でも。これは香苗の手を取るための、優しい嘘だ。


 ――だとしても。


 香苗に手を差し伸べるやり方が、これでいいのだろうか?

 それとも、綺麗事ばかりでは上手く事は運べないということなのだろうか。


 たしかに、そうなのかもしれない。

 それでも。それでも俺は、そんなのは――


「いや、それは違う。……真実は前に話した通りだ、香苗」


「暁くん……!?」


 楓は驚いた後、抗議するような目で俺を見てきた。


「俺は、もう仲間に……香苗に、これ以上は嘘や隠し事をしたくないんだよ!」


「……やっぱり、嘘だったんだ。これだから、人は信用できないんだ……」


 香苗が軽蔑の眼差しを楓に向ける。


「そうだな、確かに嘘だった。……でもな、香苗。楓は嘘をついてでも、おまえのことをどうにかしてやりたいと思ったんだよ。その気持ちに嘘や偽りはない。だから、それだけは信じてくれ」


「そんなの、そんなのあたしにとってはどうでもいい……!」


「そう思うのもおまえの自由だよ。……けどな! そうやって閉じこもってさ! これからも、ずっと孤独を抱えたまま生き続けるのかよ!?」


「うるさい! お説教はやめてよっ!? あたしのことを選んでくれなかったくせに! 暁はっ……好きな人を見つけられたから! 一緒になれたから! そんなことが言えるだけでしょっ!?」


「っ! ……ああ、その通りだよ! 本来なら、俺がおまえにこんなことを言ってるのはおかしいのかもしれないけど! それも分かっちゃいるけどな! それでも……それでも俺はっ! おまえにっ……! 孤独になんて、なってほしくないんだよっ……!!」


「じゃあ今からでもあたしを選んでよっ!? あたしのことが大事なんでしょっ!?」


「それとこれとは違うだろっ!? おまえにとっての人間関係は恋愛だけなのかよっ!?」


「そうだよっ! あたしにとっては、それが全部だもん!!」


「ストップ。……おまえたち、熱くなりすぎだ。少し落ち着け」


 ヒートアップする俺たちの間に、新一が割って入った。


「まず暁、おまえがそんなんでどうする。自分の気持ちばかりを香苗に押し付けすぎだ。そんなやり方で、香苗が受け入れられるはずがないだろ」


「……悪い」


 まったくその通りで、返す言葉がなかった。


「そして香苗、おまえは恋愛が全てだと言ったな?」


 新一が、今度は香苗に語りかける。


「……そうだよ。一番好きな人の一番になれなきゃ、全部……無意味だもん」


「無意味、か。……そりゃ寂しいな。おまえにとっては、俺たちと遊んだ日々も全て無意味で無価値だったわけだ」


「……そう、だよ」


「楽しくなかったか?」


「……楽しく、なかっ――」


、香苗」


 新一が語気を強めたことに、香苗が戸惑う。


「え……?」


「それを口にしたら、もう二度と不登校部には戻れない」


「……」


「それがおまえの選択なら、俺は止めはしない。……悲しいとは思うがな。だけど俺が何を思っても、最後に決めるのは結局おまえ自身だ。これから一人で生きていくのもいいし、また新しく好きになれる誰かを見つけてもいい。……生きる辛さに耐えられないのなら、死んだっていい。それもまた、おまえの人生だ」


「あたしの、選択……人生……」


「そうだ。……そして今、おまえの目の前には、少なくとも三人……おまえのことを本気で心配して、手を伸ばしている人間がいる。その手を取るかどうかも、おまえ次第だ。……おまえの好きなようにするといい」


「そんなの……! そんなこと……! いきなり言われても、どうしたらいいか分からないっ! 分からないよぉっ……!? あ、う、うぅっ……うああああぁぁぁっ!!」


 香苗の思考と感情が決壊する。

 頭を抱え、悲痛な叫び声を上げていた。


「……香苗、この問題は誰も答えを教えてくれやしない。だから自分の胸に聞いてみろ。きっと答えは、そこにあるはずだ」


「あ、あたし……。あたし、はっ……!」


「――さっきから黙って聞いてりゃ、ゴチャゴチャとうるせぇんだよっ!!」


 ――そいつは一体いつからいて、どこから聞いていたのだろうか。

 突然現れた省吾は、ずかずかと部屋には入り込んでくる。そして、いきなり香苗の胸ぐらを掴んだ。


「香苗っ! テメェは俺と同じでバカなんだよっ! バカがどんだけ考えても無駄なんだよっ!!」


「省、吾……?」


 香苗は、うつろな瞳で省吾の顔を見ていた。


「だからよ……! 細けぇこと考えねぇで、この手を黙って取りやがれぇぇぇっ!!」


 省吾が叫んで胸ぐらから手を離すと、その手を今度は香苗へと差し伸べた。



 ――――そして香苗は、言われるがままに省吾の手を握った。

 その表情は唖然としていて、自分でも何をしたのか理解が追いついていないようだった。


 それから少し間を置いて――――香苗の瞳からブワッと一気に涙が溢れ出した。


「バカッ……! バカ省吾っ……! びっくりして、その通りにしちゃったじゃないのよぉっ……!」


「……それでいいんだよ、バカが」


 省吾が号泣している香苗の体を抱きしめて、その頭を撫でる。


「やれやれ。……省吾に全部持ってかれちまったな」


 そう言う新一の顔は、言葉の内容とは裏腹にこの上なく幸せそうだった。


 ……何というか、最後は省吾のパワープレーで解決してしまうという、そんなハチャメチャな結末ではあるが。

 でも、これはこれで俺たち不登校部らしいのかもしれない。と、そう思うのだった。

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