第三十七話 楓サディスティックⅡ

 楓に対して、香苗のことをどこまで話していいものかと俺は悩んだ。

 自分の秘密を他人に喋られたら嫌だろう。そう言っていた新一の言葉が脳裏を過ぎる。

 そして、これからどうするかはおまえ次第だ。おまえが考えて動け。そう言われたことも同時に思い起こされた。


 この道で、この選択で。俺は本当に間違っていないだろうか。


 楓は口が固い。ともすれば、その口の固さが俺たちが別れる原因になったほどに。聞いた秘密を誰かに話すようなことはしないだろう。

 それに、興味本位や面白半分で他者の問題に首を突っ込むような人間ではないことも知っている。


 楓は数少ない、俺が信頼できる人間の一人だ。


 だから楓に相談をすれば解決とまでは行かなくとも、何か糸口は掴めるかもしれない。


「……分かった。少し長くなるけど、聞いてくれるか?」


「ええ、もちろん」


 楓の家に着くまでの道中、不登校部という集まりのこと。そして、香苗に関する事情について話をした。

 楓は俺の話が終わるまで、ずっと黙って話を聞いてくれていた。


「あの子も、似ているね。……わたしと」


 話を聞き終えると、そんな感想を漏らした。


「やっぱり、そう思うか」


「ええ。わたしには鈴がいたから良かったけれど。……でも、もしそうじゃなかったら。きっと彼女と同じようになっていたと思う」


「……そうか」


「それで、暁くん。 ……私に、何か肝心なことを隠してるでしょう?」


 楓が呆れているような怒っているような、そんな口調で詰問してきた。


「……何でしょうか」


 薄々何のことかは分かっているが。


「そこまで暁くんに入れ込むってことは、その子と何もなかったわけじゃないんでしょう?」


「うぐ……」


 ここまで話してしまったのなら、もう全部話してしまうべきだろう。自分に都合の悪いことを隠したまま楓に協力を仰ぐのも不誠実だ。


「まあ、その……なんだ。そ、そうだなぁ……」


「……ふぅん。暁くんはわたしと別れて間もないころに他の子と、そういうことをしてたのねぇ?」


 楓から軽蔑と失望が入り混じった視線を受け、俺はたじたじになった。


「ま、間もないって……半年は経ってるだろ……?」


「半年はまだ“間もない”に入るわよ!」


 楓がキレた。目が怖い。


「そ、そうか……。悪い……」


 ここで反論すると却って火に油を注ぐことになりそうだと思った俺は、大人しく楓の主張を受け入れることにした。


「……何か、ムカついてきたわね。わたしが悲しみに暮れているときに、よりにもよって他の子とキスしてたって考えると」


 ここまで怒りを露わにしている楓を見るのは初めてだ。


「ま、まあ……。えーと、キス……だけじゃ……ないん……ですけどね……?」


 馬鹿正直な俺の告白に、楓が信じられないものを見るように目を見開いた。


「あ、あ、ああ、暁くん……あ、あなたまさか……!?」


 ……まずい、ここまで話す必要はなかっただろうか。

 これから協力してもらおうと考えている相手の心証を悪くしてどうするんだ。


「そ、その場の流れというか……。その、空気でな……?」


 俺の言葉を聞いた楓は、しばらくの間わなわなと肩を震わせていた。やがて大きなため息を一つ吐くと、キッと俺を睨みつけてきた。


「……はあ。ムカつくのを通り越して、何か呆れちゃった。それと、その子に同情します。そこまでしておいて、別の子と付き合ったんでしょう? それはもう、どこからどうみても暁くんが悪いわよ」


「……返す言葉もございません」


 情け容赦のない言葉に心を滅多刺しにされるが、実際その通りなので何も言い返すことができなかった。


「……わたしには何もしなかったくせに。何なのよ……。わたしには魅力がないってことなの……?」


 そんなことを小声でぼやいているのが聞こえてきたが、もはや楓に何を言っても藪蛇やぶへびになりそうなので聞こえないふりをした。


「それはそれとしてっ!」


 楓が唐突にビシッと俺に人差し指を突きつけてくる。


「は、はい!」


 そして俺はというと。もう完全に萎縮していまい、敬語になってしまっていた。


「香苗ちゃんだっけ? やっぱり、その子のこと放っておけない。……もしかしたら、わたしだってそうなってたかもしれないんだから」


「楓、さん……」


「だから、香苗ちゃんと話しに行くときはわたしも連れて行って。……ていうか、さん付けやめてよ!?」


 楓がツッコミを入れてくる。

 ……あれ。こんなキャラだっけか、こいつ。


「じゃあ、楓様」


「暁くん、引っ叩くわよ」


 そう言って微笑んではいるが、楓の目はマジだった。


「わ、悪い悪い。冗談だよ。……ありがとうな、楓」


 素直にお礼を言うと、楓は少しだけ頬を染めてそっぽを向いた。


「……べ、別に、暁くんのためじゃないわよ。わたしがそうしたいから、そうするだけ。前にも言ったけど、わたし優しい人とか……そういうのじゃないんだから」


 ……いや。おまえは誰よりも優しいよ、楓。

 自分のために他人に優しくするのは本当の優しさじゃないって、そう言ってたけどさ。


 そんなことはないんじゃないかって、そう今なら思えるんだ。

 仮に自分のためだとしても。それでも誰かのことを想って行動できる人間は、やっぱり優しいんだよ。


 俺も、そうありたいと願う。


 それから俺たちは明日にでも香苗の家に行こうという話をし、時間と場所の打ち合わせをしてから別れた。

 この件の経過を、新一と省吾にもメッセージを送り報告した。


 新一からは、すぐに『俺も立ち会おう』と返信が来た。しかし、省吾からの返事はなかった。省吾と香苗の二人に関しては、まだ向き合うには時間が必要なのかもしれない。


 何はともあれ、今できることはしたと思う。

 楓という存在が、香苗にとってどういう影響をもたらすのかは分からないけれど。あるいは、楓を連れていったところで何も変わらないのかもしれないけれど。それでも──


 明日また、俺は香苗と対話するんだ。

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