第三十六話 楓サディスティック
それから俺は病院に行き、比較的軽症であるため数日安静にすれば良くなるだろうとの診断を受けた。そして、その旨を心配しているであろう優にメッセージで知らせておく。
すると、すぐに優から『よかった』という返事がきた。それから二、三のやり取りをしてから、俺は当て所もなく歩き始める。
香苗を助けたいという目標は明確なのに、それをどうすれば達成できるのかが分からない。
そんなことを考えながら当てもなく街を彷徨っているうちに気がつけば夕方となり、帰路に着く学生の姿がちらほらと見え始めていた。
俺は制服姿の学生たちを横目で見ながら、香苗の言葉をいくつか思い出す。
もしかしたら、そこに何かヒントがないだろうか。
――――どんなに傷つけられても、あたしのことを暁が求めてくれるならいいの。一人ぼっちよりは、その方があたしはずっと幸せだから。
――――あたしは……! 暁にはあたしだけを見ていてほしかった!
――――あたし怖かったっ……! いつか暁が、あたしのこと忘れちゃうんだろうなって思うとっ……頭がどうにかなりそうだったっ……!
「……」
香苗は、いつだって孤独を恐れていた。
忘れられることに、見捨てられることに怯えていた。
――――暁の目の前であたしが死ねば、きっと暁は一生あたしのことを忘れないでいてくれるよね……?
それはもう、好きな相手に忘れられるくらいなら死を選ぶほどに。
きっと、香苗は色恋以外での人との繋がりをよく知らないんだ。
もしかすると、それは香苗の両親が愛人を作っているのを幼少時から見ていたからなのかもしれない。
俺も、かつてそうだった。
父親に虐待されて育ったからだろうか。人間関係は傷つけるか傷つけられるか、それだけだと思って生きていた。
だから、俺は他者を遠ざけた。
しかし、それだけではないと教えてくれた人たちがいた。
――――たとえば、そう。買い物袋を両手にぶら下げて、そこを歩いている
こちらに気づいた楓が、俺に声をかけてきた。
「暁くん……? こんなところで珍しいね?」
こんなところ、というのはヅャスコの近くである。
香苗と最後に遊んだのがここだったため、無意識に足が向いていたのかもしれない。
「おう。……なんか、久しぶりに会った気がするな。夕飯の買い出しか?」
「ええ。そう言う暁くんは、遊びに来たの?」
「……いや、そういうわけじゃない。何となく、ブラブラしてただけだよ」
「そっか。……あ、そうだ! 良かったら、これからうちに来ない?」
「か、楓の家に……? なんで?」
あまりにも突然すぎる提案に、たじろいでしまった。
「あっ……そ、その鈴がね! 今日は友達の家にお泊りに行くって言ってたの忘れてて、いつも通り食材を二人分買っちゃったから……って他意はないのよ!?」
楓が赤面し、わたわたと買い物袋を持った手を振りながら弁明をする。
楓の気持ちは嬉しいけど、このままホイホイとついて行ったら浮気になるのではないだろうか?
……いや、飯を食うくらいならいいのか?
男女交際に関する経験値が少なすぎて、判断に悩む。
「……行ってもいいか、ちょっと電話で確認してもいいか?」
一人で考えていても答えは出ないと思い、優に聞いてみることにした。
「お姉さん? でも、暁くんのお姉さんって遅くまで帰ってこないんじゃ……」
「あー……えーと、その……」
まずった。
楓に、新しい彼女ができたなんてことを言ってもいいのだろうか。
もしかしたら、香苗のときと同じように傷つけてしまうかもしれない。
「……ああ、そっか。そういうことね、ふふ」
俺が気まずそうにしているのを見て楓は何かを察したようで、可笑しそうに微笑んだ。
「彼女、できたんだね?」
「……ああ」
「そっか。うん、そっか。……良かった」
「良かった……?」
それがあまりにも意外な言葉で、俺は思わず聞き返してしまった。
「暁くん
……も、か。
その言葉を聞いて、罪悪感から胸にチクリとした痛みが走るのを感じた。
「……悪い、心配かけてたみたいだな」
そんな当たり障りのないことしか言えない自分が情けなくなる。
「ううん、いいの。そういうことなら、この話はなかったことにしましょ? 昔の彼女とご飯食べてもいいかなんて聞かれても、彼女さんだっていい気持ちはしないもの」
……言われてみれば、その通りだ。
そんなことを電話して聞こうとしていたあたり、俺って人間はどうしようもないと軽く自己嫌悪に陥る。
「ああ……悪いな」
「謝らないでよ。……わたしたちは、ただの友達なんだから」
「……ああ」
「……友達なんだから、買い物袋持ってくれるよね?」
「何で――」
何でそうなるんだと言いかけて、うつむいてる楓の顔から涙の雫が落ちているのが見えた。
「――ああ、分かったよ」
楓から二つの買い物袋を受け取ると、彼女はハンカチを取り出して涙を拭った。
「あーあ。やだなぁ、もう。ごめんね。暁くんに彼女ができたって知ったら、なんか、泣けてきちゃって……」
そう言いながら楓は涙を拭うが、次から次へと溢れ出て止まらないようだった。
何事かという通行人の視線を感じるが、今はどうでもよかった。
そんなことよりも、どうすれば彼女の涙を止められるだろうか。それを考えるだけで、頭がいっぱいになる。
「……まだ暁くんのことを好きだったなんて、知られたくなかったなぁ」
「……楓」
「悪いと思うなら、それを罰として家まで持って」
楓は涙ぐみながらも精一杯の笑顔を作ると、冗談めかしてそう言った。
「……罰なら仕方ないな」
そのまま二人並んで歩き、帰路に就いた。
どこかで、ほんの少し、何かが違っていたら。
もしも、優に出会っていなかったら。
また、俺が楓と付き合う。そんな未来も、あったのかもしれない。
「暁くんの新しい彼女って、少し前に一緒にいた子?」
あれから数分間は互いに無言だったが、楓が不意に口を開いた。
おそらく、香苗のことを言っているんだろう。
……そういえば、楓は香苗と会ったことがあるんだったな。
「……いや、違う」
「ふぅん。……でも、あの子は暁くんのこと好きだったんじゃない?」
「……何で、それを知っている」
「……だって、そんなの一目瞭然だったじゃない」
あのときの香苗の言動を思い返してみれば、そう見えても確かにおかしくはないか……。
「まあ、そうだな。……好かれてたよ」
「暁くんの女たらし」
グサッ!
楓が放った言葉のナイフは、俺の心に突き刺さった。
優にも以前言われたけど。やはり俺は、そうなのだろうか……。
「ふふ、そんな顔しないで。冗談よ。ちょっと意地悪したくなっちゃっただけ」
「あ、ああ……。そうか……」
「暁くん。性格はともかくとして、顔はカッコいいからモテるのよね」
グサッ!!
――――性格はともかくとして。
――――性格はともかくとして。
――――性格はともかくとして。
楓は俺を安心させておいて、不意打ちで二本目のナイフを放ってきた。
「性格が悪いのは自覚してるけど、改めて言われると結構傷つくぞ……」
「あら、ごめんね? ふふふ」
楓が愉しげに笑う。
……楓さん?
何だか、性格が少々サディスティックになっていませんか?
もしや、こっちが素なのか……?
「じゃあ、その子も傷ついたでしょうね。……わたしと同じように」
三本目のナイフを受け、俺は瀕死になる。
「今まさに、そのことで頭を悩ませてるところだよ……」
「そうなの? ……それは同じ立場の人間としては、ちょっと気になるところね」
同じ立場、か。
……楓なら、香苗と友達になれるだろうか。
友達ができれば、香苗の価値観にも何か変化が生まれるかもしれない。そうすれば、それが香苗を救う足がかりにならないだろうか。
いやでも。形はどうあれ、そんなことをフッたに等しい相手に頼めるわけがない。
「……暁くん、良ければ話してよ。今日は会ったときからずっと暗い顔してたけど、そのことで悩んでいるんだよね?」
――――それでも。それでも、楓は優しくて。
自分では優しくないだなんて言ってたけど、そんなことはないと。やっぱり、そう思う。
「……どうして、俺のためにそこまでしてくれる?」
「友達の力になりたいっていうのは、そんなにおかしいことかしら?」
それが、さも当然であるかのように楓は言ってのけた。
もし優と付き合っていなかったら、間違いなく惚れ直していた。
「……ああ、そっか。暁くんって友達が少ないから、そういうの分からないのよね」
と思っていたら、騙し討ちに近い形で四本目のナイフを心に突き立てられた。
前言撤回。
惚れ直すには、今の楓は少々ドS過ぎる。
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