第三十三話 乾 省吾Ⅱ
省吾は仰向けになったまま、夕焼け空を見上げながら語り始めた。
「……俺は出来の悪ぃガキだった。頭も悪ぃし、そのせいか空気も読めねぇらしい。おまけに図体がでかくて、目つきまで悪ぃときたもんだ。そのおかげで、昔から友達なんてのはいなかった」
「絡んでくる人間ときたら、俺と同じように頭の悪そうな連中ばかりでな。生意気そうだとか何だとかで、よく小学校のころから上級生に呼び出しをくらってたぜ」
「そいつらを片っ端から返り討ちにしてたもんだからよ。当然、そんな俺に声をかけてくる奴なんて一人もいなかった」
「……だけどよ。そんなある日、新一の野郎が現れたんだ。野郎は小六のときに俺のクラスに転入してきたんだが、あっという間に溶け込んでクラスの中心人物になりやがった」
何となく想像がついた。
新一なら、それくらいのことは容易にやってのけるだろう。
「俺は、それを遠くから眺めているだけだった。あれは俺と生きる世界が違う人間だと、そう思いながらな」
「そんで、ありゃあ……いつだっけかなぁ。たしか今くらいの時期で、その日も俺はバカどもと喧嘩してたんだ。そしたら、とうとう親父がブチキレてな。家を閉め出されちまった。腹ぁ減ったし、万引きでもすっかなぁと思いながら歩き回ってたら……妹を連れた新一に出会った」
「妹……優か」
「ああ。あいつぁ、兄妹仲良く夕飯のお使い帰りだったらしくてな。両手に食料をたんまりと持ってたわけだ」
……おいおい。マジか、こいつ。
まんま飢えた獣じゃないか。
「そんで俺は、ちょっと食い物を恵んでもらおうと思ってな。野郎の胸ぐらを掴んで、食いモンよこせって言ってやったわけだ」
「まんまカツアゲじゃねぇか……」
「違ぇよ!? 分けてもらおうとしただけなんだよ! いやマジで!」
「それなら、いきなり胸ぐらを掴むなよ……」
「うるせぇ! ……俺ぁ、それ以外のやり方を知らなかったんだよ!」
……省吾、なんて不憫な奴。
「おいぃ! 哀れみの目で見るんじゃねぇよ!?」
「ああ、悪い悪い。それで、新一はどうした?」
「てっきり他の奴らと同じようにガクガク震えるんじゃねぇかと思ってたが、野郎は違った。涼しい顔で、嫌だねなんてとほざきやがった」
「まあ、あいつならそうだろうなぁ……」
「そこで俺はキレちまってな。力尽くで奪おうとしたわけだ」
「最初から力尽くだったじゃねぇか!?」
「最初は、そういうつもりじゃなかったっつってんだろ!? いいから聞けよ!!」
……茶々を入れすぎて怒られたが、納得はいかない。
「あいつは、俺に胸ぐらを掴まれたまま買い物袋を後ろにいる優に渡した。そして次の瞬間、俺は腕に関節技を極められて身動きが取れなくなってたんだ」
「で、まあ……そん時に腹の虫が鳴っちまってなぁ。その音を聞いた優が、身動きのとれない俺に恐る恐るパンを渡してくれたわけだ。あん時ゃあ、マジで心に染みたぜ……!」
「いい子だなぁ。流石は俺の彼女だ」
「サラッと惚気てんじゃねぇよ! ……で。それとこれとは別に、俺も一方的にやられっぱなしってのは気にくわなかった。だから、その場で新一に再戦を申し出たんだ」
……おまえ、ほんとそればっかりなのな。
「だが、野郎は俺との再戦を断りやがった。……そんなことよりも一緒に遊ぼうぜって、笑いながら言いやがったんだよ」
そう語る省吾の目尻から、再び涙が零れるのが見えた。
「……俺ぁ、そんなこと言われたの生まれて初めてだったからよぉ。すっげぇ嬉しかったんだよ……」
「省吾……」
「でも、何て返したらいいか分かんなくってよ……。あん時ゃ、テンパってたんだろうな……。野郎に、俺を倒したら一緒に遊んでやるとか言っちまってなぁ……」
つい先ほどした、俺と省吾のやり取りと同じだ。
あれ? ……こいつ、もしかしてさっきもテンパってたのか?
「で、それから一方的にボコられた」
「そうか。一緒に遊びたいから、わざと……」
素直に遊びたいって言えばいいだけなのに、不器用な奴だ。まあ、そこが省吾の良いところでもあるんだろうが。
「いや。最初は、そのつもりだったんだが……途中からマジになっちまってな。それでも、野郎には手も足も出なかった。後から聞いた話だと、あの野郎は古武術だか何だかを習ってやがったらしい」
「マジか」
「くそ、思い出したらムカついてきたぜ……。あの野郎、喧嘩を止めようとした優に何て言ったと思うよ!?」
「……さあ」
「これは仲間になるために戦ってるんだ。ゲームのモンスターも倒したら仲間になるだろ? って言いやがったんだよ! 俺ぁモンスターかよ!? てか、それで優も納得してんじゃねぇよ!!」
省吾が、うがー!といった様子で頭を掻き毟る。
……省吾よ、それは仕方ない。優はな、ほんのちょっぴりアホの子なのだ。
「まあ……いきなり通行人に襲いかかるあたり、モンスターと言えなくもないな」
「……ちっ、それを言われちまったら何も言えねぇだろうが」
「で、そのモンスターは改心して新一の仲間になったわけだ」
「だからモンスター呼びやめろやっ!? ……まあ、その通りだ。それから俺たちはよく
「なるほどな」
「……その後は、テメェも知ってる通りだ。優は中学に上がってからイジメに遭って、不登校になった。俺はイジめた連中を全員ぶっ殺してやろうかと思ったが、それで優の心の傷が癒えるわけじゃないだろって新一の野郎に止められた」
「……」
「それから野郎も色々と手を尽くしたようだが、いよいよ手詰まりになったらしくってな。……それから一年ちょいが経った今年の春に、野郎は他の人間の力を借りようと動き出した。優と同じように、心に傷を持った人間や学校に行ってない人間を集めて優の居場所を作ろうってな」
「……それが、不登校部か」
「ああ。俺は、そんときにゃもう高校を中退してたからな。学校に行ってない人間第一号ってことで、野郎から勝手に部員にされた。……ま、優のためってならソレも悪くねぇとは思ったがよ」
「……で、第二号が香苗か」
「そうだ。野郎が町内にいる不登校児の情報を集めて、最初に名前が上がったのはテメェだ。その次に香苗のガキだ」
「俺の方が先だったのか?」
「たしかな」
「でも、香苗の方が先に不登校部にいたよな……?」
「……あー、まあ、その、何だ。順番に関しちゃ、野郎なりに考えがあったらしい。女がいれば男は釣れるだろうとか何とか言ってやがったな」
「……誠に遺憾なんだが」
しかし実際には、その思惑にまんまとハマって不登校部に入ることになったのである。
あの日、もし香苗が家に来なければ。俺が不登校部に入るのは、もっと後になっていたかもしれない。……いや、そもそも入っていなかったかもしれない。
新一は、やはりやり手だ。
──しかし、それ以上に。
「……ちょっと許せねぇな」
「あん?」
「新一はさ、俺を勧誘するために香苗を利用したってことだろ? そんなのは──」
──仲間としての在り方じゃない。
「……野郎にとっちゃ、不登校部自体が優を助けるための道具でしかねぇからな。いつだったか、奴は言ってたよ。優を救うためなら、他の何を犠牲にしても構わねぇってな」
……本当に、そうなのだろうか。
「俺も……まあまあシスコンだとは思うが、野郎のそれは既に病気の域だ。……ま、事情が事情だから仕方ねぇのかもしれねぇがよ」
新一は、自分が優から母親を奪ったという自責の念に駆られていた。だからこそ自分が何をしてでも――それこそ他者を利用し尽くしてでも優を救おうと、そう考えていたのだろう。
──でも。本当に、それだけだっただろうか?
俺たちと一緒にいるときのあいつは、時には本気で笑って、時には本気で怒っていたようにも見えた。
少なくとも、ただ利用するためだけに俺たちと一緒にいたとは……どうしても思えない。
……いや。そう俺が思いたくないだけで、本当は全て新一の演技に過ぎなかったのだろうか。
違う。演技なんかじゃない。
だったら、あの日。優が失踪して見つかった後に新生不登校部なんてものを作って、それを俺に任せたりなんかしないはずだ。
たしかに、最初はただ利用するだけのつもりだったのかもしれない。だけど一緒にいるうちに、それ以外の感情も芽生えたのだろうと思う。
もう一度、新一に話を聞く必要がある。そう、俺は思った。
「……なあ、省吾。不登校部は、もう終わっちまったのか?」
「……そりゃ、そうだろうよ。香苗のガキがあんなになって……優が立ち直った今、新一の野郎にとっても無用の長物だ。……もう誰も、不登校部なんてもんを求めちゃいねぇんだよ」
「おまえはどうなんだよ」
「俺、は……?」
予想外の質問だったのか、省吾がポカンと口を開ける。
「四人で一緒に遊べて、楽しくなかったのかよ」
「っ! バカがっ……! 楽しかったにっ……決まってんじゃねぇかっ……! でもよ、もう無理なんだよっ! 俺一人が足掻いたところでっ……そんなの、どうしようもねぇじゃねぇかよっ……!!」
省吾が悔しそうに歯を食いしばり、拳を握り締める。
「おまえこそバカか。……何を勝手に一人になったつもりでいるんだよ」
「あん……?」
「俺だって、おまえと同じ気持ちなんだよ。おまえらと遊んでるときは、いつもメチャクチャ楽しくって。時間が、あっという間に過ぎていってさ……」
「暁……」
「……省吾。俺は、この集まりを過去のものになんかしたくない。だから、俺は不登校部をもう一度作り直す。俺がいて、おまえがいて、新一がいて、香苗もいて。……そして、優もいる。俺は新生不登校部部長として、そんな新しい不登校部を作ってみせる」
驚いているのか、それとも呆れているのか。俺の唐突な発言に、省吾は開いた口が塞がらないようだった。それから少しすると省吾はいつものようにカカカと笑い、こう言った。
「……本物のバカだな、テメェ。そんなの、マジでできると思ってんのかよ。……だがよ──」
省吾が勢いよく上体を起こし、俺の手をガシッと掴んでくる。
「俺もバカだからよ。……その話、乗ったぜ!」
「ああ。省吾、おまえが記念すべき新生不登校部の部員……第一号だ!」
俺たちは二人でガッチリと腕を交差させ、不登校部再建への誓いを立てた。そうだ。俺は、俺たちは一人じゃない。仲間と力を合わせれば、出来ないことなんて無いはずだ。
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