第三十二話 乾 省吾
四人組を先に帰して、俺は省吾が来るのを待った。
ただの話し合いで済めばいい。だが相手は、あのヤンキーだ。荒事になる可能性も十分ある。それを、あの子たちに見せるのは教育上よろしくない。
……そもそも、そうならないことを祈りたいが。正面からの殴り合いでは、まず俺に勝ち目がないのは明白だ。
「……なんでテメェがいるんだよ」
かくして、省吾はやってきた。
「理沙なら、もう帰ったぞ」
俺はベンチから立ち上がり、省吾と正面から相対する。
理沙の名前を出すと、あっという間に省吾はブチギレ寸前となった。
「テメェ……! 俺に接触するために理沙を利用しやがったのか!?」
「ああ。おまえが俺を無視するから、仕方なくな」
「テメェ……!」
省吾は殺気を孕んだ、獣のような目で俺を睨んでくる。
「待ってくれ省吾。俺は、おまえと話がしたいだけだ」
「こっちには話なんかねぇんだよっ!!」
有無を言わせずに拒絶される。……これでは取りつく島もない。
「俺にはある。……省吾。おまえ、本当は――」
「いいぜ。なら、拳で語り合おうじゃねぇか」
省吾が俺の言葉を遮り、ファイティングポーズを取る。
……やはり、そうなるのか。
「やだね。俺、喧嘩弱いし」
「チッ。嘘つくんじゃねぇよ、暁。俺には分かんだよ。……テメェは、その辺の奴らとは目付きが
「……心外だな。こんな、元引きこもりの一般人を捕まえて」
「ふん。……俺をぶっ倒せたら、話を聞いてやるよ」
「俺に勝ち目がないから、その案は却下だ」
「嫌だね! 俺はよぉ、いつかテメェとやりてぇと思ってたんだからよぉっ!!」
省吾は素早く俺の方に間合いを詰めると、問答無用で大振りの右フックを顔面に目掛けて繰り出してくる。
それを俺は、すんでのところで上体を逸らして避ける。その瞬間、ブオンと省吾の腕が空気を切る鈍い音が聞こえた。……こんなもんまともに食らったら頭が吹っ飛びそうだな。
それから俺はバックステップで距離を取ると、省吾に背を向けて走り出した。
「逃げんじゃねぇ!」
省吾は一瞬呆気にとられるが、直ぐに気を取り直すと鬼の形相で追いかけてくる。
「こんなん逃げるわ、バカ!」
自分で言った通り、俺は正面きっての喧嘩は弱い。
場所は公園。何か使えそうなものはないかと、走りながら辺りを見回す。
するとジャングルジムが目に入った。
これは使えるか? ……でも、下手したら省吾に大怪我を負わせることにならないか?
いや。ああなった省吾を相手に躊躇していたら、間違いなく俺が病院送りにされる。
俺は速度を落とさずに砂場を経由して、走りながら片手いっぱいに砂を握りしめた。そして身を反転させると、すぐ目の前にまで省吾が迫っていた。俺は握りしめていた砂を、その顔面に目掛けてぶち撒ける。
「ぐぁっ!? 目がぁっ……! 暁、テメェ……!!」
「……水場で、ちゃんと洗った方がいいぞ」
「ぶっ殺すっ!!」
怒り狂った省吾が殴りかかってくるが、目がよく見えず間合いが測れないのだろう。俺は半身を逸らして、容易に避けることができた。
そして、避けられた省吾が体勢を崩す。その隙を見逃さず、俺は顎先に掌底をお見舞いした。
「ぐがっ……!」
よし。きっちりと急所を捉えたはずだ。
相手が常人なら、脳を揺らすこの一撃で終わりにできるだろうが……。
「
やはり省吾は倒れなかった。
「そう言う割には足がガクガクしてるぞ」
「うるせぇっ!」
「じゃあ、俺あっちだから」
俺は帰り道で友人と別れるような気さくな挨拶をすると、再び砂を握りしめる。そして、今度はジャングルジムを目指して走った。
非力な俺では、まともに殴打しても恐らく省吾を倒せない。絞め技や極め技に持っていっても、力ずくて解かれたあと一方的にボコられるのが関の山だろう。
「待てやコラッ!」
省吾がフラついた足取りで走って追いかけてくる。
これなら間に合うだろう。
俺は途中で手頃な大きさの石をいくつか拾い集めると、手元の石と砂を落とさないよう注意しながらジャングルジムの頂上まで一気に駆け登った。
「ほら省吾、来れるもんなら来いよ」
上から省吾に石を投げつけて挑発する。
「おちょくってんのかゴラァッ!!」
目論見通り、怒りに我を忘れた省吾はジャングルジムを登ってくる。
そして省吾の顔は上を向き、その両手は塞がっている。俺は、そこに再び砂をかけてやった。
「二度も同じ手を食うかよっ!」
しかし省吾は咄嗟に片腕で両眼を庇い、俺の目潰しを阻止した。
この瞬間を待っていた。
確実に奥の手を当てるために。
今、省吾の視界は完全に塞がっている。
「おらぁぉぉぁっ!!」
俺はジャングルジムの頂上から飛び降りて、そのまま勢いよく省吾の顔面を足蹴にした。
「ぐぁっ……!?」
省吾が短い悲鳴をあげる。そして俺たちは二人揃ってジャングルジムから転げ落ちた。
その結果、省吾は背中から地面に叩きつけられ、俺は着地に失敗して足を捻った。
「痛ってぇ……!」
捻った足に激痛が走る。折れてはいないだろうが、しばらくはまともに歩けないかもしれない。
省吾の方を見ると、白目を向いて失神していた。……いや、もしかして死んでる? 少しやりすぎたか?
「おい、省吾……?」
へんじがない。
「ただのしかばねのようだ」
「死んでねぇよっ!」
意識を取り戻した省吾が、クワッとこちらを睨んできた。
「おお、生きてたか。……本当頑丈だな、おまえ」
「……テメェ、普通あんなことやるかよ。 あーあ。やっぱ俺が思った通り……
省吾は仰向けに倒れたまま、カカカと笑った。そして、その目尻からは涙が流れていくのが見えた。
「……おまえでも泣くことあるんだな」
「うるせぇっ! これはテメェのっ……テメェの砂のせいだっ……!」
「……ああ、そうだな。悪い」
「クソが……。これで二回目だ、誰かに負けんのはよ……。テメェといい新一といい、忌々しいぜ……」
突然、意外な名前が出てきた。
「新一とも喧嘩したことがあるのか?」
「……ガキのころにな」
そうして省吾は語り始めた。
新一との出会い。そして、それから不登校部が出来るまでのその経緯を。
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