第三十話 鈴ちゃん無茶振りをする

 翌日の昼過ぎ。俺は宣言通り香苗の家に行き呼び鈴を鳴らしたが、応答はなかった。


 新一が俺に対してやったように、呼び鈴を連打してみようかとも考えたが、今の香苗に余計な負荷はかけたくないのでそれはやめておく。


 また来るとスマホで香苗の方にメッセージを送ったが、それに既読がつくことはなかった。


 今からだって香苗や省吾のために、何かできることがあるはずなんだ。……それが何なのかは、まだ俺には見つけることができていないけど。でも、このまま何もせずに諦めたくはなかった。



 誰かを選んだとか、選ばなかったとか。


 誰かに選ばれたとか、選ばれなかったとか。


 人を傷つけたとか、傷つけられたとか。


 それで、はいおしまい。



 人間関係って、そんなものだろうか。


 そうじゃないと、俺は思いたかった。

 だから、今起きている問題に正面から立ち向かおう。

 それが、一晩悩んで俺が出した結論だ。


 今さら何をしても、もう無駄かもしれない。報われないかもしれない。だとしても、この道を進むと俺は決めた。それは他の誰かのためじゃなく、俺自身のためにだ。


 とはいえ、現状は何も突破口がないことも事実だ。

 公園のベンチで考え込むうちに時間は過ぎていき、下校する小学生たちの姿がちらほらと見えだした。


 その一つのグループの中に、見知った顔を見つけた。

 かえでの妹だ。名前はたしか……そう、りんだ。


 彼女は他の女子三人を含めた四人で、仲良く楽しそうに歩いている。

 俺にも、あんな時期があったら良かったのになぁ……。


 その様子をぼんやり眺めてると、鈴が突然走り出し公園の中へと入ってきた。そして走り出した彼女を、グループ内にいた少女の一人が血相を変えて追いかける。


 ……なんだろう、喧嘩か?


「待ちなさいよ、鈴っ!」


「あばよ、とっつぁーん!」


「誰がとっつぁんよ!?」


 鈴は同年代の中では運動神経が良い方なのだろう。追いかける側の少女は懸命に走るが、まったく追いつけていなかった。


 そういえば、楓も運動神経が良かったっけな。やはり、運動神経っていうのは遺伝なのだろうか。


「……あいつら、毎度毎度よく飽きないね」


「あはは……。でも、涼華りょうかちゃんだって何だかんだで楽しんでるんじゃないかな」


 グループにいた他の二人も公園に入ってきて、俺から一つ隣のベンチに座った。片方は呆れ顔で、もう片方は苦笑していた。


 追っている側の少女は、涼華という名前らしい。

 俺は心の中で涼香を応援した。人間、不利な側を応援したくなるのは何故だろうか。


 まあ、何というか……微笑ましい光景である。

 最近、何かと殺伐とすることが多かったせいだろうか。二人の様子に俺の頬は自然と緩んでいた。


「……六花ろっかちゃん。隣の人、涼華ちゃんと鈴ちゃんを見てニヤニヤしてるよ……?」


 ……丸聞こえなんですけど。

 まあいい、子供の言うことだ。

 大人として、聞かなかったことにしておこう。


「うわ、やば……。絶対ロリコンじゃん……。理沙りさ、早くここから離れよ」


 しかし、六花と呼ばれた少女が俺の地雷ワードを踏み抜いた。


「ロリコンじゃねぇよ!?」


 不当なロリコン扱いに、考えるよりも先に口が出てしまった。

 しまった。事案になったらどうしよう……。


「ひぃっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」


 もう一人の少女――理沙が涙目になり、ガタガタと震えながら六花に抱きついた。


「女子小学生を眺めてニヤけてる人はロリコンだと思うけど」


 そんな理沙とは対照的に六花は動じる様子もなく、平然と言い返してきた。

 ……こ、こいつ。可愛くないな。いや、見た目は可愛いんけど。だが、性格は子供らしくない。



 ……ん? ――――見た目は可愛い、だと……?



 俺は自分の思考にゾッとした。


「なんてことだ……。やはり俺は、ロリコンなのか……?」


 俺はショックのあまり、そのまま思考が口から漏れてしまった。


「唐突に自白をするな」


 六花が俺のことを白い目で見ていた。


「うるせぇよ! 俺はロリコンじゃねぇ! 俺はただ、子供っていいなぁって思って……微笑ましい気持ちで見てただけだ!」


「こ、子供っていいなぁ……?」


 理沙が青ざめた顔で俺の言葉を復唱する。


「そこだけ抜粋すんなよっ!?」


 そんなやり取りをしていると、鈴が涼華を置いてこちらへと駆け寄ってきた。


「なに? なんか楽しそうじゃん。あたしも混ぜてよ」


 嗚呼、救世主だ……。

 鈴は俺が楓と付き合っていたことを知っている。

 一度だけ楓の家に遊びに行ったことがあり、その時に彼氏として紹介されているからだ。


「久しぶりだな」


 俺がロリコンではないことを証明してくれ、鈴!

 そんな願いを込めて、彼女に声をかける。


「え? 誰だっけ?」


 ジーザス!!

 え? てか、これマジ? 俺、覚えられてない……?


「知り合いを装って女子小学生に声をかける、と」


 六花がスマホのメモ帳に何かを入力しているのが見えた。

 まずい、このままではガチの事案になってしまう!


「俺だよ! おまえのお姉ちゃんと付き合ってた! 一回家にも行っただろ!?」


「あはは、ちゃんと覚えてるよ、暁兄ちゃん。びっくりした?」


 鈴が悪戯っぽく笑う。


「ああ……。それよりも、名前覚えてくれてたんだな」


「うん。よく寝言で、姉ちゃんが暁くん暁くんって言ってたから」


 ……メチャクチャ心苦しくなる情報をありがとう、鈴。


「……へぇ、本当に鈴と知り合いなんだ」


 六花が驚いたように目を丸くしている。


「おまえ、マジで俺のこと不審者だと思ってたわけ?」


「そうだけど?」


 やっぱりこいつ可愛くねぇ……。


「鈴ちゃんのお姉ちゃんの、彼氏さんなんですか?」


 俺が不審者ロリコンではないと分かって警戒心が薄れたのか、先ほどまで怯えていた理沙が今度は興味津々といった様子で聞いてきた。


「……元、だけどな」


「あっ……。ご、ごめんなさい……」


 俺の言葉に理沙がシュンとした。

 ……俺は子供に気を遣わせてしまい、逆に罪悪感を覚える。


「ぜぇ……ぜぇ……。あ、あんたたち……。わたしを放置して……随分と、楽しそうじゃない……」


 疲れきった涼華が肩で息をしながら、こちらにフラフラとした足取りでやってきた。


「あれ、涼華。そんなにぜぇぜぇして、どったの?」


 鈴が、おちょくるように言う。


「あんたが逃げるからでしょう!?」


 涼華が鈴の胸ぐらを掴んで、ブンブンと彼女を前後に揺すった。


「り、涼華、お、落ち着けっ……そ、そうだっ!」


 鈴が俺の顔を見て、何か思い付いたらしい。


「この兄ちゃんが、今から大人の恋バナしてくれるってさ! ……涼華も聞きたいだろ? 高校生の恋バナ!」


 おい待て。何だ、その無茶振りは。


「た、たしかにそれは……興味深いわね」


 涼華が鈴を解放し、興味津々といった様子で俺の顔を見てきた。


「わ、わたしも、それ聞きたいです」


 理沙が、おずおずとした様子で言う。しかし、その目には明らかに期待の色が滲み出ていた。


「六花も聞きたいだろ?」


 鈴が六花に問いかける。


「まあ、まったく興味がないと言えば嘘になるけど……」


「んじゃ、けってーい! というわけで暁兄ちゃん、ラブい話をいっちょよろしくー!」


 鈴がウインクをして、両手の指でハートマークを作った。……どうやら俺に拒否権はないらしい。


 てか何だ、この状況は。

 何故俺は小学生に囲まれて、そのうえ恋バナまでさせられようとしているのだろうか……。

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