第二十八話 崩壊
省吾は力尽くで香苗から包丁を取り上げると、それをそのまま床に投げ捨てた。
「なんで、なんでなんでっ……! なんで、あたしの邪魔するのよぉぉぉっ!?」
香苗が激昂するが、それを省吾は無視して俺の拘束を解いた。
「暁、大丈夫か?」
「あ、ああ。でも、おまえ、何でここに……」
「優から新一に、暁が帰ってこないって連絡が入ったんだよ。ま、それで勘のいい俺はピーンときたわけだ」
「ああ、そういうことか……」
省吾に相談しておいて良かった。
そうしていなければ、俺は目の前で香苗が死ぬのを見ることになっていただろう。
「さぁて。そろそろ帰ろうぜ、暁。ついでに何か食ってくか?」
事の重さと経緯を知ってか知らずか、そのまま省吾は香苗を無視して部屋から出て行こうとする。
香苗は特に何をするわけでもないが、その背中を物凄い形相で睨みつけていた。
「お、おい。省吾、待てって……!」
「あん?」
省吾が振り返る。
「いくら何でも、こんな状態の香苗を放置したまま帰れるはずがないだろ。ていうか、おまえの手だってそのままにしておくわけには……」
「こんなもん唾でもつけときゃ治るだろ」
「いや、でも香苗は……」
「バカじゃねぇのか、テメェ。このガキに何をされたか分かって言ってんのか?」
呆れと怒りが入り混じった声だった。
「……薬を盛られて、拘束されただけだ。別に危害を加えられたわけじゃない」
「バカが、それはもう危害を加えられてんだよ。しかも、このクソガキは目の前で自殺してテメェにトラウマを植え付けようとしてたんじゃねぇのか?」
「……あんたには、関係ない」
香苗が恨みのこもった声をあげ、省吾と睨み合う。
「関係あんだよ。暁は俺のダチだ。……いいか、クソガキ。俺はな……俺のダチに危害を加える奴は絶対に許さねぇ」
「あんたに暁の何がわかるのよ……。いつも能天気で、悩みなんか何もなさそうな顔して……」
香苗が包丁を拾い上げて、その切っ先を今度は自分にではなく省吾へと向けた。
……何だ、これは。
やめろよ、二人とも。
俺たちは同じ部活の仲間じゃないか。
それなのに、何をしているんだよ。
壊れる。
今まで築き上げてきた信頼だとか、仲間意識だとか。
全部壊れていく。
居場所を失う。
そんなのは嫌だ。
……俺がどうにかしなければ。
だって、新一にこいつらを――不登校部を任されたじゃないか。
「おい、二人とも……少し冷静に――」
「暁は黙ってろ!」
「暁は黙ってて!」
割って入ろうとしたが、二人が同時に俺の言葉を遮った。
とても話を聞いてくれる状況ではない。
……まずい、どうすればいい。
「かかって来いよ、クソガキが。骨の一本や二本は覚悟しとけよ?」
「省吾ぉぉぉぉぉぉっっっ!!」
「香苗っ!」
香苗が包丁を両手で握り締めて省吾に突進しようとするが、俺は後ろから彼女を羽交い締めにして阻止する。
「止めるなっ! 離してっ! 離せっ!!」
香苗が俺の腕の中でじたばたと暴れる。
「省吾! 香苗は今ちょっと冷静じゃないだけだ! 落ち着いてから話をするべきなんだよ!」
俺の言葉を聞いた省吾は興醒めしたかのような溜め息を吐き、そのまま何も言わずに部屋から出ていこうとする。
「省吾、待て! 話を――」
「話なんかねぇよ。……暁。ここまでされてもまだ、そのガキを庇うテメェにも呆れたぜ。……あばよ、今まで楽しかったぜ」
そう捨て台詞を残して、省吾は去っていった。
何だよ、それ……。
俺たちの集まりは、絆は、不登校部は――――。
――――こんなにも呆気なく壊れるものだったのか。
……胸中に渦巻くのは、失望の念だ。
唯一無二だと思っていた。
こいつらだけは、他の奴らとは違うと思っていた。
ずっと仲良く
そう思っていたのは、俺だけか。
あるいは省吾が言うように、香苗にここまでされてもまだやり直せると思っていた俺が異常だったのか。
――異常者。
そんな言葉が脳裏を掠めて、胸が痛んだ。
やはり俺は、普通ではないのか。
誰かと仲良く生きていくなんて、できないのか。
……違う、俺はバカか。
自虐に浸ってる場合か。
今はまず、暴れている香苗を落ち着かせなければ。
そのためには……。
……悪い、優。
下心はないから許してほしい。
心の中で優に謝罪をしてから香苗の羽交い締めを解き、そのまますぐに後ろから抱きしめた。
「……香苗、落ち着け。な?」
出来る限り優しく、諭すように語りかける。
「うるさいっ! もう嫌っ! もう暁もっ……省吾もっ……不登校部なんか……大っ嫌いぃっ……!」
それでもなお、香苗は子供のように泣き喚き、暴れ続ける。
……違う。子供のようではなく、子供なのだ。
香苗に限らず、俺も省吾も。
まともに他者とのコミュニケーションを取らずに生きてきて、それ故に心を育てあぐねた子供の集まりだ。
だから、自分の思い通りにならないとすぐに泣いたり怒ったり……その果てに失望したりする。
「……おまえが俺のこと嫌いでもな、俺はおまえのこと好きだぞ」
俺の好きだという言葉に反応し、ようやく香苗が大人しくなった。
「……そんなの嘘。もう、信じられないもん」
「嘘じゃない。……おまえの望む形の好きじゃなくて、それは悪いと思うけどな。それでも俺は、おまえのことが好きなんだよ」
「……そんなの、嬉しくないもん」
……やはり、そう簡単にどうこうできる問題ではないか。
「……もう離して」
「離したら暴れるだろ」
「……暴れないよ。……もう、いいよ。……もう、なんか全部……どうでもよくなっちゃった……」
「香苗」
「抱きしめられてるの、つらいから。……もう、はなして」
そこまで言われてしまうと、もうどうしようもない。
俺が離れると香苗は糸が切れたように膝から崩れ落ちて、その場に座り込んだ。
「……」
かける言葉がないとは、このことか。
第一にだ。香苗を選ばなかった俺が今さら香苗に何を言ったところで、もうどうしようもないんじゃないのか……?
それからお互いに何も言えずに、ただ時間だけが過ぎていった。
「……帰って」
十分か、二十分かが経過したころ。
香苗のぼそりとした呟きが沈黙を破った。
その声からは何の感情も感じられない。怒りも悲しみも憎しみも、本当にもう全部がどうでもよくなってしまった。……そんな声だった。
「分かった。だけど、一つだけ約束してほしい。……死んだりするなよ」
「……」
香苗からの返事はない。
これ以上この場に居続けても、余計に香苗を傷つけるだけか。
「……香苗、また来るからな」
「……」
香苗は虚空を見つめたまま、俺の言葉には何の反応も示さなかった。
俺は、俺たちは――何を、どこで、どう間違えてしまったのか。
それとも、最初からもうこうなることが定められていたのか。
分からない。
分からないが……一つだけ確かなことは――――。
――――不登校部は崩壊した、ということだ。
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